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10.エピローグ

「ところで、殿下と交渉してくださった使者の方はどちらに? できればお名前をお聞きしたいのですが」


 シェリスが輸送艇に通されても、あの白髪の少年は船内に見当たらなかった。

 客席から離れた場所で任務に就いているのか、とも思われたが、返ってきたのは不思議そうな小隊長の言葉だ。


「お嬢さま。我々以外に派遣された連邦の者は、いないはずですが」

「えっ? けれど彼は、たしかに連邦服を……」


 言いかけて、彼女ははっとまたたいた。

 シェリスを迎えにきた兵士たちはみな、青い軍服に身を包んでいる。デザインは同じでも、少年が着ていたものは赤だった。

 連邦軍内でも噂でしか語られない秘密部隊のことを、彼女が父から聞かされるのはもう少し先のことになる。


 王立舞踏ホールが半壊した日から、一ヶ月が過ぎた。

 レヴィン・オーウェンは国王の厳命により、王都東側の森林内にあるソスピタ修道院を毎朝訪れる。いまは廃人となったルドルフが、ここに身を寄せているためだ。

 木洩れ日溢れる中庭のテラスに出された兄王子は藤椅子に腰かけ、今日も中空を見つめていた。


「兄上。俺たちは、どこを……いや、どこから、間違えてしまったのだろうか……」


 この面会のとき、レヴィンは必ず人払いをするよう修道院側に伝えている。

 第一王位継承権をふたたび得た少年は、複雑な心中だった。なにも考えぬよう公務に打ち込めば、余計に追い詰められる。この兄王子と二人きりにされたときだけ、彼は弱音を吐けるのだ。

 頭の隅では、母と祖母を殺した相手、とも考えている。それでも、これまで過ごした日々が、いまの憐れな姿が、憎しみ以外の感情を胸に沁み込ませてくる。

 司祭によれば、兄は聖祈式用の短剣が入った木箱を目にしただけで顔を真っ青にして過呼吸を起こすという。あの大陸一の剣士が、だれよりも輝かしく頂点を走り続けてきた男が、二度と剣を振るうこと叶わないのだ。

 あの日を思い返すと、シェリスの後姿が脳裡をかすめる。青い軍服の男たちに連れられ、すれ違いざまに彼女に言われた言葉とともに。


 ――あなたはまだ戻れるわ。さよなら、レヴィン。かつてのわたし。


 幻聴かと思うほどかすかな囁きにふり返れば、彼女はもう王立舞踏ホールから立ち去っていた。のちに父を問い質しても、あの軍団がなんだったのか、教えてはもらえない。

 ただ、シェリス・クローリアには二度と会えない、と断言された。

 喪失感に見舞われたのはレヴィンだけでなく、ほかの子息たちも同様だ。ただし、あの白髪の使者を見たときのシェリスの異様な反応を、レヴィン以外に知る者はいない。みな凍りついた異形の魔眼を、彼女は恍惚と眺めていた。


 シェリスもまた、魔性の美しさを得た代わりに人間性を失ってしまったのか。


 かつてレヴィンが愛した少女とはまったく違う顔を思い返し、不吉な考えに眉間に力がこもった。修道院の鐘の音が聞こえてくる。いつの間に時間が過ぎたのか、兄弟の静かな面会は、終わりを告げたのだ。

 ため息混じりにルドルフを司祭のもとまで連れていく。その後、石畳を敷き詰めた回廊から馬車に戻る途中で、足を止めた。礼拝堂の窓に首を巡らせると、堂内で、灰色の囚人服をまとったノア・シズリーと、白いスレンダードレスを着こなすロゼリーナが並んで女神像のまえにひざまずき、祈りをささげているのが見えた。


(なぜこんなところに……。いや、それよりもあいつの願いと言ったら、兄の快癒か……、俺への恨み言か)


 胸の奥が、軋むように痛む。

 学園は、レヴィンにとって楽園だった。形式と上辺で塗り固められた宮廷の息苦しさを忘れ、シェリスを中心に、マルクやロウ、ウィルバーたちとくだらない話をして心から笑い合える。その裏で泣いている者たちのことなど、まともに目を向ける機会すら持たなかった。


(俺は、本当に……なんて愚かな)


