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−19年 -3-/12

お茶会編の続き。


「キリエ、ちょっとこっちへいらっしゃい」

「…………?はい」


 キリエは首を傾げながら、席を立ってマルガレーテのそばに立つ。

 微笑むマルガレーテの腕がこちらへ伸びた、と思ったら、そっと抱き寄せられる。下手に抵抗できないキリエは、ひどくぎこちなくその動きに従った。


「キリエ。わたくしたちはあなたから、あったかもしれないあなたの幸せを奪いました。そして、あなたは私たちのものになった。……あなたの仕事を、蔑ろにしたいわけじゃないのよ。でも、あなたに幸せになってほしいのも、娘だと思っているのも、本当のこと。

 だからね、もっと甘えて。わたくしはキリエに甘えてほしいし、もっと母娘みたいな会話がしてみたい。一緒に服を選んだり、装飾品を選んだり、お茶をして、日々のことで笑いあったり、悩みがあれば聞けるような親子になりたいの」


 青い目の皇后。南の隣国ロランディから来た皇后。緑の目の家族の中にあって、ただひとり異質な色の皇后。

 ──────寂しかったのだろうか。キリエはあたたかな腕の中で思った。

 おずおずと、ぎこちなく、キリエはマルガレーテを抱きしめた。

 コルセットの硬さ。女性らしく華奢な身体。そして、あたたかくてやわらかい感触。


「ありがとう、キリエ」

「…………私は幸せ者です」


 ちゅ、と額にかすかな感触。

 キリエは戸惑い、ぱち、と瞬きした。そのとき。


「……我が息子ながら、妬けることだな」


 突然、後ろから声がした。くすくすとマルガレーテが笑う。


「息子じゃないわ。娘よ」

「……………ん、キリエなのか?」


 まさか、というような声は皇帝ヴィルヘルムのもの。

 キリエはマルガレーテの腕の中からするりと抜け出し、後ろにいた皇帝に向けて男子の礼をとった。あえてアルノルトの声で。


「お久しぶりです、陛下」

「……アル、じゃないんだな?」

「はい。不肖キリエにございます」


 声を通常に戻して微笑めば、ヴィルヘルムは困ったような顔をした。


「だめだな。見分けがつかなかった。声もアルノルトそのものじゃないか」


 キリエにとって、それは最大の賛辞である。どうしても顔が緩んだ。

 その笑顔を見ながら、マルガレーテがくすくすと笑った。


「ね?わたくしだからわかるのよ」

「そのようですね、お母さ……」

「ま、よ」


 詰めが甘いとはいえ、まさか皇帝の前でやらかすとは思っていなかったキリエは思わず天を仰いだ。


「ん? 念願叶ったのか、グレーテ」

「ええ! いっそヴィルもお父様と読んでもらったらいかが?」


 満面の笑顔でそんなことをすすめるマルガレーテに、キリエの顔が引きつった。どうしてこのローゼ帝国の皇帝をお父様と呼ぶ必要がある!


「それはいいな。私も娘にはそう呼ばれてみたい」

「謹んで辞退させていただきます」

「あら、アルのことはアルと呼ぶし、わたくしのことはお母様なのに、ヴィルはだめなの?」


 眉をあげていたずらっぽく笑うマルガレーテ。

 もう無理アル助けてあなた息子でしょ。キリエには、もうそれ以外言うことがない。


「さすがに、陛下をそうお呼びするのは……」

「わたくしの時もそう言っていたわね」


 さあどう躱そうか。でもいつか丸め込まれる気しかしない。キリエはもう頭を抱えたい心地だった。

 なんの因果か、死にかけたところを拾われ、治療され、手厚く保護され教育されて影武者として仕事をし、昔なら目を剥いていただろう給料をもらっているが、もとはスラムの孤児だ。何処の馬の骨とも知れぬ子供だ。

