チャンス2. リア充への道
「と、いうわけで二人の美少女と同棲生活をしているわけなんだが、全くもって主人公に近付けないばかりか、あまつさえ、普通に生命の危機に陥ってる状況で……その辺、お前はどう思う、遊部?」
「死んでください」
遊部と呼ばれた少女が爽やかな笑顔で切り捨てる。
アルテミスと神楽の家事対決から一夜明けた月曜日。
色々とぶっ飛んでいる翔機も一応は高校生であるからして、真面目に学校へと登校していた。
そして昼休みは、いつものように共犯者である百合趣味少女の会議室――アジトへとお邪魔している。……もっとも、当の遊部は翔機など眼中になく、せっせと私物のノートPCで作業をし、『本日の美少女』という自身のHPを更新していた。
「はぁ……やっぱりアルテミスお姉さまは素敵……。この百合ちーが十六年の歳月をかけて蒐集したどんな美少女写真も、お姉さまの一枚には敵いません……」
うっとりとした表情でアルテミスの写真をなぞる。いつの間に撮ったのか、遊部の手元には弾けるような笑顔で笑うアルテミスの姿があった。
「それなのに……どうして今日はサイヤ先輩一人なのですか! どうせ来るなら、アルテミスお姉さまも一緒に誘ってくださればよかったのにっ!! サイヤ先輩のゴミ! クズ! どーてーの勘違い脇役野郎っ!!」
「そこまで言わなくてもよくないっ!? ……いや、本来なら一緒に来る予定だったんだが……今日はずっとあの調子だしなぁ……」
そんな風に翔機が遠い目をした辺りで、また校舎の彼方から爆発音が聞こえてきた。大方、どこぞの銀色とヤンデレが、蹴りと刀をぶつけているのだろう。
「なるほど。今朝方から断続的に続くあの戦闘音はアルテミスお姉さまと神楽先輩のものでしたか。……となれば、すぐさま現場に急行する必要がありますね。戦闘中のパンチラ写真をゲットするためにも」
キリッと無駄にイイ顔で遊部がカメラの手入れに掛かる。手元で光るカメラは、貧乏翔機には一生縁がなさそうなほどの高級品だった。
『名は体を表す』を全身で証明する少女・遊部百合は、文字通り百合である。
自身が女の子であるにもかかわらず、女の子にしか興味がない。
もっと言えば、美少女にしか興味がない。その点は中二病の翔機と同じ嗜好と言えるのだが……あの神楽をも余裕で許容してしまう懐の広さは、とっくに翔機の器を凌駕している。
容姿は小学生と見紛うほど小柄だが、それはそれで需要があるので、実は遊部自身も美少女だったりする。本人も外見にコンプレックスなど感じていないようで、むしろその魅力を最大限に生かすべく、赤いランドセルで高校に通うという徹底振りだ。
「うーん……こうして見ると、遊部もほんと美少女なんだけどなぁ……。よし、遊部! 俺とエロいことしようぜ!」
「アルテミスお姉さまか神楽先輩を含めた3Pならば参加します。無論、サイヤ先輩は放置ですが。もっと言えば、アルテミスお姉さまと神楽先輩と百合ちーの3Pを希望します」
「それが仮にも、年頃の乙女が同い年の男に告白された時の回答かね、遊部くん……」
「それを言うなら、年頃の乙女にそんな告白をするサイヤ先輩こそどうかと思いますが」
「ふーん……。時に遊部。今、面白いことを言ったな?」
「面白いこと、とは? サイヤ先輩の放置プレイですか? ドM体質なんですか?」
「そっちじゃねぇよ。そうじゃなくて、お前とアルテミスと神楽の3Pの方だよ。軽く口走ってたけど、3Pって実際にどういうことをするのか理解して言ってんだろうな?」
「なにを今さら。この百合ちーが、まさかテレビゲームの話をしているとでも? 3Pとはもちろん、こんな健全な少年が読むような媒体ではとても言葉にできないような、例の――どぶほぉっぉおおおおおお!!」
「あ、遊部ぇぇええええ!!!」
自らの妄想に溺れた遊部が鼻血を噴き出し、自らの欲望(血の海)に溺れようとしていた。
翔機は慌てて遊部を逆立ちさせる。応急処置としては完全に逆効果だが、この際、出せるものは全て出してしまえという魂胆らしい。
「くっ……! は、謀りましたね、サイヤ先輩……!」
「だってお前、一度失血しないとまともに会話すらできないじゃん」
「フッ……この百合ちーも甘く見られたものですね! 百合ちーの二つ名は、ズバリ『無限のリビドー』!! この程度で枯れるほど、軟弱な性よ……リビドーでは、ないのですよっ!!」
遊部が逆立ちさせられたまま鼻血を垂れ流し、翔機を見下す(逆立ちしているので)。
