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8.犠牲

「ぃ、ひぁああああっ!」


 甲高い奇声が、ロゼリーナの鼓膜を衝いた。

 ベアトリスが狂ったように喚き、猛然と突進してきたのだ。灰色の巻き毛を散らしながら、小さな身体が疾駆する。ぎょろりと剥かれた目玉と目が合った。懐中で握り込まれた髪飾りの鋭利な切っ先が、ロゼリーナの芯を凍らせる。喉が引きつった。 

 刹那、少年の腕がさっと動いたかと見る間に、脇をすり抜けんとした伯爵令嬢がみずからの右手首を握りしめて横ざまに転倒していた。


「取り押さえよっ!」


 遅れて、憲兵団長の鋭い号令がかかる。二方から突き出た鎚矛(メイス)の切っ先が、状況を捉え切れず呆然と倒れているベアトリスをホールの床に縫い留めた。


「大人しくしろっ!」

「この期に及んで黒蝶さまに害なそうとは、なんたる不埒者だっ!」


 はっと取り囲む憲兵たちを睨み上げ、ベアトリスが灰色の髪を振り乱してロゼリーナを見、鋭く喉を引き絞った。


「裏切り者っ!」

「なんですって?」


 ロゼリーナが眉をあげ、ベアトリスを睨み返す。押さえつけられ、伯爵令嬢は苦悶に呻きながらも、なおも叫んだ。


「だって黒蝶さまだけは……っ、あなただけはわたくしを裏切らないと信じていましたのにっ! なのに、あんな平民のせいでわたくしの人生はもうめちゃくちゃよっ! 宰相夫人の座は奪われ、宮廷では平民相手に恋に破れた女と見下されてっ!? わたくしの無念、屈辱を、あなただけが晴らせたというのにっ! それをあなたは、レヴィンさまに捨てられたからルドルフ殿下に乗り換えておしまいに? 冗談じゃありませんわこの尻軽女っ! なにが黒蝶なのっ! 自分さえよければそれでいいって!? わたくしたちはどうなるのですっ! 婚約者も、将来も、みんな全部失ったのに……どうして、どうしてあなただけっ……! わたくしだって公爵家にさえ生まれていれば、こんな、こんな惨めな想いなんかぁぁ……っ」


 ロゼリーナは息を呑んだ。これが、ロゼリーナを襲ったこの三日間の凶行動機のすべて。『悪役令嬢ロゼリーナ』という負のはけ口を失った、伯爵令嬢の心中なのだ。

 乾いた拍手の音が、ホールの入口から響き渡ってきた。


「ご苦労、客人」


 軽快に靴音を響かせながら、穏やかな青年の声が近づいてくる。反射的にロゼリーナの身体が強張った。二ヶ月前と、同じだ。聴衆が舞踏会場入口をふり返ると、美しいプラチナブロンドの髪を肩で結ったルドルフが優雅に微笑み、人垣を割ってやってくるところだった。


「ルドルフ殿下……」

「おお、殿下。いらっしゃいましたか!」


 硬い面持ちのロゼリーナとは対照的に、宰相が相好を崩す。

 ルドルフは手のひらを見せて宰相に応えると、少年を素通りして、ロゼリーナの前で立ち止まった。

 王太子は表情を変えぬまま、眼球だけ動かしてロゼリーナの胸もとを見る。少年にもらった軟膏を、ロゼリーナは胸もとで握りしめている。まっすぐにロゼリーナの眼を覗きこんだ。令嬢の碧眼はいつもどおり力強いが、怯えと警戒を奥に潜ませている。


「おいで、ロゼ。そんなところ、あなたには相応しくない。さきほどは感情に任せた行動を取ってすまなかった」

「……殿下。わたくしは」

「こいつじゃ運命(シナリオ)は変えられない」


 冷笑して視線で少年を示すルドルフに、ロゼリーナが目を大きく見開いた。

 ルドルフは微笑みを崩さない。状況は同じだが、二ヶ月前とはまるで別人だ。その翡翠の瞳に慈愛の色はなく、ただ値踏みするような不穏さに翳っている。代わりにロゼリーナのなかで、すべてのピースが組み合わさった瞬間だった。


