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4.張子の虎

 少年の提案で公爵邸の招かれざる客への対応を決めたあと、彼を連れて王宮に戻った。

 謁見の間に続く廊下で、ルドルフが待っていた。いつになく不機嫌そうな顔で両腕を組み、ロゼリーナを一瞥したあと少年を睨み据える。


「捜査とやらは進んでいるかな、客人」

「まだ確定できる段階ではありませんが、いくつか候補は浮かんでいます」

「殿下、彼は信頼できるかもしれませんわ。わたくしが失くしたあの扇子も、もしかすれば見つかるかも」


 不穏な空気をなごませんとロゼリーナが口を挟むと、ルドルフはこちらを見て、口許だけで微笑んだ。


「それは喜ばしいことだね、ロゼ。連邦とやらにも面子はあるだろうし、彼が優秀なのは素晴らしい。――しかし。少年、身の程はわきまえなさい。彼女は国を代表する美姫『黒蝶』だ、きみが気安く連れて歩ける相手ではない」


 そう言って、ロゼリーナの肩を抱き寄せ、翡翠の瞳に冷たい光をたたえる。ロゼリーナは驚いたように目を丸くしたあと、はにかんでかすかにうつむいた。

 目の前で、少年が盛大に溜息を吐いた。


「着飾ることでしか話せないあんたらは、身分てのがなくなるとなにが残るんだ?」

「なに……」

「悪いが俺には、あんたがただの張子の虎にしか見えないな。身の程語れるほど、まともに生きちゃいない」


 空気が凍った。

 ロゼリーナの顔からさっと血の気が引く。

 ルドルフの瞳に怒りと憎しみの炎が灯っている。


「どうやら一生を牢で過ごしたいようだね」

「お互いさまだ、第一王子。二ヶ月前の卒業記念パーティで、あんたはロゼリーナ・バークワークスはおろか、シェリス・クローリアすらなにも企てていないことを知っていた。なぜならすべては腹違いの、当時王太子だった弟を蹴落とす謀略に過ぎなかったからだ」

「えっ」


 思いがけぬ少年の言葉に、ロゼリーナが目を見開いてルドルフをふり返る。

 ルドルフが穏やかに見下ろしてきて、苦笑した。


「どうしたんだい、ロゼ。あんな下賤な輩を信用するのかい」

「でも……殿下……。シェリスが、なにも企てていなかったって……」

「あいつは向こう側の人間だよ。あの平民を釈放させる気がないと口では言っても、その実、手ぶらでは帰れないんだ。まさか、ここまで愚かだとは思わなかったけどね。このわたしが王家の長子でありながら、子爵家筋の子だからと侮っているのかな」

「だから公爵家の、弟の婚約者が欲しかった、と?」

「憲兵っ! そこの無礼者を叩き出せっ! 抵抗するなら打ち捨ててもかまわんッ!」


 ルドルフの鋭い怒号とともに憲兵が一斉に駆け込んでき、あっという間に少年を取り囲んだ。宗教上、刃物を持ってはならないこの国で、破壊力に特化した鈍重武器、鎚矛(メイス)。その鋭利な打突部分が少年目がけて八方から容赦なく振り下ろされる。


「やめてっ!」


 咄嗟に顔を覆ったロゼリーナの悲鳴は、打突武器の肉を叩く音に混じって散った。身体を強張らせるロゼリーナを、ルドルフが優しく引き寄せる。

 指の間から見えるのは、その間も鎚矛(メイス)を振り下ろす兵士たちの鬼気迫る姿と、点々と舞う血飛沫だ。少年は呻き声一つあげない。しかし、ロゼリーナの骨身を凍らせる残酷な肉の音が、止まない。


「よい」


 ルドルフがロゼリーナを抱きしめたまま声をかけると、静けさが降りた。

 肩で息を切らす兵士たちの熱気が伝わってくる。


「どうだ、これに懲りたならわたしに詫びなさい。地べたに這いつくばり、使者として職務を全うするがいい。それできみの失言を、特別不問してあげようじゃないか」


 淡々と告げる王子の声は、ロゼリーナの内臓を冷たく震わせる。

 少年の笑声が聞こえた。


「……言論による王族への不敬罪は、鎚矛(メイス)による最高十三回の打擲と王国法で定められている」

「なに?」

「国を治める側のあんたが、国の定めた法を一時の感情でないがしろにする――。そんな王子を、だれが敬う?」


 少年の声はあくまで平坦に抑えられていたが、かすかな息切れと湿った声音が傷の深さを物語る。

 ルドルフの顔は能面のように白く、人形のようなその無表情が、ただただ不気味にロゼリーナには見えた。


「……事の重大さがわかっていないのか。我が国で、法によって護られるのは第二(貴族)階級以上だ。きみごとき平民が、わたしの怒りを買ってなお放免される? そんなことはありえない……あまりの浅はかさに呆れてしまうよ……。なんと哀れな生物なんだ」

