チャンス1. 幼馴染との同棲
「さあ、カナ! 待ちに待った、今日のお土産の時間だ! まずこっちは、ゾンビになった主人公が魔法少女にもなって、たくさんの美少女に囲まれるお話! そしてこっちが――ダークネスにトラブるお話だ!!」
「いやっ! 助けて、お姉ちゃん!」
「はーいはい。怖かったわねー。あんな気持ち悪い変態の言うことなんて無視して構わないからねー」
「だ・か・らっ! どうしてカナは、俺よりもアルテミスの方に懐いてるんだよ!?」
この町で一番大きな病院。
その最上階にある『決して患者が退院しないフロア』の病室からは、今日も場違いなほど明るい声が聞こえていた。
「いや、本来これが普通の反応なのよ。なに、その本? それが思春期真っ只中の、十三歳の少女に贈る本?」
「ああ、その通りだ。……しかし、改めて考えてみれば、少しばかりチョイスが甘かったかもしれない。叶の記憶がリセットされた以上、ちゃんと順を追って、まず生徒会で駄弁るハーレム王の話から薦めるべきだったかも――」
「ダメだ、こいつ……」
アルテミスが顔を覆った。早くなんとかしないと、とは続けない。
なぜなら、アルテミスは中二病ではない。それ以前に、人間ですらない。
財宝のように輝く銀髪と足下の銀のサンダルが示す通り、彼女は『銀の精霊』だ。本来ならば幻想的なドレスに身を包んでいることが多いのだが、日中は目立つので、某百合趣味少女から貰い受けたカーディガンとスカートを身につけている。
そんな彼女の呟きを無視し、翔機は一度病室を出て……すぐにまた扉を開くと、声高に宣言した。
「みんな大好き! みんな付き合って! 全員まとめて俺が幸せにしてやるから!!」
「恥を知りなさいっ!」
「まんだむっ!?」
アルテミスの銀色パンチが光り、翔機が対面の壁へとめり込んだ。
「お姉ちゃん……あの人がわたしのお兄ちゃんって、ほんとなの……?」
「嘘よ。大丈夫。叶ちゃんはあんな変態とはなんの関係もない、普通の女の子よ」
「待てぇぃ! そこだけはちゃんと真実を伝えてもらえませんかねぇ! 他人扱いされたら、マジで俺のライフがもうゼロよ状態になっちゃうんで!!」
翔機が壁から抜け出し、涙ながらに懇願。
アルテミスは深いため息をついた。
「仕方ないわ……。現実を見ましょう、叶ちゃん。非常に言いづらいことだけど……あの人間のクズは、あなたの兄にあたるゴミなの……」
「お姉、ちゃん……」
「でも、大丈夫。叶ちゃんがもう少し大きくなったら、あんな変態とは絶縁できるから。だから、一緒にがんばろ? 辛いことに耐えた後、必ず幸せはやって来るわ。神様が見てくれているから」
「……! うんっ! わたし、がんばる! がんばって、お姉ちゃんみたいに強くてキレイになる! それで、あんな人とは縁を切るの!」
「き、キレイって……。うん。がんばろうね、叶ちゃん!」
アルテミスが少し照れながら、叶の頭を撫でる。
叶もくすぐったそうに笑っていた。
「……あの、非常に幸せそうなシーンではあるのですが、今現在進行形で超絶辛い体験をしている俺も、未来の幸福は約束されているのでせうか……?」
「結論から言うわ。……ないわね」
「なんでだよっ!」
「変態は人間にカウントされないのよ。神様だってそっと目を逸らすわ」
「逸らすなよ! 見守ってくれよっ! くそぉ……! そこまで言うなら、もう怒った! こうなったら、アルテミスと叶、二人の美少女パラダイスにダイブしてやるぜ!! 今だ、チャンス――!!」
言うが早いか、翔機はベッドの端に腰掛けているアルテミスとベッドの上で起き上がっている叶の二人を抱きしめる格好で飛びついた。
「ひっ――」
悲鳴を上げている叶に若干傷ついていたものの、日々のスキンシップは欠かせない。『愛してる』は言葉と行動で示さなければならない、という信条は今も変わっていなかった。
……が、しかし。
「いい加減にしなさいっ!」
「へぶんっ!?」
当然の如く、アルテミスのクロスカウンターが突き刺さった。
