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3.来客

 卒業記念パーティから二ヶ月余りが経過した。

 学園を卒業したロゼリーナは、王宮近くの公爵邸で日々を過ごしている。第一王子の婚約者筆頭候補と目され、父の勧めもあって王宮に参じる機会が増えているためだ。

 社交界に無事返り咲いた彼女は、第一王子との恋を育むだけでなく、宮廷での人脈をさらに広げんと奔走している。午後からは、伯爵夫人たちを招いて茶会を開かねばならないのだ。

 その矢先だった。


『ルドルフ殿下に気をつけて』

「え?」


 一枚のメモが、ロゼリーナの日記に挟まっていた。

 私室の机に立てかけた日記。そのノートの角から飛び出した、手紙とも言えないメモの一文が目に留まった。胸騒ぎを覚えながら手に取って裏返してみるも、差出人の名前はなく筆跡にも見覚えはない。


「あなた、ちょっと」

「はい、ロゼリーナさま」


 廊下に出て、シーツを抱えている侍女に、このメモがいつ置かれたものか尋ねてみた。

 侍女は不思議そうに首をかしげるばかりで、まったく思い当たる節がない、と答えてくる。ほかの者も同様だ。

 ロゼリーナはだれも気付かぬうちに置かれたメモに薄気味悪さを感じながらも動揺をしまって、『黒蝶』の名に恥じぬようスカーレットドレスに袖を通した。本当はあの形見の扇子を持って茶会に出たいのだが、あんなことがあったために公の場では使えない。それでも大切な品だ。彼女は諦めきれずに、いまも探している。


 私室を出て、不安をふり切るように足早に客間へと向かった。階段を降りている最中、背中を小衝かれてつんのめる。あっと思ったときには、遅い。身体が宙に躍り出ている。眼前に広がる白亜の階段に、吸い込まれてしまう気がした。

 反射的に背後をふり返った、人影だ、華奢な背中、さらに紫色の、長い髪がひるがえっている。

 目を見開いた直後、激突とともに全身を揺さぶられ、悲鳴をあげた。床にぶつかった肩や肘、太ももの皮膚が焦げ付くように熱い。だがいまは痛みからくる痺れよりも心臓を風船のように軽くする恐怖のほうが彼女を縛りつけていた。


「そんな、うそよっ……、ありえませんわ……。だってわたくしはあくまでも『悪役令嬢』で……、もう『運命』に勝ったはず……っ!」


 全身に走る痛みをどこか間遠く感じながら、ロゼリーナはまばたきをくり返す。気を抜けば、泣いてしまいそうだ。

 この先のシナリオを、彼女はなにも知らない。


「ロゼリーナさまっ!?」


 侍女が通りがかって、血相を変えて助け起こしにきた。どうしたのか尋ねられても、ロゼリーナは唇を震わせるだけで、なんと答えればいいのかわからない。

 侍女は困惑して眉をひそめ、ふとまたばきすると言った。


「そういえばロゼリーナさま。さきほど紫色の髪の少女が王宮に向かうのを見かけました。以前、ロゼリーナさまがおっしゃられていた女性に似ていたので立ち止まったのですが、それがもうとんでもなく美しいお方で。思わず見惚れてしまいましたわ」


 顔をほころばせる侍女は、ロゼリーナの級友かなにかと勘違いしている様子だった。

 反射的に、ロゼリーナは駆け出していた。




 王国の威光を知らしめる謁見の間は、厳かな空気に満ちている。その最高権力の象徴をまえに、いま、軍服の男がひざまずいていた。国王の隣に座するのは、ロゼリーナがもっとも会いたかった青年だ。彼女と目が合うと、第一王子ルドルフが目を丸くして首をかしげた。


