チャンス3. 時当の巫女
古き良き日本の古都には、多くの神社・仏閣が点在している。
そんな中、繁華街から見て東の外れに、本当に小さな一つの神社があった。
名を、『時当神社』。
観光ガイドブックにすら一度も掲載されたことがないような、小さな神社だ。敷地面積もかなり狭く、近隣に住む住人も、滅多に参らないだろう。
だがこの神社は、日本でも数少ない、とても珍しい神様を祀っている。
その神は、『時間』の神――――。
■
時当神社に来るのは、そこに幼馴染がいる翔機ですら二回目だった。
以前に神楽から「お仕事中は強制的に巫女服だし、恥ずかしいからあまり来ないでほしい」と言われたことも理由の一つだが、なんとなく翔機は、その神社があまり好きになれなかった。
理由は翔機自身も明確に説明できないのだが……なんとなく、その神社に行くと、生気を吸い取られているような錯覚に陥るのだ。
当然そんなこと、そこで働く神楽に言えるわけもなく、『仕事の邪魔しちゃ悪いし、神楽も来るなって言ってるから……』という言い訳をして、神楽と出会ってから今まで、ほとんど訪れなかった。
そこへ、足を踏み入れる。
朱色の鳥居をくぐっただけで、すぐに翔機はえも言われぬ不快感を感じた。
「翔ちゃん! 来てくれたの!?」
小さな神社だけあって、神楽の姿はすぐに見つかった。
どうやら境内の掃除をしていたようで、手には竹箒を握っている。
翔機は「会いたかったよ~」と言って抱きついてくる神楽に身を任せたまま、慎重にアルテミスへ確認をとった。
「…………どうだ? わかるか?」
「……ええ。わかるわ。我ながら、笑っちゃうくらい間抜けよね。まさか、こんな近くに精霊がいたのに気付かないなんて――!」
「…………?」
翔機とアルテミスの発する穏やかならぬ雰囲気に神楽が小首を傾げる。
しっかりと抱きつかれているため、その豊満なバストが容赦なく翔機の体に押し付けられているのだが……翔機は全く動じない。
それほどまでに、翔機にとって精霊戦争は――叶の記憶は、重い。
「……神楽。訊きたいことがある。とても大切なことだ。これだけは、正直に答えてほしい」
「はい。翔ちゃんが望むなら、わたしはなんだってするよー」
状況を知らない神楽がいつも通りの笑顔で即答する。
そんな神楽に対して、翔機は口元を引き締め、核心を訊いた。
「お前――精霊戦争に参加しているのか?」
「……精霊……戦争……?」
神楽が疑問符を浮かべる。
特に偽った雰囲気や演技している様子は見られない。
これで最悪のケースは免れたなと、翔機が少しだけ緊張を解く。
「神楽……一生のお願いがある」
抱きついていた神楽を離し、その顔を正面から見つめた。
己の想い人に見つめられて、神楽はうっとりしたように表情を弛ませていたが――続く翔機の言葉で、そんなものは霧散する。
「その刀――――折らせてくれ」
ミクから事前に聞いていた。
物質型の精霊との契約はイレギュラー中のイレギュラー。
ゆえに、その契約を自発的にする人間・できる人間は少ない。
考えられる可能性は……自然に『魂の繋がり』ができてしまったか、もしくは、他人によって無理矢理に結び付けられたか、だ。
そして、後者だった場合、契約者本人すらリンクの所在がわからないため、戦争に勝利する条件は二つに一つ。所有者を殺すか、物を壊すかだ。
当然、大切な幼馴染を殺せるわけがないので、翔機は刀を折るという一択しか選べなかった。ここで神楽が素直に従ってくれれば何も問題はないのだが……。
「…………いや」
いつも左腰に携えている黒塗りの鞘を抱き寄せ、神楽は首を横に振った。
「いや……。だめ……。それだけは、翔ちゃんのお願いでも聞けない……」
「…………っ。頼む、神楽。その刀がお前にとってどれだけ大切なものかは分からない。だけど、俺はどうしてもその刀を折らなくちゃならないんだ!」
自分の愛する妹――今田叶のために。
失われた記憶と、大切な笑顔を取り戻すために。
「もしその刀を折らせてくれるなら、俺はなんでもする! 全ての戦いが終わった後で、お前と結婚して……っ。一生、神社の中に監禁されても構わない……っ!」
「翔機っ!」
アルテミスが何か言おうとして前に出るのを、左腕で制する。
翔機にとっての最優先事項は、精霊戦争での勝利。
そして、神となったアルテミスの力によって、叶の記憶を奪り還すことだ。それが叶うなら、翔機はどんなことだってするつもりだった。
「いや……。だめ……だめなの……。翔ちゃん……この刀だけは、絶対にだめなの……」
神楽がな泣きそうな顔でフルフルと首を振る。
ヤンデレである反面、これまで翔機のお願いならなんでも聞いてくれた神楽。そんな神楽が、たった一本の刀を渡せないと言う。
おそらく、あの刀には神楽なりのなにか大切な思い入れがあるのだろうと、翔機は理解した。ひょっとすると、自分にとっての叶のように、かけがえのない物なのかもしれない。
だが、譲れない。
叶の記憶を奪り還す手段は、もう、精霊戦争に勝利するしかないのだ――!
