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ランとアラシで神隠し  作者: 迦陵びんが
第9章 「男の子と女の子のはざまで」
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第88話 ボクの決意と学園祭

ついにその日がやって来た。

ボクは鏡に映った自分の姿を見つめながら呪文をつぶやく。


「今日からボクは女の子なんだ・・・今日からボクは女の子なんだ・・・今日からボクは女の子なんだ」


≪ガチャッ≫


ドアが開いたので振り返ると、姉貴が立っていた。


「アラシちゃん。隣まで聞こえてきたから言うんだけど、女の子が“ボク”っていうのは変だわ」

「あ、そうか・・・えっと、今日からわたしは女の子・・・今日からわたしは女の子・・・今日からわたしは女の子」

「そう。その方がずっといいわね」


そう、ボクは精神科の女医から言われたことを、試してみる気になっていた。


もしも自分の心の中に、女の子でいたいと思っている自分がいるのなら、もしもその自分を目覚めさせることができるのなら、そしてもしもその自分を本当の自分の姿として受け入れられるとしたら、この身体のままでも構わなくなくなるはずだ。その方が、こんなに思い悩み、苦しく辛い気持ちのままでいるよりは、ずっといいに違いない。






そんな決心をするに至ったのは、病院から戻った夜のことだった。

ボクが風呂あがりにパジャマ姿で出て来ると、リビングで寛いでいた父さんが言いだした。


「アラシ。今日はまる一日病院の検査で大変だったな」

「うん・・・女の子の検査ってすっごく痛いんだ」


ボクは、両胸の膨らみをさすりながら言った。


「そ、そうなのか?」


父さんは慌てて目を反らし、たじろいだ様に尋ねる。


「そうですよ、お父さん。あなたたち男性には分からない苦労があるんですよ、女には」


母さんが夕飯の洗い物を片づけながら、ため息交じりに言う。

ボクは、冷蔵庫からマンゴージュースを出してきて、紙パックのシールを開けながらテレビの前のソファに腰かけた。


「ともかく、その、なんだ、身体には問題がなくってよかったな、アラシ」

「うん・・・身体はね」

「でだ、お母さんから病院の話を聞いたのだが、精神科のお医者さんから提案があったそうだな?」


と父さん。ボクとしては身体に合うのが他にないから着ているだけなのだが、女モノの可愛いデザインのパジャマを着て、風呂上りにジュースを飲んでいる息子を前にした父親って、どういう気分なんだろうか。


「うん・・・ボクの中には、女の子でいたいと思っている自分もいるんじゃないかって。で、それを試す方法があるって教えてくれたんだ」

「どうなんだ? アラシは、それを試してみたいと思っているのか?」

「そうだなあ・・・やってもうまく行くのかどうか・・・それに、結構用意が大変なんだよね」


ボクは、ちらっと父さんの顔色を窺う。


「ああ、お母さんから聞いた。お父さんもお母さんも、アラシの悩みが解決するなら、何だってしてあげようと思っているんだぞ。アラシはそんなこと全然気にしなくっていいんだ」

「そうよ、アラシ。お父さんとも相談したんだけど、アラシがその気なら、明日にでも準備を始めるつもりなの」

「・・・」






それで、今ボクの目の前には女の子の憧れ、自分専用のドレッサーがあるのだ。

真っ白で光沢のある塗装にリボン飾りをあしらった金の装飾、全体的にウェーブした優雅なデザインがとっても女っぽい。女の子だったら小躍りして喜ぶところなのかもしれない。優れモノなのは、三面鏡なのでそのまま自分の左右の横顔も確認できることだろう。これまで洗面所の鏡しか使ったことのない人間には、その便利さがよく分かる。


部屋の中の家具は、すべてドレッサーとお揃いで、可愛らしい猫足のデザインのものに変えられている。

カーテンは、明るいパステルミントのボーダー柄のと、花模様をあしらったフレンチレース。じゅうたんもピンクがかった淡いイエローに白いハートのパターン柄。本棚やライティングデスクの上には、勉強道具のほかにはまだ何もないけど、これはボクが自分の“女の子”としての趣味で揃えて行く為のスペースとして空けられている。


