七
「少し長くなるかもしれないから、落ち着いて話せる場所に行きたい」
二つの常夜灯の間で、白い息をはきながら古泉が言った。
「ファミレスでいいか?」
「いや、人がいないところのほうがいい。ウチでいい?」
ウチ、とは古泉の家のことだろうか。
「いいけど、いいのか?」
「うん。少し片付けるから、コンビニにでも寄ってて」
「わかった。終わったらメールくれ」
「うん」
参道と平行に伸びる県道を歩いて、コンビニの手前の横断歩道のところで一旦別れた。古泉の住んでいるアパートは県道の反対側にある。水上はコンビニへと入った。
時間を潰すために商品棚を端から見て回った。日用品や事務用品が並んでいる棚の一画にカメラのフィルムがあった。コンビニに売っているなんて知らなかったので、少し感心してしまった。
落ち着いて考えればよくわからない状況になってしまった。告白をしようと思ったら言う前に止められて、古泉の家に行くことになった。彼女の意図はわからないが、あまり期待はしないでおこうと思った。
とりあえず彼女の話を聞いてから、その後のことを考えようと決めた。
落ち着いてくると、夕食がまだなので何か食べたくなった。見回すと、レジの前にあるおでんが目に入った。割高だが、今日くらいはいいだろう。
『夕食用におでんを買っていこうと思う』
というメールを古泉に送った。一分もしないうちに、
『半分出すから、大根多めでお願い。
片付けはもう済んだから。おでん買ったら来て』
と、返信が来た。
お茶とお菓子をかごに入れておでんの容器を手にした。言われたとおり大根を多めに入れて、他数種類の具材を二つずつ入れた。空いていたので支払いはすぐに済んだ。
横断歩道を渡ってすぐの所にあるアパートの階段を上り、メールにあった部屋番号のインターホンを押した。
『はい』
「水上です」
『なんで敬語? 開いてるから入って』
「俺だ」とか言うと「誰?」と言われそうだったので名乗ったが、なぜ敬語になったのかは自分でもわからない。
水上は扉を開けた。
「おじゃまします」
「どーぞ」
玄関には古泉が立って出迎えてくれた。
「狭い部屋ですが」
と言って招き入れた。
「おっしゃるとおりで」
部屋の広さは六畳とキッチンで、よく整理されているためか物自体が少ないように見える。
「同じような間取りのくせに」
「おっしゃるとおりで」
促されるままに、部屋の中央にある四角い木のテーブルをはさんで座った。クッションは低反発だ。テーブルにコンビニで買ってきたものを置いた。
「いくらしたの?」
奢ろうとしたり金額を少なく言ったりするのは嫌がることを知っているので、端数だけ切り下げて金額を言った。
「あとで払う」
「うん」
「さっそく食べる? あっためようか」
水上には古泉は普段より落ち着きがないように見えた。
「時間経ってないし大丈夫だろ。話は、食べながらでいいか?」
「うん。まだまとまってない話になるから、そのほうがいい」
「大根を三つ入れたぞ」
「うん。ありがとう」
座っている古泉の背後にはベッドと本棚がある。
古泉は立ち上がって大きな丼を持ってきておでんを移し替えた。底の深い小さな容器を二つテーブルに置いた。取り皿のようだ。
そうしている間、水上は正面にある本棚に目が行ってしまった。文庫本の時代小説が多いが、ジャンルを問わず様々な小説が並んでいる。
割り箸を古泉にわたし、食べ始めることにした。二人して手を合わせて「いただきます」と言った。
水上は卵を小皿にのせて割り箸で半分に割った。古泉は迷わず大根を取ったが、取ってから箸が止まっていた。
「話っていうのは、私の、その恋愛方面に関する感覚というか、考え方が世間一般とは違うんじゃないかっていうこと」
水上も手が止まってしまった。おそらく、さっき告白しようとしていたことは気付かれている。
そのうえで、古泉が何を言おうとしているのかがわからないので続きを促すことにした。なるべく、彼女を急かすようなことがない口調で。
「どう違うと思うんだ?」
古泉は取り皿に目を落とし、数秒してから顔をあげた。
「一般的な『恋』って、と言っても私が思う一般的な『恋』のイメージだけど。感情だと思うんだ。とても強くて激しい感情」
「燃えるようなとか、抑えきれないとか表現されるしな」
恋という言葉を発するのがなんとなく気恥ずかしいので省いた。
「うん。そういう風に表現されるのは自分では制御できなくなるような激情だからだと思う」
「激情か。熱しやすく冷めやすいってのもそのせいなんだろうな。ところで、大根、食べないと冷めるぞ」
言われて、古泉は大根を箸で割って口に運んだ。よくかんでから飲み込む。
好きな人の部屋で恋愛について話しているのに、妙に落ち着いてしまっている。告白を止められて一旦落ち着いたからだろうか、それともおでんの力だろうか。
「冷めたら、また温めればいい」
大根を食べ終わってから古泉が言った。
「それもそうだな。温め直すくらいならそこまでエネルギーがいらないだろうし」
「うん。ところでつくねたべていい?」
「二本ともいいぞ」
「ありがとう」
水上ははんぺんを取った。つくねを一本食べ終わったところで古泉が口を開いた。
「話の続きだけど。私は、さ。抑えられてしまうんだ、感情を」
「それはいいことだと思うけどな」
古泉の言う「感情」がなにを指すのかは聞かず、水上は思ったことを口にした。
「そう? でもそれって相手がさっき言ったような激情を持っていたら失礼だと思う。相手に対して」
「そう思われるかもしれないな。でも、互いに感情に振り回されるよりも、片方でも冷静でいられた方がいい。それで感情が冷めてしまって、冷めたままならその程度の気持ちだったということだろ」
「そう思ってもいいのかな……」
「あくまでも俺の考えだが」
「うん。わかってる」
おでんを食べ進めて、最後に大根が一つ残った。
「半分ずつにしよう」
古泉が箸で大根を半分にした。二人ともそれを取り皿にのせて、食べた。先に食べ終わった水上が話し始めた。
「自分を変えてでも相手に合わせようとする、というのがどうも苦手、というか嫌なんだ。そんな関係は」
目が合った。水上は続ける。
「一方が相手に合わせるんじゃなくて、互いに認め合って、そのうえで少しずつでも歩み寄れるような、そんな関係になりたいと思ってる」
誰と、かは言わなかった。彼女も聞かなかった。
「そうなれたら、いいよね」
「えーっと、食べるだけ食べてで悪いけど、そろそろ帰るな」
「いや、片付けはするから。あ、お金」
代金を受けとって、水上は玄関に向かった。恥ずかしいセリフを言ってしまったため、一刻も早く彼女の前から去りたい。だが、言ったことに後悔はなかった。古泉の言葉に対し、恥ずかしくても水上が思っていることを返せてよかったと思う。
「じゃあ、また。火曜日に」
「ちょっと待って。ステイステイ」
「ペットじゃねーよ」
言われたとおり、靴を履いたまま玄関に立っていた。すぐに古泉が戻ってきた。
「はい、これ」
そう言って彼女は白い包装紙に包まれた箱を差し出した。水上には心当たりがない。戸惑っている水上に、
「今日、二月十五日。昨日会うとは思わなかったから」
大雪やら告白やらですっかり失念していた。水上は箱を受けとる。
「ありがとうな。一ヶ月後をあまり期待せずに待っていてくれ」
「期待してる。おやすみ」
「ああ。おやすみ」