吹き飛ばされた翔機は、再び病室の壁と熱烈な抱擁を交わす。
「あのー……たとえ変態でダメなゴミの人だったとしても、あんな風にしたら死んじゃうんじゃ……」
「大丈夫よ。変態は丈夫だから」
「そ、そうなんだー。なら、よかったー」
ほっと胸を撫で下ろす叶。
当の翔機はボロボロで、瀕死の重症だった。
その後もしばらく賑やかにじゃれあった後、面会終了の時間をもってお開きとなる。
「じゃあ、叶ちゃん。また来るからねー」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「カナ! おにーちゃんも、また来るからなっ!」
「…………」
「露骨に嫌そうな顔すんのやめてくれます!?」
そこで叶とアルテミスが笑って、病室の扉を閉めた。
翔機とアルテミス、二人そろって病院の出口へと向かう。
「……ありがとな、アルテミス。お前がいてくれて、ほんと助かった」
「……べつに。あたしは、なにも……」
「ほんとだって。お前がいてくれなかったら、どう叶と接するか悩んでたところだしなー」
「…………」
あっけらかんと言い切る翔機に、アルテミスが沈黙する。
翔機が、最愛の妹・叶の記憶をかけてガイアと戦ったあの夜から、一週間が過ぎた。
アルテミスと共に非日常の世界へと飛び込み、そこで強大な敵を倒すことには成功したものの……アルテミスは未だ神になれていない。
結果、最悪のタイミングで記憶を失った叶は、今も翔機を自分の兄と認識できないまま、空っぽの毎日を送っている。
当初、翔機は叶との接し方について大変苦悩したのだが……結局、今まで通りに接することを選んでいた。それが一番、叶にとっていい在り方だと思ったから。
……当然、その方法をとった際の自分への痛みは、微塵も考慮されていない。
「そんな表情すんなって。お前が神になって願いを叶えてくれりゃ、叶の記憶は戻るんだ。ちょっとばかり時間はかかっちまうかもしれねーけど、当初の計画通りだ」
「……違うでしょ」
ぽつりと呟き、翔機の横顔を盗み見る。
長い前髪を無理矢理撫で付けているせいで目元は窺えない。ただ、口元は笑っていた。
ウソツキ、とアルテミスは思う。
この状況で一番傷ついているのは、他でもない翔機だ。
記憶を失くした叶も日々に恐怖を感じているだろうが……翔機の傷はそれ以上。唯一と言っても過言では無い心の拠り所を失ったのだ。あの陽だまりのような笑顔がなければ、翔機は過酷な現実と戦えない。
それでも、この一週間、アルテミスは一度も翔機の泣き顔を見なかった。
一度も、弱音を聞かなかった。
それを尊敬すると同時に……ほんの少しだけ、淋しくも思う。
「……ほんとは、妹さんが記憶を失う前に願いを叶える計画だったでしょ」
「計画が狂うなんて世の常だ! だが、そんな風に寄り道してこそ、人生の醍醐味が味わえるのさ! そう! 不幸は……味わうもんなのさ……」
「毎度、そのドヤ顔がムカつくわ」
「今回は俺のオリジナル名言なのに!?」
いつものやりとりで、ようやくアルテミスに笑顔が戻った。
これでいい、と翔機は思う。
美少女に悲しい表情は似合わない。少しでもそんな表情を浮かべたら、すぐに吹き飛ばしてやるぜ――と、そんなことを考えて、ふとデジャヴに襲われた。
確か以前にも、こんな風に思ったことがあったような――
「み、見つけた! 翔ちゃん!!」
「んー?」
「ひいっ!」
病院から公道に出た直後、凛とした声が上がった。その声の主を特定できた翔機はのん気に、アルテミスは悲鳴を上げて振り返る。
そこにいたのは、一人の巫女さんだった。
巫女さん……としか言いようがない。赤と白の簡素すぎる袴衣装、俗にいう巫女服を身に纏い、長く艶やかな黒髪は後ろで一つ結びにしている。
それだけなら日本の古都にふさわしい出で立ちだと和むのだが――腰には立派な日本刀を帯刀しており、二つの目は獲物を狩るヒョウのような殺気に満ちていた。
「この泥棒猫っ! まだわたしの翔ちゃんを誑かしていたのね!!」