「…………神楽、構えろ」
「翔、ちゃん……」
「今から俺はアルテミスと協力して、力づくでその刀を折る。その罪は、後で必ず償う。何度でも謝るし、お前が死ねと言うなら死んでやる。だけど……今この場で、その刀を折ることだけは、やめられないっ!」
目で合図を受けたアルテミスも戦闘態勢に入る。
靴はサンダルから屈強なブーツへと変形され、服は最初に翔機と出会った時の白銀のドレスへと変わった。
二人が確固たる決意で刀を狙っていることを理解した神楽は……震える体を押さえつけ、刀を左腰に差す。そして、刀の柄に手を掛けた。
「ごめんなさい……翔ちゃん……。翔ちゃんに刃物を向けるなんて、したくないけど……。でも……! この刀だけは絶対にダメなのっ!」
「謝るな、神楽。悪いのは俺たちだ」
結果は火を見るより明らかだった。
だから翔機は、ひたすら謝る。
あの屈強な大地の精霊・ガイアならともかく、ちょっと戦闘が得意なだけの神楽では、本気になったアルテミスには敵わない。
さらに、翔機達は刀を折るだけでいいが、神楽は本気で襲ってくる翔機とアルテミスの二人を同時に相手にして、戦闘不能の状況に落とし入れなければならないのだ。
それがどれほど難しいか……考えるまでもない。
そもそも、精霊戦争に参加している意識の無い神楽には、翔機やアルテミスを殺せば戦いが終わるということも知らない。リンクを断てばいいということもわからない。
現代の戦いとは情報戦だ。
情報を制する者が戦いを制する。
少々卑怯かもしれないが、勝利のために手段は選ばない。
「…………っ」
間合いをとりたかったのか、神楽が袴を翻し、二度後転する。
翔機・アルテミスと神楽の間には三メートル程の距離が開いた。
「……俺が囮になる。隙ができ次第、全力で刀を叩き折ってくれ」
小声で翔機が作戦を伝えると、アルテミスはこくり、と頷いた。
翔機の作戦はこうだ。
まず、迫ってくる神楽に対し、翔機が先行して距離を詰める。峰打ちなり突きなり蹴りなりを神楽が繰り出したタイミングで、得意の前回り受身。前方へと飛び出す。その翔機を追って視線を動かした神楽の死角から、アルテミスが全力の蹴りを放つ。これで刀は破壊、勝利確定だ。
「…………行きます」
神楽が律儀にも試合開始の宣言をした。
瞑っていた目を見開き、深呼吸した後に息を止める。
(来る――っ!)
神楽が柄にかけた手を動かした瞬間、翔機は前に出ようと重心を傾けた。
そして、次の瞬間――
神楽の姿が、虚空に消えた。
「っ!!?」
焦って赤と白の巫女服を探そうとした翔機の首元に、冷たい感触が走る。
目で見るまでもなく、神楽の日本刀が添えられていた。剥き出しの刀身が、翔機の頚動脈――その数ミリ上で停止している。
「あぐっ!!?」
同時、翔機が追い詰められた状況を理解するよりも速く、やや後方で待機していたアルテミスがさらに後方へと吹き飛ばされた。
二人同時に戦闘不能。
あの戦闘勘の鋭いアルテミスがノーガードで攻撃を受けている。
以前の強大な敵――ガイアと戦った時ですら、そのような自体には陥らなかった。
「――降参……して、ください……」
長いパッツン前髪に隠れて、神楽の表情は窺えない。
しかし、見るまでもなく、翔機には神楽が泣いているのがわかった。
翔機がなによりも嫌いなもの。
美少女の――大切な人の、涙。
「わかっ、た……」
そうするより、他になかった。
大地の精霊すら打ち破った二人が、ただの人間に敗北した。
■
「……大丈夫か、アルテミス」
神楽との勝負に負けた後、翔機はアルテミスを抱きかかえて一目散に自室へと逃げ帰っていた。
アルテミス本人は「大丈夫だから離して!」とか「ちょっと! どこ触ってんの!」とか「お、お姫様抱っことかするなぁー!」とか叫んでいたが、翔機の知ったことではない。
ガイアの魔力パンチや魔力キックすら捌ききったアルテミスが、ストレートに打撃負けしたのだ。そのショックで判断能力まで失っていてもおかしくない。
「大丈夫だって……言ったのに……」
でも、本当に大丈夫だったのかもしれない、と今さらながらに翔機は思っていた。
神楽との戦いに敗れた精神的ショックや外傷よりも、翔機にお姫様抱っこされて街中を連れ回された羞恥プレイの方が余程堪えたのか、アルテミスは頬を真っ赤に染めたまま、頭から布団を被って横になっている。
「乙女の恥……。もう一生、お嫁に行けない……」
「えーっと……。まあ、その、なんていうか……悪かった」
「大丈夫だって、言ったのに……。下ろしてって、何度も言ったのに……」
「だから、ごめんって」
ぽんぽん、と布団の上からアルテミスを宥めるが、大した効果は発揮されない。
「だって、驚くじゃんかよ……。あのガイアと戦った時でさえ、お前がノーガードでやられることなんて、なかったし……」
「うう……それはまぁ、面目ないと思うけど……」
ちろっ、と掛け布団の上から瞳を覗かせる。
女神も裸足で逃げ出すような美少女が布団で涙目になっているなど、年頃の翔機には破壊力が強すぎた。思わず「うぐっ……」と苦悩を漏らす。
