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−18年 -6-/13

お久しぶりです。

アドルフィーネ登場、もとい乱入です。




 キリエは予定通り、ロヴァッティ伯の情報を集めていた。


 ロヴァッティ伯爵こと、エリオ=フィルミーノ=ロヴァッティ。

 年齢は、マルガレーテの三つ上で三十六歳。画家としては天才で、いまもロランディの王都郊外にある屋敷にはあまり帰らず、妻子を伴って大陸を巡っていることも多い。

 妻はヴィンチェンツァ=エーベ=デ・サンティス=ロヴァッティ、元はコンツェッタ侯爵デ・サンティス家の令嬢だったが、反対を蹴り飛ばして形ばかりの爵位を得たエリオに嫁いだ、なかなかすごいひとである。


 他に、息子が一人、娘が二人。家族仲も良く、猫に甘い。存外甘党で、痩身の割によく食べる。太った姿が見られたことはなく、気づけばどこかへふらりといなくなる。

 毒耐性は、低い。


「……まあ、こんなところか」


 キリエは集めた情報の断片が書かれた数枚の紙、そしてそれを読むための穴あきの鍵紙を、まとめてランプの明かりで燃やした。


 情報の集め方は、手順自体は簡単だ。

 まず隣国にいる諜報員に、そちらでロヴァッティ伯とその周囲についての情報と噂を集めてくれと依頼する。帝室直属の隠密として、本部の宮殿で教育を施されているキリエには、その権限が与えられていた。もちろん私情で使えば剥奪どころかヴェンツェル直々の暗殺必至だが、教育されている者としても、皇太子の盾の一人としてもキリエには権利がある。


 そうして情報を集め、さらに彼の行動記録を別路線からも辿り、その上でそれを統括する。そして情報の成否と、噂の正誤を判別する。この判断統括を行うのが、キリエの職務のひとつだった。


「何にせよ、間に合ってよかった」


 エリオの来訪は二週間後。

 絵画の予約なら一年二年待たされるのもあり得る彼にしては神速である。しかも、現在はまたどこぞの遠い公国にいるとかで、そこから急いで戻る、という返事が来たらしい。それがおよそ一ヶ月前のことだ。

 可愛い妹からの招待が嬉しい、ということらしかった。


 本音を言えば、今回の件はキリエとて怖い。

 毒を飲むのだって、すこしは怖い。品定めされるのも怖い。毒が入っていることが知られたらと思うと、もっと怖い。

 キリエは不安に駆られながらも、用意を進めていた。

 何にせよ、キリエのために、主家の品位が疑われることだけは、あってはならないのだ。

 能力不足は許されない。

 まだ十三歳──そう、先日ひとつ歳をとった──なのだと言われても、それはアルノルトとて同じ歳なのだと言わねばならない。

 主であるアルノルトと同じ歳。ここまで積み重ねた努力。キリエは己がまだ未熟であることを自覚している。

 最悪のときは、文字通りの肉の盾になる。

 とはいえ、それは本当に最悪の場合であって、最悪手だ。死んでしまえば守れないのだから。

 できる限り、力でもって敵を排除し、毒を減らし、引き受ける。それがキリエのすべきことだった。


 するりと寝台を抜け出す。

 キリエはその職務の特殊性から、一人部屋を与えられている。それも、護るべき対象であるアルノルトの居室のそば、隠し部屋に近い構造の部屋を、だ。まだ騎士になるほどの実力もないキリエには、かなりの特別待遇である。

