激闘
静かなエレベーター内部は長時間乗っていても不自由無く、快適に過ごせるよう作られている。ちょっとした休憩スペースのようなものだろうか。ソファーや鏡、小さな観葉植物、テレビやオーディオ、飲料販売機まで備え付けられている。そんな至れり尽くせりの空間も逆に居心地が悪く、エリファはソファーの隅っこに座っていた。
エレベーターに乗り込んでから10分少々経過しただろうか。インカムデバイスに本部からの通信が入った。静けさに慣れていた分、突然入った通信にエリファは竦み上がった。
『ハロー、エリファ。待ってましたよ大本命! やっと覚悟が決まったみたいね』
聞こえてきたのは、陽気なアオイの声だった。
「い、いざそう言われると……困るんだけど。……うん。でも、大丈夫だと思う」
『そう。こっちも大丈夫よ。グラウなら今ちゃんと治療してるから安心して。あの男ちょっと張り切り過ぎたわね』
バイザー状ディスプレイには、アオイのほくそ笑む姿が映る。
『もちろん、エリファを信じているからこその行動だろうけど』
「そう、なのかな?」
『そうよ。……あれ、エリファは違うの?』
「そんな事ないよ。信じたから、ここにいるんだもの」
『まぁ〜いいお話ね。羨ましいくらいだわ。あんた達の関係って理想よね。そうやって信じ合う事ができれば、人間、争いなんてしないわよ』
「……それが、グラウの願い」
『そうなんでしょ』
世界を変えるのは、信じ合う事なのだろうか。しかし、現実は程遠い。求められる力を持つ故の定めが、重くのしかかる。
「アオイは、信じてる?」
『え、私? それを私に聞くだけ野暮ってもんよ。基本的に男は信用してないからね。エリファも一応覚えておきなさい。お姉さんからの忠告よ。昨日のも最悪だったわ。あまりにムカついたからやけ酒したのよ』
「……。あぁ、アオイがよくやってる、犬も食わないお見合いの事?」
『どんな解釈よ! 合コンよ合コン! まったくもう、グラウの入れ知恵ね? ……まぁ、それはそれとして。信用したのに裏切られたら、私に言いなさい。力になってあげるから。あ、なんだったら、私の武勇伝でも聞く?』
「えっと……やめとこう、かな?」
『あらそう。残念』
滔々(とうとう)と続いていたアオイの言葉がようやく途切れる。再び矢継ぎ早に始まらない事を願いつつ、
「アオイって、いつも元気だよね」
『エリファが悩み過ぎなだけよ。私には『明日はきっと明るい日』って座右の銘があるからね』
「明日はきっと、明るい日?」
『そうそう。明日は明るい日。そう思えば、それは誰にも平等に訪れるんじゃないかってね。もちろん、エリファにとっても』
まるで耳元に吹き掛けられた吐息のように、アオイの語り口は優しかった。
『後悔はせずに、明るい明日にひたすら向かってみることもたまには必要よ?』
「……うん」
『まぁ、これも信じる信じないは自由だけどね。……あっと、いけない。上の状況を説明しないと』
「あ、うん。お願い」
直ぐさま、バイザー状ディスプレイにはステーション内部の状況が表示されていく。戦闘データ、キメラの数と種類、施設の状態、被害のレベル、ネウロンからの干渉数値など。それらを1つ1つ、確認していく。
『じゃ、まずゼーンや警備隊だけど−−』
明日は、明るい日。
エリファは様々な思いを胸に、その言葉を反芻した。
信じる者は救われる。もちろん、そんな空虚の言葉に縋ろうと思ったわけではない。
そうではなく。
(明日に向かおうとする、意志)
独りごちて、左手をひしと握り締めた。風が、追い風になっていく。
たどり着いたセクション4の中央フロア。予想以上の状況に、ゼーンは思わず眉をひそめた。戦闘により至る所が破壊され、照明は非常灯だけが何とか点灯していて薄暗い。残り3体となっていたOBISの反応は2体になっていたが、その代償は小さくない。
「これじゃ、レールガンの制限意味無いんじゃねぇか?」
そんなツッコミも、場の空気を和ませる役には立たない。OBISの反応が減る毎に、凝縮し濃密になっていくその気配はより明確になり、この一帯の雰囲気を重苦しくさせている。
そして、それに比例しているかのように、戦闘は激化していた。
ゲート側から響き渡る戦闘の轟音はワイバーンの咆哮と共鳴し、やまびこのように中央フロアを駆け抜けていく。
(来るか)
耳を塞ぎたくなるような轟音と咆哮の源が近付くにつれ、ようやくその姿が確認できるようになった。その距離、約200メートル。
戦っているのはミリアだった。彼女は足りないリーチと非力さを補う為に、身の丈よりも長い槍状の武器を使う。それは別の欠点となる可能性すらあるが、小柄な体はまるで槍を中心に舞っているようで、むしろ動きは機敏だ。
だが、さすがに相手がOBISではその動きにも鈍さが目立つ。まだ戸惑いがあるのかもしれないが−−いや、違う。明らかにワイバーンの動きが変わってきている。
(ワイバーンのスピードが上がってるんだ!)