(――まさか殿下も、前世の記憶がっ)

「憲兵、なにをしている。ただちにそこの罪人どもをつまみ出せ。視界に入れるのも不快だ」


 鋭くルドルフに呼ばれ、憲兵たちが気勢を上げて応じる。同時、銀色の騎士甲冑に身を包んだ巨漢兵たちは、ベアトリス始め槍玉に挙がった貴族令嬢たちを素早く引きずり立たせた。醜い金切声を上げて暴れる彼女たちのなか、ノア・シズリーの短い悲鳴までもがロゼリーナの耳に届く。


「お待ちを、みなさまっ!」


 咄嗟に叫んだロゼリーナを、ノアが不安げに見返してきた。両腕をひねり上げられ、目に涙を溜めたノアから視線を転じて、ロゼリーナは居並ぶ憲兵たちを睨み据える。


「その者に手荒なまねは必要ありませんっ! 殿下、なぜこのようなことを!」

「なぜ? ここは神聖な王立舞踏ホールだ、ロゼリーナ。みだりに不浄の者が踏み入る場所ではない。そして――連邦の斥候。お前も舞台を去れ」


 冷たく冴えわたる翡翠の瞳が、少年を真っ向から睨み据える。あらかじめ命令されていたのか、数名の憲兵が躍り出てきて鎚矛(メイス)を構え、手早く少年を取り囲む。


「殿下っ、お聞きになられていませんでしたか。彼に、王国を攻める準備期間などありませんでしたわ! なぜなら今夜、この場で立証された一つ一つが、わずか入国三日目で片手間にできることでは」

「ずいぶんと絆されたものだね。あの黒蝶が」


 口上を遮るように、ルドルフがひとり言を零した。ロゼリーナは顔面に震えが走るのを感じる。かすかにうつむいて、唇を噛みしめた。

 自分の言葉は、必要とされていない。

 薄々感じていたことを、いま如実に痛感したのだ。かつての自分が、胸に刺さった。


 ――ルドルフ殿下は違う! だってわたくしを、このわたくしの努力を唯一見ていてくださっていた方よっ!


 いままで、いったいなにを成してきた気だったのか。

 胸もとに置いた手を握りしめて、ロゼリーナは瞼を固くつむる。


(結局彼も、ノアも……っ。わたくしはっ、また!)


 事実が明るみになったところで、この場で王太子の命令を退けられる者は、ひとりもいない。彼より上位の権威を持つ者と言えば、もはや国王のみなのだ。歪なまでの権力主義を、ロゼリーナは初めて心から疎ましく感じた。ベアトリスは、オーウェン王国の真理を突いたのだ。


 ――わたくしごときが踏み入れる話ではございませんわ。ご存じありませんの? 二ヶ月前、断罪指揮を執られたのはレヴィンさまですのよ。あのときはルドルフ殿下以外どうすることもできませんでしたわ……


 少年の笑声が聞えて、ロゼリーナははっと顔を上げた。


「王子殿下。その腰の得物は、王国の法に触れませんか?」

「鼠が。いつまでその薄汚い羊の皮をかぶり続けるつもりだ? わたしはお前が大人しく牢に入る輩などとまったく考えていない。光栄に思いたまえ。お前のような下民が、この大陸最強、ルドルフの剣の露と散れることを」

「へえ、そいつはいい。使者としての用が済んだいま、俺も好きにできる」

「まずはその不快な大口、二度と利けなくしてやろう。憲兵、潰せ」

「殿下っ!」


 咄嗟に少年のまえに出ようとしたロゼリーナを、少年が眼力で縫い留めた。全身が硬直して、踏み出しかけたロゼリーナの背筋が、鋭い悪寒に串刺される。完全な金縛りにあった。息を吐き出すことすらできず、血の気を失った唇をはくはくと動かしていると、少年がわずかに顔を背けて言った。


