八
三日後の火曜日、午前八時過ぎに水上は家を出た。周りを眺めながら行きたかったので、歩いて大学に向かうことにした。
先週の金曜日に降り積もった雪は、もう道路上には跡形もない。道の端に寄せられていた雪の山もなくなっている。
先週が殊に寒かったせいか、天気予報では平年並みと言っていた今日の陽気は寒さがやわらいだように感じた。このまま、春になってくれればいい。寒いのが苦手な水上はそう思った。
昨日の夜、古泉に『話があるから、部活のあと部室に残っていてほしい』というメールを送った。彼女からは『わかった。待ってる。それじゃあまた明日』と返信が来た。
古泉の恋についての考えを聞いても、水上の気持ちは揺らがなかった。むしろ、彼女に対する印象がさらによくなった気がする。自惚れでなければ、彼女が自分の考えを話してくれたのは水上のためだと思ったからだ。
大学のある小さな山を登っていく坂道の手前で信号につかまった。部活の後に古泉に何と言おうかシミュレーションするのを中断して、大学とは違う方向に伸びていく山の中の遊歩道をよく見た。何かが視界の隅に入ったような気がした。
残雪だった。遊歩道と彼が歩いている県道との間には空き地があり、そこには数本の桜が植えられている。空き地の端、すぐ隣が林になっていて一日中日が当たらないようなところに、ほんの少しだけ雪が残っていた。
水上はある所にはまだ残っているんだな、と思い信号が変わったので坂道を上りはじめた。歩きながら少し注意して森の方を見てみると、以外と雪が点々と残っているのを見つけた。
部室にはいつも通り天水と橋野が先に来ていた。大雪について話していたら古泉が来て、その少し後に夏川が来た。古泉が入ってきたときに目が合って、彼女は小さくうなずいた。
昼前に部活が終わった。今週末は先週雪のために行けなかったところへ行くことに決まった。
「久しぶりにみんなでお昼食べに行こう」
と、天水が提案し、夏川と橋野が賛成した。五人とも立ち上がった。
「ちょっと古泉と話があるから、先に行っててくれ」
水上の言葉に古泉がうなずいた。
「そうかそうか。行くよ二人とも。あとは若い二人に任せて、ダッシュ」
天水は嬉しそうに後輩二人の手を引いて部室を出て行った。
「またあとでー」
と橋野が言った。
「行き先が決まったらメールしますね」
と夏川が言った。
三人が出て行ったら、部室が妙に静かになった気がした。
「もっとさりげない言い方のほうがよかったか?」
「いや、いいよ。わかりやすくて」
二人とも机の横に立っている。水上は古泉の方に真っ直ぐ向いた。
古泉は水上が話すのを待っている。
「まどろっこしいのは苦手だから、単刀直入に言うぞ」
「うん」
ゆっくりと首を縦に振った古泉の目を見た。
「あなたのことが好きです。よろしければ俺と付き合ってください」
見つめ合いながら、古泉が口を開くまでの数秒間がとても長く感じられた。
「はい」
あまりにも簡潔な返事だったので、水上は内容を理解するのに時間がかかった。
「交際の申し込みをお受けします」
「え、あ、うん」
丁寧に言い換えられたので多少戸惑ってしまった。
「よろしくお願いします」
そう言って古泉は頭を下げた。
「こちらこそ」
水上もつられて頭を下げた。
「ありがとう」
頭を上げようとした水上に古泉が言った。
「え? 何がだ」
「私の話を聞いた上でそう言ってくれて。私も、あなたのことが好きです」
二人並んで、三人の待つ喫茶店へと歩いた。
森の中の雪はこの数時間でほとんど姿を消した。
坂を下りきった信号の手前で古泉が立ち止まった。水上も足を止め、彼女の視線の先を見た。桜のつぼみがあった。
「少し膨らんできた」
と、古泉がつぶやいた。
「そうだな。まだ咲きそうにないけど」
「うん。もう少し時間がかかるだろうね」
来る時に見た残雪はもうなくなっていた。
「行こうか」
信号が青になったのを確認してから、水上が言った。
「うん」
そう言って二人は横断歩道を渡った。