 そして、着替えを終えて、今日から始まる職務である侍女のお仕着せを整え、ルイーゼの顔になった────そのときだ。


「あなたが新入りの侍女?」


 扉が開いていた。そこに立っていたのは、上等のドレスを纏った美少女である。

 浅い亜麻色の髪を豊かに波打たせて、勝気なアンバーの瞳をきらめかせていた。

 キリエは思わずぽかんと口を開ける。

 しかし、一瞬で事態を把握して、すぐさまうつむいて少女の言葉を待った。


「ふぅん?なにかしら、アルノルトとよく似ているのね、あなた。お名前は?」


 キリエは答えに窮した。

 しかしすぐに思考を整理する。


 アルノルト、と呼び捨てにしていること。その衣装。この王宮の奥深くにいること。


 キリエは思考をまとめると、すっとスカートの裾をかるくつまんで一礼した。


「このような格好で失礼いたします。キリエ・レーゼルと申します。お嬢様におかれましては、ご機嫌麗しく」


 そして、キリエは動きを止めた。

 仕えるべき人の言葉があるまで動くな。鉄則である。

 ルイーゼと名乗らなかったのは、彼女が彼女であるからだ。


「……良くってよ。合格点をあげましょう」


 ふわ、と亜麻色の髪が揺れて、キリエの目の前に、手袋をした片手が差し出される。


「あたくしはアドルフィーネ。アドルフィーネ・ヴァネサ・ローゼンミュラー。あたくしの名前を呼ぶことを許すわ、よろしくね、キリエ」


 だれなのかは想像通りだった。だがその態度までは予測しておらず、びっくりしたキリエはその手をまじまじと見つめた。

 それから、おずおずと首を振る。


「……アドルフィーネ様。私はただの侍女でございます。それも、ようやく見習い期間を終えたばかりの」


 アドルフィーネ・ヴァネサ・ローゼンミュラー。

 いまのこの国で、いちばん尊いお姫様。

 彼女は皇帝ヴィルヘルムの弟であるローゼンミュラー公爵の一人娘。アルノルトの従姉妹でもある。

 キリエのその様子を、アドルフィーネはかるく笑い飛ばした。


「知らないわ。あなたはあたくしの目に叶った。だからあたくしはあなたを良いように扱うの。さあ、手を出して、あたくしの目を見てごらんなさい?」


 ためらいがちに、キリエはそっとアドルフィーネの手に手を重ねると、顔を上げ、彼女と目を合わせた。

 アドルフィーネがぱっと笑う。そうすると、まるで花開いた鮮やかな赤い薔薇のような可憐さだった。


「そう、そう!そうしてらっしゃい、あなたにはそれを許すわ、キリエ」

「あ、あの、申し訳ございませんが、人目のある折は、侍女姿であればルイーゼ、ルイとお呼びいただけますでしょうか……?」


 おそるおそるそう言ったキリエを見つめて、す、とアドルフィーネの目が細くなった。

 姿が似ているだけでなく、名前が複数あり、姿が複数あるというのは、そういう・・・・意味だった。


「アルノルトもバカなことをするわね、自分と性別の違う子を影に置くなんて」

「努力はしております」


 反射的にキリエはそう言った。その努力を無下にされたようで、それだけは言われたくない言葉だった。

 しかし、アドルフィーネは首を振った。


「ああ、ごめんなさい。気を悪くさせたわね。そういう意味ではないわ。逆よ、逆。あのバカ皇子、あなたにどれほどの苦労をさせているのってこと」


 キリエは間抜けにも、ぽかんと口を開けた。

 まさかそちらの切り口だとは思ってもみなかったし、これまでの、性別が違うがゆえに積まなくてはならなかったぶんの努力を余計だと思ったことはなかったからだ。

 そして、まさかアルノルトをバカ皇子呼ばわりするとも思っていなかった。


 キリエはうつむいて、しゅんとした。どう返せばいいのかわからなかった。それでも、弁明を、と声を押し出す。


「アル……殿下は、死にかけの孤児を拾って治療させ、仕事をくれました。ですから、殿下の影は男ではなく、女の私が務めております」


 そう、とアドルフィーネは言った。


「あたくしは無粋なことを言ったのね。ごめんなさい。

 さ、ルイーゼ。あなたの主を起こして着替えさせてちょうだい?あたくしをあんまり待たせないでね」


 マルガレーテ様のところで一緒に朝食をいただいているから、とアドルフィーネはひらりと手を振って去っていった。

 よく見れば、供のひとりもないままに。


「……もしかして、脱走?」

「なにか言ったかしら、ルイーゼ?」

「いいえ滅相もありません!!」



 アドルフィーネは、地獄耳だった。






*****






 アドルフィーネは、くるりとカップを回した。

 朝食のパンはふんわりとして美味しく、スープはじっくりと煮込まれた味の濃さ。カップには丁寧にいれたミルクティー。さすがは宮殿、といった味の数々に、アドルフィーネは満足げに微笑む。


「あなたが朝から来るだなんて、珍しいこともあったものね、アドルフィーネ」

「あらやだ。いつでもいらっしゃい、と仰せになったのはマルガレーテ様ですのに」


 ほんのりと嬉しげなマルガレーテの向かいで、アドルフィーネはくすりと笑った。

 アドルフィーネは、この少女然とした皇后が大好きである。

 うつくしい青の瞳、やわらかな挙措と言葉。それでいながら取引や後ろ暗いことも理解している、決して理想主義者ではないマルガレーテ。勝気なアドルフィーネにとっては、こうなりたいとは思わないけれど、尊敬に値すると、そう思える人であった。


「そうそう、さきほどキリエに会いました。よくあんな子がいましたね」

「それは、良い意味で?悪い意味で?」


 マルガレーテのいたずらっぽい笑みに、アドルフィーネはいささか蓮っ葉にも肩をすくめた。


「マルガレーテ様ったら、お見通しでしょうに。

 もちろん、どちらもですわ。女であることがあれほど悔しい子もそうはいません。男であれば、もっとアルに似ていたでしょう。

 そして、影でなければとも思いました。あんなできた子、侍女をするだけでも優秀だったでしょうに。名前が二つもあるなんて。優秀だからと背負わせすぎるのも考えもの」


 それを聞いて、マルガレーテはゆるゆると首を振った。


「アドルフィーネ。あの子の名前は二つではないわ。……三つよ。あの子は、ルイーゼ・レーゼルとして、今日から侍女も務めるけれど……去年の時点から、ライヒャルト・レーゼルとして小姓もしているわ。どちらかの性別だけしかできないのでは問題があるからと。