「いや、うん。別に謝らなくていいんだが……ただ、マジで驚いたっていうか……」
「そうね……。それに関してはあたしも同意見だわ。まさか、このあたしが姿を見失うほどの速さだとは……」
「確かに、物理攻撃オンリーの精霊サマが物理攻撃で負けるなんて、シャレになんねぇな」
「うぅ……動体視力には自信あるのに……。地上最速の球技である卓球の球の回転数と向きを把握して、相手の打つラケットの面すら見切る動体視力なのに……」
「それ、さすがに凄すぎない!?」
動体視力の測定基準は諸説あるが、アルテミスが語った能力は人間の限界を軽く超えている。
「……しかし、つーことは、だ。やっぱ神楽もガイアと同じく、魔力かなんかで武装して自分の身体能力を上げてるってことか」
「それはないと思うわ。もしそうだったら、あたしが何かしらの魔力を感じるはずだもの……。あのヤンデレ巫女からは、何も魔力らしいものを感じなかった。少なくとも、あの子が翔機と対峙した瞬間から、あたしが吹き飛ばされる瞬間までは」
「いや……それはさすがにおかしいだろ……。如何に神楽と言えど、生身で精霊を凌駕する運動能力を保有しているわけが……」
と、そこまで言って翔機は思い出した。
精霊と契約した人間が与えられる能力、『契約特典』のことを。
「そうか……つまり神楽は、『契約特典』で素早さを上げてるってわけだな。確かに、俺の持つ【英雄の本】を使っても、人間の限界スピードを越えることはできそうだし」
そう言って翔機は、己の首元にぶら下がる銀のペンダントをいじった。
翔機の契約特典。【英雄の本】。
たった一瞬とはいえ、フィクション作品の主人公をコピーできる能力――。
「いえ、それもないと思うわ。だって、契約特典も魔力が使用されて発動するもの。だから、あたしが何も感じなかった以上、あの子は契約特典も使っていないってことになるわね」
「そうなのか……。それじゃあ、もうほんとにわかんねぇな……」
翔機がため息をつく。
敗れたのにその原因すら判らないというのは、考え得る限り最悪のパターンだ。
もし再戦を挑んでも、また同じ結果になるのは自明の理。
情報を制する者が戦いを制するということは、『何も分からない』人間は負け続ける運命だということだ。
「…………で、どうするの?」
と、アルテミスが当然のように翔機に聞いてくる。
「うん?」
「だから、あのヤンデレ巫女を倒す方法よ。こういう非現実的なプランを無理矢理考えるのが翔機の仕事でしょ?」
「いや! 俺の仕事、重責すぎない!? いくら俺でも、全くわからないチート技を破る方法とか、思いつかないんですがっ!!」
「ええー。それでも『世界最強の中二病』なの~?」
アルテミスが挑発的な笑みを浮かべる。
こいつ……なにも考えないくせに……!と、ちょっと翔機はプルプルしていたのだが、続く言葉に撃ち抜かれた。
「あたしみたいな『最弱の精霊』の相方は……『最強』を冠する翔機しかいないと思うんだけど……なっ♡」
アルテミスが再び掛け布団を引き寄せる。顔半分を隠したまま、ちょっと照れながら信頼した眼差しを送ってきた。
「…………(くっはぁっ!)」
声に出すのこそ耐えたが、翔機のハートは持って行かれた。
可愛い。布団アルテミス、超かわいい。
そして、そんな美少女に頼られて何もできないなど、翔機の中二病マインドが許さない。『世界最強の中二病』は、いつだって頼れる美少女の味方なのだ。
「……よし、アルテミス。作戦が固まったぞ」
「さっすが翔機! 愛してるわ」
「ごっ、ごふっ! ちょおっ、アルテミス! もうガソリンは満タンだから、それ以上は勘弁してくれ……!」
健全な青少年の迸るパトスが暴発しそうだよ!と翔機は震えていた。
なぜなら、翔機に思考回転のガソリンを注ごうと、そんなことをわざと言っているアルテミスさん自身が、とっても恥ずかしそうなのだ。真顔の冗談で言ってくれれば翔機も笑って流せるのに、真っ赤な顔で瞳をうるうるさせながら、恥ずかしそうに「愛してるわ」とか、いくら翔機でも身が持たない。襲っちゃいそう。
さすがにアルテミスも限界だったのか、「……うん。素直になるのが効果的なのはわかったけど、やっぱ、あたしには無理……」とかなんとか、翔機に聞こえない程度の小声で言いつつ布団から起き上がり、すっかりいつもの調子に戻った。
「……で? どうするの?」
「お、おう。急にそんなキリッとした態度をとれるお前はさすがだな。……こほん。アルテミスの物言いを借りて、結論から言おう。神楽は、放置する」
「…………えっと?」
「だから、放置だよ、放置。完全スルー。戦わない。俺たちは他の精霊と戦い、神楽にもちょっかい出してきた他の精霊と戦ってもらう。んで、他の精霊が神楽の刀を折ってくれれば万々歳だし、そうでなくとも、他の精霊との戦闘見てりゃ、少しは神楽のチート能力の弱点とか見つかるかもだろ」
「………………」
アルテミスがパチクリと瞬きをして翔機を見る。
『戦わずして勝つ』とか、『そもそも戦闘をしない』とか、アルテミスの頭には全く無い発想だった。
「…………時々、あんたをパートナーにして本当によかったと思うわ……。よくもまぁ、そんなアイデアがぽんぽん出てくるものよね……」
