第92話 弟の願いごと
弟のハヤテは麗慶学園中等部1年生。
中等部の校舎はボクのいる高等部とは教員棟をはさんで向かい合う位置関係だ。だから校門も一緒。門をくぐってグラウンドや野球場を右手に見ながら進むと最初に見えてくるのが中等部、中学生たちはここで左に折れていく。ボクたち高等部はそのまま進み一番奥の校舎に入る。
「それじゃあ、アラシ姉ちゃん」
「ハヤテ、絶対無理しないのよ。気をつけてね」
「うん。分かってるって! それより、お昼頼んだからね!」
ボクは立ち止まって、ハヤテの後姿を中等部の校舎に消えて見えなくなるまで見送る。アラシ姉ちゃんか・・・いつの間にか兄から姉に呼び方が変わっている。ハヤテの中では既にボクは女の子として位置づけられているのかもしれない。物思いにふけっているとポンと肩を叩かれた。
「ランちゃん、おはよう!」
「おはよう、サヤカちゃん」
「今日もハヤテ君を見送っているんだぁ。ランちゃんったらホント姉バカなんだねぇ」
「ハヤテは小児ぜんそくで、幼い頃から体の弱い子だったから・・・」
とボクが顔を曇らせ心配そうに言うのを、サヤカがじっと見つめた。
「ランちゃん、ひょっとして母性愛に目覚めちゃってる?」
「えっ?」
「なんだか前より、ハヤテ君に対する愛情濃度がアップしているんだもの」
「ないない! 第一、ハヤテはわたしの子供じゃなくって弟だし!」
「あはは。なに慌てちゃってるのよ。ランちゃんは女の子になろうと頑張っているんでしょ? だったら母性愛に目覚めたって言われたら喜ばなくっちゃ!」
母性愛? ボクは、ハヤテのことを赤ん坊のときから面倒を見てきている。ハヤテはずっと病気がちで、今でも気遣っているだけのことなのだ。確かに、ボクの身体の中には女性にしかないはずの子宮や卵巣があるけれど、好きなひとの子供を産みたいとか育てたいとか、今はとてもじゃないがそんな気持ちにはなれない。
≪キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン♪≫
「お昼だよ~ん!」
「よっしゃあ! お昼にすべえ」
「んだんだ」
ボクの両隣に座るクルミとユカリが大きく伸びをしながら宣言すると、後ろの席のサヤカがそれに応える。
「ごめん。今日はハヤテと約束があるんだ」
そう言うと、ボクは三人娘が机をつけてくる間をスルリとセーラー服のスカートを翻して抜け出た。呼び止められる前に急ぎ足で廊下に出る。
ボクは、2年の教室が並ぶ校舎の2階から階段を早足で降りると、教員棟に続く渡り廊下に進む。
教員棟と高等部中等部の校舎に囲まれた一角にある中庭に出る。昼休みの始まったばかりの時間で誰もいない。ボクは、秋の日差しとはいえまだまだ強い紫外線を避けて、噴水のそばの木陰のベンチに腰掛ける。
噴水の吹き出す池には鯉が泳いでいた。生徒たちが餌付けしてパンくずとかを与えているせいか、ちょっとメタボなのだ。何かくれるのではないかと10匹ばかりの鯉がボクの目の前の水面に上がってきた。パクパク口を開いて餌を催促する。でもボクは、母さんが持たせてくれたピンクの弁当袋を開かずにじっと待つ。
「アラシ姉ちゃん! ごめんね、待たせちゃった?」
「ううん、わたしも今来たばかり」
息せき切って走ってきたハヤテに応えながらその後ろを見ると、赤いスカーフの中等部のセーラー服を着た女の子が2人付いてきていた。
「こんにちは。あなたたちが、ハヤテのクラスメイトね?」
「はい! キリュウ君のお姉さん。本当に私たちもごいっしょさせて頂いていいんですか?」
「もちろんよ。いつもハヤテと仲良くしてくださっているんでしょ? さあ、こっちに座って。いっしょにお昼しましょう」
と言うと、ボクはハヤテの連れてきた女の子たちを自分の両脇に座らせて弁当の包を開いた。
どうしてこういうシチュエーションになったかと言うと、今朝いっしょに学校へ向かっているときにハヤテから頼まれたからだ。
「アラシ姉ちゃん・・・折り入ってお願いがあるんだけど」
ハヤテが言い出しにくそうに視線をあらぬ方に泳がせながら切り出した。
