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ランとアラシで神隠し  作者: 迦陵びんが
第6章 「地球帰還を賭けて」
72/110

第70話 最終決着! 女神杯2日目

女神杯2日目。

地平線からこの恒星系の三つある太陽の一つが顔を出し、眩い朝日が地上のあらゆるものをオレンジ色に染めていく。決戦の場である競技会場のフィールドに漂う朝靄も太陽光を浴びて幻想的な風景を作り出していく。いよいよ最終日、決戦の朝を迎えたのだ。




「ふわ~~~あ」


目が覚めるとボクは全身で大きく伸びをした。体調もばっちり、いつになく爽快な気分だ。


「大きなあくびですこと。でも、子猫ちゃんみたいでとっても可愛いですけどね」

「ほんと。キミは何やっても絵になるわね」


ベルとヴェーラ先生が、ベッド横のテーブルでお茶を啜りながらこちらを見て言った。眠っているところを見られていたのだと思うと、ボクは急に恥ずかしくなってきて慌ててベッドから飛び起きる。あ・・・何も身に着けていない。


「そういうヌード姿だって、ちっともいやらしくないもの。オッパイの張り具合、腰のくびれ具合、ヘアの茂り具合縮れ具合なんか儚げで理想的美少女体型だわ」

「なんだか妖精のようですよね」

「まん中に垂れ下がっている男物のチューブだけは余計だけど」


ボクは急いで肌掛けを身に巻きつけながら、少しでもこの場の主導権を回復しようと言い返す。


「ぜ、絶対取りませんからね! それよりず、ずっとそこに居たんですか?」


ヴェーラ博士とベルはお互いに顔を見交わしてからため息をつく。よく見れば目の下にクマができていて相当に疲れた表情だ。


「はあ、随分なご挨拶だこと」

「ほんとそうですね。朝までにランさんの疲労を回復させようと、先生と二人で徹夜で頑張ったんですから」

「だから、今さら裸を隠したって意味ないわよ。見るどころか全身いじり回したんだもの。ランちゃんのおっぱいって膨らみはあるんだけれど乳首も乳輪も小さいし、まだまだ青い果実って感じで硬くてね。開発して女としての愉びに目覚めさせてあげたいわ」


と言いながらヴェーラ博士が両手をワキワキさせたので、思わずボクは胸を両手でガードしてしまう。


「や、やめてください。女神杯に勝ちさえしたらボクは男に戻るんですから!」

「だから、その為に徹夜でランちゃんのこと面倒見てあげたんじゃないの」

「そうですよ、ランさん。お陰で大分元気そうじゃないですか?」


ボクはベルのその言葉を聞いて、どうして寝覚めがよかったのかにようやく思い至った。


「あ、ありがとう・・・でも、意識を失ってしまったみたいで何をされたのか記憶がないんです」

「分かってるって。いつもならランちゃん必ず抵抗するのに簡単に素っ裸にむかれちゃったくらいだから相当弱っていたのよね。スベスベとろとろモチモチした地球人女性の素肌をじっくり堪能させてもらったことだし先生もやり甲斐があったというものだわ」






競技会場に近づくと、続々と観衆が詰めかけて行く様子が見えてきた。


「すごい・・・人波ですね」

「ほんとだ・・・」

「みんなランさんをひと目見たいと思ってるんですよ」

「そんなことないよ。昨日は結構いい勝負だったから、それならフィールドで観戦してみようと思っただけじゃないの?」

「いいえ、違います。確かにゲオルはいい勝負だったのかもしれませんが、美の競演 妍の競い合いではランさんの圧勝でしたから・・・あ!」


その時、ボクたちが乗った地上車に気がついたのか競技会場へと向かう人の流れが急に滞って車道へとはみ出しこちらへと押し寄せてきた。慌てて警察の人たちが止めに入ったがあっと言う間に取り囲まれてしまう。


「ど、どうしましょう・・・これじゃあ身動きが取れません」


車外では警察官が懸命に群集を押し戻そう引き離そうとしていたが、びっしり取り囲んでいる上に次々と押し寄せてくるので下がることもできない様子だ。子供連れや赤ん坊を抱いた母親も群衆の中にまきこまれている。将棋倒しにでもなったら大怪我をしてしまいそうな危険な状況で、なんだか険悪な雰囲気になりかけている。