「まぁ、慣れてるからな。俺が今まで、どんだけチート性能の化け物と戦ってきたと思ってるんだよ?」
「だからそれ、フィクションの話よねぇ?」
アルテミスが部屋の隅に鎮座する宝箱型のトランクケースに視線をやる。
その中身は、マンガに小説にゲームにアニメDVDと……とっても素晴らしい二次色に染まっていた。
「フッ……いつかお前にもゆっくり語ってやりたいぜ……。俺がこれまで、何度世界を救い、何度魔王を倒し、何度美少女を落としてきたのかを……!」
「はいはい。戦いが全て終わって、平凡な日常が訪れたらねー」
と、ようやく二人がいつもの雰囲気を取り戻して笑い合う。
精霊戦争に参加していた精霊は、ガイアだけではなかった。
その事実が原因となって、翔機は最愛の妹を失ったのだが、転んでもただでは起きないのが、翔機の翔機たる所以だ。今度はその事実を上手に利用して、大切な幼馴染との死闘を回避して見せた。
『人生、前回り受身』が、翔機のモットーなのである。
翔機がアルテミスと二人で笑い合っていると、コトン、とドアの外から音が聞こえた。
なにか郵便物が届いたらしい。
そしてそのすぐ後に、たたたっと走り去る音が聞こえる。……どうやら、本日の郵便配達員はとっても焦っているようだ。まるで、翔機と顔を合わすのが気まずいとでも言うように。
配達員の気配がなくなったのを確認してからドアを開け、郵便物をあらためると……そこには、見慣れた優しい文字で幼馴染からデートのお誘いが書かれていた。
『翔ちゃんへ。色々とごめんなさいでした。もし良かったら明日の放課後、デートしてほしいです。待ち合わせ場所は――』
それを見て、翔機の表情が弛む。
「……神楽と仲直りしてくるよ。悪いけど、明日の放課後は一人にしてくれ」
「いいけど……刺されないようにしなさいよ~? あんた、一時は監禁生活まで容認しちゃったんだし」
アルテミスが悪戯っぽく笑う。
翔機もいつもの調子で笑い返した。
「ふふん。俺はハーレム主人公であるからして、ヒロインの一人である神楽から刺されて流血エンドなんて展開にはならないね! むしろ、手作り弁当でも作ってもらって、ラブラブデートを楽しんでくるね!」
「はいはい……。まっ、仲直りしてきなさい。あたしとは反りが合わなそうだけど……あんたにとっては、大切な幼馴染なんだろうし」
「おう! ……んじゃ、明日に備えて今日は栄養のあるもの食べるかー。ちょっと食材買ってくるから、アルテミスはそのまま休んでろ」
「もう大丈夫だって言ってるのに。……まあでも、ここは甘えておくわ。そして、翔機の甲斐性を楽しみにしているわ」
「お、おう……」
翔機にとって『栄養のあるもの』=『スーパーで半額セール中の惣菜』という図式だったのだが、アルテミスの視線はその程度では誤魔化せないようだ。
翔機は「貧乏苦学生に過度な期待はするなよ……?」とビクビクしながら外に出て、最寄りのスーパーへと向かった。
西にはオレンジ色の夕日が傾き、紺色に染まりつつある空では、早くも一番星が光り始めている。
心配事が減ったせいか、妙に澄んだ空気を感じる。軽やかな足取りでスーパーへ向かっていると――道脇にまた、あの店を見つけてしまった。
「……もし。そこのお方。よければ一占いいかがですか?」
続いていつもの「くすくす……」という笑い声が聞こえてくる。
確認するまでもなく、『野生の占い師』であるミクだ。
「やれやれ……そんなに俺のことが好きなのかい? 球筋に出てるぜ」
「いえ、私は別にボールを投げてなどいませんが」
悩み事が消えた翔機はすっかりいつもの調子を取り戻している。
もし今、再度ミクからキスを迫られたら、ノリノリで応じてしまうかもしれない。
「ふふん。この世の美少女は全て俺の嫁だからな。特別にミクも嫁にしてやるぜ! 俺の魅力に酔いな!」
「わー、カッコイイですー。でも、私はとっくに翔機さんにメロメロなので、改めて酔うまでもなく、常に酩酊・ウェルカム状態ですよ?」
「お、おう……。そうか……」
どうもミクと話していると調子が狂う。
こういう中二発言をすると、大抵引かれるか、キモがられるか、殴られるかの三択だ。最後のはアルテミスの専用コマンドな気もするが……とにかく、翔機のこういった発言を受けて肯定的な返事をする美少女など見たことがない。
ミクって、意外と大物かもしれない……と、若干尊敬の念すら芽生え始めた辺りで、翔機は一つ、この少女にお礼を言わなければならないことを思い出した。
「……あ。そういえば、遊部のこと介抱してくれてありがとな。あいつ変態だし、大変だっただろ?」
「いえ、別に大丈夫ですよ。脳震盪を起こしている可能性もあったので、しばらく私の膝枕で容態を見ていたのですが……一度起き上がって「こふぅっ!」と吐血した後、仏様のようにキレイな顔をしながらご帰宅なさいました」
「うん……起きていきなりこんな美少女に膝枕されてたら、そりゃあ一発で僧侶モードになるよな……」
明日遊部に謝ろうと思っていた翔機だが、むしろ遊部からお礼を言われるような予感がした。