「なあに? 変に改まったりして」
「・・・友だちから頼まれちゃってさ」
「お姉ちゃんはハヤテの役に立つことだったらなんでも協力するよ?」
ちらっとボクの顔をみたけど、ハヤテはすぐに視線を戻す。
「・・・アラシ姉ちゃんを紹介しろって言うんだけど」
「なんだ、そんなことなんだ。お安いご用よ。だったら早速今日お昼をいっしょに食べようか?」
「いいの?」
「もちろんよ!」
と言うことで、中学生たちと弁当を食べることになったのだ。それにしてもガールフレンドを連れてくるとは思わなかった。多分、ハヤテは彼女たちの気を引こうと、ボクのことを自慢をしちゃったのだと思う。晩熟だとばかり思っていたが、結構やるじゃん。
彼女たちはまだ中学1年生だ。あまり身体に馴染んでいない真新しいセーラー服から覗く、ひょろっとした手足を柔らかく動かす仕草がいかにも少女という感じだ。ボクは、やはり本物の女の子は自分なんかとは作りが違うと思う。
途中から女体化されたボクなんかとは違って、彼女たちは生まれたときから愛情たっぷり赤やピンクの世界に包まれて育ち、最初からスカートをはいて人前で足を露出してきたのだ。ボクは5歳のときの経験しかないけど、彼女たちはは3歳と7歳のときには綺麗に着飾って七五三のお参りをしてきたのだろう。小学校に入学すると、背負うのは黒ではなく赤いランドセルだし、上履きも赤いゴムのついたのを履いて育ってきたに違いない。だから、自分が女の子であることに微塵も疑いなんかもっていない澄んだ目をしている。
ボクはこうしてセーラー服に身を包み、足をさらけ出し、女言葉で話しているけれど、いまだにどうしても自分が女だとは思えない。精神科の医者から勧められたので仕方なくやっているとしか思えないのだ。
よく男脳・女脳っていうけれど、人間は育った環境で頭の中が男になったり女になったりするものだろうか? もしそうだとしても、ボクみたいに分別がつくようになってから女を強制された場合でも、続けていくうちに女脳になれるのだろうか・・・。
「って言うわけなんですよ。私たちって変ですよね! でしょ? ・・・あれ?」
「大丈夫ですか?」
「アラシ姉ちゃん?」
「あ・・・ごめん。ちょっと考え事していたみたい」
ハヤテとクラスメイトの女の子たちが心配そうにボクの顔を覗きこんでいた。弁当を食べながら他愛ない食事中の話題に耳を傾けているうちに、物思いに沈んでしまっていたようだ。
「ごめんね。それでヒカリちゃんメグミちゃん、わたしに何か用があるんじゃないの?」
「そうなんです! お姉さんに、どうしてもお聞きしたいことがあって・・・」
「なにかしら?」
女の子ふたり、お互いに相手を促すように見つめ合った。
「ハヤテ君のお姉さんは、男の子だったんですよね?」
意を決したのかメグミちゃんの方が話し出した。
「うん。だった、と言うより今もそうなんだけどね」
「それなのに、どうしてそんなに綺麗で女らしいんですか?」
「もともと、その、世間一般に言う、オカマだったりしたんですか?」
目をまん丸く見開いて、ボクを見つめる。やっぱ中学生は素直というか遠慮がないというか直球だ。
「オカマねぇ。どうしてそんなこと訊くのかな?」
ボクは、カットして打ち返す。
「私たち、ハヤテ君のお姉さんの花嫁姿を見て、絶対こういう女性になるんだって決めたんです!」
「あ、学園祭のとき会場にいたんだ・・・」
「そうなんです! それでその綺麗さとか女らしさとかは生まれたときから備わったものなのか、それとも努力して身につけたものなのか、どうしても確かめずにはいられなくなったんです」
「先天的なものだったら諦めるしかないですから・・・」
ふたりは真剣だ。女の子はこの年齢でもう将来の自分をイメージして準備を始めるんだ。これは真面目に答えてあげないと・・・。
「わたしの場合はどうなんだろう・・・。そうだ、これ見てくれる?」
と言いいながら、ボクは自分の学生証をポケットから取り出した。
「これは去年高校に入ったときの証明写真。あなたたちから見たらこの男の子ってどう見えてるのかな?」