対して翔機は、ここで切り札を投入した。
「さて遊部。これがなんだか分かるか?」
翔機がコインランドリーに持っていくような洗濯カゴを取り出す。
遊部はしばらく「……?」と疑問符を浮かべていたが、すぐにその真相に辿り着いた。
「ま、まさか……! それは……っ!!」
「そう……お前の想像通りだよ、遊部……。同棲なんてしていると、こんなものも簡単に手に入ってしまうんだ……。遊部の想像通り、これは、アルテミスと神楽が昨夜脱いだ、脱ぎたてホヤホヤ(?)の着替えだっ!!!」
「ふんにゃぁぁぁああああああああああああああ!!!!!!!」
軽く洗濯カゴを近付けただけで、マタタビを嗅いだ猫のような断末魔と共に、遊部が残存する全ての血液を放出した。
鼻血だけに留まらず、口からも吐血し、全身からリビドーを解放。
……ちなみに、色々と変態の翔機だが、そこだけは決して越えてはならない一線だと思い、これらの着替えには指一本触れていないことを補足しておく。これらはあくまで、遊部へのエサである。
「……ふう。お久しぶりですね、サイヤ先輩」
そうして、スッキリ全ての血液を放出しきった遊部が僧侶モードで覚醒。鼻血を拭いて翔機の正面へ座った。
「……おおう。もう僧侶モード時の遊部が別人格キャラのようになってるな……」
「そうですね。こちらの私は百合ちーとは別人格として扱ってくださっても結構です」
「そうか。それじゃあ早速、頼みがあるんだが……この衣類、洗濯してくれないか? 俺が触るのはマズイだろうし、神楽に任せたらアルテミスの衣服だけ引き裂きそうだし、アルテミスに任せたらどちらも爆発させそうだし……」
もちろん、アルテミスの爆発に悪意はない。単純なミスで、だ。
「お安い御用ですよ」
と言って、遊部は会議室の奥のスペースに入っていった。
どんなコネを使ったのか、この会議室と隣の準備室は遊部の私的空間となっている。
資料室には以前、遊部がアルテミスに譲った洋服を始め、色々なものが常備されているようだ。……もっとも、まさか洗濯機まで常備されているとは、さすがの翔機も思っていなかったのだが。
「お待たせしました。乾燥まで自動で行いますので、あとは一時間少々待つだけです」
「そうか。それじゃあ、その間に本題へ移るとするか」
「本題……と申しますと、またいつものイベントなのですね。確か『リア充への道』などという。あれはダメですよ。女の子には優しくするものです」
「そうか……そうだよな……。それじゃあ、女の子のスカートをめくるとか、しちゃいけないよな……」
「その通りです」
「わかった。じゃあ、普通にお昼にしよう。ほら、遊部。お前のために作ってきたおかずを一品やるよ」
「わー。ありがとうございます、サイヤ先輩。おいしいですねー」
ちなみに、牡蠣フライのとろろがけだ。
「ふー。ごちそうさまでした。さて、それじゃあ――スカートでも、めくりましょうか」
「お前が遊部でよかった!」
翔機が、がしっと遊部の手を握り、二人して異常なほど爽やかな笑顔を浮かべる。……発言内容は最低だが。
「よし、ここまでテンプレートだ。では、遊部隊員! ミッションの唱和だ! 『リア充とは!』」
「『リアルが充実している、の略! 主に彼女持ちや、多くの友達に囲まれ、現実ライフを謳歌している人間を指す! そんな人生の勝ち組になるべく、美少女とのウハウハ体験を目指すのが、リア充への道です!!』」
「ご苦労! では、本日の課題を発表する! 俺は……猛烈にスカートがめくりたいっ!!!」
「イエッサー!! すぐに向かいましょう!」
そのまま飛び出していこうとする遊部の襟元を翔機が掴む。
拳を握りしめ、イイ顔でダメな宣言をする……というツッコミ待ちだった翔機をガンスルーだ。
「待て遊部! そんなんだからお前は、教職員の間で『不審者小学生、出没注意!』の張り紙を張られるんだぞ?」
「……待ってください、サイヤ先輩。それは百合ちーも初耳なのですが……」
事情通の遊部が知らないのも無理はない。それは今朝方、単独で『リア充への道』を突っ走ろうとした翔機が教師に捕まり、遊部に罪をなすりつけた結果だったりする。
共犯者とは、裏切るのが世の常だ。
「細かいことを気にするな、遊部隊員! ここで重要なのは、作戦を立てることだ! 女子高生のパンツが見たくないのかっ!?」
「超見たいですっっっっ!!!!!」
