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 古泉はカウンターの中に立って、いつもと違う器具を使ってコーヒーを淹れていた。普段この店ではドリップで淹れているところしか見たことがなかったが、

「これってサイフォンというやつですか」

 水上は古泉が使用している器具を示して、隣に座る芹沢に聞いた。

「そうだよ。普段は使わずにインテリアになっているけどね」

 サイフォンの大部分は二つのガラス容器で占められていて、上は底に細長い管のついた円筒形で下には少し扁平な球体のガラス容器が固定されている。円筒形のガラス管から伸びる管は球体の中にすっぽりと納まり、球体を七分目ほどまで入っている水に浸かっている。円筒の中にはコーヒーの粉が入っている。二つのガラス容器を固定する金具と台座はつやのある銀色で、持ち手は木製だ。

 彼はこれがカウンターの後ろの棚に置かれているのを何度か見たことがあった。しかし、二年半ほどこの喫茶店に通って一度も使われているところを見たことがないので、置物だと思っていた。

「で、なんで古泉がそっちにいて芹沢さんがこっちにいるんですか。のっとられたんですか?」

「いや、誰も来ないからさ。暇だから古泉さんがサイフォンの練習をしたいって言ったんだ」

「じゃあ俺は高みの見物でもしてます」

「のっとったら猫カフェにする予定」

 作業をしながら古泉がつぶやいた。

「させてたまるものか」

 火がともったアルコールランプをU字型の台座の間に移動させると、あっという間に球体の中の水が沸騰し始めた。古泉は留め具にふれて二つのガラス容器をわずかに傾けた。細い管を通って水蒸気が上がっていき、円筒形のなかのコーヒー粉が湿りやがて水がたまってきた。

「そろそろ火を弱くして」

「はい」

 アルコールランプの火加減の調節なんてどうやるのだろうと思ったが、なんてことはなく、ただアルコールランプをずらして火の当たる面積を減らしただけだった。

 古泉は上のガラス容器の中身を木ベラでかき混ぜ、一旦手を止めた。いつになく真剣な表情だった。水上はそれを見ていて、写真の構図を考えているときもこんな顔していたな、と思った。

 腕時計を見ながら数十秒、もう一度丁寧に混ぜてから火を消した。やがてゆっくりとコーヒーは下の容器へと流れ落ち、上の容器には粉だけが山の形に残った。

 上のガラス容器を外し、できあがったコーヒーを二つのカップにそそぐ。芹沢と水上の前にそれぞれカップが差し出された。

「いいのか?」

「代金はお気持ちで」

 作った本人がそう言った。彼女はもう一つカップを取りだして残りをそそいだ。

「ではお気持ちだけで」

 カウンター席に座る二人はコーヒーを飲んだ。

「どう?」

「俺に味がわかるとでも? まずくはないな」

「店長は?」

「うん。よくできてはいるけど、まだ練習が必要だね」

「はい」

 古泉はうなずいた。


 バイト先に行ったついでにこの喫茶店に寄ったことを二人に話した。

「古泉は今日シフトが入っていたのか」

「うん。で、ヒマだったから練習してた」

 しばらく話していたが客は来なかった。水上は帰りにスーパーに寄ろうと思っていたので、あまり長居はせずに帰ることにした。

「では、そろそろ帰ります」

 試作品とは別に注文したホットコーヒーを飲み終え、水上は立ち上がった。

「古泉さんも今日は上がっていいよ」

 厨房から芹沢が顔を出して言った。

「でも」

「お客さん来そうもないし、大丈夫」

「わかりました」

 古泉は店の奥に歩いて行った。水上が代金を支払った時に芹沢が、

「彼女は今日午前だけの予定だったけど、午後に入る子が雪で来られなくなって急遽代わってもらったんだ」

 と説明した。

「なるほど」

「しっかり送りとどけてくれたまえ」

 芹沢は親指を立てた。

「善処します」

 レシートを受けとって、レジの近くに置かれている雑誌の背を眺めていると、着替え終わった古泉が出てきた。一緒に喫茶店を出る。雪は止んでいるので来たときとあまり道の様子は変わらなかった。

「水上の実家のほうも雪は降る?」

「一度だけ雪で遊べるくらいには積もったことがあったけど、基本降らないな。そっちは?」

「毎年、積もるくらいには」

「じゃあ雪は珍しくもないか」

「そうだね。テンションは上がるけど」

 上がるのか、と水上は思った。古泉は顔には出にくいが冷めているわけではないことを知っている。

「よし、雪だるまを作ろう」

「わかった」

 喫茶店の前にあるベンチに小さい雪だるまを作ってのせた。のせた後に古泉が動物の耳のようなものを付け加えた。納得のいく出来だったらしく、二度うなずいてから写真におさめた。

 路地道を線路の方に向かって歩いた。人が通った跡が増えていて、歩きやすくなっていた。高架線の近くにあるスーパーは普段よりも人も品数も少なかった。

 買い物を終えてスーパーから出たときに、同じようなタイミングで二人共にメールがきた。

 携帯電話を開くと、部長の天水(あまみ)からのメールで、『雪だから明日の部活はお休みとします』という内容だった。メールには一人が何とか入れるくらいの大きさのかまくらに彼女が入っている写真が添付されている。

 寒いのに元気だなと思いつつ、灰色の雲に覆われた低い空を見上げてから、雪で覆われた町に視線を落とした。こんな偶然は、待っているだけではもう無いかもしれない。

 古泉のほうに向き直ると、彼女も携帯から目を上げた。

「古泉、明日何か予定ある?」

「今まさになくなった」

「出かけないか、一緒に」

「……うん。いいよ」

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