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接触

 朦朧もうろうとした意識の中でも、“それ”を望む事は容易だった。もはや真に憎むべき、忌むべき存在は何かなど知る必要もない。男−−アニマの悪意が人のまさに“それ”だった。

 怒りや憎しみ、ねたみ、恨み、ひがみ。人間の様々な負の感情が流れ込んできた。

 エリファはただ、言葉を連ね、を唱え、祈りを念じるように−−力を意志として世界に拡散していった。

(そんな心……なん、て……消えて、しま……え)

 たちまち、けたたましい警報と目障りな警告灯の明滅に支配されていく。そして目の前に広がっていくのは地獄絵図。頭を抱え、悶え苦しむ人間達で溢れ、呻き声が響き渡った。

 それと同時に、アニマの意識も遠ざかる。支配されていた感覚は次第に開放され、痛みと共に和らいでいく。エリファは元凶へも力を向けた。

(お前もここから消えろ!!)

 意志の咆哮。力はアニマを貫き、NBMを暴走させる。その体は定形を保てなくなり、ふやけたパンのように膨脹していった。しかし、アニマの青藍せいらんの瞳だけは依然何かを企むような、高慢な光を放っていた。微かにこぼれる口元の笑みが、神経を逆立たせる。

 だが−−

 それも長くはもたず、その体は泡の如く散り、力尽きていく。

 忌ま忌ましい記憶だけを残して。



「……っ!?」

 突然襲った、電流に触れたような衝撃。しかし、その感覚は初めてではないとエリファは一瞬で悟った。思わず歯噛みしてしまう程の不快感が、沸き上がる。それは紛れも無く、あの悪意に満ちた意識。

「……グラウ」

 震える唇で何とか搾り出した言葉はあまりにか弱く、吐息のように消えていく。統制本部から送信されたメールに目を通していたグラウは名前を呼んだ事に気付いたのではなく、何か聞こえた程度の仕種で振り向いた。

「ん? ……どうした、顔色悪いぞ?」

 息が詰まり、返す為の言葉が出ない。よろめくようにグラウの肩へ掴まると、ようやく鼓動が落ち着き始める。

「嫌な……気配。あの男……まだ……」

「あの男って……まさか、アニマか!?」

 驚きを隠せない表情でグラウが立ち上がる。その勢いで倒れてしまった椅子には目もくれず、グラウは統制本部とのホットラインを繋いだ。

『こちらは統制本部だ。今使用している回線は緊急用の−−』

 幸いと言えるだろう、回線に出たのはエームズだった。グラウが矢継ぎ早に喋り出す。

「俺だエームズ、まさにその緊急だ!」

『ん、グラウか? 何かあったのか?』

「アニマが“起動”した」

『何だって!? こちらではまだ何も感知できていないが』

「恐らくアニマ単体での局所干渉だろう。ネウロンが起動したわけじゃない」

『まさか、エリファが何かを感じたのか?』

「あぁ。エリファの感知なら信憑性が高い。今のままでは手遅れなるぞ」

 自分を、自分の力を信じてくれている言葉。まだ心地好い心の感覚は確かに残っていたが、結局自分の定めからは逃れる事はできない、また繰り返されるのかと思うと気重になる。

『しかし、何故だ……何故アニマが』

「悪いが俺には答える事はできないぞ。もちろんエリファにも」

『……分かっている。我々が期待しているのは結果だけだ』

「結果“だけ”ね……それは何とも有り難いお言葉だこと」

『あ、いや、済まない。私でよければ皮肉でも批難でも甘んじて受ける』

 エームズの発言にグラウが口元を緩める。

「大丈夫、愚痴る相手はすでに決まってる」

 と、その相手に心当てがあるのか、エームズの小さな笑い声が漏れた。

『では、先程のメールの通りに頼む』

「了解した」

 回線を閉じたグラウは、一瞬顔をしかめたが、すぐにいつもの表情へと戻った。『大丈夫』と頷くと、グラウがそっと手を握ってくる。

 メール画面を再度確認しながらグラウは説明を始めた。

「これから第一管下は本部へと向かう。一次撤退した警備隊がそこにいるから、俺達はまず彼等の処置にあたる。その後は、必要性があると判断された場合に限り、エリファやゼーンの直接的なバックアップをする予定だ」

