はじまり つづき
「その三好氏と話した時に、マンションを譲り受けるという話をしたはずなんですが」
「うーん」
「肝心の所は覚えていないんですね」
「申し訳ございません」
本当に覚えてないので素直に謝っておく。この真中真弁護士に会ったことは全く記憶にないのだ。
話の流れ的にじーさんを迎えに来たのが真中弁護士なのだろう。
「三好氏も、もしかしたら覚えていらっしゃらないかもしれないとはおっしゃっておりましたが」
さすがじーさん年の功。
「詳しくお話ししたいのですが、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「はあ、まあ、じゃあ、近所のファミレスとかでもいいですか」
「いいですよ」
現在、玄関先である。大して綺麗好きでもない私の家に弁護士様を上げるのは嫌だし、かと言って彼の事務所とかに連れていかれても困る。何かまずい話だったとしても逃げられないではないか。
なんだっけ、マンションを譲る? だっけ? なんでそんな話になったんだ。
若干二日酔いの頭で考えても答えなど出ない。とりあえずさらっと話を聞いて断って帰って来よう。
五分でどうにかお出かけできる姿に用意して真中真弁護士と連れ立ってすぐ近くのファミレスに入る。
ドリンクバーだけ頼んで話を促すと、真中真弁護士はにっこりと今まで以上の笑みを返してきた。
「お疑いのご様子なのでまず概要をお話しいたしますと、昨夜、三好氏が暴行されている現場に居合わせた東雲さんが三好氏を助けたところ、三好氏はお礼にマンションを東雲さんに譲るとお約束した、ということですが、ここまではよろしいですか?」
「全く覚えていませんが、そういう理由であなたがいらっしゃったということは理解しております」
じーさんとちょっと何かを話をしたのは覚えているんだけどなー。
マンション……
キャバ嬢がお客さんから貰う、みたいな話は聞いたことがあるけれどまさか自分に降りかかってくるとは。
いや、まだこの先を聞いてみないと分からないけど。単なる詐欺かもしれないし。
「三好氏からは、東雲さんはたいそう酔っていたので、話を全く覚えていない可能性もあるが、忘れているからと言って命の恩人に何のお礼もしないのは自分の流儀に反する、何としてでもマンションは受け取ってもらうように、と仰せつかっております」
なんということでしょう。
「ご記憶にない、ということですが、三好氏からはどのような話をしたのかお伺いしてまとめてきたので、それを申し上げますね」
またしてもにっこり、と笑ってから真中真弁護士は例の格好いい鞄からファイルを取り出した。
以下、私が全く覚えていない話の内容である。
「お礼をしたい、何か欲しいものはないか」と三好氏が訊いたところ、東雲嬢は「特にない」と答えた。
「それでは夢や叶えたいことはないか」と三好氏が訊いたところ、東雲嬢は「働かなくても衣食住が安定した生活が夢」と答えた。
「それならマンションの大家はどうか、家賃収入で生きていける」と三好氏が言うと東雲嬢は「いいっすねー」と答えた。
「じゃあ自分が持っているマンションをひとつ譲る」と三好氏が言うと東雲嬢は「いいっすねー」と答えた。
「後日手続き等連絡するので連絡先を教えてほしい」と三好氏が言うと東雲嬢は快く身分証を見せてくれた。
「………………」
「以上です」
テーブルに崩れ落ちた私にきりっとした声で真中真弁護士は終わりを告げた。
話を聞いても全く思い出せないが「働かなくても衣食住が安定した生活がしたい」とは常々思っているし「いいっすねー」は酔っぱらった時の私の口癖だ。そして私は昨日、コンビニに行った時に免許証を持っていたのだ。なぜならパスケースには某交通系ICカードと免許証をセットで入れているから。
財布を持っていくのが面倒でICカードで買い物をすることにしたのだ。
私である。
酔っぱらった私である。
「えーと、真中弁護士は私がここで、そんなの酔っ払いの戯言ですよーマンション貰うとか本気なわけないじゃないですかウケルーとか言っても」
「東雲さんにマンションを受け取ってもらうのが私の仕事です」
被せてきた。
「そう言われてもいらないです、困りますといってm」
「東雲さんを説得するのが私の仕事です」
被せてきた。
「……手続きとか分からないし管理とか面倒だし」
「それではまずマンションの管理に関することからご説明させていただきますね」
罠だった。
結果。
マンションを貰って、そこに住むことになった。
弁護士に口では勝てないということを学んだ。