遊部が鼻血どころか涙にヨダレに耳汁と……あらゆるところから欲望を漏らす。
その有様たるや、ボランティア精神溢れる女子高生が慈悲で下着を晒してしまいそうな勢いである。
「そうか。ならば、作戦を立てねばなるまい」
「……っ! さ、サイヤ先輩! この百合ちー、超重大なことに気付きました! スカートをめくるのはいいとしても、この時代の女子高生は皆、スカートの下に体操服を穿いているのでは……っ!?」
なにを隠そう、遊部自身がそうだった。
先ほど翔機に逆立ちさせられて、スカートが完全に翻った状態だったにもかかわらず、二人が冷静に対応したのはそれが原因だったのである。
「フッ……遊部。この俺――『世界最強の中二病』と恐れられた『災厄の魔眼』が、その程度のことすら対策していないとでも?」
「ま、まさか……! 対抗策があると言うのですかっ!?」
「あるっ! ……もっとも、この場合は対抗策っつーより、単なる事実なんだがな。高校に入学して数ヶ月のお前は知らないかもしれないが、この高校にはちゃんと男女に更衣室があるんだよ。それが影響して、二年生頃から女子はスカートの下に体操服を穿かなくなるんだ。特に、クーラーの入らない初夏は暑いからな」
「な、なんですってぇーーーーー!!」
遊部が喜色の悲鳴を上げた。もう体中から吐血している。
「つーか、てっきりお前も知ってるんだと思ってたよ。さっき、「パンチラ写真撮ろう」みたいなこと言ってたし」
「いえ、それは百合ちーのカメラが特殊なので、体操服とか関係なく下着が写るのです」
「なにそれ怖いっ!」
軽く戦慄する翔機だったが、確かに情報通の遊部ならその程度の改造はお手の物だろうと納得する。
それより、本題はパンツだ。スカートがめくりたい。
「さておき、以上の理由からターゲットは二年生以上ということになる。そして、教職員からの折檻を回避する意味でも、手段には十分注意したい」
「……とは言いますが、サイヤ先輩。スカートをめくるのに手段もなにもないと思うのですが……」
「フッ……遊部。かつて、この国がなんと呼ばれていたか、お前は知っているか」
「…………?」
首を傾げる遊部に、翔機はイイ笑顔で告げた。
「神風の吹く国――神国、だよ」
昼休みが明けて最初の授業、五時限目が終わった小休憩。
二年生の廊下の隅には、透明なプラスチックケースが無数に落ちていた。
否、それはただのケースではない。
羽まで透明なため見えづらいが、それらは小型の扇風機だった。そしてその全てが、遊部の操作するリモコンで稼動するようになっている。
「こちらサイヤ。準備はいいか。オーバー」
『こちら遊部。いつでも行けます。オーバー』
ヘッドセットのトランシーバーからは心強い共犯者の声が聞こえてくる。
翔機は来るべきチャンスに備えて、ぐっと体勢を低く保った。
如何に全男子高校生の夢・スカートめくりと言えど、その行為をそのまま行ってはタダの迷惑行為――どころか、ちょっとした犯罪である。
ゆえに翔機は、この事象にちょっとした魔法の言葉――『不☆可☆抗☆力』をかけることにした。
作戦はこうだ。二人の好みの美少女が通りかかったタイミングで、遊部がリモコンを操作。『神風』を巻き起こす。その風によって美少女の魅惑のヒラヒラがめくれ上がると同時、偶然にも、翔機は足を滑らせて廊下で転倒してしまう。
その結果、魅惑の花園を垣間見てしまうのだが……それは、仕方の無いことだ。なぜなら、不可抗力だから。不可抗力だから! 大事なことなので二回言いました!!
――と、そんなアホみたいなことを超真面目な顔で翔機が考えていると、廊下の先から二人の女子が歩いてきた。
一人はメガネをかけた文化系女子。もう一人は日焼けの肌が眩しい体育会系女子。
雰囲気の違う二人が仲良く談笑している姿は、遠目に見ても萌え要素満載だった。
『サイヤ隊長。ターゲットが来ました。ヤりますか? オーバー』
「うむ。先手必勝だ! ヤれ! 遊部隊員! オーバー」
何が先手なのかは分からなかったが、翔機は作戦の決行を決意。
幸か不幸か二人は廊下の隅に転がる小型扇風機に気付いていない。
そして、二人が扇風機の横を通りかかった辺りで――
「今だっ、チャンス!」
翔機が廊下へとアクロバティックにジャンプした。
つい、いつもの癖で前回り受身を決めてしまいそうになるのを必死にガマン。遠くからちょっと派手に転んだのを装って、盛大に廊下へとダイブする。
果たして……!