 そんな子供を実の子と同じように扱う皇帝夫妻がおかしいのであると、キリエは心から叫びたかった。


「あれ、珍しいな。父上まで来ているなんて」


 救世主が来た。キリエはくるっと首をまわしてそちらを向く。


「アル! 無理! 助けて!」

「待って、キリエ。何が無理なの?」


 キリエと一卵性双生児のようにそっくりなアルノルトがそこにいた。キリエの叫びに首をかしげている。


「なぜかお母様、お父様と呼ぶことになりそうになってる」

「いいんじゃない?」

「ひどい!!」


 嘘でしょ救いはないの、とキリエは再び天を仰いだ。皇帝夫妻が、戯れる娘と息子を面白そうにそれを見守っているのには気づいていない。


「二人とも娘を欲しがってたし、おとなしく呼んであげたら?さすがに公式の場ではやらせないと思うし」

「アルは私をなんだと思ってるの……」

「ん? 僕の優秀な従者。

 というか、そもそも影武者してる時はちゃんと父上、母上って呼んでるだろうに、何が違うの?」


 痛いところを突かれた。キリエはため息をつく。と、ふに、と頬をつつかれた。

 見ると、とろんと微笑んだマルガレーテである。


「キーリーエ、いいでしょう?」


 キリエは天を仰いだ。


「……お父様、アル、椅子をお願いして座りませんか」


 たったそれだけで、ふよふよとヴィルヘルムが笑みくずれる。皇帝の威厳とか形なしである。

 けれど、その隣ではマルガレーテが楽しそうに笑い、アルも笑っていた。

 主家の笑顔は私の幸せ、とキリエはいろいろごまかすように内心呟いた。エルゼから受けた教育からは実態が逸れすぎて、もうそういうことにしておかないとおかしくなりそうだ。


 皇后と皇子のお茶会は、皇后と影武者のお茶会にすり替わり、母と娘のお茶会になって、最後には家族のお茶会になった。

 解せなかったが、キリエには諦めるほかなかった。






 お茶会を終えて、アルとは経路を変えて彼の私室へと向かう。

 キリエの着替えは場所を指定されている。基本的には、アルノルトの部屋の隣に、アルノルトの部屋から行けるよう作られた隠し部屋だった。それであれば、アルの部屋で気づかれないように入れ替わることができるから。

 今日も、このままでは皇子が二人いることになってしまうから、キリエが小姓の服に着替えることになった。

 窓のない、狭い隠し部屋の中には大きなクローゼットが一つ。そこにはキリエが役を使い分けるための服や小道具が詰めてあった。

 短時間で着替えてキリエが小姓の服に着替え、“ライヒャルト=レーゼル”として出る。


「おかえり、ライ」

「はい、ただいま戻りました」


 ふわっ、と笑う。わりと表情はゆるく、それでいて口調は多少きりりとさせているのがライヒャルトだ。

 素の時よりも、すこしだけ声を低くしてみた。


「……声、すこし変えたか?」

「殿下にはすぐばれてしまいますね。

 はい。すこし、姉との差異を作りました」


 逆に、ルイーゼの時はすこし声を高くすると決めておく。こうすれば兄妹だとわかりやすく、それでいて差異が出るだろうという意図だ。


「…………お前はどこまで行くつもりなんだ……」


 アルノルトは呆れたようにつぶやいた。

 キリエ───ライヒャルトはちょっと笑う。


「できる限りは、どこまででもやりたいと思っていますよ」


 影武者として、この国の諜報部隊の中に混ざっての訓練も受けている。

 そのあたりで得た技術やツテで、幼いなりにも必死に情報を集めて出た結論は、反帝政の気風が高まる現在、皇族が狙われる可能性は高いということだった。

 たとえ帝政が半ば形骸化していても、どこからかその流れは生まれている。キリエやキリエの師匠筋にあたる人の推測では、大陸東方の大帝国ミハエラの差し金ではないかと疑っているが、未だ証拠はない。


 その中で、キリエのやるべきことは、アルノルトを守ることだ。

 それがキリエの仕事であり、キリエにできうる恩返しの一環であり、そしてキリエが見出したやり甲斐であり生き甲斐だ。

 呆れたような、困ったような顔をしたアルノルトに対し、キリエは笑顔ですべてをごまかした。




次回、キリエのドレス。

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