「おー、神楽ー。久しぶりー」
「……あ。お、お久しぶりです、翔ちゃん……。ご、ごめんね? 最近、ちょっと実家の用事が忙しくて、あんまりお世話できなくて……」
「いいって、いいって。こっちもちょっと忙しかったし」
「こっち、も……? 翔ちゃん、もしかしてもしかして、あり得ないとは思うんだけど、わたしがいない間、ずっとこの女と……?」
「あー、うん。まぁ、一緒にはいたかな」
サーっと神楽の顔から血の気が引く。
同時、アルテミスの顔からも血の気が引いた。
「しょ、翔機! あんたは、どうしてそう誤解を与えそうな言い方するのっ! そんなにあたしを殺したいわけ!?」
「いや、『精霊戦争』のこととか気軽に話すのはまずくない? ……あと、美少女二人が俺を取り合って嫉妬のケンカとか……ちょっとこう、いい感じ」
「バカぁっ! あんたのその変な趣味のせいであたしの命が――ひいっ!?」
アルテミスがぎょっとしたのは、神楽が腰に携えた日本刀を抜刀したからだ。
「うふ……うふふ……。大丈夫。わかってる。わかってるから。翔ちゃんは、全然悪くないの……。わたしがいなくて、ほんのちょっとだけ、家事とかに困ってたんだよね……? うん、大丈夫。わたし、わかってるから。だから……だから――その隙をついてわたしの翔ちゃんに手を出そうとしたその女が、全部悪いんだぁぁああああっ!!!」
「きゃぁぁああああああ!!?」
鬼のような目をして襲い来る神楽がよほど怖かったのか、ガイアとの戦闘でさえ聞けなかったアルテミスの悲鳴が響いた。
直後、アルテミスは霊体となり、人類の視界から消える。
「おー。さっすがアルテミスー。銀の精霊サマサマだねぇー」
『のん気なこと言ってないで助けなさい! あの子には、霊体化なんて全然効果を為さな――』
「悪霊退散! 翔ちゃんにくっつく悪い虫はわたしが退治しますっ!」
言うが早いか、神楽が懐から取り出した和紙のようなものを投げつけると、霊体となっていたアルテミスが実体化した。
「きゃっ、きゃぁ~~~~! 来ないでーーー!」
「わたしの翔ちゃんにちょっかい出そうとした悪い女は、八つ裂きにするって決めてるの!!」
「いやー。俺を取り合って二人の美少女がケンカするとか、マジ主人公冥利に尽きるわー」
「突っ立ってないで助けなさいよっ、この脇役っ! あたしの自慢の肌に刀傷でもできたら、後で千回はぶん殴ってやるんだからっ!!」
「やめるんだ、神楽! 俺の命が危ない! 主に撲殺的な意味で!!」
神楽の注意は全てアルテミスに向いていたようで、簡単に背後をとることができた。
翔機はそのまま、神楽を羽交い締めにする。
「しょ、翔ちゃん……。そんな……こんなに明るい内から、大胆すぎだよぅ……」
「悪いな、神楽……許せ」
「うん。許す。わたし、翔ちゃんには全部許してるから。だから、今から婚姻届とりに行こ……? それで、式はわたしの神社で挙げて……それから先、翔ちゃんはもう、一歩も神社の外に出なくていいの。ごはんもおフロもおトイレも、全部わたしがお世話してあげるから。大丈夫だよ……? 翔ちゃんは何にも気にせず、ただお部屋にいてくれればいいから……」
「くっ……なぜだ! 手が勝手に緩んでしまった! すまん! アルテミス!!」
「こぉんの、裏切り者ぉーーーーー!!」
だって監禁生活とか超怖い。男の子だもん。とか翔機は思っていたが、神楽のバッドトリップは終わらない。そのまま独り言をぶつぶつと呟き続けている。
翔機は可能な限り聞かないようにしていたが、途中途中で『手錠』とか『猿ぐつわ』とか『目隠し』とか『綿棒』とか(もはやそのタイミングで綿棒が出てくることすら怖い)……不穏な単語が放流され続けている。
さすがの翔機も、このままではハーレムどころか流血バッドエンドしか見えなくなりそうで肝を冷やす。
「くっ……こうなったら、仕方ない……!」
「ど、どうすんのよ!? ていうか、なんでもいいから、なんとかしてぇー!」