勉強道具だって、皆女の子が持っているようなものに交換されてしまった。スタンドライトはチューリップみたいな笠のついたものになっているし、筆記道具は全て細く小さく小ぶりで可愛い柄やキラキラ光る装飾のついたファンシーなものになった。


なんだかお尻のあたりがムズムズして居心地が悪い。この感じって、惑星ハテロマのサンブランジュ公爵宮殿で姫君としてピンクの装飾品の中で生活していたとき常に感じていたのと同じだ。ボクは2年半ずっとこの違和感を感じ続けて生きて来たのだ。


本当にボクの中には女医の言うような、女としての自我が存在しているのだろうか・・・。


いま、そのドレッサーの鏡に映し出されているのは、麗慶学園高校のセーラー服を身にまとった細っそりとした女の子。内側にカールしたセミロングがとっても優しい雰囲気を醸し出している。それを眩しそうに見つめている姉貴の顔。


「アラシちゃんにはやっぱりセーラーね! 前に私のお古の夏服を着せたけど、その冬服もほんとよく似合っているわあ! 白いスカーフがとっても清楚、これぞお嬢様って感じよ!」


すると、後ろから声がかかった。


「でしょう? 今回は寸法直しの時間があったから、体型に合わせて、袖と着丈と胸まわりを出して、ウエストとヒップラインを詰めたの。アラシの身体にぴったりフィットしてるでしょ?」


母さんが部屋に入って来ながら言った。


「ふ~んだ。どうせ私はチビでデブですよ~だ!」


と姉貴がふくれっ面をしながら、ボクの後ろ頭を人差し指でツンッと小突く。


「仕方ないでしょ、フブキ。アラシはスタイルがいい上こんなに華奢なんだもの。ま、お姉ちゃんのことは放っておいて、その姿を写真に撮ってあげましょうね。女の子はね、自分の可愛い綺麗な姿を写真に残して、それを楽しむことも必要なのよ。今日の学園祭も母さんたちがアラシの晴れ姿を、バッチリ記録しちゃうんだからね!」


母さんは愛おしそうにボクの両肩を撫ぜながら、鏡の中の大きな瞳の女の子に笑いかけた。


「い、いいわよ。そんなこと力強く宣言しなくったって・・・」

「私も行くんだもんね。だって、アラシちゃんが生でコスプレするって言うんだから、絶対見に行かなくっちゃ!」

「お父さんも行くって言ってらしたわよ」


これは大変なことになってしまった。あんな格好しているところを家族全員に見られたら、恥ずかしくて死んでしまうかも。


「姉貴は卒業したんだし、もう来なくったっていいでしょ? 今日これからのことを思うだけで憂鬱なんだから・・・」

「アラシちゃん。女の子が“姉貴”って変よ」

「あ・・・“お姉ちゃん”か」

「そう。言い直してみて」

「お、お姉ちゃんは来なくったっていいんじゃないの」

「そうだ、お母さんたちのことも“ママ”“パパ”って呼ぶようにしましょうよ。その方がずっと女の子らしいわよ?」

「う、うん・・・」






「ランちゃ~ん」

「ランちゃんが逃げないようにお迎えですよ~」

「なんてったって今日の主役はランちゃんなんだもんね~」


家の外でボクを呼ぶ声が聞こえてきた。

3人娘が迎えに来たのだ。昨日のホームルームの最終打合せで、準備した衣装を最後までボクが嫌がったもんだから、当日の朝になって逃走するのではないかと心配になり、お迎え班を組んだらしい。