確信するが早いか、ゼーンは渦中へと飛び込んだ。
『STインストール。NBM−−超微人工細胞素子−−スタビライズLV4にシフト』
軽くなった体が、ワイバーンに吸い寄せられるように動く。拙攻を続けているミリアに、ゼーンは叫んだ。
「ミリア、下がれ!」
「ゼーン!?」
OBISを超えているであろう速度で、ミリアとの間へと割り込む。そのまま身を屈め、一気にワイバーンの懐へと潜り込んだ。
『PTインストール。NBMスタビライズLV3にシフト』
速度に力を上乗せし、ゼーンはワイバーンの真下から黄土色の腹部へ右の拳を振り上げた。鱗程ではないものの、柔らかくはない皮膚が僅かに歪む。ゼーンは浮き上がった巨体にレールガンを向けた。
「このぉっ!」
引き金を“長く”引く。
モードが切り替わり、セミオートで3発のアルミ製金属弾が連続発射された。至近距離の為、発射と着弾はほぼ同時だった。その威力は更にワイバーンの巨体を浮上させたが、ようやく腹部に小さな穴を開けたに過ぎない。だが弾は確実に体内へと達していて、内臓へのダメージは尋常ではないだろう。ワイバーンから呻き声が上げる。
『TTインストール。NBM/組織変成制限(TML)解除』
時間が経てば回復するような傷ではないだろうが、戦闘が長引けばそれだけ反撃の隙を与えるだけだ。ゼーンはワイバーンの動きに警戒しながら、畳み掛けた。
ワイバーンを追って跳躍し、定形を変えながら稲妻を帯びる右手をレールガンによってできた傷口目掛けて突き上げる。突き刺さった長剣から放たれる電撃が体内を焦がしていく。そして、苦痛に暴れ狂うワイバーンの呻き声が金切り声に変わった。
「くっ、くぉのぉ!」
しぶとくもがくワイバーン。しかしその生命反応はすでに消えかかっている。巨体に押し潰される前に、ゼーンは床にワイバーンを叩き付けた。それでも、仰向けの状態からまだ起き上がろうとする力は残っているらしい。不気味な程の生命力に身震いが襲う。
「いいから眠ってろ!」
仰向けのワイバーンの上に着地すると同時に、再び右手を腹部へと突き刺す。一瞬の閃光。その後、燻る臭いが漂うなか、ようやくワイバーンは絶命した。
「……はぁ、はぁ」
剣を引き抜いてから定形を戻し、ゼーンは黒い煙の立ち込めるワイバーンから飛び降りた。と、
「あ、あれ?」
着地に耐え切れず、足が力無く折れる。どうやら戦闘時間や内容から把握できるもの以上に疲労があるらしい。ちょうど正座のような恰好のまま、ミリアを迎える事となった。
「だ、大丈夫?」
「まぁな」
差し出されたミリアの手を掴み、ゼーンは立ち上がった。
「このキメラ、いったい何なの? 普通じゃないよ」
「だからぁ、OBISだって言ったろ?」
酸素が不足しているせいか、声を上げるだけでも目眩がする。人間の運動量の30倍にも耐え得るよう機能するはずの体でも、その運動量が尋常でなければつまるところ結果は同じなのだ。そして原因はそれだけではないだろう。残り1体となったOBISの不条理な反応が気分を滅入らせる。
「言ったっけ、そんな事」
「言ったよ」
目頭を押さえ、呼吸を整えながらゼーンは言った。だが、落ち着けない。同じセクションでのOBISとシュウの戦いは、予想通り激化している。恐らく、警備隊隊長のシュウであっても、もう余裕は無いだろう。
「さて、シュウの援護に行くか」
「話をはぐらかすなぁ! 教えてよ、その『おびす』とかってのを」
お菓子をねだる子供のようにじだんだを踏むミリア。溜め息も程々にゼーンは渋々頷いた。しかし、のんびり説明する時間などない。手招きしながら、シュウの反応を追うようにゼーンは駆け出した。