「グラウはどうするの?」

 シレーヌが問う。

「もちろん俺も行くさ。状況によってはネウロンへも行く事になるかもしれない。……今はまだエリファを1人にはできないしな」

 握られた手をうつむいて見ていると、突然その手が離れ、今度は両手で頬を叩かれた。思わずグラウを見返す。

「い、痛っ」

「さぁ、行くかエリファ。……心配するな、俺がついてるから」

 グラウの大きな両手、その包み込むような温かさに促され、エリファは小さく頷いた。



 統制本部に、警報音が鳴り響く。数々のプロテクトでも阻止する事が出来ず、ついに、ネウロンのコントロールは奪われた。この侵奪は散発的な事件ではなく、綿密に計画された侵入なのは間違いないだろう。

「しかし、こうもたやすく足をすくわれるとは」

 エームズは無力感と悔しさに、舌打ちした。アニマが起動し、ネウロンまでもが本格稼働を始めれば、取り返しのつかない事態になる可能性は高い。それは終戦の悪夢−−『空白の30ナイトメア』と呼ばれた悲劇以上のものになるかもしれない。

(それだけはなんとしても阻止しなければ)

 だが状況が芳しくないのは事実。新たに警備隊を呼集し、負傷したメンバーとを入れ替える事で戦力はカバーできるかもしれないが、まだ見えざる敵に動きあぐねている状態だ。

 そろそろ、犯行グループの情報が出てきている頃合いだろうと思い、エームズは尋ねた。

「擬装コードから何か分かったか?」

「はい、興味深い人物が出てきましたよ。2年前までト・コイノンで、あのシュロム・マウアーの下でエンジニアをしていた男です。名前はヴォルフ・アレンスキー、34歳。主にNBM開発を担当していたようです。で、元々のコードは、この男が所有していたプライベートシャトルの物でした」

「マウアーの下で、か。その男は、今どこで何をしているんだ?」

「……このデータが正しければ、2年前の“あの日”に死亡しています」

「死亡? ……この男とリベラルの接点はあったのか?」

「疑わしい点は全くありませんでした。家族や親戚その他を調べても、リベラルとの関係はありません。今は当時のエンジニア関係を探ってはいますが……」

「そうか。だが、マウアーと接点があったその男が今回出てきたというのが偶然では、話が出来過ぎている。何か新しい情報が分かったら教えてくれ」

「はい、了解しました」

 期待という感情は封印して、エームズは相手に頷いた。簡単に説き明かせる事件ではないという確信と、分かったところで繰り返される歴史に辟易へきえきする。

(人は過ちを犯し、後悔し、それに学ぶ。だが人はまた同じ過ちを犯す。……エリファ、君は今何を思う?)



 青藍の瞳と、揺れる白銀の髪。赤子のように縮こめた体にはハイブリッド特有の光沢がある。だが、今はそんな事はどうでもいい。アニマはシリンダーから出るつもりなのだろう。シリンダー内の特殊羊水の排水が始まっている。

 ようやく治まってきた震えを無視して、カスミは毒づいた。

「随分回りくどいやり方が好きみたいね。まるでエリファに阻止されるのを恐れてるみたいじゃない?」

 言いながら、カスミは崩れ落ちたまま微動だにしない男へと近付いた。手首を掴み指を添えるが、脈は無い。つまり、死んでいる。

(どうゆうこと?)

 あまりにも呆気なく事切れる非常識な現実は理屈に合わない。もっとも、今置かれた状況で常識と非常識の正しい区別などできる自信は無いが。

 カスミは男の手に握られたままの銃を抜き取り、立ち上がりながらアニマへと銃口を向けた。

 ほぼ同時に排水が終了し、シリンダーが収納されていく。アニマは平然と笑みを浮かべると、ゆっくりと足を踏み出した。

「あの娘が、自らの“意志”で私の前に来る事は無い」

「よく言うわね、エリファに拒まれた男が」

「あれは単なる一時の“感情”に過ぎない。そもそもハイブリッドは人間に従属する存在だ。意志などという無駄なものは備えていない」

「それって、屁理屈にしか聞こえないわよ?」

 精一杯の嫌味を込めて言い放つが、アニマの意識は違う所へと向いた。今し方開け放ったドームの電子扉へと。銃の照準をアニマに合わせたまま、カスミは目線だけをそちらへ向けた。そこには、ライフル銃を構えた男数人がいつの間にか立っていた。