≪ガチャッ≫


ボクは、ドアを開けると車外に出た。押し問答していた喧噪が一瞬静まる。


≪うおおお! プリンセスだ!≫


大歓声が上がる。


「皆さん、おはようございます!」


ボクは、歓声に負けない声で明るく言った。


「今日は素晴らしい天気になりましたね! わたくしにとって自分の人生を賭けた大変な一日ですが、持てる力のすべてを尽くして戦う覚悟です。ディフェンディングチャンピオンのスジャーラ選手と必ずいい勝負をしますので、皆さん是非応援してくださいね! それじゃあ準備がありますので失礼いたします。また会場でお会いしましょう!」


ボクは、女性化プロジェクトで身に着けた一番の笑顔を作り、小首を傾げると胸元で小さく手を振った。


≪うわあ≫

≪パチパチパチパチパチパチパチパチ≫

≪ひゅう ひゅう≫


盛大な拍手とともに、笑顔の人たちが進路方向のスペースを開け始めた。地上車はゆっくりとその間を進んで行く。窓を開けてボクは手を振りながら声援に応える。


「ね? 言ったとおりでしたでしょ? 皆さん、可愛くて綺麗なランさんを自分の目で見ようと詰めかけているんですよ!」

「そうなのかなあ・・・今朝は国王陛下からユニフォームを指定するメッセージが来なかったからパンツスタイルのを着てきたけれど・・・これじゃあ、がっかりさせちゃうのかなあ・・・」


と言いながらボクは自分の両足を見る。


「うふ。ランさんにもようやく人気者としての自覚が生まれてきたみたいですね。そんなこともあろうかと、ベルはちゃ~んとミニスカートのユニフォームを持ってきていますよ。クラブハウスに着いたらお着替えしましょうね、ベルが腕によりをかけて可愛く仕立てて差し上げますね!」

「う、うん・・・」






「“さあ、最終日を迎え絶好の天気に恵まれました。女神杯のフィールドには朝早くから多くのギャラリーが押し掛け、2日目のスタートを今か今かと待っています。氷の女王かプリンセスか、第199代女神杯チャンピオンの栄冠はどちらの頭上に輝くのか! きょうの2ラウンドで全てが決まります!”」



実況中継が始まった。アナウンサーもいつもより興奮気味だ。



「“凄いギャラリーですねえ。過去の大会でもこれほど観戦客が入ったことはなかったのではありませんか?”」

「“まだスタート前ですが、大会本部の発表数字によるとすでに5万人を超えていますね! 初の100勝を挙げるのはヤーレ連邦かアビリタ王国か、誰もがその歴史的瞬間を目撃しようという思いでいるのでしょう!”」

「“いや、そればかりじゃありませんよ。氷の女王スジャーラ選手にとっては前人未到の3連覇が掛かっているわけですし、前回まで最終ラウンドを待たずに勝敗が決まってしまう一方的展開であったものが、今回はプリンセス・ランの1アップで最終日に来ているのですから。アビリタ国民にとっては40年ぶりの勝利が見えてきてますからねえ”」

「“私もスポーツアナウンサーとしてこの試合の実況中継を担当できる幸せを噛みしめているところです。それはともかく、さあいよいよティーグラウンドに両選手の登場です!”」




≪うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!≫


スタンド裏の選手通路を通ってティーグラウンドに出た瞬間、地響きのような大歓声が起こった。ボクはびっくりして一瞬足が竦んでしまったけれど、気持ちを落ち着けて笑顔を作るとソードラケットを高々と掲げて声援に応えた。


≪むうう~ん≫

≪ほおお~お≫

≪はああ~あ≫


「“・・・・・・・・・・・・おっと失礼しました。思わず実況するのを忘れて見入ってしまいました。いや、プリンセス・ランのなんと華麗なことでしょうか! お聞きください、ギャラリーからもため息が漏れています!」

「“ゲオルのファンだけではありませんな、こりゃ。昨日の試合を中継やニュースで見て応援に駆け付けてきたにわかプリンセスファンも相当いますね!”」



ボクは試合のことで頭がいっぱいだったので、ベルのされるまま、着替えさせられ髪を結わえられメイクを施されていた。実のところ鏡すらよく見てこなかったのだが・・・。


「ああ、なんて可愛いんだ! 切れ長の目に長い睫、昨日よりさらに輝いているじゃないか!」

「なんて素敵な笑顔なのかしら! 白くて綺麗で小っちゃな歯が朝日にキラキラしてとっても可愛いわぁ!」

「綺麗ねえ! 結いあげた黒い髪の美しいこと! 白いレースのリボンがとってもお似合いよ!」

「小さくて細い肩から長く伸びた白い首筋! まるで陶器でできた芸術作品のようだ! これを見ることができただけでもここに来た甲斐があったというもの!」

「いや、やっぱりアンヨだ。ミニから覗く細くて綺麗な足、可愛い膝小僧なんか絶品だぜ!」


ギャラリーから感嘆の声が聞こえてくる。それにしても凄い視線だ。見られるだけなら構わないようなものだけど、なんだか裸にされて身体のパーツパーツを品定めされているような気がしてくる。