「聞けぇっ、神楽ぁっ!」
翔機が大声で呼びかけるが、その程度で神楽の酩酊状態は止まらない。
しかし、翔機がぐいっとアルテミスの肩を抱き寄せたところで、ピタリと呪詛のような未来祈願が止まった。
「俺はこのアルテミスと、イチャイチャ☆同棲生活をしているんだーーーっ!!」
「「…………………」」
スベった感は否めない。
だが、その宣言はさすがの神楽にも精神的ダメージを与えたようで、ゆらりと後ろによろけた。
「ちょ、ちょっと翔機! マズいんじゃないの、これ! そんなこと言ったら、余計あたし、殺されるんじゃ……!(小声)」
「い、いやだって、仕方ないじゃん? あのままだと俺、おしゃぶりを咥えさせられて綿棒であんなことに……!(ガクガクブルブル)」
「だからってこれじゃあ、今この場で二人とも殺されちゃうんじゃ……ひぃっ――!」
ユラリ、と幽鬼のように神楽が起き上がる。
二人は抱き合うようにしてブルブルと震えていたが、その様子すら神楽には仲良しアピールに見えてしまう。
果たして。
アルテミスが自分よりも翔機と仲良くしている事実を認識した神楽は。
「うえーーーん! もうやだーーー!! わたしも翔ちゃんと一緒に住むぅーーー!!」
と、公衆の面前で子供のように泣き出した。
「「……………………」」
二人はしばらく、神楽の発言意図が分からず茫然としていたが。
「「な、なんですとーーーーー!?」」
意味を理解すると同時、二人で絶叫した。
■
――同棲生活。
それは、健全なる少年男子みんなの夢だ。
しかもその相手が『巫女さん幼馴染』ともなれば、「それ、なんてエロゲ?」とツッコミを入れたくなるほどの主人公状態と言えよう。
「それなのに……なんなんだろうね、この迸る『コレジャナイ感』……」
時刻は午後七時。
日曜日のこの時間帯は、俗にいう『サ○エさん症候群』なんかも流行っている頃合だが、翔機のボロアパートにはそんな憂鬱な気配など一切無く、むしろ騒がしさの坩堝だった。
「さあ、翔機! 三本目の『お部屋限定☆掃除バトル』は、今度こそあたしの勝ちでしょう!」
「いや、アルテミス……。小さなホコリを払うために鉄拳をお見舞いしたら、掃除機さんもびっくりするほど他のホコリが舞い上がるんだが……」
ちなみに、狙いを外した拳によって、壁の破片もあちこちに散らばっている。
むしろ、掃除以前の方が綺麗だったほどだ。
「ふふーんだ。そんなお掃除スキルで翔ちゃんと同棲する資格なんてありませーん! 翔ちゃん、見て見て!」
「お、おう。さすが神楽。確かに台所と押し入れ回りは片付いてるな……」
「えっへん。わたしは翔ちゃんのためだったらなんでもするよ! だから、翔ちゃんのためを思って、押し入れにあった『いかがわしい本』は、全部燃えるゴミに出しておきました!」
「やめてぇぇえええええええ! 俺のお宝がぁぁぁああああああ!!」
翔機が泣きながら突っ伏す。
対する二人は「また引き分けか……」と、次なる対決を待ちわびるようにバチバチと視線で火花を散らしている。
「ちょっと待つんだ、二人とも。状況を整理しよう。そもそも、なんで二人は争っているんだっけ?」
「そ、それは……どちらが翔ちゃんのお嫁さんとして相応しいか決めようと……」
神楽が人差し指をこねくり回しながら赤面する。
その仕草だけならとっても可愛いのだが、『お嫁さんになる=監禁生活の開始』という図式を知っている翔機は、背筋に冷たい汗を流した。
対して、アルテミスはぷいっと横を向く。
「……家事スキルであたしが上回れば、その子が出て行くって約束したからでしょ。まぁ、これまでは全て引き分けのようだけど」
「引き分けじゃない! 勝者はいなくとも敗者はいる! そしてもちろん、その敗者とはこの俺! 主人公・今田翔機さんだっ!!」
「なによ、この脇役。ハレンチな本の一冊や一万冊、無くなったって大したことないじゃない。むしろ、あたしが寝起きしている部屋にこれまでそんな本があったこと自体、許しがたいわ」
