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−18年 -7-/13

お久しぶりです。亀速度ですが続きが書けましたので。





 見た目と健康に影響がない程度に毒を含みつつ、小姓のライヒャルトとして仕事をしながら、ときどきルイーゼとして侍女仕事をする。いまのところ本格的に影武者としての仕事はないが、裏では影としての訓練と騎士としての訓練をすこしずつ。まんべんなく、すこしずつ、積みあげていく。

 エリオの来訪の予告から、それは一層過激になった。キリエにも自覚はある。



 その日、単身馬を駆って訪れたのは、ひとりの少女だった。アドルフィーネと同じくらい、線の細い少女だ。年の頃はアドルフィーネより幼く、キリエと変わらないように見えた。

 彼女は、ローゼンミュラーからの使いで参りました、と滑らかな仕草で頭を垂れた。顔があらわにならないよう、巧妙に影が作ってある。

 その髪は亜麻色、その瞳はアンバー。

 キリエは悟る。


 ああ、この娘が、アドルフィーネの影なのだ。


「……ようこそおいでくださいました。たいしたお構いもできませんが、どうぞおくつろぎくだされば」

「あの、そんなにお気を使わないでくださいな。あなたもわたしと同じ、影武者なのでしょう?それに、アドルフィーネ様もおっしゃいました。キリエは……あなたは、とても可愛らしい方だから、交友を深めてくるといいわよ、とも」


 少女は愛らしく笑う。

 過分なお言葉です、とキリエはちいさく笑った。


「こちらへどうぞ。お茶の用意をしますから」

「ありがとう。好きなだけ話していらっしゃいとおっしゃっていただきましたから、なんでもお話しさせてください」


 厚遇だな、とキリエは目を丸くしたが、すぐに困った顔になった。


「どうしましょうね。私の自室でもよろしいでしょうか?」

「もちろん、構いませんが、ご迷惑ではないでしょうか?」


 キリエはうなずいた。


「大丈夫です。レーゼルの姉弟の部屋ですので。お嫌でなければ」

「もちろん!」


 彼女は顔を輝かせた。キリエはわずかに苦笑して、部屋の方へと案内する。彼女に椅子を進めて、キリエはすぐに来た道を取って返した。

 名目的には、アドルフィーネからの使いのもてなしになるから、サボりには当たらない。中途でエルゼにその旨の報告もしつつ、お茶とお菓子のお盆を持って、すぐに部屋へ戻った。


「お待たせしました。お口に合うと良いのですけど」

「ありがとうございます」


 キリエは、無作法と承知で紅茶を一口、そしてお菓子をすこしかじる。


「……大丈夫、毒はありません」


 キリエが当たり前のように毒見をしてみせるのを見て困ったような顔で微笑み、アドルフィーネの影は座ったまますこし頭を下げた。


「わたしは、ゲルダ・ゲデックと申します。ゲルダとお呼びください。ゲデック騎士爵の三女で、三年前から姫様の侍女として、影としてお仕えしているものです」


 キリエは丁寧に一礼を返した。


「キリエ・レーゼルと申します。二年近く前にアルノルト殿下に拾われた、ただの孤児です。姓は畏れ多くも陛下よりいただきました。

 侍女のときはルイーゼ、小姓など少年姿の時はライヒャルト、と呼んでいただければと」

「……本当に、三役こなしていらっしゃるのですね」


 ゲルダは戸惑うような顔を見せた。キリエは苦笑する。


「女だからそばにいられない、などということはあってはなりません。でも、男だから寄りつきにくいというのもよくありません。なので二人ぶん、ということで」


 それを聞いて、ゲルダは眉をしかめた。


「……ごめんなさい、あなたの師はどなたですか」

「師、というか……、エルゼさん、だと思います。殿下の乳母も務められました。侍従と侍女の教育はおもにエルゼさんから教えられています。……それ以外は、影の中で」


 それを聞いて、ゲルダは目を伏せた。


「その方は、あなたに理想を教えたのですね」

「……? ええ、もちろん」


 ゲルダのため息は重かった。キリエの方は、困惑を隠しきれずにいる。


「理想と現実は違います。その方のおっしゃったことは、だれにも頼れぬ孤独と同じこと。男であれ女であれ、どちらの側面もあれば仕事が()()()()というのはわかります。ですが、それは『()()()()()()()()()()()()()()()()()』、というは──……すべてあなたひとりでできるべき、というように聞こえます。でもそれは、すこし違うのではないでしょうか。

