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3.1 疑惑

 王都はなだらかな丘陵に広がり、標高のもっとも高いブローム丘のうえには王宮が聳え立っている。四季折々で山の色彩が変わるこの地帯は春を迎えて、瑞々しい花々に囲まれていた。

 大通りのゆるやかな石坂を少し下ると、最初に見えてくるのがバークワークス公爵邸だ。宰相邸よりも標高高い土地を許されているのは、ロゼリーナの祖父が二代前のオーウェン国王だったからにほかならない。

 白壁に鋭利な青屋根をいくつも連ねたこの屋敷は、使用人を含め三十人程度がともに暮らしてもまだ余裕がある。聖獣の彫刻をあしらった正門前にやってくると、ルドルフの命令で憲兵が邸内を捜査している最中だった。


「これは黒蝶さま、お帰りなさいませ」

「お勤め、ご苦労さまです」


 会釈するロゼリーナに、公爵邸の番兵に混じって、憲兵が鎚矛(メイス)を手に返礼してくる。

 無事、正門をくぐれたのはロゼリーナだけだった。あとに続こうとした少年が、その白い門柱をくぐる寸前、二人の兵士がそれぞれの鎚矛(メイス)を交差させて阻んだ。


「貴殿はここまでだ」


 少年が視線を上げ、二人の憲兵を見やる。


「ルドルフ王子殿下より、バークワークス家に縁のある者以外はだれひとり通すな、との厳命である」

「俺は国王陛下よりシェリス・クローリアに関わる捜査権限の一切をいただいています」

「これは陛下が許可された卒業記念パーティの件とはなんら関係がない件だ。お分かりいただけたなら、お帰り願おう」

「無用の使者殿は街にでも降りてオーウェンの茶の湯をたしなんでこられてはどうか」


 憲兵たちが馬鹿にしたような笑声をこぼした。

 ロゼリーナは思わず立ち止まり、ふり返る。どうするのか見守っていると、少年が公爵邸を見上げて目を細めていた。壮麗な白壁に木枠のガラス窓が二十ばかり並んでいる。そこから邸内を駆け回る兵士たちの様子が見て取れた。


「侵入者の特定は、済んでるのか」

「なに?」

「そこに足跡がある」

「それがどうしたというのだ」


 鼻を鳴らす憲兵に、少年は肩をすくめると、その場にしゃがみこんだ。

 兵士たちが顔を見合わせ、嘲弄の視線を少年に投げる。ロゼリーナもまた眉を寄せた。少年は構わずうつむき、前庭の地面を見つめている。


「侵入者の身長は百六十センチ、体重五十キロ前後……女性。そちらの、番兵用の非常口を通ったのは二、三十分ほど前だ」

「なにっ……」


 驚く兵士たちをふり返って、少年が前庭を示す。少し湿った砂利に、無数の凹凸がある。ざっと見て三、四人分ほどの足跡になるだろうか。しかし、それが侵入者のものだという論拠が、ロゼリーナにも理解できない。


「どういうこと?」


 問うと、少年が続けた。


「まず靴跡で、兵士とそれ以外の人間を見分けられる。次に歩幅から身長、足の向きから性別、足跡の深さで体重を割り出す。こちらが行き、隣が帰りの分だ。跡はまだ新しく、乱れてもいない。バークワークス嬢の報告が早かったことが幸いした」