ふたりは、まだ髪が短くモミアゲがある男子高校生だった時の写真と、今のボクとを何度も見比べる。
「この写真に写っている男の子・・・本当にお姉さんなんですか?」
「今のお姉さんに似てはいるけれど・・・やっぱり違う気がします!」
「そう? その子が女の子の格好すれば、わたしになると思うんだけど」
≪えええええええええ~≫
ふたりからいっせいに否定の声があがってしまった。男子高校生だったときの方が、今のボクより劣って見えているということかい? ちょっとショック・・・。
「それは違うと思います。やっぱりハヤテ君のお姉さんは、努力したからこそ今の姿になれたんですよ!」
「どんなことをすれば、そんなに綺麗で女らしくなれるんですか?」
≪教えてください!≫
地面と平行になるところまで頭を下げられてしまった。まあ、彼女たちも証明写真を見た感じでは、ボクが生来のトランスジェンダーやトランスヴェスタイトでこうなったとは思わなかったみたいだ。ある意味ほっとする。
とはいえ、後天的なものだと思われてしまった以上は仕方がない。ボクは惑星ハテロマの女性化プロジェクトで、どういう教育を受けて来たか話すことにした。
「じゃあ・・・そのオッパイは本物なんですね?」
「え? そ、そうだけど」
今にも触りそうな勢いで凝視しているので、ボクは慌てて両胸を手で隠す。
「ほら~! その仕草なんか、絶対男の子じゃできませんよ」
「そ、そうかな?」
「そういう細かい仕草とか表情とか、身体の線の見せ方とか、コーチしてください!」
またまた地面と平行になるところまで頭を下げられてしまった。横を見ると、ハヤテが両手を併せて拝んでいた。
秋の日はつるべ落とし。部活が終わるとすっかり暗くなっていた。いつもの住宅街の道を家まで送ってもらいながら、ボクはカッちゃんに昼休みの出来事を話した。
「ふうん。アラシも大変なんだな」
「でしょ? まさかわたしが、女の子たちに女の子の仕草を教えることになるなんて、思わなかったもの」
「可愛い弟の頼みじゃ仕方ないんだろ?」
「うん。ああやってハヤテに拝まれちゃうとねぇ。だから、昼休みはときどき中学の子といっしょにご飯なんだ」
と、ボクは照れながらそう言った。それをカッちゃんが横目で眩しそうに見ている。
その時、前方から怒鳴るような男の声が聞こえた。
「おい、あの女。例の子じゃないか?」
見ると、周囲を威嚇するトンがった空気を身にまとった男たち三人が鋭い目でこちらを睨んでいた。
「アラシ。おまえは後ろに下がって駅の方に逃げろ」
カッちゃんが、ボクの腕をつかむとこれまで歩いて来た方に押しやった。
「おい! 待てよォ。その子に用があるんだよ」
と言いながら、大股でボクたちに近づいてくる。
「アラシ走れ!」
そうカッちゃんが言ったときには、すでに距離を詰められていた。ボクを守ろうと両手を広げたカッちゃんを押しのけて、男のひとりがボクの二の腕を強い力で掴む。
「うっ・・・」
「おとなしく言うこと聞いてりゃ痛い目には遭わねえんだよ!」
ボクは、痛みを堪えながら男を睨み返した。
「可愛い顔しやがって。これで男だとはな」
「ああ、まったくだ。この膨らんだおっぱいはどうだ! それにこの細い足を見てみろよ」
「やめてください!」
ボクは防御しようと上体を反らすが、執拗に男の手がスカートへと伸びてきた。思わず身体が反応する。
≪パシッ≫
男の手がスカートにかかった瞬間、ボクは掴んでいる腕を関節の可動域とは逆方向に身体を捩じりながら、向かってきた手を蹴り上げていた。
「いてえ!」
「く・・・くのやろう!」
男たちが痛んだ関節や蹴られた手をこすりながら、恐ろしい形相でボクを睨み付ける。手を蹴られた方がボクに向かって平手打ちの体制に入った。ボクが覚悟して目をつぶりかけた瞬間、黒い影が突進してきた。
「いいかげんにしろ!」
カッちゃんはそう叫びながら、男を跳ね飛ばした。
「いい度胸じゃねえか!」
ガードレールに手をつきながら男は恐ろしい形相で振り返ると、今度はカッちゃんを睨み付けた。