「“続いて氷の女王の登場です! ティーグラウンドに悠然と現れました! が、まったくの無表情! 場内を一瞥するもののギャラリーなんか目に入らないかのような態度です!”」

「“いやあクールですねえ。プリンセスとは対極ですよ。ま、お互いにキャラが立っているのでベビーフェース派かヒール派か、見ている方もはっきり応援できるというものです!”」

「“なるほど、それはありますね。誰もが応援している善玉が、コテンパンにやられて泣き顔になるのを見て爽快な気分になるのって、多かれ少なかれ誰にでもありますから”」

「“はは、泣き顔ですか! プリンセスの泣き顔もまた、さぞや魅力的なんでしょうなあ”」



なんか実況で勝手なこと喋っているけれど、ボクは絶対ここで負けるわけにはいかないのだ。

今日は何としても勝たなければならない。


セナーニ宰相と交わした男と男の約束は、女神杯に出場して勝利すること、その見返りとして地球ゲートを開く方法を国家機関をあげて調査研究してもらうことなのだ。


女神杯に出場できるのは女性だけ。だからこんなに苦労して身体を女体化させ、声も仕草もその上に身分証の性別まで女にして頑張ってきたのだ。

今ではボクのお腹の中には子宮と卵巣まで埋め込まれてしまっている。

ここで負けてはこれまでの2年半の努力が全て無になってしまうのだ。


勝てなければ二度と地球には帰れなくなるし、これからの一生を公爵家姫として生きていかなければならなくなる。

女装して生きていくだけでも相当問題なのに、公爵家唯ひとりの継嗣となるとそれだけでは済まなくなる。

ベルが言うみたいに、男の身でありながら誰かの花嫁にされ妻となり、いずれ妊娠させられて赤ちゃんを産むことを強要されるに違いないのだ・・・ボクが出産!


そんな嫌なイメージが浮かんできたので慌ててふるふる頭を振りながら気持ちを切り替える。

ボクは雑念を振り払い、ティーグラウンドからこの日最初のホール『立春』のコースレイアウトを念入りにチェックすると金属球をセットした。




「“さあ、最終日前半戦のスタートです! プリンセスが構えに入った!”」


≪スパーン! シュルルルルルルル≫


≪トン! トッ≫

≪おおーっ!≫


「“プリンセスの第1打は、高い弾道で見事一つ目の島を捉えました! これまでの2ラウンドとまったく同じ攻め方ですね?”」

「“このホールは全面が池ですから無理するとロクなことにはなりません。プリンセスは150m地点の島を狙うステディなプレーに徹していますよ”」

「“逆に1ダウンの氷の女王は攻めなければなりませんか?”」

「“残り16ホールで1ダウンですから無理をする必要はないでしょうけれど”」


≪スパッ! シャーーーーーーーッ≫

≪うおーっ!≫


「“氷の女王の第1打もこれまでの2ラウンドとまったく同じ! きっちり250m先の二つ目の島を捉えました!”」

「“やはり氷の女王、一歩も引きませんな。強気です!”」




≪カシーン! シュルシュルシュルシュル≫


≪トン! トッ ト ツツー≫

≪パチ パチ パチ パチ≫


ボクはこれまでと同様『立春』の2打目を250m先の三つ目の島に打って行った。



「“さあて氷の女王です。第1ラウンドはグリーンを狙って池の中、第2ラウンドはグリーンを見事捉えましたがプリンセスが3打目を直接鐘に当てたので引き分け。やはりここは当然グリーン狙いですよね?”」

「“2ラウンドやってコツは掴んでいるでしょうからね”」


≪スパッ! シャーーーーーーーーッ≫


「“氷の女王が第2打を打った! グングン伸びて行く! さあ、落下地点は・・・あれ?”」


≪トーン トン トン トン トン≫


スジャーラの第2打は3つ目の島、ボクの第2打の直ぐ先に止まった。



「“これは意外です! 氷の女王はグリーン手前の島に球を置きに行きました!”」

「“むむ、これは仕掛けましたな”」

「“仕掛けた、と言いますと?”」

「“プリンセスランを徹底的にマークしてプレッシャーを与え続けるつもりなんですよ。ちょっとでもミスをすれば負け、そういう状況で常に先に打つよう仕向ける、いや恐ろしい戦術です”」