その結果は……!!
「あの……大丈夫ですか……?」
「……………………」
普通に声をかけらてしまった。
スカートを覗き込もうとしたが、ターゲットは微動だにしていない。なにあの鉄壁スカート。風力に逆らってね?
「うわっ。こいつあの『災厄』じゃん! メグミ、もう行くよっ!」
「待ってよー、カズミちゃん!」
そして、日焼けっ娘にドン引きされ、メガネっ娘に見捨てられて、翔機は廊下の屍と化した。
『……サイヤ隊長。そのままだと他の女子まで遠ざけてしまいます。早くどいてください。端的に言って、人類の邪魔です。オーバー』
遊部の冷たい声がかかる。翔機は改めて自分が学校中の女子から嫌われている事実を思い出し、ブルーな気持ちになった。
「くすくす……」
と同時、翔機の耳に押し殺した笑い声が届いた。
てっきり、この惨めな姿を見て、別の女子が嘲笑っているのかと思ったのだが……声のした方向には、占い師がいた。
「………………」
占い師……としか、言いようがない。
頭から長いローブを被り、それが目元を完全に覆い隠している。そして、おあつらえ向きとばかりに簡素なテーブルへ着き、その上には透明な水晶玉が乗っていた。
いくら翔機のような変態を許容してくれる学校とはいえ、部外者の立ち入りは禁止である。やむを得ず注意しようとすると……ローブの隙間から制服が見えた。しかも、この学園の制服である。順当に考えて、この占い師もここの生徒なのだろう。
「えっと……占い部の人?」
「いえ。私は野生の占い師です」
「野生ってなに!」
翔機が驚愕していると、再び口元に手をやって「くすくす……」と笑った。
その手が、ちょっと尋常じゃないくらいスベスベの肌をしているので、それだけで翔機は占い師が美少女だと直感した。
『……っ! サイヤ隊長っ! こちら遊部! トランシーバーの向こうから美少女の波動を感じましたっ!! 応答くださいっ!! オーバー!? オーバー!?』
美少女レーダー(遊部)も反応している。
これで、この占い師が美少女であることは間違いないな、と翔機は確信を得た。
「僭越ながら、私がお手伝いさせて頂きましょう、翔機さん」
「なぜ俺の名前を!?」
「それは企業秘密です。秘密の多い美少女占い師ですので」
「美少女を自ら宣言する……だと……!?」
「くすくす……。とっても楽しいリアクション、ありがとうございます。お礼です。私が気流の流れを計算しましたところ、遊部さんの側から二番目の扇風機を南に十センチずらせば、いい『神風』が起こると思いますよ」
「…………!?」
遊部の名前を当てられたどころか、『リア充への道』の内容まで筒抜けだった。
これはかなりの異常状態である。
遊部百合という少女は非常に事情通であるからして、逆に自分の所有する情報が外部に漏れないよう、細心の注意を払っている。そして、機械にも強い遊部が本気で守っているアジトがあの会議室なのである。
ゆえに、あの会議室で交わした会話内容を知っているこの占い師は、最低でも遊部以上の情報処理能力を持っていることになってしまう。
「ほら、急がないと予鈴が鳴ってしまいますよ?」
「ハッ!?」
慌てて翔機が時間を確認すると、確かにもう予鈴スレスレだった。
この手のイベントは、時間をかければかけるだけ不利になってしまう。六時限目以降に再チャレンジした場合、邪魔が入る可能性は格段に高くなる。
「くっ……! 遊部! 応答せよ! オーバー!?」
『あ! サイヤ先輩! 一人で美少女を独占するなんてズルイですっ!! 百合ちーも混ぜろし!!』
「その話なら後でちゃんとしてやる! だが今はスカートとパンツが先だっ! 予鈴までもう時間がないッ! 遊部! お前側から二個目の扇風機を南に十センチずらせ! その後、ラストチャンスに俺が飛び込む!!」
『むぅ……! 約束ですよっ、サイヤ先輩!! 百合ちーは美少女もパンツも両方大事なんですからね!? ……セッティング完了、オーバー?』
「よし、後は任せろ……!」
最後のチャンスを掴むべく、翔機がクラウチングスタートの体勢をとる。
だが、来ない。
なかなか次のターゲットがやって来ない。
予鈴ギリギリのため、教室の外に出ている生徒自体が少なくなっているのだ。
あわや、このまま作戦失敗か……と思ったその時。
――最後のチャンスが、舞い降りた。
『さ、サイヤ隊長! 今、百合ちーの横を通過した女子は破格の美少女ですっ! リモコンをスタンバってる関係で視線を動かせないですが、隣を通った際の気配だけでわかりましたっ!』
「マジかっ! 最後の最後に、勝利の女神は俺たちに微笑んだな!!」
翔機もあえて、行く先は見ない。
どうせこれがラストチャンス。
先のことなんて微塵も考えず、今、この場所に全力を尽くすのみ――!