「O、B、I、Sで、オヴィス。あれは……」
有機増幅干渉同調体−−略称OBIS。より高精度の制御と戦闘を可能とする為に強化されたキメラがそれである。第三次世界大戦末期、反連合政府同盟がハイブリッドの干渉インターフェースを応用しハイブリッドとの決戦に投入した。だが、期待とは裏腹にその戦果は芳しくなかった。記憶を辿り、アニマは語り始めた。
「その事由は明確だ。コントロールする者が無能ならば、役される物も陳腐な道化でしかない。……無論、そんな人間が人間を御する事など叶うはずもないのだ。今更、有象無象に説き伏せたところでどうという事もあるまいがな」
支配の恍惚感に浸っていたアニマは、淡々と語りながら、口元の笑みを更に大きくした。
「エリファ、今一度よく考える事だ。真に忌むべき、憎むべき存在を。……大戦では多くのハイブリッドが死んでいった。さて、それは必要悪だとでも言うか? いや違う。あれは人間の単なる怠慢に過ぎない。そうは思わないか?」
かぶりを振り、アニマは返ってくるはずのない答えを待たず、嘆息して続けた。
「エリファ、まさかお前は……いや、そうでなければ来るはずはないか。面白い。ならば思い出させてやろう。私やお前が何の為に存在するのかをな」
皮肉に顔を歪めて、アニマは遍く意志を1つに紡いだ。
意志は、力となる。
戦闘によって濁った空気。
もしかしたら換気機能が停止しているのかもしれない。
ただ、戦う為に生み出され、戦う事を理由に生きるハイブリッドにとってそれはごく当たり前の環境でしかない。特に失望する事もないだろう。だが、記憶の中には忘れようのない絶望とも思える戦いが1つだけあった。自分自身を失ってしまいそうな程の苦痛だけは思い出さないように、ゼーンは併走するミリアに言葉を選んでいった。
「あれは……終戦の数日前。終戦の糸口が見えない事に業を煮やした国際連環機関は、統合制御戦闘体系(UCFS)の敢行を決めた。それまでは、アニマの干渉インターフェースによってハイブリッドはその能力を発揮していたけど、UCFSはより強力なものだったからな。そして、その“核”として選ばれたのがエリファさ。で、それを知ったアウガルが対抗策として戦線に投入したのがOBISってわけ。ようはキメラ版統合制御だな。システムとしてはハイブリッドのそれに近いけど、まだ完成にまでは至っていなかったらしい。だからOBISの制御は不十分なものだった。何より、耐えられなかったんだよ。制御する人間がさ」
「へぇ……でも、それはこっちも同じだったんでしょ?」
「あぁ。UCFSはまだ試験運用の段階だったらしい。だけどお偉方が決めちゃったから仕方ないんだろ。なかなかシンクロしないアニマとエリファの干渉波長を強引に合わせ、それは実行された。だけど……」
「ナイトメア−−空白の30秒−−だね?」
「あぁ。アニマを通して、エリファは人の悪意に触れたんだ。もちろん戦場は混乱して目茶苦茶だったけど、それでも俺達は戦うしかなかった」
一瞬、その時の感覚を思い出しそうになり、ゼーンは慌ててかぶりを振った。今は目の前の戦いに集中しなければいけない。
シュウと最後のOBISが戦っているのは13ゲート付近だった。破壊、衝撃、爆発と、その規模と頻度は確実に増してきている。ステーションへの被害を最小限に抑えようなどと考えてもいられないだろう。更に、僅かだがシュウの生命反応が小さくなってきている。NBMの活動限界が近いのかもしれない。