「どうしたんだい、ロゼ。そんなに慌てて。今日はご夫人がたと茶会だろう?」

「ルディ! あの女が、シェリスがっ!」

「わかった。でも落ち着いて。御前だよ、見てのとおり客人もいる」


 我に返ったロゼリーナは、客人と言って軍服の男を見た第一王子の目に、無機質な敵意が混じったことを知らない。

 ともに過ごした幼年の日々のように「ルディ」と気安く呼んでほしい、と乞われ愛称を口にするうち、つねに張りつめていた警戒心がほどけてきているのである。


「も、申し訳ございませんっ、ヘンリー陛下。それからーー」


 言いかけて、戸惑った。軍服の男は後ろ姿よりもはるかに幼く、まだ十六歳ほどの少年だ。相手の立場がわからずにいると、白髪の少年が目礼してきた。


「興味深いお話ですね。詳しく聞かせていただけませんか、バークワークスさん」

「きみ、口を謹んでもらいたい。彼女はわたしの未来の妻だ。客人とはいえ、みだりに軽んじられては不愉快だな」

「失礼いたしました、王子殿下。なにぶん民主主義なもので」

「……気に入らないね」


 柔和な微笑みを貼りつけたまま、ルドルフが硬い声をこぼす。少年は王子の不興を買っているにも関わらず、薄く口角をあげるのみだ。


「あの、陛下、殿下。そちらの方は……」

「連邦という遠い国からやってきた使者だ、ロゼリーナ。ある件を調査したいというので、招き入れることにした。この少年だけであるがな」


 国王が答えてくる。

 ロゼリーナは「ある件とは」と尋ねながら、いましがた見た少女の背中が瞼にこびりついているのを自覚している。

 ルドルフが答えた。


「二月前の、卒業記念パーティの件だよ。ロゼ。あの事件の主犯、シェリスは連邦出身者らしくてね。聞けば平民だがそれなりに力のある一族らしい」

「留学先で娘が投獄されたとあっては原因くらい気にかけます。今回のように、たかが痴情のもつれで六十日も拘束されているとなると、特にね」

「礼儀もわきまえられないのかな、連邦とやらの使者殿は」


 ルドルフの不興の原因がわかって思わず少年を見やると、彼は真っ向からルドルフを見据え返していた。


「俺も牢に閉じ込めますか、王子殿下。もとはあなたが、シェリス・クローリアの身柄引き渡しを拒んでいるとか」

「当然だよ。あの平民は、あきらかになんらかの陰謀に参加している。学園に転入してたった一年で我が国の重鎮子息を、それも教師も含めて片っ端から誘惑していくなんてどう考えても普通じゃない。まだ正体を現さないが、あれはほかのだれでもないロゼを自分をいじめた犯人だと公の場で断罪したんだ。確かな証拠もなく、わたしの弟たちを使ってね。これは我が国にあってはならない不祥事。バークワークス家に弓引く何者かの仕業だ」

「ヘンリー陛下も、同じお考えで?」


 水を向けられた国王は、少年を咎めるように手のひらを見せた。


「わたしは倅の才覚を信頼している。だれよりも優秀な男だからな。だが、疑わしき点があるならば、お前たちの好きにさせねば収まるまい。これはお前たち、連邦の立場を重んじての恩寵だということをゆめ忘れるな。少年」

「捜査協力に感謝いたします。ヘンリー国王陛下」


 少年が歳に似合わぬ白髪を静かに下げた。

 ルドルフの視線にはまだ棘が残っていたが、ロゼリーナに見るころには、いつもの柔和さを取り戻している。


「それでロゼ。どうしたんだい」

「じつは……さきほど茶会の準備に部屋を出ましたら、何者かに階段から突き落とされてっ……」

「なにっ!」

「幸い、怪我はありませんわルディ。けれど、一瞬だけ紫色の、髪の長い女性の背中が見えたのです。邸の侍女も、似た人物を見たと。それにこのようなメモが、わたくしの日記に挟んでありましたの」


 駆け寄ってきてくれたルドルフに、ロゼリーナは震える手許を押さえながら懐からメモを取り出した。指先が触れ合うとき、王子の傷ついた手の甲が目に留まって唇を結ぶ。

 心優しい王子は時折、こうした生傷をつくってしまうのだ。また手当てしてさしあげなければ、と痛々しく紅く剥けた両拳に目を奪われている間に、ルドルフがメモを受け取って鋭い檄を飛ばした。


「憲兵っ、あの女がおとなしく牢にいるか確かめなさいっ!」


 即座に気勢をあげ、憲兵たちが慌ただしく去っていく。城内にはどよめきが走った。


「よろしいですか」


 少年が話しかけてくるや、王子が握り潰したメモを手繰り寄せた。数秒、文面を見つめ、軍服のポケットから小さな黒い塊を取り出してくる。手のひら大の石版に見えたそれが、ピピッと軽快な音を立てると石版の一部に光の文字が何行にも渡って浮かび上がった。

 ロゼリーナは眉をひそめた。


「あなた、なにをなさっているの?」

「筆跡鑑定です。このメモは、シェリス・クローリア本人が書いたものと一致している。これをだれがどうやって入手し、バークワークス嬢の部屋に置いたのか。紙の材質と使われているインク、メモについた指紋は判明しました。あとは経路の特定を」

「やはり、あの女が」


 低くつぶやくルドルフの細面に、静かな怒りがこもっている。

 少年がメモをロゼリーナに返して、後ろの扉を視線で示した。


「バークワークス嬢。突き落とされた現場に案内していただけますか。それとシェリスらしき人物を見たという侍女から、話を伺いたい」

「幼き使者よ。連邦の科学技術は我々のはるか先を行くと噂に聞いているが、はたしてお前が提示する代物は、我々の信用に足るものかね?」


 玉座から質問が上がって、少年が国王をふり返った。


「たしかに、国王陛下にご納得いただくには解析器(こんなもの )が出した数値では物足りないでしょう。しかし、いまは事実確認が先。王子殿下がもっとも疑わしい人物を調べてくださるなら、俺はべつの面から追うだけです」

「あなた、あの平民を釈放させるために遣わされたのではなくて?」

「そいつは誤解です」

「えっ?」


 ロゼリーナとルドルフの驚きが重なった。

 少年は、赤く澄んだ瞳のなかに底知れないなにかを潜ませて、答えてきた。


「この国でなにが起き、シェリス・クローリアがなぜ投獄されたのか。俺は実態調査を本国から命じられただけで、政治的な交渉をする立場にありません。そういうのは、ほかの人間の領分だ」

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