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−18年 -9-/13

お久しぶりです。倒れて別件で原稿漬けして倒れてました。




 『ライヒャルト』が選んだのはシンプルなブラウスに刺繍のあるクラヴァット、それに紺色の上下だった。

 アルノルトが十三になった年が秋の薔薇とともに終わり、今年に入ってから作らせた衣装なので、採寸もまだおかしくはない。とはいえ、成長期なのでまた二、三ヶ月後あたりで新しく作ったほうがいいだろうな、とは分析していた。


 アルノルトももちろん自分で着られるが、彼を飾る布をぴしりと整えることに関しては、ライヒャルトもルイーゼも徹底的な教育を施されている。アルノルトが着つつ、ライヒャルトが整える形になった。

 貸し出された侍女たちには荷解きを頼んである。


 本来、侍女をそこまで信用したようなことはしないほうが良いのだが、ロランディとの貿易で利益を上げているクヴァンツ辺境伯がアルノルトを支持しない理由は薄い。

 ……付け加えれば、ライヒャルトはアルノルトの着付けをしながらでも気配くらいは探れるので、あまりにも怪しい動きがあれば気づくことができる。

 なので、およそ問題はない。


 ライヒャルトはアルノルトの周りをくるりと周り、粗がないかを見極める。


「……ハンカチーフはどれになさいますか」

「お前の好みで良い」

「はい」


 アルノルトの返事は淀みない。ライヒャルトは解かれている荷物の中から箱を一つ選び、それを開け、目的の一枚を選び出す。


「こちらを」

「ああ」


 すぐ戻って差し出したライヒャルトの手からハンカチを受け取り、アルノルトは微笑んだ。


「供をせよ」

「御意」


 借りた侍女たちが一瞬『正気か?』という顔をした気がしたが、正気である。しかし彼女たちの考えもライヒャルトにはわかる。晩餐に付き添うのは、およそもっと公的な位置に近い側近であるべきということだろう。

 が、しかし、ライヒャルトはそういう立場の側近としての教育も受けているため、問題ない。

 そもそも『キリエ』が影武者をしようと思ったら、公的にも側近もしくは近衛として側近くいなくてはいけないので、ライヒャルトにとってはこういう晩餐の供をするくらいは当たり前のことであった。


 視線で『あとをよろしく』と侍女たちに申し伝え、ライヒャルトはアルノルトの後をついて晩餐の席に向かった。






 ダイニングルームは、蘭城の名の通り蘭をモチーフに使った紋章のある暖炉が特徴的だった。クヴァンツ辺境伯が立って出迎える。


「楽にしてよい、クヴァンツ辺境伯」

「は」

「衆目もない、私もすこし気を抜かせてもらうが、構わないか」

「光栄です、殿下。食事もお口に合えばよいのですが」

「こちらはロランディ風のものが美味しいと聞いた。母上のご意向で、帝城でもロランディのものを食べることがあるゆえ、楽しみにしている」

「勿体無いお言葉です」


 小気味好い爽やかさと評される、しかし背しか見えないとはいえ、キリエにとってはおそらく『ちょっと気持ち悪い』笑顔であろうアルノルトにクヴァンツ辺境伯は顔をほころばせた。

 アルノルトは皇族らしく居丈高なところもあるが、実直さと竹を割るほどではないがすっきりした性質がある。笑顔とて、素顔のアルノルトを知らなければ、涼やかな好感の持てる少年でしかない。


「まずは食事といたしましょう」

「ああ」


 アルノルトとクヴァンツ辺境伯が席に着いた。ライヒャルトはアルノルトの椅子を引き、そのあとは後ろに控える。


「失礼ながら、殿下。本日のお毒見は」


 ライヒャルトはそっとそう問うた。ぎりぎりクヴァンツ辺境伯にも聞こえる程度の声で。

 アルノルトからは言い出せず、またクヴァンツ辺境伯からも言いづらいことだが、ライヒャルトの立場からであれば『いつもしているが今日はどうしたらいいのか』という問いかけとして発することができる。

 こういったことは不作法、無能を晒すことになる場合もあるが、ここはクヴァンツ辺境伯の城。独断行動は得策ではなく、であればここで口にするのが吉である、というのがライヒャルトの判断であった。

 実際、こちらへくる三日程度の旅の間、視察や夜遊びなどもしつつ、そのあいだにキリエ、もしくはライヒャルトはいつも以上に表立って毒見をしていた。アルノルトは驚いたようだったが、どこにでもついていくキリエ・レーゼルがその技能を有するのは別段おかしなことではない。すぐに納得したようだった。