「だから最低限のマナーとして隠してたんじゃないかよぉーーー!」
「だ、大丈夫です、翔ちゃん! あんな本は必要ありません! そ、その……翔ちゃんのしたいことは……全部、わたしが……」
「この変態っ!!」
「おれわるくないっ!?」
アルテミスの銀色パンチで翔機がユニットバスにホールインワン。
二人が勝負を始めて以来、ずっとこんな調子だった。
「むぅ……こうなったら仕方ありません! 最終勝負だよ! 女と言ったら家事! お嫁さんと言ったら手料理! 翔ちゃんにごほんを作って、「おいしい」って言わせた方が勝ち!」
「ふふん。いいわ。望むところよ。ようやく決着が着きそうね。先攻は譲ってあげるから、あんたから調理するといいわ」
「……後悔しないことね……!」
アルテミスの挑発を真正面から受けて、神楽がキッチンへ向かう。
キッチンと言ってもボロアパートの翔機の部屋なので、簡単な流し台と一口のコンロがあるだけなのだが……。
「……おい、アルテミス。お前、料理なんてできるのかよ……?」
浴室を血に染めた翔機が、さすがのタフさで復活しつつ尋ねる。
ちなみに、ユニットバス内は入念に洗浄・清掃してある。皮肉にも、この中で最もお嫁さんスキルが高いのは翔機だった。
「結論から言うわ。……できないわね」
「できないのかよっ! まぁ、薄々そうかなとは思っていたけど……」
これまでの家事対決を見る限り、アルテミスが家事をできる気配は一切ない。
別に、不器用だとか、家事のセンスがないとか、そういう問題ではない。単純に、これまでそういうことをしたことがないらしい。……精霊だから、ある意味当然だが。
「でも、安心しなさい。次の勝負で決着がつくわ」
「なん……だと……!?」
「なにその大げさなリアクション……。……とにかく、今度の料理勝負は、翔機が「おいしい」って言えばいいんでしょ? なら、あたしの出した料理がただの石ころだったとしても、あんたがそう言えばいいだけじゃない」
「待てアルテミス! 石ころは料理とは言わないっ!!」
翔機にとっては珍しく、心底焦ったツッコミを入れる。
それもそのはず。これまでのアルテミスの家事スキルを鑑みるに、石ころを大気圏までぶっ飛ばして『石ころのステーキ~メテオストライク風~』なんてものを制作しても全く不思議ではなかった。如何に中二病の翔機と言えど、そんなものを口にすれば一発でお陀仏だ。
「……なによ。じゃああんたは、あたしより、あのヤンデレ巫女と同棲したいわけ?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
アルテミスのジト目を受けて、翔機がポリポリと後ろ頭を掻く。
時当神楽。日本の古都である、この町に住む巫女さん。
家柄は抜群。本来、翔機など近寄ることすら許されないような由緒正しい神社の娘さんらしい。もっとも、翔機にとっては偶然町で再会した、黒髪ロングで日本美少女の幼馴染でしかないのだが。
家事スキルも今のところ、度が過ぎる部分に目を瞑ればかなりのものだし、ヤンデレでさえなければモテモテだろうなー、と翔機はぼんやり思う。某百合趣味小学生に言わせれば、そこさえも神楽の魅力なのだろうが。
翔機は改めて、料理をしている神楽の容姿を見てみる。
艶やかな黒髪。日本人らしい雪肌。しかしそのプロポーションは日本人離れしていて、出るところはびっくりするほど出ていて、引っ込むところはびっくりするほど引っ込んでいる。
うーむ……あの大きさは、下手すればG……いや、H……I……などと考えていた頃に声がかかった。
「できたよー、翔ちゃん」
神楽がニッコリ笑顔で料理を給仕してくれる。
このシーンだけ見れば、日本人男性の実に百パーセントが神楽をお嫁さんにしたいと思うだろう。……このシーンだけ見れば。
「じゃあ次は、あたしの番ね」
交代でアルテミスがキッチンへと向かう。
「翔ちゃんへの愛情をたっぷり込めて作った、ガトーショコラです!」