「さっきのメガロインターフェースの起動音を不審に思って来たか? その感覚は悪くないが、あまり利口ではないな」

 口の端を吊り上げながらそう言うと、アニマは右手をその男達へと向ける。それは、すでに息絶えた傍らの男がシリンダーへととった仕草そのもの。力を示す予兆。

「何をするつもり? 人間と機械は違うわよ」

「いくらお前でも、エリファの力を知っているなら分かるだろう?」

「自慢げに何を。エリファはあなたとは違う存在よ。だってあの子は純粋だもの」

 その言葉がアニマのプライドを傷付けたかどうかは知らないが、少なくともしゃくには障ったらしい。そこはかとなく刺々しい声音で、

「くっくっくっ……あの娘が純粋? そうか、そうだな。あの苦痛にもだえる顔は今でも覚えている。恐怖の顔を見るのは……悪くない」

 そう言うと、アニマは開いていた右手をリンゴでも潰すかのように握り締めた。

 −−刹那。

 駆け出そうとしていた男達は、突然見えない糸に操られるように互いに銃口を向け、その引き金を引いた。銃声と同時に男達が倒れていく。

 その光景を見せられて、カスミは言葉を失った。震えこそなかったが、血の気の引いた顔が不規則に引きる。

 くぐもった笑い声を漏らすアニマは、右手を下ろすと左手を向けてきた。

「お前はいくらか賢い。余計な事は考えないことだ。長生きの秘訣だな」

「……くっ」

 脅された恐怖に、カスミは思わず眉をひそめた。アニマの誇示する力の前では、銃などあまりに無力だ。

「……いったい……何が、目的なの?」

 肩をすくめて笑うアニマを睨みながら、カスミは唸るように言った。

「目的か。今の私ならば、世界を終わらせる事すら容易い。が、それでは醍醐味だいごみが無いというもの。とりあえず、あの目障りな娘を懲らしめるのも悪くないか」

「……見下げ果てた男ね。結局、こそこそとエリファに仕返しに来ただけとは−−」

 と、言い終えた瞬間、息が止まった。それは間違いなく、自分自身の“意志”ではない。次第に酸素が失われ、全身の力が抜けていく。

「口は災いの元だぞ、カスミ・イーリス」

 そう言うなり、アニマは左手の人差し指だけを立て、銃を撃つようなジェスチャーを見せた。そこでようやく、新しい空気が肺の中へと流れ込む。

「は、はぁっはぁっ」

 乱れた呼吸で、照準がぶれる。アニマの嘲笑ちょうしょうをこれ以上見るのは真っ平だったが、銃を撃てない苛立ちはそれより強かった。



 近いようで遠い記憶。

 浅いようで深い心像しんぞう

 時に自分の心が虚像きょぞうに見える事は、生きる者の苦難なのだと、エリファは感じていた。

 だが、望まれる事が生きる糧になるかもしれない−−そう思念する事で曖昧な存在は顕在けんざいする。それは容易ではないからこそ、希望になるのだろう。

(……でも)

 心の一部はまだ絶望ににじんでいた。抜け出せない底無し沼のように、心底の闇は抗う事を許してはくれない。

 馬鹿馬鹿しいほど純粋なのか、それとも度し難いほど臆病なのか。

 そのどちらかは自分では分からないが。


 −−心配するな、俺がついてるから。


 グラウの言葉が脳裏を過る。

(どちらだとしても、私は答えを導き出さなきゃいけない)

 もとより、自分に逃げ場は無い。

 エリファは、左手首に装着したMTSを見つめ、その手にそっと力を込めた。今、MTSにはDトランスが組み込まれている。それはもう1人の自分を具現化するための道具。深く考え、思い、念じ、願い−−それは意志となって力になり、そして力は意志となる。

(アニマはいったい何が望みだったの? この力を利用したかっただけ?)