「足音が聞こえる……。いくぞ、遊部。3……2……1……、今だっ、チャンス!!」
その時――――廊下に、一陣の神風が吹いた。
占い師の少女が予言した通り、絶妙の気流が生まれる。
それを肌で感じながら……翔機もまた、風になった。
「ああっとぉっ! 足がぁ! つまづいたぁーーーっ!!」
そんな大根台詞を絶叫しながら、翔機の身体が廊下の上、数センチを駆け抜ける。
見事なスライディングだった。
その絶妙さたるや、一種の芸術だ。
そして、その芸術作品は――当初の計画通り、翔機の顔が魅惑のヒラヒラ斜め左下六十度の位置に達したところで完成する。
「見えたっ! みずいr――――」
「しょーおーきー?」
不思議なことに、聞き慣れた声が聞こえる。
魅惑のヒラヒラ、その奥の色をギリギリ視認できたその時。翔機の頭上から、閻魔大王様も真っ青になるような怒気を孕んだ声がかかる。
「あのヤンデレ巫女を撒くのにはほんと苦労したっていうか、会議室行っても百合はいなかったっていうか、なんか変態がスカートの中覗こうと廊下でスライディングしてるって話を聞いたんだけどぉー?」
にこにこ。にこにこ。
怒髪天を衝いたアルテミス様が、笑顔で特大の青筋を浮かべている。
「………………」
翔機はトランシーバーのマイクをノッキングする形で遊部にモールス信号を送る。内容はシンプルに『S・O・S』だ。
それに対する遊部の返事は――
「あ。アルテミスお姉さま~。お疲れ様です~」
「テメェ遊部ゴラァっ! なに普通に通りかかったフリしてんだよっ!! トランシーバーはどうしたっ!?」
翔機が怨嗟の涙を流すも、遊部は取り合わない。
アルテミスに向かって「なに言ってるんでしょうね、あの変態」というやり取りを交わしている。
唯一の共犯者に裏切られた翔機は、覚悟を決めて立ち上がった。
「……アルテミス。俺は言い訳しねぇ。お前の質問にはなんでも答えてやる」
「へえー、そう。……それじゃあ、翔機はここで何をしていたの?」
未だ笑顔に青筋をキープするアルテミスの手は、眩いほどの銀色に輝いている。
それを見ながら、翔機は爽やかな笑顔で回答した。
「青春さ!」
ぶちっ、と何かが切れる音がした。
「恥を知りなさいっ!!!」
「おとこのろまんっ!?」
翔機が廊下にめり込み、車に轢かれたカエルのようになった。
■
果たして、本物のリア充とはどこにあるのだろうか。
アンニュイな雰囲気で窓の外を眺め、そんな思索に耽っていたところ、すぐに下校時刻を迎えてしまった。
我らが脇役・今田翔機は、本日も全くリア充に近付けないまま、帰り支度を済ませ、校舎を後にする。
「アルテミスお姉さま~。新しいお洋服は気に入って頂けましたか~?」
「そうね。この服もすっごく可愛いわ。ありがとね、百合」
「そ、そんな……。百合ちーはアルテミスお姉さまに喜んで頂けるだけで……おぶっ。す、すいません、ちょっとエチケットタイムに……」
新しくボーイッシュな洋服を遊部から貰い受けたアルテミスは、本日もものすごくご機嫌だった。
その眩しい笑顔を向けられ、遊部は即刻エチケットタイム(という名の吐血タイム)に突入。無限のリビドーを解放している。
「……ところで、あのヤンデレさんはもう帰ったのかしら……?」
「ああ。神楽は実家の神社の手伝いもしてるらしいから、そっちが忙しいんだろ。……そういえば、幼馴染なのにあんまり一緒に下校したことないなぁ……」
「そ、そう。それはなによりだわ……」
はぁー……と、アルテミスが肩の力を抜く。今日一日、余程緊張していたらしい。
「……もし。そこのお方。よかったら、一占いいかがですか?」
澄んだ声が耳を打った。
見れば、学校を出てすぐの坂を下りきったところに、先ほどの占い師が店を構えている。
「当たると評判の美少女占い師です。もちろん野良ですので、お代は結構ですよ♪」
「へー……面白そうじゃない」
占いなど経験がないであろうアルテミスが興味津々(きょうみしんしん)の様子で歩み寄る。
だが、遅い。
圧倒的に速さが足りない!