「ロゼリーナさま……。そろそろ戻られませんと」


 ノア・シズリーの声に、はっと我に返る。

 祈りを終えたロゼリーナを、ノアが困惑顔で見つめていた。


「わたくしも、修道士になろうかしら」

「い、いけません……っ。ロゼリーナさまには黒蝶さまとして、為すべきことがございます。わたくしなんかをロゼリーナさまが気にかけてくださるのは、とても光栄に思いますが――」

「なにを為すべきなのか、見失ってしまったの」

「えっ……?」


 ぽつりとつぶやいたロゼリーナは、しょぼくれた背中をしていた。二ヶ月前の卒業記念パーティのとき見た、自分を押し殺す強い少女はどこにもいない。


「ロ、ロゼリーナさま。扇子は……、あ、あの孔雀の扇子はお持ちにならないのですか?」

「グリューネバルト卿が預かってくださっていると、話には聞いているわ。けれどまだ、お母さまに会う決心がつかないの……。わたくしは結局、ルドルフ殿下も、ベアトリスも止められなかった。彼のことも、どう受け止めたらいいのか」

「彼って、あの使者さまでしょうか?」


 ロゼリーナが小さくうなずく。

 レヴィンは窓辺に寄って、耳をそばだてた。


「あの少年についていって、真実を知りたいと願ったわ。でもわたくしは所詮、なにもできない無力な人間……。身分に縛られた、かごのなかの鳥よ。とても自由になんか生きられない」

「そ、それは高貴なお方ですものっ、仕方がございませんわロゼリーナさま! それにっ、ベアトリスさまとダリヤさんがもっと戒律の厳しい修道院に送られたのに対して、わ、わたくしがこのソスピタ修道院で済んでいますのは、ロゼリーナさまのご恩寵あればこそですっ。シズリー家だって、ロゼリーナさまがいらっしゃらなければいまごろ……っ」

「いいえ。陛下なら、あなたの告発をお聞きになれば、きっとひどいことをなさらないわ。彼はそれがわかっていたから、あの場で、あなたに話をさせようとした。――わたくしなんて全然だめ。だっていまは……レヴィン殿下とすらどんな顔をして会えばいいのか、わからない……」


 ノアがロゼリーナの手を取って、両手で握りしめた。


「わたくしなんかが出過ぎたことを申し上げる無礼を、どうかお許しください、ロゼリーナさま。けれど、でもっ! あなたさまは女生徒たち(みんな)の憧れなんです! 舞踏ホールでロゼリーナさまがくれたお言葉は、わたくしにとっては生涯の宝物ですっ。わたくしは、あなたさまに認めてもらえたから、自分の良心に従う決心がつきました。使者さまはたしかに事実をつまびらかにされましたが、わたくしに勇気をくださったのは、ロゼリーナさまなのですっ! こ、怖かったですけど、晴れ晴れとした気持でしたっ。だ、だから、お願いですっ。そう簡単に、ひとを見限ってはいけませんっ。真実の言葉は、時にひとを動かすのです……っ」

「でも、また……裏切られたら……っ」


 そこで息を詰めたロゼリーナは、胸もとで握りしめた拳にすがるように背中を丸めた。

 寄り添うノアが、眉を下げながらロゼリーナの背を撫でている。ガラス一枚を隔ててかすかに聞こえてくるのは、押し殺した嗚咽だ。

 レヴィンは、この姿を知っている。


「あなたにこんなことを言うのは卑怯だとわかっているの。でも、怖い……っ! あなた以外の人を信じるのが、怖いのっ……ノア」


 震えるロゼリーナの言葉が、鋭い衝撃となってレヴィンの全身を貫いた。

 明滅する視界を手で押さえ、思い出すのは四年前だ。棺にすがりつくロゼリーナが、完全に今の姿とかぶって見える。


(俺はっ……、なんてことを……っ)


 理屈でなく、親身にいま理解した。

 気付けば壁にもたれかかっている。ロゼリーナを傷つけた自覚はあった。無関係の婚約者を犯人にし、あろうことかほかの人間までもを巻き込んだ罪悪感も、ずっと抱いてはいた。

 だが、ルドルフとともにレヴィンからオーウェンの名を奪った彼女が、憎悪を向けてくるのではなく、ただ人間に絶望し、悲嘆に暮れるなど考えもしなかったのだ。


(俺はいままで、なにを見ていた気で……!)