「“獅子は兎を狩るにも全力を尽くすという訳でしたか。さあ、果たしてプリンセスは氷の女王スジャーラが仕掛けた虎口から逃れることができるのか!”」



実況中継に言われるまでもないことだけれど、なるほどね。スジャーラはそう来たか。

マッチプレーの基本は相手より内側に付けること。常に相手より有利なポジションに球を置いて相手のミスを誘うのだ。

でも、逆を言えば相手より不利なポジションから先に打って最高の結果を出しさえすれば、今度は仕掛けてきた方にプレッシャーが掛かるのだ。よ~し・・・。


≪カシーーーーーン!≫


「“プリンセスの第3打だ! 太陽を反射してキラキラ輝きながら金属球が舞い上がっていきます!”」


≪トン! トン ツー・・・・カ~ン♪≫

≪うおおおおおっ!!≫


「“当たった 当たった!! プリンセスの第3打は直接鐘を鳴らしました!”」

「“これは凄い! 昨日に続いてここでまたやってのけるとは!”」


≪パシーーーーーン!≫


「“おっと、まだ余韻も収まらないうちに氷の女王が第3打を打った! これもいい! 真っ直ぐ鐘を目指しているぞ!”」


≪カ~ン♪≫

≪うおおおおおっ!!≫


「“当たった これも当たりました! 氷の女王の第3打は見事鐘を直撃です!”」

「“いや凄まじい勝負です。やられたらやり返す! 女と女、意地と意地とのぶつかり合い! 観ている方が手に汗握る試合となりました!”」

「“第3ラウンド1ホール目『立春』は引き分け! プリンセスの1アップのままです!”」






3つの太陽が中天に昇る頃になると、またジリジリと気温が上がり始めた。


「ハア ハア ハア ハア」


いけない・・・口で荒い呼吸をしてしまっている。やっぱり疲労が蓄積されてきているんだ。

今日はギリギリまで“能力”を使わずに凌ぐつもりだったけれど、最初のホールからスジャーラが徹底してプレッシャーをかけてきたので勝負どころでは使わざるを得なかったのだ。

ボクは額の汗を拭いながら、最終ラウンドのスタートホールへと向かう。



「“さあ、泣いても笑っても最終ラウンド! ここまで前半の8節を終えてプリンセス・ランの1アップですが、こうなると殆ど差がないと言っても差支えないでしょう!”」

「“そうです。勝負はまさに一進一退、1ホール毎に並び返し抜き去ることの繰り返しですから。プリンセスもよく氷の女王の猛反撃に耐えていますよ”」

「“さて問題はこの太陽光です! 昨日プリンセスが気を失う一幕がありましたが、あれは明らかに紫外線と暑さによるもの! 何しろ乳母日傘の姫育ち! 男性に引けを取らない氷の女王とは相当体力差がありそうですから!”」



言われなくたって分かってるってえの。

いくらボクの女体化が進んでいるとはいえ、男勝りの女に男が負けそうになっているので相当イライラしているんだから。


いまや最大飛距離で100m近く差をつけられてしまっているのだ。飛ぶということは、それだけ鐘に近づいているということで、スジャーラはロフトのある短いソードラケット形状で楽に狙えるということなのだ。だから残されたボクの頼みの綱は、長い形状での正確なショットコントロールしかない。


スジャーラとの差は1アップ。このまま行けば最後のホールがドーミーホールになる。そこさえ引き分ければボクの勝ちだ。このまま1ホールの差を堅持できれば一進一退でも構わないのだ。


というわけで最終ラウンドをボクは“省エネ”ショットに徹することにした。


無理せずグリーンに乗せて着実に次の1打で鐘に当てていくのだ。もしスジャーラがミラクルショットで直接鐘に当ててマッチイーブンになったら、次のホールでは“能力”を使い再び1アップとしていった。






「“さあ一進一退の攻防が続きましたがいよいよ18節目、最終ホールを迎えます! ここまでプリンセスの1アップ! ついにドーミーホールを迎えました! このホールを引き分けてもプリンセスの勝ちです! プリンセスが一歩優勢ですが前評判で言われていました、到達飛距離600m度肝を抜く超絶ショットで“攻めのプリンセス”とは正反対、堅実なコースマネージメントといいますかショットを刻んでいくことに徹しての優勢ですね? これはいったいどういうことでしょうか?”」

