Prologue
生きたくても生きられない者。
死にたくても死ねない者。逃げたくても逃げられない者。
何が正しく何が過ちなのか……真実を見極める事すら叶わない。その術すら与えられない。それが私達の戦争だった。
正義とは望まれる儚い象徴でしかなく、悪意は流行りのウイルスのように蔓延し、人々や世界を蝕んでいく。
希望などという政治家や官僚の戯言がどれほどの意味を成すだろうか。
言葉が持つ力など、たかが知れている。それは人間にとっては単なる建前でしかない。
私には全て分かっていた。
人間の世界を司る精神と呼ばれる心の根底が。
それはただただ醜く、浅ましく、愚かで、度し難い人間の慣例。巧みに構築された偽善の中で、私達ハイブリッド−−Humanoid Interface Bio Linkage Device−−は生み出されたに外ならない。その力は世界を救う為と謳われ、その存在は新時代を担うと祭り上げられた。だが、真実は違う。兵器として扱われたハイブリッドは破壊と殺戮を招くだけで、平和などまさに傍観者の戯言に過ぎない。故に、変わり果てていく世界に悲しむ権利すら、ハイブリッドには無かった。
『敵』を倒し続ける途方もない時間だけがハイブリッドの今。
戦争は醜い。果たしてその先に平和があるのだろうか。確証の無い未来の為に戦うハイブリッドの命に、どれだけの価値があるのか……何時しか、私は降り積もる疑問を吐き出していた。
囁き。
否応なく聞こえてくる男の答が、幻聴ではないと分かっていた。幻聴だと思うことはできても、それに意味は無い。たとえ耳を塞いだとしても、それは呪いのように脳裏で高鳴る。
『真に憎むべきは誰か。お前にはそれが分かるはずだ』
意識をかい潜り、無意識が支配されていく。脳髄からの痛みは全身に広がり、五感が麻痺する。肺の中を掻きむしられるような息苦しさに喘ぎ、止まらない吐き気に涙が零れ、やがて、寒気ではない体の奮えは芯から溢れ出した。
未曾有の苦しみに抗う事もできず、更に喘ぐ。横隔膜が痙攣しそうな程の叫び。自分の耳すらつんざく絶叫−−情動の咆哮。
『ああああぁっっ!!』
『なら、知ればいい。真に憎むべき者。忌むべき存在を。……お前が望めば、顕現される現実がある!』
もはやそれは恫喝に似た物言いだった。剥き出しの男の意志は、意識すら霧散させていく。人の意志が渦巻く表象……紛れも無い漆黒の悪意に、心が蝕まれていくのが分かった。
『……わ……私は』
朦朧とした意識と共に、抗いの言葉が消えてゆく。だが、男の囁きは未だ脳裏に染み込むように聞こえてきた。
『ノエマ・デュナミス。その名は究極の力を冠する者の証明。摂理を越えた最強の存在。万象を掌握する精神の根底。お前は……』
『……黙れ!……私は……私は!』
私の名は、エリファ。
私はその日、『世界精神の破滅』を望んだ。