「離れてな。巻き添え食うぜ」


 かつて王宮の廊下で憲兵を退けたその眼力を、ルドルフが今度は鼻で嗤い、腰に佩いた黄金の剣に手をかけた。




 事の異常性に気付いたのは、レヴィンだった。


「まさかっ! あれはメギストスの魔剣っ……、ルドルフがなぜあんなものをっ!」

「どうしたの、レヴィン。それって、オーウェン王国のおとぎ話に出てくる剣?」

「シェリスっ、逃げるぞ! こんなところに居ては巻き添えで殺されてしまうっ! もしあれが伝承通りの威力を持っていれば、最悪この王都ですら……!」


 言いかけて、レヴィンは弾かれたように旧友をふり返った。みな、事態の危険性に気付かず異国の少年とルドルフが対峙するさまをざわめきながら呑気に眺めている。


「――くそっ!」


 思わず舌打ちした。いま、シェリスの安全を考えれば、マルクたちのもとに出ていくわけにはいかない。王族以外には伝わらない、民衆にとっておとぎ話でしかないメギストスの魔剣。それは実在する王位の証であり、普段は宝物庫の最奥で、厳重な封印を施されている。

 三百年前、群雄割拠の時代にあった大陸の国々を、ことごとく滅ぼしていった魔王の剣だ。オーウェン王国はその魔王を討滅した勇者によって建国された。レヴィンたちはその勇者の末裔として代々剣を受け継いでいる。

 この剣が、二度と世で悪用されぬようにと。

 魔剣を握る者は甚大な魔力と人外の膂力を手にし、魔剣がそれまで斃してきた敵すべての技を駆使するという。たとえば歴史に名を刻んだ、大魔導師の技でさえも。


(気付けよ、マルク――!)


 伝える相手はこの男以外、思い当たらなかった。

 レヴィンはためらいなく袖をボタンごと引きちぎり、みずからの人差し指を噛み切った。じれったいほどじわじわとあふれる血の雫で記すのはただ一言だ、『逃げろ』。

 学生時代によくやったくだらない紙屑遊びを思い起こしながら、レヴィンは布切れを固く結ぶと突っ立ったままのマルクに向かって鋭く投げつけた。




 ルドルフが黄金の切っ先を少年に向けるや、鋭い号令をかけた。

 巨漢の憲兵たちが気合声を上げ、三方から少年を押し包むように肉薄する。少年は腰に提げた白い箱に手をやり、拳を握って中空を薙ぎ払った。金色の光の粒子がその軌跡を追って舞い散り、やがて一振りの黒鞘の刀を形作る。

 少年は棒立ちのまま、すっと斜め前へみずから踏み出した。最前の兵士が鼻白むも構わず打ち込んだ。そのとき、腰を入れて抜き打った少年の大刀に、重厚な鉄製武器たる鎚矛(メイス)が跳ね上げられている。


「ぬぅっ!?」


 呻きながら、腰を引いて構え直そうとする巨漢兵の左膝が、返す刃に叩き砕かれた。

 一瞬の、早業である。


「っおのれ! ――いくぞっ!」

「応っ!」


 互いに目配せし合った残りの二人が同時に突きこみ、たちまちのうちに左右に打ち倒されていった。

 あまりに突然のことに、ルドルフの眉間が震える。

 ホールに倒れ伏した兵士たちは、骨を砕かれ、口から泡を吹いて気絶している。

 少年は刃を研ぐ前のもの、模造刀と変わらぬ刀を握っているのだ。


「……なんという醜態だ。これで王国の剣とは、役立たずな」


 少年が抜く手も見せず納めた刀の柄に手をかけ、ルドルフをふり返った。

 王国ではまず見ない抜刀姿勢。二人の距離は二メートル。どちらかが踏み込めば必ず刃が触れる間合いだ。場に、異様な空気が立ち込めている。固唾を飲む観衆は、この対決が、なにかよからぬものを引き起こすような、言い知れぬ不吉を肌身に感じている。