「二度とそんな口が利けねえよう、オマエから可愛がってやる!」
と言うなり、男はカッちゃんに跳びかかった。
≪ピピーーーーーッ≫
そのとき鋭い警笛の音が鳴り響いた。眩しいライトがこちらに向かって近づいてくるのが見える。
「やばい。マッポだ!」
「行くぞ!」
「オマエら、次に会うまで覚えておけよ!」
と言うと、男たちは靴音とは反対方向に走り出し十字路で3方に分かれると、姿が見えなくなった。
「君たち、怪我はなかったか?」
ボクたちの所に駆け付けて来たのは制服を着た警察官だった。
「わたしは大丈夫です。カッちゃん、どこか痛くしてない?」
「ああ、俺も大丈夫だ」
「よかった。ホッとしたよぉ」
懐中電灯を当ててボクの顔を確認した中年の警察官が言い出した。
「無事だったか。間に合ってよかった。キミに万が一のことがあると本庁からドヤされるのでなあ」
「本庁から?」
ボクは、思わず問い返す。
「キリュウアラシ君、だね? 君は警視庁の保護対象なんだよ。君が学校に復帰してから、登下校の際には本庁の警察官が張り付いていたんだが、どうやら大丈夫そうだということになって、市警にそれとなく登下校の時間帯に注意するようにと指示が出ていたんだよ」
額の汗を拭いながら事情を説明する様子を見ると、気の良さそうなオジさんだ。
「そうだったんですか。わたしの為に皆さんにご面倒をかけていたんですね」
「君が気にすることではないよ。市民の安全を守るのがオジさんたちの仕事なんだから」
「ありがとうございます」
ボクは、ペコリと頭を下げた。それを見てオジさんの口元がほころんだ。
「そっちの君。君は勇気があるんだな。たったひとりで彼女を守っていたんだろ? 君が時間を稼いでくれたおかげで間に合ったんだ。ありがとうな」
「いや、それほどのことでも・・・」
「毎日ちゃんと彼女を家まで送っていく感心な男の子だって、署内でも評判なんだぞ?」
「まあ! 凄いね、カッちゃん。警察の中で評判なんだね!」
「いや、それほどのことをしている訳じゃ・・・」
カッちゃんは、照れながら否定していたけれど、嬉しそうだった。
繁華街が近いからか、いろんな人が吉祥寺の住宅街を通るようになっている。男子高校生のときには気にならなかったけど、セーラー服を着て歩く様になって行き交う人の遠慮のない視線は気になっていたのだ。
カッちゃんが並んで歩いてくれるだけでどんなに心強いか、ボクは今回のことで身に染みて感じた。
別れ際にオジさんが言っていたけれど、今夜の件があったからボクの通学路の巡回が強化されることになるそうだ。これで少し安心できるけど、カッちゃんにはこれからも送ってもらおうっと。
家まで残りの道のりを歩きながら、ボクは肩を並べていたところからすっとカッちゃんの前に出た。
「ん? アラシ、どうかしたのか?」
「ううん。カッちゃんが後ろで見守ってくれている感じってどんな風かな、って思ったの」
ボクは、カッちゃんがいつもボクを見ていることを知っている。視線を合わせると慌てて目を逸らすくせに、ボクが見て見ぬ振りなんかしているとずっとボクのことを眺めている。よく飽きないものだとも思うのだが、他の男子たちもそうなのだ。授業中や休み時間、部活のときなど、ボクが何かしていると目が離せなくなるいみたいなのだ。熱帯魚や小鳥が鑑賞されている感じって、きっとこういうものなのだろう。
ボクも男だから、男の子が女の子を見たいと思う気持ちは分からないじゃない。
今のボクは、頼りがいのある親友にお礼したい気持ちでいっぱいだった。でも、それを言葉にしちゃうと軽いものになってしまいそうに思える。そこで、ボクは自分の後姿をカッちゃんが遠慮せずに見ることができるように、一歩前を歩くことにしたのだ。ボクは、素知らぬ振りをして女の子モードで後ろに語りかける。
「カッちゃん。お星さまが綺麗ね。やっぱり秋になると空気が澄んでくるのかな?」
「本当だ。だが、澄んだ空気というより俺には甘い匂いがするな」
それって、ひょっとしてボクの体臭のこと?