 一度、ご自分の胸に手を当てて考えてみてください。いまの姿が、己の理想か否かではなく、殿下の影として、側近として、ふさわしいかどうか」


 キリエはふと背筋を正した。

 影として、側近として、正しいかどうか。

 アルノルトは、周囲に頼ることを知らない人ではない。できないことだと判断すれば、すぐにだれかを頼るし、ちょっと面倒だなと思ったらだれかを口説き落とすこともある。


 ではキリエはどうか。

 きちんと役割を、正しく割り振れているかどうか。


「……役の一環として、頼ることはありましたが。たしかにその通りかもしれません」


 それを聞いて、ゲルダは微笑んだ。


「それを自覚できるあなたはすごいと思います。そして、あなた自身の性分が頼らないものであれば、なにかあったときにだれかに頼るということが浮かびにくいものですから。

 あなたが変われることを祈っています」

「ありがとうございます。……すごいですね、ゲルダさんは。初見で見破られるなんて」

「いえ、私は……その、物心つく前からアドルフィーネ様に似るよう育てられ、幼いころから影としての教育を受けて参りましたので……。

 むしろ、たった二年で形にし、どころかその任をこなしているあなたのほうが、すごいと思います」


 やはり困ったように笑うゲルダの言葉を受けて、キリエは咄嗟にうつむいた。


「……失礼いたしました」


 キリエは二年近く前に拾われ、それから教育を受けて影になった。似せるまでもなく似ていたから、あとはマナーや挙措を男女交互に叩きこまれて服装の誤魔化し方、声の出し方までも一年足らずですべて仕込まれた。


 命を救われ、思わぬ職を約束されたキリエだ、泣き言ひとつ漏らさずにやり遂げた。しかしアルノルトの前から退いたあと、部屋の扉の前で気絶していたことなど両手の指ではまるで足りない。どころかしょっちゅうだった。

 それほどに、エルゼの組んだメニューはきつかった。


 それでも、ゲルダがこれまでの人生をかけて積み上げたものには及ばない。キリエにも自覚はある。


「だから、あなたのそれは、才能です。きっと。向いていたんだと思います。

 うつむかないで、キリエ。あなたは殿下が誇り、私の姫様が認めた、優秀な影」


 キリエは、そっと、ゲルダと視線を合わせる。ゲルダは困ったように微笑んでいた。


 そしてキリエははっとした。


 困ったように笑っているのは、そうでないとアドルフィーネと同じ微笑みになってしまうからなのだ。


「……キリエ、そう呼ばせてね。私のこともゲルダと呼んで。

 仲良く、してください。数少ない同僚だもの」


 皇弟公ローゼンミュラーの子、アドルフィーネ。皇帝ローゼンハイムの子、アルノルト。

 数少ない王族の、数少ない後継たち。

 その影が、他ならぬゲルダとキリエだった。

 影になるために育てられた子、偶然が積み重なって影になった子、どちらであっても今は同じ影法師である。


 キリエは微笑んだ。


「ええ、ゲルダ。ぜひ、お友達になって」







 その日の夕方のこと。

 ルイーゼはアルノルトの側でお茶を淹れていた。


「ご機嫌だな、ルイーゼ」

「……そう、でしょうか」


 アルノルトにからかうように言われ、ルイーゼは首をかしげた。

 そういったことが丸出しになるようではまだまだだ、と思いながら、ルイーゼはカップをアルノルトに差し出した。


「僕も、すこしは読み慣れてきたのかな。うん、そう見える」

「未熟を恥じるばかりです……」

「どうせふたりなんだし気にしなくていいのに」

「いざというときに素が出るほうが問題です」

「ルイーゼ、君はそんなボロを出すほど無能じゃない」


 断定的にそう言われて、ルイーゼは困ったように苦笑した。やわらかく女性的な微笑みは、蓮っ葉なキリエのものとも、穏やかで男性的なライヒャルトのものとも違う。


「今日は、アドルフィーネ様の御側近のかたとお会いしたのです。ゲルダというのですが、とても大切なことを教えていただきました。忘れないようにしたいと思います」

「仲良くなれそうか?」


 アルノルトが穏やかな顔で問うと、ルイーゼは花がほころぶように──一瞬だけ、その仮面を脱いで笑った。


「お友達です」


 アルノルトは驚いた顔をし、そしてすぐに我が事のように喜んで、綺麗に笑ってくれた。

 この笑顔を守るためならなんでもしよう。

 かつてキリエがそう、密かに誓ったのと同じ顔だった。




 拾われ、治療され、衣食住を与えられ、教育を受けて、自分の立ち位置や事情をすべて説明されて。

 アルノルトから直々に、本当に働くのかと問われて。

 キリエはそれに是と答えた。


 綺麗に、すこし悲しく微笑んで、アルノルトはありがとうと告げた。

 そのあと、彼は「お茶にしようか」と、教育がマナーの矯正が終わるまで行き着いていないから無理だと言うキリエをなだめて席につかせてしまった。

 おそるおそる、お茶とお菓子を口にして、美味しいですと笑ったキリエに、アルノルトは綺麗に微笑んでくれた。誘った甲斐があった、と。


 だからキリエは決めたのだ。

 だれかの幸福で笑えるこのひとを、私はなにに代えても守ろう。そのためならなんでもしよう、と。




 なつかしく、脳裏にこびりついた記憶。

 ルイーゼはその決意のひとかけらも悟らせることなく、ただ、アルノルトに微笑み返した。





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