 だが、1つだけはっきりしている事があった。

 それは−−

(アニマは、人の悪意そのものだった。……でも、あれが人の全てじゃない……のよね、グラウ)

 統制本部へ向かうエレベーターの中。壁に寄り掛かりながら、エリファはグラウの背中に問い掛けた。

 と、

 グラウの答えを待ち望んでいたわけではないが、不意にそれを邪魔するように投げ掛けられた言葉があった。

「なぁ、エリファ。なんだったら俺がそのトランス使ってやるぞ? まぁおれはレセプター(被干渉体)タイプだから上手くは使いこなせないとは思うが」

 すかさず、シレーヌがゼーンに失笑する。

「ちょっとゼーンじゃ厳しいわね。あなた終身雇用タイプだもの」

「んなっ、万年係長系かよっ!」

 まだゼーンとシレーヌのやり取りは続きそうだったが、エリファは顔を背けて意識を別の方向へ向けた。しくもそれはグラウの視線とかちあった。

「……どう、したの?」

「ん、いや……なんか吹っ切れたような顔付きに思えて、な」

「それは……皮肉?」

 エリファはこそばゆい心地を抑え、顔をしかめて聞いた。

「まさか、そんな事言ってもしょうがないだろ?」

 しょうがないのかどうかはともかく、少なくとも本心ではないという気はした。いや、本心ではないからといって、それは偽りでもないのだろう。グラウの言葉に無意味さは感じなかった。

 緩慢かんまんに過ぎる穏やかな心の時に、エリファはしばらく瞼を閉じた。

 ふと気が付くと、グラウが閉じようとするエレベーターのドアを手で押さえ待っていた。

「……あ、ごめん」

「いいよ。さ、行くぞ」

 グラウが傾けた首に促されて、エレベーターを降りる。

 総裁室、そしてジオ社の中枢である統制本部がある350階。エレベーターを降りるとそこは階層の各エリアへと通じるエントランスになっている。

 見回すと、すでに第一管下のエンジニアによって、負傷したハイブリッド達への処置が行われていた。その中に紛れて、ガヴリアとエームズが何やら険しい表情で話していたが、真っ先に気付いたエームズが小走りに近付いて来る。黒のスーツに身を包んだ彼は、端から見てもハイブリッドより屈強に見えた。

「皆こちらへ来てくれ。現在の状況を話す」

 エームズは努めて冷静に振る舞っているようだったが、その口調は乱れていた。それは彼が走って来たからではないのは容易に知れた。

「分かった」

 グラウが頷き、エームズが歩き出す。グラウにシレーヌ、アオイ、ゼーンが続くのを見届けてから、エリファは最後尾で歩き始めた。向かう先にはどこか悲しげに立ちすくむガヴリアがいた。

 エントランスは負傷したハイブリッドと、処置にあたるエンジニアとで、騒然としている。エリファは負傷したハイブリッド達を見て、やはり後ろめたさを感じずにはいられなかった。リベラルがアニマを手に入れているとして、それを“普通”のハイブリッドが対処できるかどうかは微妙である。だが、今の自分が対処できるかというのもまた、微妙だった。

(自分の事すら決められないのに)

 今の自分の言い知れぬ歯痒さは、否応無く胸を締め付ける。

「あんまり気にするなよ。あいつらだって、れっきとしたハイブリッドなんだ」

 思いもよらないゼーンの言葉につい唖然としてしまったが、エリファは事もなげに相槌を打った。

「万年係長タイプでも?」

「たぁ〜口が悪い娘ですこと。たまに励ましてやりゃあこれだ」

「私は別に……大丈夫よ」

「あ、そ。まぁ強がるのもいいが、今はハイブリッドの心配をしてる場合じゃねぇぞ」

「……そうだね」

「…………」

 うっかり出た本音が、沈黙を生む。間が悪そうにポリポリと頬をかきながら、ゼーンは天井に視線を向けてしまった。

 素直じゃない。その余裕すら、今は無い。

「ゼーン、それは君も同じ事だよ?」

 と、諭すようなガヴリアの発言に緊迫した空気が張り詰める。総裁としての威厳を感じさせる雰囲気に、各々の口はつぐまれていた。

「状況が悪いのは変わらないんだ。今更言わなくてもゼーンだって分かってるさ。エームズ、頼む」

 グラウは憂鬱に肩をすくめて横槍を入れてからエームズに言った。エームズは処置を受けているハイブリッドに目をやってから、

「見て分かる状況は説明するまでもないな。第2部隊の20名はすでにネウロンに先行したメンバーの援護に向かった。もう合流しているだろう。ネウロンのコントロールは奪われてしまったが、まだ敵に表立った動きが見られないのは救いだ」