「……あなた……」

「お招きにあずかっても?」


 少年が口角を上げ、問いかけてくる。


 ――侵入者はすでに邸内にいない。


 彼はそう結論づけているのだ。

 鎚矛(メイス)を構えたまま、憲兵たちが顔面をひきつらせる。

 ロゼリーナは細く息を吐いた。


「連邦では、他人の足跡から詮索するのが流行っているのね」

「少なくとも、陸戦で足跡を見逃す者はいません。敵部隊の規模を知る、初歩的な技術だ」

「…………隣国から取り寄せた珍しい茶葉があるわ。よければ召し上がって」

「どうも」

「っ……!」


 憲兵たちが無言で鎚矛(メイス)を退けた。

 少年が静かに隣にくるのを待って、ロゼリーナは声音を落した。


「あなた、その態度は改めなさい。そしてルドルフ殿下にきちんと謝罪なさることね。そうでなければ、こういったことはいつまでも続くわ」

「結構。生憎と、信用できない相手と馴れ合う気はないので」


 まっすぐ公爵邸を見つめたまま、少年が答えてくる。ロゼリーナの柳眉が跳ね上がった。


「……みずから衝突を望むなんて、連邦とやらの良識を疑うわ。なぜあなたのような者が使者に?」

「バークワークス嬢」

「なに」

「俺は外交官ではありません、兵士です」

「だから? あなたのような平民に、なにができるというの。ここはあなたの祖国じゃない、オーウェン王国よ。現にわたくしが口添えしなければ、この門をくぐることさえ」

「バークワークス嬢は、ルドルフ殿下の手にあった傷をどのようにお考えで?」


 突然問われて、目を丸めた。

 ここ二ヶ月ほど前から、ルドルフは両拳をよく痛める。愛馬の鼻を撫でてやっていると、拳をじゃれ噛みされてしまうのだという。

 微笑みながら語る王子の、紅くめぐれ上がった肌を思い出して、ロゼリーナは両腕を組み、つんと胸をそり返らせた。


「……ルドルフ殿下は、家臣だけを働かせることをよしとされない方よ。だから、愛馬に手を噛まれることなんか気にされない。それがどうかして?」

「馬が都合よく、両手とも同じ箇所に噛みつきますか。それも噛みやすい手の甲には傷をつけず、拳だけを噛むと?」

「なにが言いたいの」

「あれは人間を殴ってできた傷だ」


 少年の言葉を理解できず、息を呑み込んだ。

 その間に、彼が素知らぬ顔で屋敷に入っていく。ロゼリーナの胸裏に一瞬で使者に対する嫌悪が渦巻いた。無作法者を叩き出すべきか、と考える一方で、まさかと想いながらもルドルフの傷ついた手が目に浮かぶ。

 毛足の長い絨毯を敷き詰めた玄関ホールには、現場指揮を任された憲兵団長がいた。少年を見咎めるや、顔をしかめている。


「きみ、なぜこんなところにっ!」

「団長閣下、さきほどぶりです。こちらにはバークワークス嬢にお招きいただいています。それよりシェリス・クローリアは地下牢に居ましたか?」


 ロゼリーナがはっと憲兵団長に視線を転じた。部外者を入らせるな、と厳命を受けたためか、憲兵団長は困惑気味にロゼリーナを見返してきて、ロゼリーナも興味を持っている話題と察すると、渋々答えた。


「……間違いございません、黒蝶さま。シェリス・クローリアは地下牢から一歩も出ておりません」

「そうですか……。ではいったい、だれがわたくしを」

「茶会は、一時間後にここで開かれる予定でしたね」


 少年の問いに、憲兵団長が眉を寄せた。


「だから、これほど大掛かりな人数で狼藉者を探しているのだ。きみが侵入者に興味を持つのは結構だが、我々が処理する案件だ。出しゃばってくれるなよ」

「団長閣下」

「なにかね」

「シェリス・クローリアの健康状態は、どうでした?」

「……むろん良好だ。我々は囚人への配慮も知らない蛮族ではない」

「閣下、よく調べておいてください。万が一、連邦への身柄引き渡しが実現したとき、彼女の身体に大きな障害が残っていればそれも新たな火種になりかねません。――俺に面会の許可は下りていない。くれぐれも、あなた自身の目で確認願います」


 この無礼な物言いを、憲兵団長も不快に感じたようだった。

 しかし一方で、王国屈指の忠義と礼節を重んじる壮年騎士は表情を曇らせると、まるで魔法にでもかけられたようにかすかに首を縦に振っていた。

 ロゼリーナは無意識に白鷺の扇子を握りしめる。


 少年は、ロゼリーナが知り得ないなにかを把握している。


 不吉な予感がした。

 少年の言葉は、まだなにひとつとして信用に値しないが、だからこそ不気味だった。

 得体の知れない身震いを抑えるために、彼女は唇を噛みしめていた。

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