「ところで翔機さん。私の予言は当たりましたか?」
「ああ、そういえば、ドンピシャだったわ……。いや、それこそ全ての黒幕がお前なんじゃないかってくらいの的中ぶりだったわ」
「いやですね。私はまだ精霊と契約してないって言ったじゃないですか。もっとも、もし今後契約したら、翔機さんに戦いを申し込むかもしれませんが」
くすくす……と笑うミクは、どこまで本気なのかさっぱりわからない。翔機ももう、考えるのをやめた。
「おっと。意外に時間を使っちまった。部屋でアルテミスが待ってるんだ。さっさと買い物して帰らないと……」
じゃあな、と踵を返そうとした翔機の袖を、ミクが掴んだ。
「まあ、そう仰らずに。無料サービスでもう一つ予言を授けましょう」
「………………」
なぜだろう。
ミクがただ一言そう言っただけで、翔機はとても嫌な予感がした。
そんな異能、本当は無いはずなのに。
まるで自分の魔眼が――未来に起きる『最悪』を予見する『災厄の魔眼』が、警告を発しているかのような感覚に陥る。
「…………神楽関係のことか?」
「ええ、そうです。よくわかりましたね」
「そうか……。予言をタダで提供するサービス精神は本当に素晴らしいが、それは遠慮しておくことにするよ。未来はいつだって、自分で創るものだ」
「素晴らしい名言ですね。でも、いいんですか? 本当に聞かなくて。あとで後悔するかもしれませんよ?」
「………………」
なぜだろう。
ミクにそう言われた瞬間、本当にそんな予感がした。
この場でミクの予言を聞かずに立ち去り、後に全てが終わった後、全てを後悔し、涙を流す自分の姿がビジョンとして浮かび上がる。
まさに前門の虎、後門の狼だ。
翔機が黙ったまま固まっていると、袖口を離したミクが小さな子を諭すように話し出した。
「わかりますよ、翔機さん。嫌な予感がするんですよね?」
「………………」
「当然です。これから翔機さんには、ちょっと良くないことが待っているんですから。それを翔機さんもなんとなく感じているから、それがある種の第六感として、漠然ととぐろを巻いているんですよ。ここで私の予言を聞いても、聞かなくても、未来は決まっているんです。ただその種類と規模が、ほんの少し変わるだけで。だから私は、できるだけ規模が小さく、かつ、翔機さんにとってマシな種類になるよう、予言を授けようとしているのですよ」
「……ちがう。未来は、創るものなんだ。どんな主人公だって、逆境を生き抜いて、幸せなハッピーエンドを掴んできたんだ」
「そうですね。でもそれは、フィクションの話です。私たちが生きている世界は、とっても冷たくて残酷なんですよ」
「そんな……ことは……」
否定したい。
そうじゃないって、声を大にして叫びたい。
だけど……そんな力は湧いてこなかった。
父親に殴られ、母親に捨てられ、妹が記憶を失って……とっくに現実世界を諦めた翔機には、ミクの言葉を否定するだけの勇気がない。
「では、試してみましょう。未来は創るものなのか、それとも決まっているのか。もし翔機さんの言うように未来が創るものであるならば、私がどんな予言をしようと関係ないはずです。翔機さんは翔機さんの意志で、幸せな未来を掴めばいいのですから」
そう言われてしまえば、逃げ道は無い。
ここでミクの予言を聞かないということは、そっくりそのままミクの意見を信じることになってしまう。
翔機は諦めてミクに向き直り、その予言を聞いた。
「――予言します。あなたはもうすぐ、『大切な人』を失う」
「………………」
聞かされた予言は、最悪のものだった。
だからこそ、降りかかる『災厄』を『災厄の魔眼』が予見できたのかもしれない。
そう。認めたくなかったが、翔機はその予言を予感として、肌で感じていた。
もうすぐ、自分は本当に、大切な人を失ってしまうかもしれない――と。
「どうすれば……いい……?」
震える声でミクに尋ねていた。
「どうすれば……その未来を、回避できる……?」
「未来は決まっています。だから、回避などできません。『未来は創るものだ』というのは翔機さんの自論であって、私の意見とは異なりますから」
「……っ。……バカだなぁ、ミク。本当に売れる占い師っていうのは、不幸を回避する方法も授けるもんなんだよ……」
ははは……と、翔機が渇いた笑みを浮かべる。
長い前髪に覆われた顔には、脂っこい汗がいくつも伝っていた。
「そうですか。しかし残念ながら私は、その『災厄』を回避する方法を知りません。ですから、それをするのは翔機さんの役目です。……その代わりと言ってはなんですが、もう一つヒントをあげましょう」
「ヒント…………?」
「ええ。翔機さんもご存知の通り、精霊は魔力を持っており、それを行使します。そして、精霊が使う魔力には、必ずその源泉となる『魔力源』があるのです」
「…………っ」
目の裏が、熱い。
まるで、あるはずのない『魔眼』が、それ以上ミクの話を聞くのはやめろ、と叫んでいるかのように。
「ねえ、翔機さん。物質型の精霊も、魔力を持っているんですよ」
やめろ……。やめろ……。やめてくれ!
聞きたくない! 聞きたくない! 聞きたくない!