「ああ、それ用に皿を用意させましょう」

「良いのか?」


 アルノルトが言うと、クヴァンツ辺境伯は、はは、と笑ってのけた。


「毒見役をこちらでご用意しても無論構いませんが、帝城にて教育された方が殿下のお側にいらっしゃるなら、お任せした方が良いでしょう」

「そなたがそう言うのであれば甘えよう」


 アルノルトが微笑むと、クヴァンツ辺境伯は壁際にいた給仕の男に、その旨を厨房に伝えよと申しつけた。


 ほどなくして、控え室にライヒャルトは呼ばれ、それぞれ銀の小皿に盛られた品々を毒見することになった。


「こちらになります。これでよろしかったでしょうか」

「問題ありません。ありがとうございます」


 ライヒャルトは微笑んだ。銀器に盛られているし、量もちょうどいい。できた使用人たちだ。

 ライヒャルトはまず皿を見た。皿に変色はない。一皿ずつ匂いを嗅いでもおかしな点はなかった。

 そっと口に入れてみても、おかしな点はない。匂い、味、わずかな痺れや香草のように感じられてしまうものでさえも区別がつくように、キリエ・レーゼルは徹底的に毒の味を覚えさせられている。

 ひとつひとつ口に含んで、舌で転がし念入りに咀嚼して、ライヒャルトは言った。


「問題ありません。ご協力、ありがとうございました」

「左様ですか。よかった」


 蘭城の使用人も胸をなでおろした顔をして言った。

 実際、ライヒャルトというアルノルトの側近がそのように判断したということは、もしなにかあっても蘭城の使用人だけに責任が行くことはない。また、せっかく作られた料理も無駄にはならないので、安心するものであろう。


 メニューは確かに毒味したそれそのままだった。それが供される晩餐の間、ライヒャルトはできた小姓以外の何者でもない立ち姿で、アルノルトの後ろに控えていた。控えながら、会話の一切を聞き覚えてもいた。それが影武者としての仕事である。

 アルノルトは如才なく領地と民の様子を聞き、ときおりは世間知らずの側面もあえて見せつつ話を終えた。


 クヴァンツ辺境伯に見送られ、与えられた部屋に戻る。部屋は完璧に整えられており、侍女たちの仕事が正確だったことがわかる。ライヒャルトはうっすらと微笑んだ。


「殿下」

「うむ。良い」

「どうぞ、下がってください。あとは私で事足ります」


 まだなにか命じられるのかと待っていた侍女たちは、綺麗に一礼して去って行った。他に気配がないことを確認し終え、瞬間。


「堅苦しいのは疲れるな」


 ほう、とため息をついたのはアルノルトだった。


「……殿下」

「会食はきちんと終わった。人気はない、だろう?」

「……まあ、そうなのですが」


 脱がせる前に脱がれてしまった上着を受け取り、ライヒャルトはそれをコート掛けに掛けた。それから彼のクラヴァットを外す。それなりに細かいものだが、慣れているのですぐだった。


「そういえば、お前の部屋は?」

「この部屋には控えがあるとお聞きしています。そちらに」

「そこか」


 アルノルトはすたすたと部屋の端にある簡素な扉を開け放つ。

 いかに非公式とはいえ王子のすることではない。これが王城ならまだしも、ここは蘭城である。ライヒャルトは思わず咎めた。


「殿下!」

「……寝台がない」


 慌てて後ろから燭台を持って駆けこむ。居間の光だけでも見えはしたが、燭台で一層見えるようになった。

 控えの間は一室だけで、机と椅子、それに棚と行李。それから。

「長椅子がありますが」

 ライヒャルト、否、キリエはもともと孤児である。そのうえ諜報員としての訓練も受けているわけだ、カーペットのある床で寝られるのはマシなほうである。長椅子、しかもこれだけのサイズと構造ともなれば寝台があるも同然だ。寝るのに支障はない。

 実際、身の回りの世話をするだけの侍従だったら、それで十分だし、熟睡しすぎて目が醒めないなどとなれば護衛としては失格である。


 なの、だが。


「長椅子は座るもので寝るものではないだろう。仕方ないか。おいで、ライヒャルト」

「殿下?!」


 何をする気だ、いや想像はつくが、とライヒャルトは思ったが。案の定、アルノルトは微笑んだ。


「一緒に寝ようか」

「ダメです」

「長椅子のほうがダメだ」

「どうして?!」


 アルノルトがキリエの片腕を取る。


「ちゃんと眠れないだろ」

「眠れるしそもそも熟睡したら万一が怖い!」

「僕に殺気が向いたら気づくだろう、隣で寝れば」

「そうだけども!!」


 城で二人きりのときと同じような言葉遣いになったキリエを見て、アルノルトはくすりと笑った。


「ほら、問答してないで寝よう」


 キリエはぐっと顔を歪めた。いかにアルノルトの希望でも、沿ってよいものといけないものがある。

 歳の差があれば、または性別が同じであればこんなには躊躇わなかっただろう。

 アルノルトが、掴んで離さないキリエの片腕を引いた。


「いいよ、命令だ。キリエ、こっちで寝なさい」

「…………御意」


 なんとも可愛らしい『命令』だった。

 実のところ、アルノルト個人が、「キリエ」に下した最初の命令であるとも呼べて。


 その日、キリエはアルノルトの隣で眠った。

 誰かの体温が隣にある眠りは、キリエにとってスラム以来だった。




 翌日も同様の押し問答の末、キリエはまたアルノルトのそばで眠り───五日後、待ち人はやってきた。

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