念の入ったことだ。ボクは、ひとつため息を吐くと覚悟を決めてドアを開けた。


「わたしなら逃げないわよ」


セーラー服姿で現れたボクを見て、みんなキョトンとしている。


「ら、ランちゃんがセーラー服着ている!」

「じ、自分のこと“わたし”って言った!」

「に、逃げないわよ“わよ”だって!」


≪可愛い~~~~~い!!≫


三人娘が声を合せて叫んだ。微妙に音程がずれて、高音部が不協和音になっているのが気になる。ボクはちょっと顔をしかめながらも、微笑みを浮かべお辞儀で返した。


「す、スカートの裾を摘まんでお辞儀しちゃってるわよ!」


≪いったいどうしちゃったの~~~~~?≫


と、玄関扉が開くと母さんが、7インチタブレットを手に外へ出てきた。


「アラシ、お家の前で冬服セーラーで初登校する記念撮影をしましょうね。 あら、皆さん、アラシのお友達?」


≪おはようございま~す≫


「そうなの。同じクラスのお友達で、わたしを迎えに寄ってくださったのよ、マ・・・ママ」

「うふふふ。アラシのお口からママだって、とってもいい響きだわ!」


≪ママだって~~~~え!!≫


ボクは、恥ずかしさのあまり思わず頬を赤らめる。でも、ここで躊躇っていてはもっと恥ずかしくなってしまうから、開き直ることにした。


「マ、ママにもお話していたでしょ。こちらが龍ヶ崎サヤカさん、そちらが羽矢瀬クルミさん、そしてお隣が早乙女ユカリさん。皆さん、わたしの傍のお席なの」

「いつもうちの“娘”と仲良くしてくださってありがとう。この子はまだまだ女の子としては半人前ですから、よろしくフォローをお願いしますね」

「む、娘・・・ってお母さんは、アラシ君のことを女の子として・・・」


びっくりしてしまったのか、3人娘はお互いに顔を見合わせる。


「フォローをお願いする以上は、皆さんにもお話しておいた方がいいわね」

「母さん!」

「アラシも自分の口からじゃ、言いにくいんじゃないの?」

「・・・はい・・・ママ」


確かに、この3人にこれまでの経緯を説明するのは気が重い。ボクは母さんに同意するしかなかった。


「実は、カウンセリングでお医者様から提案があったの。身体は女の子なのに心は男の子という、いまアラシが抱えている心の中の葛藤を、そのまま放って置けばストレス性の疾患になってしまうかもしれないんですって。それを回避する方法は2つ。身体を心に合うようにするか、心の方を身体に合せるか」

「男の子の姿にもどすか、女の子の心になるか・・・」

「そう。でもね、いまアラシのお腹の中では女性器官がちゃんと機能しているの。人が生きていく為に必要なホルモンを、しっかり自分で生産できているので、放っておいても治療せずに暮らしていけるそうなの。ところが男性に戻ると、それを取ってしまうことになるので、一生ホルモン治療が必要になってしまうんですって」

「女の身体だけど健康でいるか、男に戻るけど治療が必要な身体になるか・・・」


さしものサヤカたちも、ボクの置かれたのっぴきならない状況が分かったのか、真剣な表情になっている。


「そう、とっても難しい選択なの。でも、これからの長い一生のことを考えれば、健康でいられることが第一だと思うの。アラシもそのことはよく理解してくれているわ。だから、できることなら心の方を身体に合わせたいの。カウンセリングに従って、女の子として生活してみて、それを楽しむ気持ちになれるか、できるだけやってみることにしたのよ。アラシの心の中に女性としての自覚が芽生えれば、すべては解決なの。だから皆さんも、お友達として協力してあげてくださいね」


≪はい!≫






ハヤテは、中学でも同時開催される学園祭の準備があるので、朝早く先に出てしまっていた。仕方なく、いや違った、今は女の子なのだから女の子同士が自然なんだった。女の子同士、仲良く学校に向かう。


「へえ~! ランちゃん自分のドレッサー買ってもらったんだぁ!」

「すご~い! ベットや整理ダンスもお揃いの可愛いデザインなんだぁ!」

「なんとまあ! じゅうたんやカーテンまで、女の子風の可愛いのに交換しちゃったんだぁ!」


他にする話題もなかったので、学校への道すがらボクの部屋がどういう状態になっているか話したら、案の定相当なインパクトだったみたいだ・・・。


「うう・・・そんなに驚かないでよぉ。パ、パパとママが、わたしが女の子として自覚できるように、身の回りの物を、すべて女の子のもので揃えてくださったの。日頃から女の子の世界に浸りきって、毎日毎晩、女の子である自分の姿を見ているようにしなさいって、お医者さんから言われただけなんだもん」