「王子殿下。確か、憲兵団長閣下はこう言っていた。

『シェリス・クローリアの健康状態は良好。オーウェン国家は囚人への配慮も知らない蛮族ではない』と。

 王国法で(おもてむき)定められている平民の人権は、ひとりの王族の一時の感情で簡単に踏みにじられるってわけか」


 少年の意図を察し、ルドルフの顔面に震えが走った。さっと赤くなった顔が、ロゼリーナの知らぬ激しい怒りに囚われているのを見て、咄嗟に王子を止めんと胸板を押す。

 だがルドルフの視線は少年を睨んだままぴたりと動かなかった。


「まったく小賢しい……。不快なことこの上ない。お前は不敬罪に問われているのではない。これは蛮族への躾だよ。狼藉者が我がオーウェン王家にたてつけばどうなるか、刻み付けてや――」


 ふと、ルドルフの口舌が止まった。同時に、鎚矛(メイス)を構える兵士たちから血の気が失せていく。彼らは喉を引きつらせ、あとずさった。

 ロゼリーナはなにが起きたかわからず、少年を見ようとして、ためらった。肌を突き刺す悪寒が、臓腑から背筋を這いあがってくる。生物の防衛本能が、いま少年を見てはならない、と告げている。

 ルドルフが口を開けたまま、蒼白な顔で呼吸をくり返した。

 少年の静かな声だけが響く。


「自分の話した言葉や、その言葉によって生じる責任ってのを、あんたたちはまともに考えずに話をする。小難しい御託で正当性を主張したいなら、まだ話は分かる。だが、あんたのはそれすらない。

 あんたは自分が置かれている身分ってのを本当に理解しているのか? 平民をないがしろにしてもかまわないのはなぜか、考えたことがあるか?

 俺が気に入らないなら、まずはそのご大層な肩書を捨てろ、ルドルフ・オーウェン。そうすれば、もう少しまともに相手をしてやる」

「き、さま……っ」

「地下牢の件をあんたは些末と見ているようだが、このままだと命取りになるぜ」


 少年が血まみれになった頭を軍服の袖で拭い、すれ違いざまに、ぽん、とルドルフの肩を軽く叩いた。それきりふり返ることもなく王宮の廊下から去っていく。

 だれもなにも言えずに、どう対応すべきか互いの顔を見合わせる。

 そのなかで第一王子は大きく目を見開き、顔面を手で覆っていた。

 * * *



「その話は本当か、グリューネバルト」


 王は、蒼白な顔で謁見の間に現れた憲兵団長に、問いかけた。目の前にひざまずいた団長が、さらに頭を垂れる。


「はい。まだ命に関わるほどではありませんが、殴られたと思しき痕が全身におびただしい数……。看守に詳しい話を聞けば、……その、あの温厚な殿下が……」

「……まったく、にわかには信じがたい……。だが、こうなってはあの少年の話を、聞かぬわけにもいくまい」

「話とは、どのような?」

「二日後の晩、王立舞踏ホールに関係者すべてを集め、このわたしに二階の翼席でその様子を眺めてほしい、というのだ。あれはいま、急行馬車で学園に最後の確認を取りに行く、と言っていた。無論、我が国の憲兵も連れてな。――グリューネバルト、お前も明後日に向けて方々を手配せよ。どのような結果が待つかはわからぬが、わたしには知っておく必要がある」

「畏まりました」


 深々と一礼し、去っていく団長の背を見送って、国王が長いため息を吐いた。

 その手許には、二ヶ月前に第一王子に手渡した紙片が握られている。


『――学園で起きた騒動に関する全権を、第一王子、ルドルフにゆだねる』


 これがどうして第二王子の廃嫡、重鎮子息たちの国外追放へとつながったのかは、理解できない。

 しかし、公の場で王命として一度下された処分となれば、いくら王本人であれど簡単に覆すわけにはいかない。根拠が必要なのだ。あの温厚な王子が、いったいなにを企てているのか。本当に反逆の芽は国内に存在しないのか。そういった裏付けが。

 いくら待てど口を割らない異国の少女。

 王自らの立会いのもと、離宮で憲兵団長が審問したときに見た、第二王子の、真に不思議そうな顔が瞼の裏にこびりついている。追放されたほかの子息たちにも、不穏な動きはない。


「本当に……、あやつがでっち上げたというのか……?」


 確信に満ちた第一王子の判断は、これまで一度も的外れであったことなどない。まるで未来を知るかのように、彼の判断をそのときは納得できなくとも、のちになって必ず、感心するほどの真理が明らかになってきたものだ。


 しかし今回はどれほど待とうと、霞がかった断片があるだけで、全体像がまったく見えてこない。


 王は低く唸り、腕を組んで玉座で考え込む。

 連邦から新たな外交官がやってくるのは、二日後の晩である。

 そのときの答えは、まだ出ていない。

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