「このままお前と立ち会っても、なにも面白くないからね。どうだ? いまならば土下座して詫びれば、許してやらないこともないぞ。四つん這いになってぼくの靴を舐めるならね」

「王子殿下は変態の趣味がおありで?」

「フンっ、強気なことだ。まあ無理もない。お前がいまから相手をする剣というものを、お前は理解していないだろう。少し、見せてやる」


 冷笑したルドルフが、魔剣を青眼に据え、黄金の刃をきらめかせる。

 そのときだった。


「ま、待て! ルドルフっ! それは――!」


 思い余って、レヴィンが柱影から跳び出したのだ。王立舞踏ホールにはいま、四方全てに人が詰めかけている。このなかで、魔剣を振らせれば二次被害は免れない。彼の本能が、咄嗟の行動を引き起こした。

 ルドルフが視線も向けずに首を傾げる。


「いま、下賤なだれかの声が聞こえた気がしたが」

「ああ。特別に彼も、呼んでいるので」


 少年は元よりレヴィンたちの存在に気づいていたのか、特に驚いた様子さえ見せなかった。

 ルドルフがため息混じりに低く喉を鳴らす。


「つくづく我が父上はお情け深い」

「レヴィン殿下……、これはっ?」


 ちょうどそのとき、マルクがレヴィンの投げ打った布の切れ端を開いて、蒼白な顔を向けてきた。『逃げろ』。切羽詰まった血文字で書かれた内容に、レヴィンが険しい表情でうなずく。それだけで、彼の親友は事態を把握したようだった。

 マルクが慌てて周りの子息たちをふり返る。

 ルドルフが弟を睥睨して、嘲笑した。


「フン、こそこそと隠れて。覗き見とはそれでも王家の血を引く者か。かつて第一王位継承者が、無様なものだな」

「っっ、っ、ル、ドルフぅぅぅ……!」


 屈辱に顔を赤らめるレヴィンの後ろから、そっと姿を見せる影があった。

 腰まで流れる艶やかな紫髪、人間の庇護欲をそそるアメジストのようなきらめく瞳を持つ少女、シェリスだ。子息たちがさらに思わぬ人物の登場にざわつくなかで、ルドルフが喉を鳴らしてかつての弟に言い放った。


「ん? これはこれは……。似合いだぞ、レヴィン。平民同士のお前たちは、な」

「俺たちがなにもやっていないことは、ルドルフ、お前が一番よくわかっているはずだっ! なのになぜだ! なぜ、俺をそこまで憎むっ!? 実の兄弟だぞ!」

「虫唾が走る。なぜお前などとわたしが同じなのだ?」


 冷淡に返された兄の言葉に、レヴィンは思わず言葉を呑み込んだ。穏やかだった兄の顔しか知らぬレヴィンは、この暗い闇に塗りつぶされた翡翠の瞳など、見たことがない。


「――レヴィン。彼は、あなたとは種類が違うわ」

「シェリス……?」


 そっと胸に染み込んでくる声に振りむいて、愛しい少女を横目見るも、レヴィンにはこの少女の真意さえもわからない。

 シェリスの服の下が、この二ヶ月間の拘留生活のなかで狂王子によってストレスのはけ口にされ、見るも無残な痣だらけの身体になっていることなど、彼には知る由もないのだ。


「フンっ、そこの雌猿の方が、まだ見る目があるようだな。そうだ。わたしはお前たちなどとは住む世界が違うのだ。本来ならば、お前たちが声をかけることすら出来ぬ存在だと知れ」