ボクは、パパとかママとか、くださったのとか、女の子言葉で喋りながら、それが女の子の振りをしているに過ぎないことを知っていた。何しろ、既に2年半の長きにわたって、やってきたことだから。


「やっぱりランちゃんは、お父さんお母さんに愛されているんだねえ!」

「そりゃあ、こんなに可愛い娘だもん!」


え? ボクが可愛い? 惑星ハテロマでは誰よりも背が小さかったから、そう言われたけれど、ここではボクは皆より背が高いのだ、小さいから可愛いというわけでもないだろうに。


「可愛い娘って・・・わたし、可愛いのかなあ?」


≪あちゃあ~~~~≫


「この子ったら、まったく自覚ないよぉ!」

「素でそれを口にできるかぁ!」

「ランちゃん天然だからねぇ。そうじゃなかったら、鼻もちならない嫌な女のセリフだよぉ!」

「まずは、そのあたりから教育せんとアカンですな、ご同輩」

「んだ」

「んだ」






学校が近づくにつれて、麗慶学園の制服が合流して、ひとつの流れとなっていく。


「ほら見てご覧よ! ランちゃんの傍を抜けていく男の子たちが、皆振り返っていくよ!」

「ね? ランちゃんは男性週刊誌にも取り上げられたくらい目立っているんだよ!」

「ああ、白いビキニ? あれはわたしのことが珍しかったから・・・」

「分かってないわねぇ。KRMM会の会長を信じなさい! ランちゃんはとっても美少女なの」


サヤカが言い切った。因みに、KRMM会とは“キリュウランノミサオヲマモル会”の略称で、うちの高校の女子たちによる、ボクの為の支援団体なのだそうだ。


「女の子はね、誰でももっと綺麗になろう、もっと可愛くなろうって思うものなの」

「私だって、その為に血のにじむような努力をしているんだよ?」

「クルミ、あんた何か努力してたの?」

「してるよ~、寝る前のチョコを2個から1個に減らしたんだもん」

「はいはい。大した努力ですこと」

「ね? 本人が思っているほどには外から評価されないものなのよぉ」

「その点、ランちゃんは完全無欠の美少女。うらやましさを通り越して、ため息が出ちゃうわ」

「なのにランちゃん本人には、美少女としての自覚がない」


≪う~~~~~~~~~~む≫


「ランちゃんは女の子なんでしょ? だったら、自分のこともっともっと磨いていく努力をしなくっちゃ!」

「そうそう!」

「女の子にとっては、それが楽しいんだもん」


3人がボクの姿を値踏みするように眺める。


「磨いていく・・・どうすればいいの?」

「今日の学園祭の演し物が、ちょうどいいきっかけかも」

「そうだね!」

「あれならいいかも!」

「わたしはどうすれば・・・」


≪まっかせなさ~~~い!≫






「これ・・・どうしても着なきゃダメ?」


ボクは、目の前に突き付けられた衣装を前に最後の抵抗を試みる。


≪だめぇ~≫


3人娘は言下に否定した。

ボクは、ひとつため息を吐くと、観念して袖に腕を通しはじめる。学園祭でもやっぱり女装させられることになってしまった・・・こういう格好するのって、女の子だったら嬉しいものなのだろうか・・・いや違う・・・ボクは女の子だったんだ。


「ランちゃん。女の子はねぇ、色んな格好をしてみたがるものなの」

「制服とかユニフォームとか、それに身を包まれる自分の姿を想像しただけでも、ワクワクするものなのよ」

「ランちゃんも女の子なんだから、変身願望を身につけなくっちゃ」


いつもの女子更衣室とはいえ、着替えているのはボクひとり。見張られながら着替えるのって、やっぱり気恥ずかしいかも。体育の時とか部活では、なるべく人のいない時間を選んでいるし、いつもロッカー扉に隠れるようにして着替えているくらいなのだ。