「まずいな。俺がワイバーンを引き付けるから、ミリアはシュウを助けろ!」
「オッケー、任せて」
過去が繰り返されるような状況にだけは絶対にさせてはならない。疲労感を封印し、ゼーンはワイバーンへ切り込んでいった。
グラウの意識が回復するのが予想以上に早い事に、ガヴリアは驚いた。それだけ、エリファの処置が適切だったのだろうか。駆け付けた救護班も、驚きを隠せない様子で処置にあたっていた。
「NBMは元々医療用として開発された細胞素子でしたから、こういった活用法も実際にあります。しかし、ハイブリッドが自身のNBMで人体の修復を行うなんて聞いた事もありません。信じられませんね。拒絶反応もありませんし、完璧です」
驚きが彼を饒舌にしたのだろう。上擦った声で医師は語った。
「信じられないのは、我々も同じだ。なぁ?」
そう言って、ガヴリアはグラウに笑い掛けた。が、グラウは笑わない。出血のせいか、虚ろな瞳を僅かに動かす。そして傷の痛みではなく、心の痛みに堪えるような表情で言ってきた。
「エリファは、どうしたんだ?」
「エリファは自分の意志で行く事を選んだ。グラウの思いは届いたのかもしれないな」
それでグラウの心に安心感を宿す事ができるかどうかは分からなかった。だが、そんな胸中はおくびにも出さず、ガヴリアはグラウの肩を優しく叩いた。グラウはようやく固くなっていた頬を緩める。
「……そうか」
「エリファはお前を信じると言った。ならば、彼女を信じなければ」
「あぁ、もちろんだ」
どこか遠くを見つめ、グラウが感慨深げに呟く。
「しかし無茶をしたものだ。自分の力量をわきまえないと命がいくつあっても足りないぞ」
「……他に、いい方法が思い付かなかった」
「相変わらず不器用な男だ。もっとも、だからこそエリファは答えたのかもしれないが」
「あまり嬉しくない褒め言葉だな」
「素直に受け取ってくれ。……さぁ、ベットでもう少し休んでこい」
「すまん」
再び瞳を閉じたグラウを乗せ、担架はゆっくりと進み出した。
シュウのNBMの有効稼働率はすでに10%を割っていた。普通であればキメラと戦う事さえ難しい状態であるにもかかわらず、OBISと戦っていたシュウの実力は改めて認めざるを得ない。彼は直ぐさまミリアと共に撤退し、別動隊へ合流しに向かった。
今、OBISと相対せるのは自分しかいない。
しかし、それは何等特別な事ではなく、キメラと戦う為に必要とされているのだから拒む理由も無い。むしろそれこそが己の生きる証であるとも言えるだろう。だが生まれて初めて、ゼーンは自分の境遇を呪った。それは、キメラがキメラを越えた瞬間。OBISと呼ばれる存在が生み出す未知の領域に、意識が飲み込まれていく恐怖感からだった。
ワイバーンはその翼を目一杯広げれば、ゲートフロアを覆い尽くす程だが、それをものともせず−−邪魔な物は破壊しながら−−飛び回る。STによって得られる最高速をもってしてもワイバーンの速度を上回れず、一瞬の油断が命取りになる状況だった。
「ちいっ!」
鎌のように振り下ろされたワイバーンの尾を擦れ擦れで躱しながらゼーンは舌打ちした。縦横無尽に動くワイバーンに隙は見当たらない。着地で粉々になったロビーのベンチを前足で吹き飛ばし、すぐに次の攻撃に流れていく。純粋に力と力の勝負ならば逃げる必要はない。だが、ワイバーンと力で対等に戦うのは不可能に近い。