 胸中で謝罪しかけ、彼は唇を噛みしめた。震える顔面を手のひらでさらに押さえつけてしばらく。顔を上げるや回廊を駆け抜けようと踏み出しかける。

 そこで彼は、息を呑んだ。


「おっ、お前は……っ!」

「どうも」


 この場にいるはずのない男が、そこにいた。

 いつ現れたのか、見当もつかない。見た目の若さに反して白い髪、相手を射抜く赤い瞳がこちらを向いている。

 異国の少年はレヴィンと目が合うと、軽く会釈してきた。

 直接話すのは初めてだが、レヴィンはとっさにどんな顔をすればいいのかわからず、固まった。

 異形の剣士。

 救国の英雄。

 だれも独占できなかったシェリスの心を奪った、憎き恋敵。

 空転する思考にレヴィンが戸惑っている間に、少年が言った。


「こんなところでどうなさいました、レヴィン殿下。現在はご多忙の御身と伺っていますが」

「お、お前こそ、なぜここにっ。連邦とやらに帰ったのではないのか!」


 問うと、少年は腰に提げた白い箱から扇子を取り出した。見覚えのあるデザイン。青、金、赤の目玉模様が映える、金銀細工の骨子も見事なバークワークス家の孔雀の扇子だ。


「代理を団長閣下に頼んでいましたが、どうも約束は直接果たせ、とのことで」

「……それは、はるばるご苦労だった。だが、いまはダメだ。それはまだ、ロゼリーナに渡してはならん」

「なぜです?」


 レヴィンは自分の眉間にしわが寄っていることにも気づかない。

 彼は細くため息を吐くと、答えた。


「四年前。俺はバークワークス夫人が亡くなってふさぎ込んだロゼリーナに声をかけたのだ。無理をするな、少し休めと。すると、あいつは怯えた顔で俺を見るなり、その扇子を握りしめて数日間、部屋から出てこなかった。

 なにがあいつを傷つけたのかは、わからない。だがあいつはそれ以来、俺との間に壁を作り、完璧な公爵令嬢を演じるようになってしまった。話をしようにも、ろくに取り合わない。

 お前もせっかく来たのにそうなっては、さすがにいたたまれぬ……。だから、まだ返してはならん」


 少年の赤い瞳が、礼拝堂の窓のほうへと静かに動いた。


「それでここから、バークワークス嬢の様子を窺っていたのですか?」

「たまたまだ。ルドルフの様子を見るよう、父に言いつけられている。その帰りに見かけただけに過ぎぬ」


 レヴィンの視線が、自然と下がった。

 ロゼリーナが明らかに壁を作ったのは、レヴィンが原因だ。それは四年前からわかっている。そうして疎遠になったために、名ばかりの婚約者となった彼女を放って、シェリスに夢中になったのも事実。

 そのシェリスがいじめに遭い、犯人がロゼリーナだと聞いたときは、なんの冗談かと思う一方で、さらに深く胸が軋んだ。今度もまた、自分が原因だとはっきりわかってしまったからだ。

 だから自分の気持ちを告げておかなければ、ロゼリーナにも、シェリスにも悪いと思った。そのうえで、ロゼリーナに謝らなければ。普通に話しかけても、ロゼリーナは取り合わない。ならば追い詰めて、逃げられない状況を作るしかない。これまでのことを言い逃れせず、向き合える状況を作らなくては。そう思い、起こした行動の結果が、卒業記念パーティだった。

 しかしどう質そうとも、ロゼリーナは「知らない、やっていない」の一点張りで、ろくに話をする気がないように思えた。その姿に苛立ち、爆発したのが婚約破棄宣言。その後はルドルフが現れて形勢逆転し、レヴィンは離宮に幽閉されることとなった。