「き、着替えたけど・・・」


≪おおお~~~~っ!≫


着替え終えてボクが振り返ると、3人から歓声が上がった。


「こりゃ思っていた以上だわ!」

「うちのクラスの売上、すごいことになっちゃいそう!」

「それじゃあランちゃん。このスモックを羽織って」

「どうして?」

「その姿が見えないようによ」

「ランちゃんのコスプレ姿を拝めるのは、入場料を払ったひとだけなの」


この女たち、策士というかしっかり者というのか、なんだか、やり手ババアみたいだ。






「さあ~さあ~お立ち会い! 今年の2Cの演し物は、学園祭最大の話題企画だよ~お! 麗慶学園に学ぶ小学生から大学院生まで、在校1万人随一の美少女、ランちゃんのコスプレだよ~お! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! はい、お3人さんご案内~い!」


いよいよ学園祭がはじまった。教室の入口で派手な呼び込みをしているのは早乙女ユカリ。次々入ってくる木戸銭を集めているは元締めの委員長。メガネの赤いフレームを直しながら集計に余念がない。


演し物と言っているけれど、うちのクラスでやっているのは真面目な展示企画なのだ。テーマは『パクス・ブリタニカ時代の英国文化』。


英国の正式国名である「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」が成立し、五大陸の半分が海外植民地となったのはビクトリア女王統治の時代。産業革命によって科学技術が大きく進展し、力をつけた資本家は貴族文化と重なりながら新しい市民文化を形作った。その頃の英国文化について、クラス全員が役割分担して展示パネルと模型を製作したのだ。


クレープとか焼きそばの模擬店なら分かるけれど、展示もので入場料をとるなんて、まったくいい度胸だと思う。大講堂で行われるイベントステージで創作ダンスにお芝居やコーラスなど、一生懸命練習した成果を見せる他のクラスだってタダで発表するのだ。来場者の多くが父兄とはいえ、小難しい展示などは見に来てくれるだけでもありがたいと思うのだが。でも、委員長たちは相当に強気。


「私たち高校生だって“経済”というものを実習するべきであり、それが今回の裏テーマなのよ」


とか


「要するに需要と供給の相関関係だな。需要のあるところにビジネスチャンスはあるんだ!」


とか


「こいつぁあ儲かりまっせ、ダンナ! ウハウハでんなぁ」


とか言って、ボクの反対なんか聞こうともしなかったのだ。で、なぜボクがコスプレしなきゃならないのかっていうと・・・。




「“ナポレオン戦争が終わると、英国は七つの海に乗り出して世界中と貿易するようになりました。インドや中国、そして日本からも様々な物産が持ち帰られるようになり、パクス・ブリタニカ、つまり、英国による平和の時代を謳歌する、市民文化が花開いたのです”」


ヘッドセットマイクを通して場内スピーカーにボクの声が流れる。説明しながら魔法少女みたいなキラキラした指示棒で、ボクはパネルの該当ヵ所を差し示した。この棒も、姫デコ趣味の子がストーンやパールそれからフラワーを接着して手作りしたものなのだ。


展示は教室の壁にそって時計回りに設置してあるので、真ん中は広場みたいになっている。そこにギッチリ40人ほどの来場者が立っている。身動きできない状態なので、パネルを順に説明していくボクを追いかけ顔と身体の向きだけ回転していく。それにしてもよく人が入ったものだ。単なる展示企画なのに・・・。