そんなのんびりしたペースでは、『美少女レーダー』と『迷子のヒロインを迎えに行く主人公(自称)』には敵わない。
「初めて会った時から好きでした! 百合ちーと付き合ってくださいっ!」
「くっ、出遅れた!! だが遊部! お前が交際を申し込むなら、俺は即日デートを申し込むね! 俺とお茶しませんか!?」
「な、ならば、百合ちーはやっぱり、王道として一緒に入浴を追加します! 今すぐ一緒にお風呂屋さんへ行きましょう!!」
あまりの勢いにアルテミスが固まった。
手数では遊部がリード。
果たして、美少女占い師の回答は……。
「ごめんなさい。私はノーマルですから、お付き合いするなら男性の方がいいです」
「がーん!!」
「ふっふっふ……さすがに生物学上、ギリギリ女子に分類されるような気がする有機物のお前では、どうしようもなかったようだな!」
「くっ……! いいですか? 貴女は、なにもわかっていません!! 女の子同士の方が、色々と気持ちいいことだってあるんですよ!?」
「待て遊部! それ以上は年齢規定に引っかかる!!」
翔機と遊部のやり取りに、占い師はやっぱり「くすくす……」と口元に手をやって笑った。
「……ていうか、ローブで顔は見えないし、二人が騒ぐほどの美少女かどうかなんて、わからないじゃない」
「「いや! 美少女だ(です)!!」」
アルテミスの冷静なツッコミに、翔機と遊部の反論がハモる。
いつも服をくれるので遊部のことは憎からず思っているアルテミスだったが、こういう時だけは翔機共々、遊部も本当に残念な存在だなとため息をついた。
「フッ……この占い師さんが美少女であり、かつ、遊部をフッた以上……もう俺の嫁ということは確定したも同然だな」
「いや、そんなわけないでしょう」
「改めて言います。俺と、結婚してください!!」
「ハードルがさらに上がってる!? OKするはずないじゃないっ!」
「はい。いいですよ」
「って、いいんかいっ!」
アルテミスが関西人ばりに本気でツッコんでいた。
隣で遊部もあんぐり、と口を開けている。
そして、それ以上に驚いているのが翔機だ。
「ほ、ほんとうに……? 本当に、俺でいいんですか!?」
「もちろんです。私は、翔機さんがいいです」
「…………っ!! ついに……。ついに……! 俺の人生に、モテ期キターーーーーーーーー!!」
「そんなもの、永遠に来ないわよっ!」
「ばるすっ!?」
アルテミスのハードなツッコミ(銀色パンチブレンド)が翔機の鳩尾に突き刺さる。
「あなたも! 女の子なら、そんなこと軽々しく口にしちゃダメよ!?」
「いえ。べつに私は、冗談や軽口で言っているつもりはありませんよ? 翔機さんとなら、結婚もお付き合いもしたいと思っています」
「そ、そんな……! 『モテ期』なんて都市伝説だと思っていましたのに……! サイヤ先輩になびく女性が現れる時は、この世界が消滅する時だと某ダムスさんも予言していましたのに……!!」
遊部がムンクの叫び風に、この世の終わりを嘆く。
アルテミスは微妙な笑顔で形のいい眉をピクピクさせていた。
「へ、へえ~……。それじゃあ、翔機となら……キ、キス、だって、できるはずよねぇ?」
「「!!?」」
アルテミスの発言に遊部と翔機が衝撃を受ける。
「ええ。別に構いませんよ?」
「「!!!!????」」
続く返事に、さらなる衝撃を受けた。
「……っ! で、できるもんなら、やってみなさいよっ!」
「ちょっと待て、アルテミス! お前はさっきから、なにを言ってるんだ!?」
「いいですよ。では、翔機さん。ちょっと失礼」
焦ってアルテミスに注意していた翔機の顔を、がしっとが掴む。
そのまま無理矢理に正面を向かせると、ローブの隙間から見える綺麗な桃色の唇を、翔機のそれへと近付けていった。
「え、ちょっ、まっ!? 嘘でしょう!? サイヤ先輩が百合ちーよりも先にファーストキスを済ませるとか、もう自殺ものの衝撃なんですが!!」
「…………っ」
遊部がテンパって頭を抱え、アルテミスが挑発的に他所を向く。……が、視線だけは逸らさず二人の方を見ていた。
さすがの翔機も混乱している。
日々妄想しているような、夢にまで見たシチュエーションだったが、自分の『初めて』が、本当にこんな形でいいのかと、そんな考えが少しだけ脳裏を掠めた。