「おおっ! うまそーだなー! そういや、日本食はよく作ってくれるけど、洋風のお菓子は初めてだな」
神楽はこれまでも何度か手料理を振る舞ってくれており、その腕前は折り紙付きだ。
今回のガトーショコラも高級洋菓子店で売っている商品のようにキレイな盛りつけだった。
「んじゃ早速。あーん。もぐもぐ……おおっ! うまいぞぉーーー!!」
「よかったぁ~。隠し味をたっぷり入れたから……かなっ♡」
「そうなのか? うーん、なんだろ……? チョコレートだし、ブランデーとか? でも、お酒の風味はしないなー……」
隠し味を探すように、舌の上でチョコケーキを転がしてみた。それでも、チョコ以外の味は中々見つからない。
その時ふと、神楽の左手が包帯に包まれているのに気づいた。
「……ん? 手、怪我したのか?」
「え? 違うよー。これはちょっと、隠し味を入れすぎちゃって……」
「………………」
嫌な予感がした。
翔機の嫌な予感はとてもよく当たる。それこそ未来予知クラスに。
もう一度、口内のチョコレートの味を確かめる。軽い食感。チョコレートの甘い味。そして……微かな 鉄 の香り。
そういえば、人間の血液って鉄分が多量に含まれているんだよなーと、どこか遠い目をしながら翔機は思い出した。
「どうしたの翔ちゃん。そんなに泣いて……。泣くほどおいしいの?」
「ああ、うん……。おいしいよ……。ほんと、神楽の愛が伝わりまくって……。うん……ほんと、愛がいっぱいで抱えきれないくらいだ……」
「そ、そんな。照れるよー。翔ちゃんったらぁ……きゃっ♡」
神楽が両頬を抱えてはにかんだが、涙は止まらない。美少女に愛されて涙する日が来るとは、さすがの翔機も予想だにしていなかった。
「さあ、こっちもできたわよ!」
そして、翔機の涙が枯れ尽くしたかと思われた頃、アルテミスが料理をサーブする。
「まあ。もう翔ちゃんはわたしの料理でお腹いっぱいよ。どこぞの泥棒猫が作った料理なんて、食べる余裕ないわよねー?」
「くっ……! いちいち癇に障るわね、この娘……!」
アルテミスが笑顔で青筋を浮かべながら、料理を翔機の前に置いた。
「こ、これは…… 白 米 っ!」
そうとしか表現できなかった。
まず器からして茶碗や皿ではない。炊飯器だ。炊き上がった米をそのまま提供するという斬新さでもって、翔機の目の前には炊飯器が『でん!』と置かれている。
中身も炊き込みご飯のような類ではなく、完全な白。完全に米のみ。これを白米と呼ばずして、なにを白米と呼ぶだろうか。
「ふふふ……。あたしは学んだわ。この勝負には――必勝法があるの!」
「なん……ですって……!?」
神楽が無駄に戦慄する。
翔機は、前もって「おいしいと言え」と脅迫されたことを暴露するのではないかとヒヤヒヤしていたのだが……どうもそれとは別件らしい。
「これまで何度か戦って、引き分けて……ようやくあたしは気付いたの。あたし達は、やりすぎだったんじゃないかって。自分達の都合を、翔機に押し付けていたんじゃないかしらって」
「…………!」
「そう。翔機はきっと、そんなことは望まない。このアホで変態で中二病な脇役が望むことは、到底現実にいないような都合のいい女――すなわち、二次元の美少女による、二次元っぽい奉仕よっ!!」
「な、なんですってっ!?」
神楽が悲痛な表情で頭を抱える。
いや、ちょっと……なに言ってるか分かりませんね。
「すなわち、二次元っぽい女の子とはあたし! そして、二次元っぽい奉仕とは……翔機が望む、翔機の都合に合わせた奉仕! その結果がこれよっ!」
と、自信満々にアルテミスが炊飯器を指し示す。
「で……でもでも! わたしだって翔ちゃんが大好きな巫女さんだし! それに、白米が翔ちゃんの大好物だなんて、そんなこと――」
「ちっちっち。甘いわね。この場合、提供する料理は、翔機の好物である必要はないの。なぜなら――翔機が今この場で求めている料理とは……『普通』の料理だからよっ!!」
「「――――っ!!」」
神楽と翔機に、電流走る!