「アニマの局地干渉もどういう事象かまだ分からないしな。動けない理由があるのかそれとも……」

「ん。それと1つ気になるのは、まだ未確認ではあるが、新種のキメラらしき反応が確認されたらしい」

「新種かよぉ」

 ゼーンが大袈裟に溜め息を漏らす。

「敵の戦力は予想以上だったわけだ。それだけネウロンを重要視している、か。こちらの被害状況は?」

「施設の損害はまだ微々たるものだ。宇宙ステーション内部の人命救助も完了し、幸いステーションでの死傷者もいなかった」

「ネウロンの所員は?」

 グラウがすかさず問う。一瞬の躊躇いの後、エームズの視線はグラウから外れたように見えたが、口調は変わらない。

「ランチの時間帯もあって、ステーションへ出ていた所員も多かったようだ。今の所、安否が不明なのは所長を含め、12名。ネウロン警備のハイブリッドが5名死亡していた」

「所員に犠牲者がいても不思議じゃない状況だな。警備隊だけでの勝算はあるのか? 頭数だけではどうにもならないぞ?」

 エリファは心中でグラウに同じた。だが、実際はその当然の事が出来ないのだろう。“並”のハイブリッドの手には負えない現状がそれを物語っている。

 ハイブリッドの能力をより発揮する為のMTSの導入は、ほとんど進んでいない。警備隊といえど、ごく一部のハイブリッドしかMTSを使用していない。人間同様、ハイブリッドにも得手不得手、適性不適性があり、全てのハイブリッドが使いこなせるわけではなかった。となれば、適性者の力は否が応でも必要になるだろう。

敵の能力が高ければ尚更、である。

「だからこそ、君達の力を貸してもらいたい」

 予想通りのガヴリアの言葉にゼーンは自信満々に頷く。

「はいはい、了解です」

「頼もしい限りだな。……しかし」

 エリファはガヴリアの見通すような眼差しに思わず口ごもった。

「あの……わ、私は」

「いいのか?」

 グラウがガヴリアに聞いた。

 何かを思い悩んでいるような表情でガヴリアは少しうつむいている。エリファはふと、自分の気迷いを照らし合わせてみた。そうすれば、ガヴリアの心境が分かるような気がしたからだった。

 −−知って理解する。

 これがそういう事なのだろうか?

 だが、その答えを自分で見つけ出す前に、ガヴリアは口を開いた。

「エリファ。今の君の状態を考えると、正直行かせていいものかと迷ってしまう。相手がキメラだけなら悩む事もないのだろうけど、万が一という場合もある」

 万が一とはアニマの事だろう。ガヴリアは一呼吸置いてから、更に続けた。

「私にも迷いがある以上、君にはここには残ってもらうべきかもしれない。ゼーンならば技量は上だろう。安心して対処できると思うが……」

 それは恩情なのか、それとも、遠回しに必要無いと言っているのか。エリファは喉元まで出かかった疑問を吐き出そうとした。

 だが、グラウが先んじて口を開いた。

「俺はゼーンの能力は誰よりもよく知っているつもりだ。だからこそ言わせてもらうが、ガヴリア、お前が危惧している万が一の場合、正直ゼーンには力不足だ」

「ではどうすればいい?」

「どうするか……それを決められるのは俺達じゃないんじゃないかな」

 かぶりを振ったグラウは、最後にあおるような眼差しを向けてきた。

 皆の視線を感じて、高揚する気持ちを理性のへりで抑えながら、エリファは思考を紡いだ。

 だが、胸奥にたゆたう答えは、まだ完璧なもの−−つまりは自分の言葉と感情で表す事のできるものではなかった。まるで、波紋で揺れる水面から見る水底のように、それは至極曖昧に見えていた。

「少しだけ時間を下さい」

 無意味に深遠な思いを巡らせるのは感情を揺さぶるだけだと分かってはいたが、そこにこそ答えはあるような気がして、エリファはきつく瞼を閉じた。



 キメラ。

 その存在は、第三次世界大戦が開戦した2078年よりさかのぼる事3年。2075年8月、テロや紛争が相次いで勃発していた中東で初めて確認された。

 確認された当初は、環境汚染による突然変異であろうという説が一般的だった。しかし、翌9月。AMBO(アジア変質生物学研究機構)は、その説を完全否定。採取に成功したその生物の肉片を解析した結果、人為的な遺伝子操作によって生み出されたものと判明したと発表。そして、多種の細胞が混在していることから『キメラ』と呼ばれるようになった。