「神楽さんが所有する日本刀の魔力源――何だと思います?」
続いて聞かされた答えは、翔機の魔眼を持ってしても見通せなかったほど、最悪のものだった。
■
翌日の放課後。
神楽の手紙に書かれていた待ち合わせ場所――繁華街の一角に翔機が向かうと、そこには白いフリフリのワンピースを着た神楽が待っていた。
「しょ、翔ちゃん……」
神楽が不安そうな、ぎこちない笑みを浮かべる。まだ昨日のことを気にしているのかもしれない。
「よう、神楽。すごい格好だなー。まるで二次元から出てきた美少女みたいだ!」
その不安を吹き飛ばそうと、翔機は快活に声を掛ける。
昨日、首筋に刃を突きつけられたという事実をまるで気にしていないというような翔機の態度に、神楽も安堵の息をつく。
「えへへ……。翔ちゃん、こういうの好きかなって思って、ずっと前に買ってたの」
「そうなのか。でもそれなら、もっと早く見せてくれればよかったのに」
「えっと……それはほら、わたしもお家の仕事が忙しくて……ごめんなさい」
「いや、いいって、いいって。しっかし、神楽がそんなにおめかししてくれるんなら、俺も頑張るべきだったなー。学校帰りだからって、普通に学生服で来ちまったよ」
割と本気で反省する翔機。
自分の制服を引っ張りながら、着替えに帰るか真剣に検討し始める。
「ううん。詰襟姿の翔ちゃんはとってもカッコいいので、わたしはそっちの方が嬉しいかな。それにほら、制服デートって学生の間しかできないし……」
「おおう。言われてみればそうだな。危うく制服デートを経験しないまま卒業しちまうところだったぜ」
「え……。翔ちゃん、制服デートって初めてなの……?」
「おう。……まあ、制服デートっつーか、デート自体が初めてだな。これまでも神楽や遊部と出掛けることはあったけど、「デートするぞー!」って出掛けたことはなかったし」
「初デート……。翔ちゃんの『初めて』……。うん! わたし、ちゃんと責任とるね!」
「待て! なんの責任をとる気だ!?」
「そ、それは……もう。こういうのは女の子の口から言わせるものじゃないよ?」
「わかった。じゃあ、俺の口から言わせてくれ。昨日はあんなこと言ったけど……やっぱり、監禁生活は怖いのぉっ!!」
翔機が「それだけは勘弁してくれぇー!」と拝み倒すと、やっと神楽も表情を崩した。
「ふふ……変わらないね、翔ちゃん」
「うん?」
「いつでも優しいの。それで、わたしが泣きそうになったら、笑わせてくれる」
「フッ……まぁ俺は、主人公だからな! ヒロインの笑顔を守るのが俺の使命さ! ついでに言わせてもらえば、優しいだけじゃなくて強いってのもある。『俺TUEEE』が最近の流行なんだ」
いつも通り中二病を炸裂させる翔機に、神楽は変わらず微笑む。
「うん。ありがとう、翔ちゃん」
「おし! それじゃあ、早速行くかー! 最初はなにする? お茶か? 映画か? それとも……ホ・テ・ル?」
「じゃあ、最後の、で……。よ、よろしくお願いします」
「うん。気持ちはすっごく嬉しいんだけど、こんな公衆の面前で地面に三つ指つくのはやめようね、神楽さん。通行人の皆様が、すっげぇゲスいものを見る目で俺を見てくれております。あと、カバンからはみ出てるスタンガンと拘束具の数々は没収しておくから!」
「えーん。それ、高かったのにー」
「健全な女子高生が、こんなもの持ってちゃいけません!」
翔機は手近なゴミ箱へ向けて拘束具等々を投げ捨てる。
これで少しだけ翔機の生存率も上がった。……気休めかもしれないが。
「もう、とりあえず、その辺ブラブラするぞ。繁華街だし、まずはウインドウショッピングってことでいいだろ」
「は、はい。えーっと……その……えいっ」
妙な掛け声と共に神楽が翔機の左手を握った。
「………………」
「え、えっと。だって、デートだから! わたしが翔ちゃんの手を握るのは、ごくごく自然なことだと思うの! むしろ、デート中の男女が手を握らない方が不自然じゃないでしょうか!?」
「お、おう。そうだな。繋がないのが不自然なら、繋ぐしかないな。そっちの方が自然なんだし……」
と、珍しく歯切れの悪い翔機もテンパっている。
ギャルゲーを無数にプレイし、こんなシチュエーションは何度も経験してきた翔機だが……無論、実際に体験するのは初めてである。
ゲームと違って神楽は三次元の女の子であるからして、当然感触があるし、体温もある。ゲームでは到底表現できないような甘い匂いもする。
翔機は白桃のようなクラクラする香りに酔い、ふにゅふにゅした手の感触に包まれた。
繋いだ手が冷たく感じるのは、それだけ翔機が緊張しているからだろうか。……だとしたら、ヤバい。日頃散々偉そうなことを言っておいて、実は女の子と手を繋いだだけで体温が急上昇するような童貞ゴミ野郎だとバレてしまったら、もう二度と神楽の目を真っ直ぐに見れない気がする――と、そんなことを考え、焦って言い訳しようと神楽の方を向くと。
「………………」
驚くなかれ。
なんと、あのヤンデレ神楽さんも真っ赤な顔をして俯いていた。もうピンクとかいう可愛らしい次元を超えて、真っ赤。顔から火が出るというのは、こういう時に使う表現なのだろう。
「そ、それじゃあ、行きませうー」
「お、お供するであります、翔ちゃん様」
二人してギクシャクとぎこちない動きで歩き出す。
あまりに機械的な動きがおかしかったのか、対面から歩いて来た小学生の集団が指をさして爆笑した。
翔機は軽く威嚇して小学生を黙らせつつ、気を紛らわすために神楽へと質問を投げかけた。
「放課後に遊ぶとなったら、確かに繁華街は便利だろうけど……なんでこんな人の多い所を選んだんだ? 確か神楽って、人混み苦手だったろ?」