ゼーンは飛び掛かって来るワイバーンにレールガンを向けた。狙いも半ばに引き金を引く。だが−−弾は、片翼で強引に軌道を変えたワイバーンの脇を無情にも掠めていった。予想外の行動を目の当たりにし、体が一瞬硬直する。油断ではないが、それは間違いなくワイバーンには隙に見えただろう。更に速度を上げ、突進して来る。 ワイバーンが吠えた。すでに避けるタイミングは奪われているだろう。絶望的な展開に、体の底から締め付けられるような恐怖が襲う。無駄な抵抗だと理解しつつも、まだ生きていたレールガンを撃った反動を何とか利用し、ゼーンは致命傷を避けるだけの距離を確保した。
刹那−−大きく開いたワイバーンの口は、岩を砕くような音を響かせレールガンの大半を食いちぎった。破壊されたレールガンからは火花が散り、小さな爆発が起きる。
それは、唯一見付けた好機。
つまりは反撃の狼煙。
ゼーンは爆発と閃光に一瞬怯んだワイバーンの下顎を蹴り上げてから、右手の長剣を元に戻し、シュナーベルを引き抜いた。
すぐさまビーム刃の出力を最大まで上げ、喉元へ斬り付ける。
硬い皮膚に残ったのは浅い裂傷だったが、ワイバーンは仰け反るように立ち上がった。透かさず間合いを詰め、三度喉元目掛けて飛び蹴りを見舞う。後ろ脚と尾で踏ん張っていたワイバーンも耐え切れず仰向けに倒れ込む。さすがのOBISでも、その状態からすぐに反撃へ転じる事は容易ではないだろう。ゼーンは間髪入れず追撃を続けた。
しかし、考えは甘かった。
もはやこのOBISは“普通ではない”のだ。こちらの位置を目視できる状態ではないにもかかわらず、尾が精確に弧を描いて迫って来る。追撃を断ち切られ、ゼーンはやむなく飛び退いた。それでも執拗に狙って来る尾は、それ自体に別の意志があるかのように動く。結局間合いを詰められず、その間にワイバーンは起き上がっていた。
「くそっ」
一度は有利になりかけた状況も再び振り出しに戻された。いや、今のままでは不利になる可能性の方が高いだろう。そうならない為には、まだ背後を見せているワイバーンに攻撃を続けるしかない。
身震いを抑え、ゼーンは切り込んだ。迷いは許されない。限界まで達した速度は爽快感とは程遠く、体がバラバラに四散しそうな程に強引に動く。そして思考速度を上回る体に命令を出すには、常に先読みをしなければならない。それは勘に近いかもしれない。
変わらず精確に狙ってくる尾は、精確だからこそむしろ距離を読みやすい。
頑丈な鱗に覆われていても、末端の尾などにもなればその鱗の厚みも薄くなる。無数に重なり合う鱗の間を見極め、ゼーンは迫る尾にシュナーベルを振るった。重い手応えの後に、切断された尾が回転して落ちていく。そして、それは怒りか苦痛か、ワイバーンは立ち上がり、耳を突き破るような咆哮を発した。
立ち上がりほぼ垂直に近くなったワイバーンの背中を駆け上がる。斬り付けてもまず致命傷は与えられない背中は無視し、翼の付け根へとシュナーベルを振り上げた。深手ではないものの、血が糸を引き、翼の動きが鈍くなる。
が−−
それでも、巨大な翼は動くだけでハイブリッド1人を吹き飛ばすには十分過ぎる威力を保っていた。両翼が生み出すつむじ風に、揉まれる花びらのように体が宙を舞う。
「くっ!」
ワイバーンが反転し、攻撃態勢を取る。またもや、最悪のタイミング。そして今回はレールガンの恩恵は無い。
鋭く光るワイバーンの瞳が、体の自由を更に奪っていく。未来は1つではないが、限られた選択肢の中から必ず選ばれる結果がある。今はそれを待たざるをえないが、秒単位で奪われていくNBMの有効稼働率は30%を切っていた。時間的な余裕すら残されていない。
ワイバーンの体が僅かに沈む。
(来る!)