 シェリスが静かに微笑む。優美でありながら、冷たく冴え渡る紫色の瞳。それがいま、彷徨う亡者を見送る憐みと歓喜で潤んでいる。

 傍らで、レヴィンが忌々しげに拳を握りしめた。


「もはや話す気もないというのか。だが……っルドルフ! その剣は、世に災いを呼ぶ禁忌の魔剣だ! そんなものを、お前ひとりの判断で持ちだしていいと思っているのかっ!?」

「ぼくは次期国王だぞ。ぼくが欲すればなんだって手に入る。国も、名声も、地位も、女もな」


 水を向けられたロゼリーナが、固い表情で息を呑んだ。

 ルドルフは穏やかに微笑んだのち、異国の少年をふり返る。


「待たせたな、客人。待ってくれた礼に、見せてやろう。この剣の力を!」


 黄金の魔剣が禍々しい怜悧な光を放ち、風がルドルフを中心に巻き起こる。シャンデリアが揺れてガラス細工がぶつかり合う甲高い音と、蝋燭の炎が異常さを物語るように激しく燃え盛った。もはやこの国では魔法など、過去に消失した伝承の代物にしか過ぎないにもかかわらず。

 人々の認識をあざ笑うように、眼球を大きく剥いたルドルフが、輝く魔剣を無造作に振りおろした。


「これが、力だ!」


 剣線の鋭さで風が啼く。そのとき、人々はこの舞踏会場に昼が訪れたように思われた。あまりに強烈な光と、獰猛な風が身体をなぎ倒さんばかりに吹き荒れている。人間を軽く飲みこむ巨大な光の矢が、魔剣の剣尖から迸った刹那、音と言う音が人々の鼓膜から奪っていったのだ。

 地響きにロゼリーナは立っていることも出来ず、あまりの衝撃に息を詰めて顔を両手で庇う。


 どれくらいの間、そうしていたのか。


 大気が凶悪な歓喜から落ち着くころ、王立舞踏ホールはようやく静けさを取り戻した。

 ルドルフが意外そうに眉をつり上げる。少年は微動だにせず、すぐ脇を通り抜けた光の矢に、一瞥をくれることもしない。彼の背後の壁は直径三メートルほどの大穴が開き、さらにその彼方にあった山々には、巨大が風穴が空いていることなど、まるでつゆほども気にしていない素振りである。


「ほう。微動だにせぬとは、足がすくんで動けなかったか?」


 ルドルフが、滑稽にも落ち着き払って佇んでいる少年のさまを皮肉って喉をひくつかせる。

 観衆から血の気が引いた。


「あ、あんなものがこちらに向けて放たれたらっ……――!」

「い、いかんっ! 逃げよ、みな逃げよっ!」

「きぃああああっ」


 あっという間に阿鼻叫喚の騒ぎとなって、散り散りに駆けだした観衆が、舞踏ホールの出口に殺到する。

 そのときだった。


「騒ぐなぁあっ!」


 混乱する悲鳴をすべて切り裂く、ルドルフの咆哮に大衆が傍目で見てわかるほどに震えあがった。途端、まるで見えない糸に縛り付けられたかのように固まって、怯えた目を第一王子へと向けていく。


「逃げればお前たちをこの剣で撃つっ!」

「お、王子……っ!」

「乱心されましたかっ、ルドルフ王子っ!?」

「だまれっ、有象無象ども。お前たちはただ、ぼくを喝采するためだけに居ればいいんだよっ! この生意気な小僧を完膚なきまでに叩き潰し、従わせる姿を、お前たちは拍手して見ていればいいんだ! それぐらいできるだろ? お前たち程度の役者でも」