「えっと……うん。それは、そうなんだけど……その」
「うん?」
「その……ここは、わたしが翔ちゃんと……初めて会った場所だから……」
「………………」
その質問は失敗だった。
神楽と繋いでいる方の手が、さらに熱を増した気がした。
結局、一軒も店には入らず、二人してブラブラと延々(えんえん)歩き続けた。
さすがに一時間も緊張した状態で(女の子と手を繋いだ状態で)歩き続けるのは、日頃から体を鍛えている翔機でも辛かった。
なので、ちょうど恋人のデートスポットにもなっている大きな川の付近に出たところで、翔機から小休止を申し出る。二人して河原に腰を落ち着けたところで、ようやく翔機の左手は女の子特有のふにゅふにゅした感触から解放された。
「……気持ちいい風だね」
「そ、そうだな……」
初夏の風にさらわれて、神楽の漆黒の髪が綺麗な流線形を描く。
風を楽しむように目を閉じて気持ち良さそうな神楽を見ていると、わけもなく翔機はドキドキした。普段はヤンデレ的な奇行が目立つので忘れがちだが、神楽は神楽でアルテミスに負けず劣らずとっても美少女なのだ。
「あ、あー。腹へったなー」
日頃セクハラ発言ばかりしている主人公(笑)が、まさか三次元の女の子と軽くデートしただけで超絶ドキドキしているなど、絶対にバレてはならない。それは主人公の沽券に関わる。
ゆえに翔機は、あえていい雰囲気をぶち壊すような発言をしたのだが、それさえも神楽にいなされてしまう。
「はい、翔ちゃん。手作りのお弁当だよ」
「お、おう!? ありがとう、神楽……。お前ってほんと、準備いいよな……」
昨夜、アルテミスにジョークで言った手作り弁当が実現してしまった。
しかも、弁当というよりも『おせち』と言った方が正確な気がするサイズとクオリティだ。三段くらいある重箱に、伊勢海老やらヒレ肉やら……貧乏翔機が一生の内に数えるほどしか食べれなそうなご馳走が所狭しと並んでいる。
「ちょっ、神楽……! さすがにこれは悪いって! お金払うわ!」
あまりの豪華さに翔機が慌てて財布を取り出そうとすると、ポケットに突っ込んだ手に再びふにゅふにゅした神楽の手が重なった。
「いいの。わたしは、お金なんていらない。それより、頑張って作ったから、翔ちゃんにいーっぱい食べてもらいたいなっ」
「いや、そりゃありがたいけど……」
なおも支払の意思を見せる翔機だったが、神楽は『それよりも早く食べて』と言わんばかりに小皿とお箸を渡してきた。
仕方ないので、あとで何か甘いものでもご馳走することを決意しつつ、翔機は神楽のお弁当に箸をつけた。
「……うっま。マジでうまい。神楽はほんと、料理が上手いよなー」
「えへへ。この前の料理勝負を生かして、今回は隠し味もないよ。翔ちゃんが好きそうなものをいーっぱい入れてきたからっ!」
「うう……その事実の方が身に沁みる……。ありがとな、神楽……。ほら、神楽も食べろよ」
「わたしはいいの。おいしそうに食べてくれる翔ちゃんを見てるだけで、お腹いっぱい」
「いやいや。こんなご馳走、俺だけ食べるのは悪いって。……そういやお前、昔っから俺にごはん作る時は食べないよな。……あれ? 俺に作ってくれる時だけじゃなくて、そもそも神楽と一緒にごはん食べた記憶があんまないんだが……?」
「だってぇ……翔ちゃん、ごはん食べる時、とーっても幸せなそうな顔するんだもん。一緒にごはん食べてたら見逃しちゃう。わたしはずっと、翔ちゃんの幸せそうな顔を見ていたいの」
と、神楽は有限実行するように蕩けそうな笑顔で翔機がお弁当を食べる様を見つめた。
さすがに、見つめられてると食べづらい……と思う翔機だったが、こんな栄養のあるものを食べる機会は滅多にない。所詮、花より団子……というか、普段からカロリー不足気味の自分の食欲には抗えなかった。
「ふうー。ごちそうさま」
自分でも驚くほど、あっという間に弁当箱が空になる。
お腹がパンパンで、しばらく動けそうにない。
「翔ちゃん、眠い?」
久しぶりに満腹になった腹をさすっていると、神楽が控えめに聞いてきた。
「いや、大丈夫だよ。ちょっとお腹がキツいけど、別に今すぐ移動でも――」
「ううん! 食べてすぐ動くのはよくないよ! それに翔ちゃん、とっても眠そう! だからね、ちょっと寝ていくのが、いいんじゃないでしょうかっ!?」
と、ちょっと赤くなった顔で一気に捲くし立てる神楽。
視線はこっちを向いておらず、もじもじと正座している自分の膝を撫でる。
「えーっと……」
「……てりゃっ!」
という、よくわからない掛け声と共に、翔機の頭がホールド。ついで、首の間接が外れそうになるほどの勢いで、神楽の膝に叩きつけられた。
「おごっ……ぶっ!」
首が変な方向に捻れた翔機だが、文句を言う気にもなれない。
なんせ、膝枕だ。
今田翔機、今生、生まれて初めての膝枕である。
神楽の柔らかさと、トロけるようないい匂いに包まれて、一気に眠気が押し寄せてきた。
「ね、寝ちゃってもいいからねっ、翔ちゃん! ここはちょうど茂みだし、翔ちゃんが寝ちゃったら、元気になった翔ちゃん様にちょっとだけイタズラしちゃっても、特に問題は起きないよねっ!?」
翔機の目が冴えた。
既成事実からの監禁生活突入とか、孔明の罠すぎる。
「……はぁ~。お前はほんっと、変わらねぇなぁ……」
「翔ちゃんも、ね」
「そうかー? 身長も伸びたし、性格も……もっと主人公らしくなっているはずだ!」
「うん、そうだね。出会った頃より、もっともーっとカッコよくなったよ」
そんなことを言ってくれるのは神楽だけだ。
一年と数ヶ月前。