 そのうえで、キリエは影での修練を積んでいます」


 マルガレーテの言葉に絶句したアドルフィーネは、唇をわなわなとふるわせる。


「……そ……んな、バカな!!」

「本当よ。……できた子でしょう?」


 すこしだけさびしそうに、それでも自慢げにマルガレーテはそう言った。

 アドルフィーネは真剣な顔で問う。


「いつからですか。アルノルトは、これを知っていて放っているのですか」

「十一のときにアルノルトが拾ってきて、それからよ。影のことまでは、まだ知らないのじゃないかしら」

「……ひどい話ですこと」


 アドルフィーネは顔をゆがめてそう言った。


 ちょうどそのとき、こんこんと扉がノックされる。


「殿下をお連れいたしました」

「ルイーゼね。お入りなさい」


 マルガレーテが答えると、すぅっと扉が開く。品のいいズボンにブラウス、彼にしてはラフな姿でアルノルトが部屋に入ってきた。

 入るなり、アルノルトはため息をつく。


「急かされると思ったら……アドルフィーネ、来るときはせめて昼前のお茶の時間以降にしてくれ」

「いやよ。マルガレーテ様と食べる朝食、最高なんだもの。世界一美しいサファイアを独り占めしながら、美味しい食事ができるのよ?」

「まあ、アドルフィーネったら」


 マルガレーテはころころと笑った。そうして、扉のそばに控えていたルイーゼを手招きする。


「おいでなさい、ルイーゼ。いま、アドルフィーネとあなたの話をしていたのよ」

「……光栄にございます」


 食卓のそばに呼ばれて、ルイーゼは慎ましく目を伏せた。


「ライヒャルトに続いて、あなたの仕事も今日からね。調子はどう?」

「まだまだと痛感するばかりです。……やはり、どうにもライヒャルトと似てしまって。癖というのは難しゅうございますね」


 ルイーゼはそう言って浅く苦笑した。


「ルイーゼ、あなたの話を聞いたわ。あまり無理をするものではなくってよ。

 あんまりひどいなら、うちにいらっしゃいな。あたくしの侍女にするから」

「あら!そんなのだめよ、わたくしの娘だもの」

「まあ!マルガレーテ様ったら、いつの間に!」

「ええ、うちで拾ったうちの子ですもの。いかにアドルフィーネであっても、あげません」


 ふたりがきゃっきゃと戯れているのを見て、ルイーゼはいたたまれない顔でうつむいた。戯れとわかっていても、心臓に悪いことに変わりはなかった。

 逆に、アルノルトはあきれている。


「僕が“レーゼル”をどこかにやるとでも思っているんですか?」


 マルガレーテとアドルフィーネが顔を見合わせて、笑う。

 アドルフィーネはいっそあでやかに、マルガレーテはふんわりと。


「そうね、隙あらばかっ攫って、あたくしのものにしてしまうかもしれなくてよ。お気をつけなさいまし、アルノルト?」

「そうね、あなたが手放したら、わたくしのものにしてしまうということよ」


 はあ、とアルノルトはため息をついた。


「母上がルイーゼを気に入っているのは知っていましたが、アドルフィーネまで……」

「だって、見た目に可愛らしくて、あたくしがいきなり部屋に行っても物怖じせずに挨拶ができて、あたくしが命じれば多少の柔軟さも見せてくれるんだもの」


 ねえルイーゼ?とアドルフィーネはどこか自慢げに言った。

 なるほど合格というのはそういう意味か、とルイーゼは思いながら、どうとも答えられずにただ微笑んだ。


「アドルフィーネ。あまりルイーゼを困らせるな」

「あら失礼。でもあなたのほうがひどいわよ」

「なんの話だ」


 アルノルトは眉をしかめたが、アドルフィーネはそれを見て面白そうに笑うばかりだった。


「そうね、朝食が終わったらお暇するわ。敬愛するサファイアには拝謁できたのだし、見たかった子は思ったより素敵だったし。

 あと、ロヴァッティ伯爵がいらっしゃる前に、あたくしの影をこちらによこします。

 キリエ・・・に伝えてちょうだい、影同士で交流するといいわ。あの子は年下だけれど、キリエよりも影武者を務めている年数は長いから」


 名前を呼ばれて、“キリエ”の顔に戻りかけたキリエはすんでのところで踏みとどまり、そして優美に一礼した。


「お気遣いに感謝いたします、アドルフィーネ様。伝えさせていただきます」


 よくってよ、とアドルフィーネは機嫌よく笑い、朝食を食べ終えると帰っていった。

 嵐のような来訪だった。




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