「“以上でわたしからの説明はお終わりです。引き続き展示はお時間のある限りゆっくりご覧ください。ご清聴ありがとうございました”」


≪パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ≫

≪ヒュ~ヒュ~≫


ペコリとボクがお辞儀した途端、大きな拍手と歓声が沸いた。ボクがカーテンで仕切った控え室に退こうとしたら、来場者に呼び止められた。


「すみません。一緒に写真とっても構いませんか?」

「あ、私たちもお願いします!」

「握手してください!」

「サインもらえますか?」

「おい、押すなよ」

「危ないって」


振返るとわれ先に殺到してきた人たちで、ボクのまわりには人垣ができていた。


「“あ、あの・・・こ、困ります”」

「困ることないでしょ? いいなあ、そのエプロンドレス姿」

「考えたもんだな。19世紀の英国文化って言うからなんだろうと思ったら、メイドさんが解説してくれるんだから」

「それにしても可愛いわぁ!」

「ほんと綺麗ねえ!」

「アナタ、テレビで見るより背が高くて細いのねぇ」

「こんなに華奢なんだもの。見てご覧なさいよ、ウェストの細いこと」

「これが男の子だったなんて思えないぜ」

「こうして神隠し少年の実物を拝めるなんて、わざわざ吉祥寺まで出て来た甲斐があったぜ」

「金払ているんだから写真くらいいいだろ?」


ボクが目の前にいるのに、遠慮なしにジロジロ見ながら勝手なことを言い始める。父兄らしい人もいたけれど、他の高校や大学のひとたちが多いみたいだ。どんどん詰め寄って来るので、いまにも触られそうな勢いだ。と、遠巻きにしていたウチの制服たちをかき分けるようにして、背の高い男子が飛び出して来た。


「はいはい、そこまでそこまで! 説明員には手を触れないでください! クラス展示をご覧になった方から順に退出をお願いします」


カッちゃんだった。


「記念写真くらい、いいだろ?」

「そうよそうよ!」

「すみませんが“彼女”の仕事は説明のみとなっています。写真撮影は展示ご案内中の時のみに限らせていただいております。次のステージは11時15分から。よろしければまたのご来場を!」


屈強な体育会系男子に見下ろされて、渋々ながら引きあげはじめた。


「ありがとう、カッちゃん」

「い、いいってことよ。アラシのボディーガードを買って出たのは俺の方なんだから。今日も帰りは送っていくからな」


と言いながら、カッちゃんは眩しそうにボクの姿を見つめた。






「お疲れ~え! うちのクラスの企画、大成功じゃないの!」


控室に入ると、裏方で当番をやっていたサヤカが出迎えてくれた。


「う、うん。でも、わたしの説明を聞いている感じじゃなかったよ?」

「そりゃあ、ランちゃんを見に来てるんだもん。その美貌を拝むことができて、その小鳥のさえずりみたいな可愛い声を聞けただけで、文句はないんだから!」

「でね、記念写真や握手を迫られちゃった・・・」

「ホント? そっか! その手もあったか! 握手会とサイン入り生写真売ったら、更にひと儲けできるかも!」

「や、やめてよぉ」

「うふ。冗談よ」

「冗談にしておくのは惜しいアイデアね」


委員長が箱を抱えて入ってきた。ぎっしり硬貨が入っているのか重そうだ。


「キリュウ君、お疲れ様。お陰様でバッチリ売上げているわよ。次の回も頼むわね」

「・・・誰も、説明聞いていないみたいなんだけど」

「いいのいいの。チケット代払って入場したら、展示を見て勉強しようと、他のことで楽しもうと、お客さんの勝手なんだから」

「・・・他のことって?」

「それは決まってるじゃないの。キリュウ君のコスプレよ」

「そんなに見たいものなの?」


その場にいた委員長とサヤカが、不思議そうにお互いに目を見交わし合った。


「はあ、天然ランちゃんじゃ、自分のことは分からないか」

「こうして、目の前で見ているだけでも楽しいのにね」


そこにクラスメイトの男子が駈け込んで来た。


「た、大変だぞ。委員長!」

「なに慌ててんのよ、岸端君。キミ、受付当番でしょ? 受付を外しちゃっていいと思っているの?」

「その受付が大変なんだよ!」

「どういうこと?」

「教室の外に、順番待ちで行列ができちゃっているんだよ!」


そこに新たな女子が駈け込んで来た。


「どうすんの? 廊下から溢れ出ちゃって、階段の踊り場まで列が伸びちゃっているわよ!」

「村瀬さんまで。当番が全員受付を外しちゃったらダメでしょ? 仕方ないわねえ」


と言いながら、状況を確認しに委員長が控室を出て行った。




その後、どんどん増えて行く来場希望者の列を処理するため、急遽予定を変更して総入れ替え方式で順次展示ガイドが組まれた。ボクが休みなしの出ずっぱりで説明員をやらされることになってしまったのは言うまでもない。

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