「な、なるほど! 考えたな、アルテミス! そうだ、その通りだ! 俺はただ、普通に! 普通の料理が食べたかったんだ!!」
「ふふっ。もう短い付き合いってわけじゃないんだし、あんたのことくらいわかるわよ」
「アルテミス……」
もう枯れ果てたと思った涙が、再び翔機の両目から溢れる。
翔機は感動していた。事前に打ち合わせした「おいしいと言え」という脅迫は、あくまで保険だったのだ。そして、本命がこっち。
「そ、そんな……。わたしが、翔ちゃんの理解度で負けるなんて……」
神楽がガクリと膝を崩す。
そんな神楽へ、アルテミスは優しく声をかけた。
「あなたの愛情は本当にすごかったわ。……うん、ほんと。びっくりするくらい。……でも、愛は一方通行じゃダメなの。どんなに一生懸命隠し味を入れても、相手がそれを嫌がったんじゃ意味はない。ちゃんと翔機のことも考えないとね」
アルテミスに諭され、神楽もそっと涙を拭う。美しき女の友情だ。
「さあて、それじゃ、実食に移るぞ。つっても、もうアルテミスの勝ちは確定したようなもんだけどな! あとこれ、塩くらいかけてもいいだろ?」
「もちろん、いいわよ。あんたのことを想って作ったんだ、し……」
最後のセリフはちょっと恥ずかしかったのか、アルテミスは頬を朱に染めて横を向いてしまった。
その仕草だけで炊飯器一杯くらいのごはんは行ける気がした翔機だったが、一応塩を振って箸を持った。
「では――いただきますっ!」
少々行儀が悪い気はしたが、箸でごはんを掬うと、そのまま口へ運ぶ。
長かった戦いもこれで終わりだ。普通においしいご飯を食べて、日常へと戻ろう――そんな思いでアルテミスお手製のごはんを口にした。
「……………………」
「…………ど、どう? おいしい?」
恥ずかしそうにチラチラとこちらを見るアルテミス。
それだけでごはんの味が何倍も美味しくなりそうな気がしたが――念のため、本当に念のため、翔機はこれだけ確認しておくことにした。
「……なあ、アルテミス。ごはんを炊く時の工程って、知ってる?」
「……は? 当然じゃない。だからこそ、今、目の前に炊き立てのごはんがあるんでしょ?」
「いや、うん……そうなんだけど。一応、言ってみてくれるかな?」
「いいけど……。まず、お米を洗うでしょ?」
「はい、ストップ。そこ、正確にはお米を『研ぐ』って言うのが日本独特の表現なんだけど、どうして今『洗う』って言っちゃったのかな? いや、単なる表現の違いだと嬉しいんだけど」
「いや、あたしに日本語の細かい使い方を指摘されてもわかんないけど……とにかく、どんな食材だって最初は汚れてるんだから、洗う必要はあるじゃない」
「うん、そうだよね。……で? どうやって洗う?」
「だから、 洗 剤 で――」
もう無理だった。
翔機の身体が全ての器官を使って異物を体外へ排出しようと必死だった。
翔機は堪らずユニットバスへと飛び込み、絶賛リバースのエチケットタイムに突入した。
残されたのは、意味がわからず「?」を浮かべるアルテミス。ぽかーん顔の神楽。
そうして、長い長いエチケットタイムから生還した翔機は――二人の顔を見るなり、イイ笑顔で親指を立てて感想を述べた。
「うまかったぜ、アルテミス!」
「「嘘だっっっっっ!!!!!」」
奇しくも、一般人であるはずの美少女二人が、某所で有名なフィクション作品のセリフを叫ぶことになった。