「“私にもなんとも・・・いまそこにある現実としてプリンセスより氷の女王の方が飛んでいる、ということですよ”」

「“ううむ飛んでいた選手が急に飛ばなくなることってあるもんでしょうか?”」

「“わざとでなければ・・・急激な筋力の変化、でしょうか”」

「“分かりませんがプリンセスの身に何かが起きている様子です!”」



余計なことを。せっかくダマしダマしどうにかここまでやってきたのに手の内を指摘されてしまった。

まあ、ここまで来ればスジャーラだってとうの昔に気づいているに違いないのだろうけれど。


それにしても・・・場内が騒然としてきた。最終ホールに集まってきた大勢のギャラリーが、少しでも見やすい位置へとわれ先にコースを取り囲む丘や崖の上にも登りはじめているのが見える。



「“ご覧ください。最終ホールには、この歴史的名勝負を見ようとぞくぞくギャラリーが押しかけてきています! 全長680mフィールドの周囲は大勢のギャラリーで立錐の余地もありません!”」

「“来場者が10万人を超えたと発表がありましたからこのホールにはそれだけの人が集まっているわけですよ!”」

「“なにしろここまで女神杯800年の歴史はヤーレ連邦99勝、アビリタ王国99勝とまったくの五分。現在プリンセス・ランの1アップですからこのホールを引き分ければアビリタが初の100勝となるわけです。氷の女王がこのホールを取り返せば再びマッチイーブン。この最終節『冬至』で決着がつくまでサドンデスで勝負が繰り返されることになるのです! この歴史的勝負、歴史的瞬間を見逃したくないという思いは誰しも同じでしょう!”」

「“一方でアビリタ王国は40年間負け続けてきているわけです。これまで長年にわたり果たせなかった夢をプリンセス・ランがもう少しで叶えてくれる所まで来ているのです! いやが上にも彼女への期待で盛り上がるわけですよ!”」

「“さあ、宇宙歴12012年 第199回近代ハテロマ競技大会の最後を飾る女神杯、最後のティーショットです!”」



ようやくここまで来たんだ。このホールさえ引き分けにすればボクは地球に帰って男に戻れるんだ。ボクは、込み上げてくるものを押えながら軽く両膝を曲げて金属球をティーグラウンドにセットした。


≪ヴオンッ≫


グリップエンドのスイッチを起動してグリップを軽く握る。


≪シュルルッ≫


円柱状だったグリップが瞬時にボクの両手を包みこむと、まるで皮膚の様な形質に変化して腕と一体化した。


≪ギュイン≫


回転音が急速に高まると形状変化可能帯域に入る。早いレスポンスだ・・・このソードラケットとの“対話”は心が安らぐ。ボクは女の子の筋力になってしまっているので、もはやコイツの限界まで能力を引き出すことはできないのだが、徐々に落ちていくボクの筋力に合わせるように優しく反応してくれているのだ。


準備万端さあどうぞと、まるでボクを労わるように待ってくれている愛機『プリンセスマリアナ』号に応えるため、ボクはこれから打つショットに思念を集中する。


≪ギュルルル≫


その瞬間ソードラケットのヘッドは美しい紡錘形に、シャフトは細く長くしなやかに変化した。シャフト内の回転音が高まりソードラケット全体がプラチナホワイトに発光しはじめる。ボクは、大きなバックスイングから綺麗な弧を描いてゆったりとソードラケットを振りぬいた。


≪シュッ キュイーーーーーーン!≫


いい当たりだ。イメージは550mだけど・・・。



「“プリンセス最後のティーショットは真っ直ぐフェアウェイに向かっています! おっと横風だ! 風に乗って左サイドに流れて行ったが、止まった止まった! 飛距離380mのセミラフです!”」


こんなに打感と実際の差が出るようになってしまった。ほんとダマしダマしだ。


≪スパッ! シャーーーーーーーーッ≫


「“氷の女王のティーショットだ! これは飛んでいる! いったあ! 530mフェアウェイセンターです!”」



スジャーラは、逆に段々飛ぶようになってきているみたいだ。530mだったら地球から来た高校生男子と十分渡り合えるだろう。では、地球から来た元高校生男子現女子級の筋力しかないボクとしてはどう戦おうか・・・。