次の瞬間。ワイバーンとの間合いは無いに等しくなった。
突っ込んで来るワイバーンの鼻面目掛け、薪を叩き割るようにシュナーベルを振り下ろす。ビーム刃が徐々に食い込んでいくが、それでも勢いが止まらない。逆に軽く首を上げただけで、シュナーベルはあっさり弾き返され、乗じて歯牙を剥き出してくる。ゼーンは透かさずシュナーベルを引き戻した。対峙するだけの間も無く、機を奪い合うだけの一瞬が過ぎる。互いの反応は同時。
「はあぁぁぁっ!」
襲い掛かる歯牙を迎え撃つべく、シュナーベルを振るう。
斬り下ろし、突き刺し、斬り上げ、薙ぎ−−続けざまに斬り散らす。
歯牙が数本折れ、鱗はひび割れ、皮膚は裂け、血が滲み、ワイバーンの顔はボロボロになっていく。増えていくワイバーンのダメージの量に反比例してシュナーベルの出力は少しずつ低下していたが、それでも手を止めるわけにはいかない。腕に負っていく傷も増えていくが、攻撃を止めれば、そこには死が待ち構えている。
思考にまともな労力を使えるような状態ではない以上、浅はかな知恵しか搾り出せないだろうが、それでも何か策があるはずだ。このワイバーンを倒す方法が。そして、いくつか導き出された方法から選別していく。
(一撃で仕留めるには、あれしかないか)
選び抜かれた策がはたして最善の策かどうか−−そこまでは分からない。ただはっきりしているのは、しくじればワイバーンの腹を満たすという事だけ。
ビーム刃が生み出す残像の軌道から、タイミングを計る。途切れない残像が止まる時、それは紙一重で生死を分かつ。
その時は来た。
斬り下ろしたシュナーベルを左手に持ち替え、
『PTインストール。NBMスタビライズLV5にシフト』
トランスを変えた事により、速度は一気に落ちた。行動はより的確に迅速に。慣性も利用し、握り締めた右手をワイバーンの下顎へ叩き付ける。鈍い音が聞こえ、下顎が−−恐らく外れたのではなく折れただろう−−だらし無くぶら下がる。しかし同時に、上顎の犬歯はプロテクターごと右肩の肉をえぐっていった。
「ぐぅっ! このぉ野郎!」
激痛に惑わされず、左手は動いた。上顎にシュナーベルを下から突き刺し、体を口腔に割り込ませる。痛みに感覚を奪われた右手を何とか突き出し、ゼーンは右手に意識を集中した。
『TTインストール。NBM/組織変成制限(TML)解除。スタビライズLV5にシフト』
稲妻を纏い、長剣へ変わっていく定形。現時点で可能な限りの力を注ぎ込んでいく。
渾身の剣はワイバーンの体内を刺し通した。一気にケリをつけるべく、その長剣を四方八方に展開。内部から稲妻と共に串刺しにする。
奥底から沸き上がるような掠れた咆哮が、断末魔となって響き渡る。のた打ち、顔を振り回して壁に打ち付けたワイバーンだったが、抵抗もそこまでだった。吐き出されていく息に生気は無く、ただ流れるだけの血生臭い空気でしかなかった。力無く、巨体がくずおれていく。
ゼーンは慌てて右手から長剣を分離させ、ワイバーンから飛び退いた。しかし、それ以上動く体力すら残っていなかった体は、為す術無く落ちていく。受け身も取れず床に激突。どこまでも転がっていくのではないかと思える程転がり続け、やがて、小さな観葉植物の植木鉢に顔からぶつかり、天地が逆転した状態でようやく体は止まった。
「……いや、息苦しいんだけど」
思わずぼやく。何とか重心をずらし、首が折れそうな体勢から体を倒す。運よく仰向けになり、ゼーンは口元を緩めた。
「はは、は。よく頑張ったなぁ……俺」
疲労感にどっぷり浸かった意識は溺れるように沈んでいく。ゼーンは重たくなった瞼を素直に閉じた。