 世界はこの事件に敏感に反応した。

それまでに、クローンや遺伝情報操作などは倫理問題として幾度となく議論の対象とされてきた。

故に、この事件は『許されざる領域』に、人間が足を踏み入れたことを裏付ける事実であったからだった。この件に関して、一部では中東紛争の首謀組織であるアウガル(反連合政府同盟)によるものではないかとの憶測が為された。更にその後も中東でキメラの姿は幾度となく確認され、日増しに頻度は高まり、増殖している可能性も懸念され始めた。

 しかし、それは懸念では終わらなかった。相次ぐ紛争の裏側で確実に増殖していたキメラは、ついに死傷者を出す事件を引き起こす。同時期に、アウガルがキメラを生成していた事も明白になり、治安改善に努めていた米軍はキメラの掃討作戦を即座に決行。事態は、鎮静化するかに思われた。

 しかし−−

 米軍に油断があったわけでもなく、怠慢な作戦だったわけでもない、全ては万全かつ完璧であったはずだった。しかし、誤算は生まれた。通常の銃弾では致命傷すら与えられない強靭な体と、常識を超えた身体能力を持つキメラを前に、人間はあまりにも無力だった。

 為す術無く劣勢となった人間とは対照的に、キメラは増殖を続け、2076年2月には全世界で約500体が確認され、被害は拡大していった。

 被害拡大の要因の一つとしては、キメラの増殖だけではなく分化も大きな問題だった。

 始祖種と呼ばれる最初に確認されたキメラ以外にも、種が誕生。AMBOは始祖種『ケルベロス』以外に確認された2種に、『オーガ』そして『ガーゴイル』と名付けた。

 驚異的とも言える速度で増殖を続けるキメラは2076年7月には1000体を超え、第三次世界大戦中には更なる新種『ワイバーン』の誕生もあり、最も増加した時期には優に5000体を超えていたとも言われている。

 戦後。そのキメラも絶滅の噂が流れるほど数は極端に減少したが、結局絶滅までには至らなかった。それはなぜか、AMBOは独自の調査でその原因を導き出した。

 −−キメラの進化。

 2080年8月。AMBOは、環境への適応や人為的な一定の進化が確認されたとの結果を公表した。その信憑性を疑う声は少なくなかったが、反連合政府同盟の残党、リベラルの出現がそれを決定的にした。

 減少したキメラを強化改良し、世界に跳梁ちょうりょうさせる一方で、リベラルは再びキメラの生成に手を付け始めていた。

 それに対し、ト・コイノンはリベラルの鎮圧に踏み切るが、リベラルとキメラはその武力行使をかい潜るように勢力を拡大。世界の抑止力が暴走を食い止められなかった事に伴い、ジオ社はキメラの根絶に乗り出した。

 2081年。大戦は終わったが、世界は新たな脅威に震撼しんかんしていた。

 全16ゲート、4つのセクションからなる宇宙ステーション内部での戦闘は依然続いていた。本部の期待とは裏腹に、残念ながら足止めを食わされた状況から全く好転していない。むしろ相手に猶予を与えているとも言えた。

(この時の為に、リベラルが新種のキメラを生み出していても不思議はないか)

 干渉インターフェースによって感じる不気味な気配に、警備隊隊長のシュウは溜め息をいた。有り触れたキメラの反応に紛れて、馴染まないいくつかの反応が存在している。それが新種であるという確証は無いが、そうである可能性は極めて高い。

(っ! 来たっ!)

 セクション2、第6ゲートロビーの柱に身を潜めていたシュウは咄嗟にその場から飛びのいた。それとほぼ同時に、けたたましい破壊音が轟く。煙塵えんじんの中、朧げながらもキメラの姿が見えた。

「ガーゴイルか!?」

 ガーゴイル。オーガに似た体型だが、大きく違うのは背中に生えた翼と、発達した鉤爪かぎづめだった。怪力を特徴とするオーガに対して、ガーゴイルは俊敏な動きで相手を翻弄ほんろうする戦法に長けていた。とはいえ−−

(力はある)