 これが、レヴィン視点の顛末である。


「馬鹿だな、あんた」


 顔を上げれば、少年が微笑んでいた。

 あれほど恐ろしいと感じた不吉な瞳が、いまはおだやかに細められているのが、不思議だ。


「余計なことをあれこれ考えるから面倒になるんだろ。ビンタ一発もらおうが、ストレートに行ったほうが手っ取り早いぜ」

「ビ、ビンタっ? いや、さすがのあいつも王族相手に手はあげられんと思うが……。お前、なにを言ったんだ? そういえば、名も聞いていなかったな」


 少年が答えかけて、ふと、視線をレヴィンから横に、遠くに転じた。

 首を傾げてレヴィンもふり返る。礼拝堂の窓が、両窓とも、内側に開いている。

 視線を上げて、窓を開けた当人を見る。彼女はレヴィンと後ろの少年を同時に見て、目を見開いていた。


「……あなたはっ……」


 レヴィンが固まっている間に、「どうも」と少年があいさつする。


「ご無沙汰しています、バークワークス嬢。シズリー嬢」

「し、使者さまっ!? ど、どうしてこちらにっ?」

「バークワークス嬢に、こちらの扇子をお返しする約束でしたから」


 レヴィンの忠告に反して、少年がロゼリーナに歩み寄ると、扇子をまっすぐに差し出した。礼拝堂は外側の回廊よりも一段高くなっており、少年がロゼリーナを見上げる形になる。


「…………」

「どうしました?」


 差し出された扇子をロゼリーナは一瞥するだけで受け取らず、少年を見つめている。その、いまにも泣き崩れてしまいそうな表情に、レヴィンは、彼女がまた扇子を握って部屋にこもってしまうのでは、と身構えた。


「名前……」

「ん?」

「あなたの名前を、教えてください」


 少年は不思議そうに首を傾げたあと、素直に答えた。


「アルフ・アトロシャス」

「……アルフ」

「今日はずいぶんと、らしくないですね。ロゼリーナ嬢」

「……だって……これを受け取ってしまったら……、アルフは、もう行ってしまうのでしょう……?」


 ロゼリーナが白いスレンダードレスの胸もとを握りしめて、かすかにうつむく。

 異国の使者は数秒間、発せられた言葉を吟味するようにじっとして、先とは反対側に首を傾げた。


「ほんとにどうしたってんだ? またなにかに巻き込まれてるのか?」


 彼が斜向かいにいるノアを見る。

 思わぬところで水を向けられた子爵令嬢は「なにも知らない」と首を勢いよく横に振っていた。

 ロゼリーナの碧眼が、涙ぐんできらめく。彼女はノアとレヴィンをためらいがちに見たあと、アルフに問いかけた。


「あなたには……銀色の鎖が、見えているのですか?」

「鎖?」


 要を得ず、アルフが首を傾げた瞬間、ロゼリーナが肩を弾ませて怯んだ。

 四年前と同じだ。

 彼女の視線が、いま孔雀の扇子に走っている。

 レヴィンと同じ地雷を、アルフは踏み抜いたのだ。


(いかんっ――)


 咄嗟に開いた窓に手を伸ばした刹那、


「それなら、どうしてッ……」


 ロゼリーナの鋭い声が、レヴィンを止めた。

 彼女は白い指を顔に当てて、しゃくりあげる。人目を逃れるようにうつむき、黒髪の奥で、両手の甲を代わる代わる押しつけて涙を拭っている。


「どうしてっ……、あなたにはあの鎖が切れたのです? シェリスがなにもしていないって、ルドルフ殿下がなにか企んでいるって、あなたは最初から、わかっていたみたいだった……――。わたくしは、わたくしはなにもできなかったのに……っ」

「その質問はキャラがどうとか言っていた第一王子の話と、関係があるのか?」


 ロゼリーナがびくりと震えて、身体を跳ねさせる。

 アルフは数秒、ロゼリーナを観察していたがその右手を取ると、自分の手首に導いた。


「あんたたちに、なにが視えてるのか知らないが。ちゃんと脈も、体温もあるだろ」

「……っ!」


 ロゼリーナの手を離して、アルフはまっすぐに令嬢の碧眼を見据えた。


「察しのとおり、俺は第一王子たちについて入国前からある程度の情報をつかんでいた。シェリスがただの民間人ということは連邦のほうがよく知っている。オーウェン国王に謁見したとき、初めて第一王子を目の当たりにして拳が剥けているのに気付いた。剣術に長けているとは聞いていたが、高貴な身分のやつが、手に生傷をつくってるのは妙だろ。そこで探りを入れ、捕虜の待遇に思い至り、第一王子の発言矛盾が見えたってこと」