だが、目の前に迫る唇があまりにも魅惑的すぎて……比べるなんて本当に罪なことだが、占い師のそれは、アルテミスに勝るとも劣らない造形美と神秘的な魅力を兼ね備えている。
ゆえに、頭ではやめようと思っていても、意思が身体に伝わらない。
「あ、あわわ……。そ、そんな、羨まけしからんです、このサイヤ先輩野郎!! ……ふみゅぅ~……」
あまりの衝撃的シーンに耐え切れなかったのか、遊部が悔し涙と羨ましさに吐血してダウン。可愛い顔が涙と血で大変グロテスクな感じになっていた。
だが、そんなこととは関係なく、確実に少女と翔機の唇は接近していく。
その距離、三センチ……二センチ……。もう翔機からは、占い師の魅惑的な唇しか見えない。
(――――、ごめん――)
なぜか、翔機の心の中で謝罪の言葉が生まれた。
それが誰への謝罪だったのか、彼にはわからない。
なぜなら――
「ああっとぉっ! む、虫が飛んでるわ! 大きな虫がっ!!」
という大声と共に、アルテミスの鉄拳が両者の間に突き落とされたからである。
ゴウッ、という風の音すら聞き取れるような速度の鉄拳に、二人は反射的に距離をとった。
「………………」
翔機に言葉は無い。
数秒経過して、ようやく占い師美少女とのキスが未遂に終わったことを理解した。
「ざ、残念だったわねぇー! せっかくの機会だったのに、邪魔が入って!! その、む、虫が! 虫さえいなければ、よかったのにねぇー!」
アルテミスがぎこちない動作で「虫が!」と連呼する。
占い師の少女は「くすくす……」と含み笑いを漏らした。
「女の嫉妬は見苦しいですよ、アルテミスさん。恋する乙女は、素直に気持ちを伝えるのが一番です」
「こ、鯉? なに言ってるの、あたしのどこが魚類に見えるのよー!」
あっはは……と柄にもなくアルテミスが冗談(?)を言いながら笑う。
占い師はこの辺りで勘弁してやろうとでも思ったのか、また口元に手をやって笑った。
「キスできなくて残念でした。次は、ちゃんとさせてくださいね?」
「…………。……あ。お、おう……」
「しょーおーきー?」
「ひぃっ!? 冗談です! 口から出任せですっ! そういうのは好きな人とするもので、みだりにほいほいしていい行為じゃないんだぞっ!」
「私は翔機さんが好きですし、翔機さん以外の人とするつもりはないですよ?」
「えっ…………」
「なに鼻の下伸ばしてんのよっ!」
「もてきっ!?」
翔機が蝶のように宙を舞い、蜂のように頭からアスファルトに突き刺さった。
「さて、それでは占いを始めましょうか」
「もういいわ! 帰るわよっ、翔機!」
「いやあの……身体的ダメージが激しすぎて、さすがの俺もリカバーが追いつかないんですが……」
そこには、地面の上でピクピクと身体を痙攣させる死体の姿があった。
アルテミスはため息をつきつつも、(ちょっと、やりすぎた……?)と翔機の方を心配そうにチラ見している。
「くすくす……本当に面白いお二人ですね。お騒がせしたお詫びに一つ、予言を授けましょう」
「いらないわよ、そんなの……」
「まあ、そう仰らずに。役に立つ予言ですよ。特に――――」
「――【精霊戦争】に参加しているお二人には」
翔機とアルテミスの動きがピタリと止まる。
今までのふざけた雰囲気を吹き飛ばし、立ち上がった翔機と二人で、占い師を正面から見据えた。
「……あんた、何者だ?」
翔機が端的に問い掛ける。
「私はミクと申します。見ての通り、野生の美少女占い師です」
「ふーん。まるで、電子の歌姫みたいな名前だな」
「よく言われます」
ミクが口元だけで余裕たっぷりの微笑を浮かべる。
「だが、それを知る人間が、ただの一般人だなんてあり得ねぇ。お前も戦争に参加しているのか?」
「いいえ。私はまだ、精霊と契約していません。もっとも、今後、そのようになると思いますが」
「なにを……言っているんだ……?」
「私は――未来が視えるんです」
まるで内緒話でもするように、人差し指を唇に当てる。
――未来視。未来を視る異能。
翔機も未来視を自称している。
だが、それは偽りの魔眼だ。