ボクの金属球が止まった位置は切り立った崖のすぐ傍だった。崖の上で大勢のギャラリーが下を覗き込んでいるのが見える。ボクたちのショットを一瞬たりとも見逃すまいと十重二十重に重なり合って立ち並んでいる様子でちょっと危なっかしい。とその時、


「危ない!!」

「うわっ!」


頭上で何かが滑る音と悲鳴が聞こえた。慌てて振り仰ぐとフットボールみたいな形の黒い影が落下してくるのが見えた。


「きゃああああああ! 赤ちゃんが! 赤ちゃんが!」


赤ん坊? そうか・・・あれは御くるみに包まれた赤ちゃんなんだ! ボクは落下地点に向かって駆け出すと、目いっぱい腕を伸ばしながらジャンプした。ギリギリで指先が掛かる!


「ッ痛」


差し出した左手に衝撃が走った。危うく取り落としそうになるところを、何とか右手と胸で受けとめる。たたらを踏みながらもどうにか転ばずに着地できた。


「ふぎゃあ ふぎゃあ ふぎゃあ」


ボクの胸の膨らみを押しつぶしていた柔らかくて温かい塊が腕の中で泣き声をあげはじめた。覗いてみると赤ん坊が顔を真っ赤にして泣き叫んでいる。よかった・・・無事だった。


上を振り仰ぐと崖から足を滑らせた幼い子供が足をバタバタしていて、その子の手を必死で掴んでいる若い女が見えた。何か叫びながら懸命にこちらを覗き込んでいる。あの人がこの子のお母さんに違いない。きっと幼い子が崖から落ちそうになったのを助けようとしてバランスを崩して赤ちゃんを抱いていた方の手を放してしまったのだろう。ボクは抱きかかえた赤ん坊を揺すり上げて泣き声で無事を伝えた。


≪おおおおおおおおおおおおっ!≫

≪パチ パチ パチ パチ パチ≫


歓声があがる。ボクは、駆けつけてきた大会役員の手に赤ん坊を委ねると改めて左手を握ってみた。


≪ズキン≫


激痛が走る。左手の指先でなんとか赤ん坊を引っ掛けることはできたけれど、中指1本で落下してきた赤ちゃんの全体重を受け止めてしまったのだ。筋が伸びてしまったのか、指先から手首にかけて腫れてきて左腕が自由に曲がらない。


利き腕をやってしまった・・・。



「“崖から赤ちゃんが落下するというとんでもないアクシデントが起こりましたが、プリンセス・ランの機敏な対応で事なきを得ました!”」

「“いやあ実に危ないところでした! 大事な女神杯のラウンド中に人命救助までやってのけるとは! これでますますプリンセスの応援が増えますよ!”」

「“さあ、競技再開です! 最終ホール大事なセカンドショットをプリンセスはどう攻めるか! さあ、スタンスに入った!”」


≪パキーーーン シュルシュルシュル≫


「“おっとこれはミスショットだ!! 左方向へ飛び出した打球はグリーン横の崖に向かってコロコロと転がって行きます!”」

「“これはまずい! グリーンの傍ですが崖の際に行ってしまいました! あの位置でスタンスが取れるかどうか・・・”」

「“どうしたのでしょう? あれだけ正確だったプリンセスのショットが狂い始めています!”」


≪あああああああっ!≫

≪きゃあああああっ!≫


「“ギャラリーから悲鳴があがったと思ったら、プリンセスが身体を折って膝まづき左腕を押さえています!”」

「“先程のアクシデントで痛めてしまったんだ! これは大変なことになりましたよ!”」


≪パシーーーーーン!≫


「“あっと! そんな騒ぎなど関係なしに氷の女王が第2打を打ってしまった! グングン上昇しながらグリーンを目指している!”」


≪トン! トン ツー・・・・ピタッ≫


「“素晴らしい! 鐘の奥1mに付けました!”」

「“容赦ないですな・・・”」



ボクは、しばらく身動きすることができなかった。打った瞬間に身体の中を走り抜けた激痛で頭の中が真っ白になり息をすることもできなくなったのだ。


「ふう・・・」


ようやく呼吸を取り戻して、額に浮かんだ脂汗を右手で拭う。この暑さなのに血の気が引いたせいですっかり冷たくなっている。心臓がドキドキ言っているし呼吸も速い。ひどい痛みだ・・・でも、あと少しだ・・・ここで頑張らなければ一生後悔することになってしまう。


ボクは、左腕をだらりと下げたまま第3打地点に向かって足を引きずるように歩き始めた。


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