 顔面蒼白となった人々が、言葉にならぬ呻き声を上げて、泣き顔のままその場に座り込む。

 それを背後に聞きながら、ルドルフは嬉々として少年に告げた。


「さあ、客人。ぼくは慈悲深いんだ。いまからでも許してあげようじゃないか? ひざまずいて、命乞いをしろ。犬のように詫びて泣き喚きながら僕の靴を舐めるがいい」

「なるほど。のぼせあがってやがる」

「なんだと?」


 少年が顔を上げる。完全に色素の抜けた白髪の奥で、見る者すべてを凍らせる紅瞳が鋭くぎらついた。


「あんたに人を見る目はないようだ。ルドルフ・オーウェン」


 静かに告げられた言葉の奥に、言い知れぬ不吉が秘められている。人々は青褪めた顔で、ただ息を呑む。人間の、本能的な防衛本能が『この場を逃げろ』と全力で告げている。

 そのなかで、悪意に魅入られた少女は恍惚と、長いため息を吐いた。

 ルドルフが一笑する。


「人? だれが人だって? ぼくにとっての人間は、ロゼリーナだけだ……。ロゼだけが、ぼくの世界のただ一人の人間。それは何十回繰り返されようと変わりはしない。たとえばロゼが王妃になれなかったとしても。ね、ロゼ。ぼくはきみを不幸にはしない」


 大きく目を見開き、口許を限界まで三日月状に広げたルドルフは、自分が獣じみた表情をしている自覚もないのか、いつもの穏やかな声音で誘い、両腕を広げてロゼリーナに歩み寄っていく。


「ぼくもね、最初はただの人間だったんだよ、ロゼ。キャラクターの一人にすぎなかった。あるときからだ。くり返していることに気付いたのは。――するとね。こうしたらどうだろう? こうしたかったなぁ……。なぜ自分は王位継承者じゃないのか? どうすれば王位継承できるのだろう?

 さまざまなことを試した。そしてわかったんだ。そもそも身分の低い母親などわたしにはいらない、ということが。

 第二王子を溺愛する王太后も、正当な王妃も、この『わたし』が王位継承をする邪魔になる。次になにが起こるかわかっていれば、簡単にできた。どうせ失敗したならもう一度、繰り返すだけだ。そう気づいた」

「まさかルドルフ……お前、じぶんの。いや、それだけじゃないっ。祖母上や、俺の母上をもっ!? まさかっ!」


 息を呑むレヴィンを視界の端に、ロゼリーナは顔面蒼白となって心の底から怯えていた。

 彼女の眼にはいま、無数の鎖が『視』えるのだ。悠然と歩み寄ってくるルドルフの全身をがんじがらめにし、ついには彼女自身の喉許にまで巻きついた銀の鎖が。


「殿、下……」

「ぼくはきみを知ってる。きみの抱えているものをわかってあげられるのは、ぼくだけなんだよ。ロゼ。このキャラクターたちにはわからない。何十回繰り返されているのかすら」

「そんな、そんなにも、あなたは……ルディ……っ!」

「きみだけなんだ、ロゼ。きみも、ぼくと同じなんだよねぇ? ねえ、ロゼリーナ?」


 奇怪に哂う第一王子の告白を受けて、ロゼリーナは思わず後ずさった。


「……ルドルフ……あなたは、もう、壊れてる……っ」

「講釈は終わりか」


 涙混じりに、どうにか絞り出したロゼリーナの言葉すらをも容赦なく断ち切る、乾いた一言だった。

 ルドルフから奇怪な笑みが消え、人形じみた無表情が少年を見やる。第一王子は、深々とため息を吐いた。


「初めて現れたキャラのくせに面倒くさい。連邦だのなんだの、そんな設定、いままでなかっただろう? お前には理解できないだろうが、特別に教えてやる。お前はぼくが、ロゼを手に入れるために神が遣わした障害に過ぎない。そういうキャラなんだよ」

「御託はいい」


 少年は口角を上げると、腰に差した刀の鯉口を軽く切った。


「続きをやろうぜ」

「つくづく、頭の悪いキャラクターだ」


 第一王子は忌々しげに言い放ち、魔剣の切っ先を少年へと向けた。

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