「え? それってわたしのこと? シャワーしないで着替えたからひょっとして汗臭い?」
「あ? いやいや! アラシが臭いわけあるはずないじゃないか!」
「よかったぁ♪」
ボクは、女体化させられてから以前に比べて知覚が敏感になっていた。特に匂いは気になってしまうので、自分が臭いと思うと気持ち悪くて仕方がなくなるのだ。
「で、どうなんだ?」
「え?」
「俺が後ろから見守ってやっている感じ、確かめているんだろ?」
匂いに気を取られていたら、逆に攻勢をしかけられてしまった・・・。でも、こういう時にこそ女の子モードが役に立つのだ。
「大きなやさしさに包まれている感じがして、とっても安心♪」
ボクの背後で何かが弾け、一気に融解するような気配がした。
「でも・・・カッちゃんは、わたしの後ろを歩くのって嫌なの?」
ボクは立ち止まり、しっかり向き直ると、心配そうに真剣な目でひたとカッちゃんを見つめた。
「あ、いや、いやじゃない、違う、そうじゃない、アラシ、お前の後姿を見守りながら歩くのは俺にとっても嬉しいシチュエーションなんだ。喜んでいるんだぞ」
なるほど・・・男の子は、女の子にこういう風にやられると思わず本音を吐いちゃうんだ。
「そう、よかったぁ。じゃあ、ときどきやってあげるね!」
「あ、ああ頼むわ」
今この瞬間もボクの中身は男のままだと分かっているのだろうけど、さしものカッちゃんでも外見に気持ちを動かされてしまったみたいだ。
そう言えば、ベルが「ランさん、小悪魔におなりなさい」って言っていたっけ。惑星ハテロマでお姫様やっていたときにベルが勧めてくれた小悪魔って、こういうことなんだろうか? あの頃は海外歴訪や女神杯があったので王都の社交界とは縁がなかったけど、未婚女性が男の人たちを相手にするには必需なんだって教えてくれたよなあ。
精神科の医者が言っていたみたいにボクの心の中に女でいたいって思える自分がいるのなら、きっと今みたいなやり取りをドキドキわくわくしながら楽しんだに違いない。まだ、ボクにはそういう感じはしてこないのだけど、続けていくうちに目覚めてくるものなのかもしれない。
カッちゃんなら、親友だから怒らないだろうし少し練習台になってもらうことにしようっと。
「カッちゃん。今度の修学旅行のときだけど、自由行動は同じ班になってくれる?」
また肩を並べて歩きはじめると、ボクは切り出した。
「女子は女子同士で観光地を回るんじゃないのか?」
「うん。サヤカちゃんもユカリちゃんもクルミちゃんも、そのつもりみたいなんだけど・・・。旅行中ずっと女の子の部屋だし、せめて自由行動のときくらいは女子の枠から自由になりたいと思ったんだ。それに・・・女の子だけで歩いているときに、今日みたいなことになったらどうしようって」
カッちゃんは、ボクが言っている状況を頭の中で想像しはじめた。
「アラシが女の子の中にいて、那覇の国際通りを歩いていると前から胡乱な男どもがやってくる・・・そりゃあダメだ! 絶対にダメだ!」
血相を変えてしまっている。きっと相当リアリティのあるシチュエーションを思い描いているのだろう。
「だよね? わたし一人で女の子たちを守ってあげることなんて、できそうもないもん」
分かってはいるのだろうけれど、女の子たちの中でボクが唯一の男であることを示唆してみる。
「ちがう、逆だ! 女子だけでアラシを守ってやることなんてできる訳がない!」
「え? 狙われるのってわたし?」
自分は男だから襲われることなんかないって信じ切っていて、いま気がついたみたいに反応してみる。
「当たり前じゃないか! アラシは、アラシは狙われやすいんだ! アラシがいる班はがっちりガードを固めなければいかん! さっそく明日、岡崎に言おう! 絶対言おう!」
カッちゃんがマジに心配してくれている。さあ、練習するなら今だ。ボクは、カッちゃんに背を向けると、か弱く見えるように肩をすくめて恥ずかしそうに言った。
「でも・・・わたしは、カッちゃんが今みたいに一緒にいてくれて守ってくれるだけで安心なんだけどなぁ」
ふたたび背後で何かが弾け、一気に融解するような気配がした。