二年生の始まりにあった球技大会でクラスのチームが五試合とも引き分けになり、その勝敗を決めるジャンケンに翔機が参戦。結果、五連勝した。それを翔機が「俺の瞳は……『災厄の魔眼』だったのかーーーっ!!」と大騒ぎしただけのエピソード。
しかし、この少女――ミクは、自身が本物の未来視だと言う。
確かに、そうであれば辻褄は合う。
初対面にもかかわらず、翔機、遊部、アルテミスの名前を言い当てた。
遊部が厳重に管理しているはずのアジトで、秘密裏に交わした会話の内容を全て把握していた。
前者はともかく、後者を他の方法で処理することは容易でない。翔機もそこそこ機械に強い方だが、遊部以上に情報処理能力に長けた人間など、一人も見たことがなかった。
「………………」
相手のペースに呑まれかけていることを自覚する。
この際、ミクが本当に未来視であるかどうかはどうでもいい。
問題なのは、今後の行動だ。
「……ミク。お前は未来視という異能を持っているかもしれないが、現在、精霊と契約はしていない。つまり、戦争には参加していないわけだ。ということは、俺たちに対して戦いを挑むことはない。……そうだな?」
「その通りです」
「それじゃあ……あたし達になにをしようって言うの?」
「……ですから、最初から言っているじゃないですか。私はただ、お二人に予言を授けようと思っているだけですよ。しかも、とびっきり役に立つ予言です」
「その予言とは……?」
ミクは余裕たっぷりの笑みを浮かべながら、水晶玉に両手をかざした。
「予言します。お二人はもうすぐ、『物質型の精霊』と戦うことになる――」
「物質型……?」
翔機が首を傾げる。
隣に視線を投げてみるが、アルテミスも「よくわからない」というような困った顔をしていた。
「……そういえば、アルテミスさんは精霊になって日が浅いんでしたね」
「どれだけあたし達のプライベート情報握ってんのよ……」
「いいじゃないですか。悪用はしませんよ? そこはほら、コンプライアンスってやつです」
「どうだが……」
「こほん。さて、先ほどの件ですが……『精霊』の多くは、基本、アルテミスさんのような人型である場合がほとんどです。ただ……極稀に、『物』自体に魔力が宿り、その結果として精霊化することがあります」
「精霊は『生前の人生を後悔している者』がなるんじゃないのか?」
一週間ほど前に戦った大地の精霊――そのシニカルな笑みを思い出しながら聞いてみる。
「人型の精霊はそうです。ですから、物質型はあくまでイレギュラー。例を挙げるなら、『呪われた壺』や『夜な夜な髪が伸びる日本人形』などがそれに当たります」
「ちょっと。そんな物と契約できるわけないじゃない。だって、契約は……その……」
契約時に翔機の額にキスしたことを思い出したのか、アルテミスが頬を赤らめる。
「もちろんです。本来ならば、『物』と契約することなどできません。ただ……イレギュラーの中にさらなるイレギュラーがありまして……『魂を結び付けることに成功』した場合、それがリンクとなり、結果として契約となり得るのです」
「………………」
翔機とアルテミスは困惑の表情を浮かべた。
話が抽象的すぎてよくわからない。
よしんば話を理解できたとしても、自分達からは行動の起こしようが無い。アルテミスやガイアのように目立つ容姿をしているならともかく、そこら中にある物全てに精霊の可能性があると言われているのだ。探しようが無い。
「仕方ないですねー。ここは私の未来視を証明する意味でも、さらに特別な情報を提供することにしましょう。いいですか? 精霊戦争とは、精霊同士の戦いです。ですから、精霊戦争に参加していない人間や、まして現実世界の物質が、精霊に危害を加えられるわけがないのですよ。極端な例ですが、仮に私が拳銃でアルテミスさんを撃ったとしても、アルテミスさんはノーダメージでしょうね」
「………………?」
まだピンと来ていないらしいアルテミスが小首を傾げる。
その隣で、翔機は漠然とその続きを悟った。
……嫌な予感がする。
翔機の嫌な予感はとてもよく当たる。
『災厄の魔眼』は、見たくもない災厄を強制的に予見する。
「ほら。最近、ありませんでしたか? アルテミスさんを傷つける、古い日本刀とか――」