 今まで身を潜めていた柱の根本はクレーターのように穿たれている。その中から煙を切り払い、ガーゴイルが飛び出した。

 シュウは着地しながらレールガンを構えたが、予想通り狙い撃てる相手ではない。むしろ戦いの障害になるレールガンを放り投げ、右手から剣のイメージを具現化した。NBMが流動し、長剣が形作られる。それを握りしめ、シュウはガーゴイルを迎え撃った。

 振り下ろされた鉤爪を長剣で受け流し、体を捻りながら左足でガーゴイルを蹴り飛ばす。翼での空中制御も叶わず、ガーゴイルは待合に並ぶベンチを薙ぎ倒していく。逆に追撃する立場となったシュウはすかさず駆け出した。

『STインストール。NBMスタビライズLV2にシフト』

 フラフラと起きながら翼を広げるガーゴイル目掛け、長剣を斬り付けた。だが、見極めたかのような動きでガーゴイルは半身でそれをかわす。確信していた手応えが無い事に驚いたが、冷静に剣を右へといだ。浅いながらも、切っ先がキメラの肉を切り裂く。

(……何だ?)

 募る疑問。今まで数多くのキメラと戦い、体に染み付いた感覚が、違和感を訴えている。

 浅い傷ではキメラの動きが衰える事は無い。たとえ肉体の一部が失われようとも、その“本能”はキメラを動かす。あっさりと本来の動きに戻ったガーゴイルに対応する為に、シュウはスピードを上げた。

『LV3にシフト』

 浮上したガーゴイルに合わせて跳び上がり、剣を振るった。新たに切っ先が足の肉を捉える。しかし、それもまた予測していたダメージを与えられていない。

(拙攻を強いられているのか?)

 結果的に詰めの甘い攻撃は反撃の余裕を生んだ。ガーゴイルは翼を広げて急停止すると、鉤爪を振り下ろした。

「ちっ!」

 まんまとガーゴイルの術中にはまった。翼を持たない体での空中戦闘は分が悪い。加えて攻撃後の体勢では、攻撃を防ぐ手立ては−−左腕を出すしかなかった。

 鋭い鉤爪が前腕をえぐる。

「うぐっ!」

 苦痛に顔を歪めながらも、シュウはその左腕で急降下を始めたガーゴイルの翼を掴んだ。わめき暴れ狂うガーゴイルと共に落下していく。揉み合いながらも体勢を優位に変え、地面に衝突する瞬間キメラを先に叩き付けた。それを下敷きにしてシュウは着地し、悲鳴のような奇声を発するガーゴイルの頭部にすかさず、剣を突き立てる。

 だが。

 体を痙攣けいれんさせながらも、ガーゴイルは驚くべき力で立ち上がる。背中から振り落とされた形となったシュウは思わず剣を手放した。

 おぼつかない足取りで向きを変えるガーゴイル。後頭部に剣を刺した状態で立つキメラの姿は異様だった。

「そうか……なるほど」

 ふと思い出した、キメラへの疑問を解決する糸口。普段、あまり物事に動じないたちだったが、さすがに身震いが体を支配する。

(これがOBISか)

 声には出さずに呟いて、シュウは眉をひそめた。立ってはいるものの、ガーゴイルは体のコントロールをほとんど失っている。攻撃体勢へと入ったガーゴイルを見据え、シュウはタイミングを計った。

 最大の武器である鉤爪を振り下ろそうと両腕を上げた瞬間、シュウはガーゴイルの頭上を飛び越えた。背後を取るよう体を回転させ、後頭部に刺さったままの自分の長剣を視界に入れた。

『TTインストール』

 稲妻が発生した両手で剣を掴み、一気に斬り下ろす。激しい爆発と同時に閃光に包まれたガーゴイルは吹き飛んだ。

「……ふぅ」

 息を整えながら立ち上がり、ようやく倒したキメラを見遣った。予想外の苦戦を強いられた事にまた溜め息が漏れる。しかし、それも当然の相手ではあったが。

(OBIS……そして狙われたネウロン。そういう事か)

 長剣を右手に戻し、負傷した左腕に視線を落とす。NBMの自己修復機能が作用している為、傷口からの出血は止まっている。数分もすれば傷は消えるが、まだ戦闘が続けば、処置は必要になるだろう。

「上がってきたか」

 負傷した隊員と入れ替わる為の警備隊の反応に気付き、シュウは放り投げたレールガンを拾い、合流する為に宇宙ステーションのエレベーターシャフトへと向かった。

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