ずっと一人ぼっちだった翔機に出来た……初めての幼馴染。初めての友達。
妹の叶とともに、ずっと神楽は翔機を支えてきてくれた。
「……ありがとな、神楽」
「わ、わたしも、ありがとうございますっ!」
「いやお前、絶対意味わかってないだろ……」
翔機が苦笑すると、神楽も照れたように笑う。
「翔ちゃんが何に対してお礼を言ってくれたのかはわからないけど、わたしもお礼をしたいのはほんとだよ? 翔ちゃんと出会ってから今日まで、ほんとうに楽しかったから。ほんとうに……幸せ、だったから」
涼しく、爽やかな風が吹き抜ける。
草木の匂い。甘い神楽の匂い。初夏の香り。
少しひんやりとして柔らかい、神楽の感触。
目の前には、夕日を浴びて光る水面。
自分と一緒にいて、幸せだと言ってくれる女の子。
……もし『幸せ』にカタチがあるとしたら、きっと、こんなカタチに違いない、と翔機は思う。
ずっと『今』を生きてきた彼にしては珍しく、「このまま時間が止まってしまってもいいかもしれないな……」とすら、思ってしまった。
けれど、そんなことは起こらない。
この世界はいつだって連続する刹那で、変化する『今』だ。
変わらないものなど、なにも無い。
ずっと不幸だった翔機が今に幸せを感じているように、一秒後の世界が唐突に絶望に変わってしまっても……それは、仕方のないことだ。
「話が……あるんだ」
永遠に続いてほしいとさえ思う瞬間を振り切って、翔機は言う。
「とても、大切な話だ」
翔機の頭に、ふんわりと神楽の手が添えられた。
「うん。聞くよ。なーに?」
「俺は叶のために……神楽の刀を折らなくちゃいけないんだ」
「………………」
返事はない。
ただ、神楽が静かに続きを待ってくれている気配を感じる。
「会ったことは……なかったか。でも、話は何度もしただろ? 俺には、すごく可愛い妹がいるんだ」
「うん。何度も聞いたよ。叶ちゃんっていうんだよね」
「ああ。その叶は今、入院している。……記憶系の障害を抱えているんだ。その障害は、現代の医療では治せない」
「…………うん」
「でも……信じられないかもしれないけど……神楽の刀を折って、その先に現れる奴らの願いも踏みにじって、勝ち続ければ……その障害を治せるかもしれないんだ」
「…………そう、なんだ」
「神楽、は……。その……。……。……その刀がどういうものか、知っているのか?」
「………………………………うん」
「……そっか」
夕日が水面に反射してキラキラ光る。
二人してそんな、夢のカケラを見つめた。
「…………翔ちゃん……わたしのこと……嫌いに、なった……?」
「なるわけねぇだろ」
即答。
そんな質問、悩む必要はない。
「俺は神楽のことが大好きだ。そりゃあ、監禁とかは勘弁だけどな」
神楽を安心させるように、できるだけ優しい声を意識する。
「お前が努力家なのを知ってる。出会った頃は料理だって下手だったもんな。お前が優しいのも知ってる。アルテミスとケンカしたりもしてたけど、あれはお前なりに、仲良くしようとしたんだろ? そして、お前が美少女なのを知ってる。神楽は本当に、世界一可愛くて綺麗な女の子だよ」
「翔、ちゃん……っ。ありが、とう……っ」
翔機の頬に、雫が落ちた。
でもそれは、気付かないフリをする。
「……悪いな、神楽。俺とアルテミスは明日、もう一度お前に挑む。今度こそ、その刀を折るよ。だからお前も、全力で抗え。別に俺たちを痛めつける必要はない。俺の首にぶら下がってるペンダント……こいつを切れば、俺たちは負ける。そういうルールになっているんだ」
そのペンダントは、翔機とアルテミスの『リンク』だ。
精霊戦争に参加する精霊と人間が契約した証。
それを失った者は、無条件で戦争への参加権を失くしてしまう。
「翔ちゃんは……バカだよね……」
神楽が涙声で笑った。
「そんなこと、教えなければいいのに。そうすればわたしは、諦めたかもしれないのに。そうじゃなくても、ずっと有利に勝負できたのに」
「美少女相手に……まして、大好きな神楽相手に、そんな卑怯なことできるかよ。あと、これ教えとけばアルテミスがボコボコにされる可能性も下げれるしな」
「もう……。女の子とデート中に他の子の話をするのはマナー違反だよ? 前半が嬉しいのも困るし……」
神楽が複雑そうな声を漏らす。
これで明日を境に、翔機か神楽、どちらか一方が『大切なもの』を失う。
それでも、翔機は確信していた。たとえどんな結果になっても、翔機と神楽の関係は変わらない。
そんなことで終わってしまう程度の絆ではないのだ。
「もらってばっかりでズルいから、わたしも翔ちゃんの質問に答えるよ。なんでも聞いて」
「…………マジか」
翔機がちろり、と神楽のバストへ視線を投げる。
とてもじゃないが、十七歳の女子高生とは思えない。
翔機は前々から、立派な『それ』のサイズを、ぜひとも知りたいと思っていた。さらに言えば、どうしたら触らせてもらえるだろうかとも、考えていた。
せっかくのチャンスだし、どうしても知りたい質問の回答ではあったものの……今ここでそれを聞いてしまえば、あとでアルテミスに銀色パンチされるのは確定だ。
よって翔機は、仕方なく、別のことを質問した。
「お前――――時間、止められんの?」
「…………うん」
おずおず、という感じで首肯した神楽に、翔機は驚かない。
ずっと考えていた神楽の異能の正体。
ヒントはあった。
人間が限界を超える『契約特典』。
アルテミスが感じられなかった魔力反応。
翔機と同時に吹き飛ばされたアルテミス。
時当神社の神様――。
最弱の精霊と最強の中二病が、究極のチート技の一つ、『時間停止』に挑む――!