 言い淀むことなく答えるアルフに、ロゼリーナはまだ触れたままだ。彼女の頬には、まだ涙がはらはらと流れている。


「もしも。もしも運命を知ってしまっても、あなたは……、あなたなら」

「ロゼリーナさん」

「……は、い……」


 応えるロゼリーナを見返して、アルフは触れられたままの手を少し不思議そうに見下ろした。

 様子を見るも令嬢に動く気配がないのを察して、顔を上げる。


「あんたは、やれるだけのことをやった。それはシズリー嬢も、レヴィン王子も知っていることだ。俺がこの扇子を届けにきたのも、あんたに手伝ってもらった礼を返すため」

「でも、わたくしは、……わたくしは肝心なことは、なにもっ……――」

「そうやって足掻けるなら、上等だよ」

「えっ……?」

「だれだって、なりたい自分にすぐになれるわけじゃない。自己嫌悪も、後悔もある。けど、まずは足掻かないと、なにも変えられらない。――あんたはその点、努力してきた。なら、恥じることなんかなにもない」


 ロゼリーナの碧眼が揺れる。

 彼女は唇を震わせながら左手をアルフの手首にさらに添えると、ぎゅっとすがるように彼の手を握りしめた。

 その突然の行動に、ノアが目を丸くして、はっとロゼリーナを見る。

 要を得ず首を傾げたのはレヴィンとアルフ、どちらもだった。


「わたくしも、連れて行ってください……っ」

「え?」

「強く、なりたいの……。だれかに惑わされたり、他人を傷つけてることにも気づかない自分では居たくない……! あなたが見ているもの、王国よりももっと広い視野を、わたくしも見たいのですっ……」

「――…………そいつはずいぶんと買い被りな」


 アルフの言葉を否定するように、ロゼリーナが無言で首を振る。

 レヴィンはその姿を見つめて動揺を治めると、うなずいた。


「……話は分かった。ならば、俺が後押ししよう」

「レヴィンさま?」


 ノアが意外そうに見つめてくる。

 ロゼリーナが顔を上げて、レヴィンを見た。どこか怯えた眼差しだ。


「すまない、ロゼリーナ。俺はお前に、これまで数え切れぬほどの無体を働いてきた……。それでもお前は俺の王族復帰を認め、恨んで当然の俺を気にかけてくれたのだ。ならばせめてお前の為したいことを、俺は全力で支えねばなるまい」

「レヴィン……殿下……」

「連邦とは謎の多い国だが、シェリスが留学してこれたのだ。父に掛け合い、必ずねじこんでやる。お前に借りのある者は、俺以外にもたくさんいるしな。無理などとは、だれにも言わせん」

「すごいっ! それでは、ロゼリーナさまは」

「任せておけ」


 声を弾ませるノアと、力強くうなずくレヴィンを見て、ロゼリーナの瞳に温かな涙が溜まる。

 反して、アルフの頬には冷汗がにじんでいた。


「な、なに言ってんだ、あんたら……。俺は扇子を返しにきただけで」

「……ダメ、ですか?」


 真正面からロゼリーナに見つめられて、アルフが答えづらそうに押し黙った。

 他人の敵意には嬉々として応えられても、無垢な哀願をまえに、少年は完全に事態をもてあましている。


 こうして起こったロゼリーナ留学の案件は、王都に戻ってからもとんとん拍子で進み、さらには難航するかに思われた連邦側の快諾によって確定した。

 連邦としても、悪化したオーウェン王国との友好関係を対外的に示すために、上級貴族令嬢による留学は渡りに船だったのである。


「いつでも戻ってこい。ロゼリーナ。お前の席は空けておく」

「また会える日を楽しみにしております、ロゼリーナさま」


 出立の朝、見送りにきたレヴィンとノアを始め、顔なじみの面々を見つめ返して、ロゼリーナは微笑んだ。その手には、返してもらった孔雀の扇子が握られている。


「いってきます、みなさま」


 新たな自分に、会うために。

 心のなかでつぶやいた彼女は、連邦からの案内役に抜擢された白髪の少年の背中に向かって駆けだした。



 見知らぬ世界に飛び込んだ彼女が、その先にある無限の世界に触れて驚くのは、また別の話――。

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