第68話 女神杯はじまる
これは・・・。
ボクがまのあたりにしたのは、ゲオルのフィールドというよりは巨大な池だった。池の中には睡蓮のようにフェアウェイが島になって点在している。こちらからは遠くてよく見えないがグリーンも相当小さいみたいだ。
「“さあ、いよいよ女神杯がはじまりました! 選手はもちろん大会関係者ですら知ることのできなかったコースがいま姿を現しました! こ、これは・・・”」
実況中継がはじまったが、アナウンサーもあまりのコースセッティングに絶句している。
「“ご覧ください! ティーグラウンドから先は全て池。池に浮かぶ島がフェアウェイになっています”」
「“いま配布された資料によると最初の『立春』は全長550mとなっていますが、それぞれの島までの距離は載っていませんねぇ。表示もなく歩測もできないとなると、こりゃあ選手の距離感が相当に試されますよ”」
ボクは点在する島の並びを観察する。
最初の島までは150mくらいだが結構小さい・・・二つ目は250m先。幅は狭いものの奥行きはたっぷりある・・・三つ目は400m先で二つ目と同じような形・・・そして550m先にとてもユニークな形の小さなグリーンか・・・。
ここからはピン、じゃなかった目指す鐘は見えないけど難しいポジションに置いてありそうだ。遠くの方の水面にはさざ波が立っている。ここでは感じないけれど、グリーンまわりでは結構風がありそうだ。
「“さあ、ティーグラウンドにプリンセスが金属球をセットします。裾を押えながら軽く膝を曲げる姿がなんとも女らしく魅力的です! いよいよ第1打ですが果たしてどこを狙うんでしょうか?”」
「“彼女のこれまでの平均飛距離からいったら2つ目の島狙いでしょうな。転がるスペースがありますから一つ目よりは池に落ちる危険性も少ないですしね”」
「“さあ、スタンスを固めてソードラケットに集中しはじめました! 金属的な回転音が高まるとともにクラブシャフトがプラチナ色に光りはじめています! ゆっくりとテイクバックをしてコンパクトなバックスイングから一気に振り下ろし!”」
≪スパーン! シュルルルルルルル≫
「“おっと、球は高々と舞い上がってますよ?”」
「“これでは距離は出ない。となると狙いは一つ目の島でしたか”」
≪トッ トンッ≫
「“プリンセスの第1打は見事フェアウェイを、というよりは浮島のど真ん中を捉えました!”」
「“しかし、どうして一つ目の島を狙ったんですかねぇ。これでは3打目で鐘を狙うしか方法がなくってしまいましたよ。となれば氷の女王スジャーラ・シフォンは遠慮なく攻めますよ、なにしろ百戦錬磨ですからねえ”」
「のけ!」
ボクが球の行方を追って直径8mほどの浮島で無事止まったことを確認していると、スジャーラ・シフォンが手でハエでも追い払うようにしながら言った。
「ふん。そんな消極的な攻め方で私についてこれるとでも思っているのか!」
憤然とソードラケットのスイッチをオンにする。
≪ギュル ギュル ギュル ギュイーーーン グウォウォウォウォン≫
スジャーラは、愛機の回転が安定する間も与えずに形状を変化させる。
「“おお! 出ました、氷の女王の正確無比のショットを支える長距離用フェース! いつ見ても鮮烈な赤には驚かされます”」
スジャーラのソードラケットは形状変化だけではなく色も変化するみたいだ。長距離用はまっ赤なんだ・・・なんか血の色みたい。
スジャーラは身長を活かした大きなアークで振り上げると、意外なほどゆったりしたスイングで金属球を振りぬいた。
≪スパッ! シャーーーーーーーッ≫
空気を切り裂くように勢いよく飛び出した金属球は、一気に最高点まで駆け上がると上昇をやめ落下しはじめた。
≪トーン トン トン トン トン≫
≪おおおおおおお!≫
スジャーラの第1打は、二つ目の島の中ほどに落下するとバウンドしながら転がって先端部分で停止した。
「“飛距離は280m。ちょっと大きめでヒヤッとしましたが、なんとか浮島に留まりました!”」
「“残りは270m。距離はありますが2打目で狙えるポジションまでもってきましたね。さすがディフェンディング・チャンピオンです”」
スジャーラはボクを一瞥し、球の止まった島まで送ってくれるボートの乗り場へとさっさと下りて行った。正確な距離が分からないまま打っているので、彼女も内心はヒヤヒヤしていたのだと思う。
さあてと。ボクは、ボートから降りて改めて現在の状況を確認する。プレーヤーひとりが立ってプレーするのがやっとの本当に小さな島だ。
「“いやあ、改めてプリンセスが立っている姿を見ると、とんでもなく小さい島だったことが分かります!”」
「“直径8mしかないこのスペースによく球を止められたものだ。やはりプリンセスの距離感とショットの正確さはずば抜けていますよ”」
「“問題はここからどう攻めるかですね?”」
「“直接グリーンを捉えることは不可能な距離ですから3つ目の島に持ってく行くつもりでしょう”」
この位置から見ると3つ目の島は、2つ目の島に連なって見えたが、実際には100m以上離れていて間には池が広がっているのだ。島は細長い楕円形をしていて何ていうか、そうウナギパイみたいな形なのだ。つまりは滑走路に止めるつもりで球を打てばいいわけだ。
≪カシーン! シュルシュルシュルシュル≫
ボクは、第2打をイメージ通りにきっちりショットした。低く飛び出した打球は水面すれすれを滑空して100m先で急激に高度を上げた。
「“おお! ホップして一気に高度を上げました! プリンセスの第2打は3つ目の島を目がけてぐんぐん伸びていきます!”」
「“水に落ちるのではないかとハラハラさせられますが、これがプリンセスの持ち球なんですよ!”」
「“さあ、上昇から下降に転じます! これはいいぞ!”」
「“コースには乗っていますが問題は、この勢いで行って島の上で止まれるかどうか・・・”」
≪トーン トン トン ツツーッ≫
「“バックスピンが掛かった! 3バウンド目でピタッと停止しました! 素晴らしいボールコントロールです!”」
「“飛距離は265mですか、この距離で球を止めて見せるとは! いや見事です”」
「“さあ、問題は次。氷の女王のショットです! 第2打でグリーンを捉えればその時点でプリンセスはほぼノーチャンスになってしまいます!”」
スジャーラの第1打は島の最先端にあった。もうひと転がりしていたら池に落ちていただろう。スタンスは取れそうだが、思い切ってスイングするにはギリギリのスペース。下手をしてバランスを失うと池に落ちかねない危うい位置だった。
グリーンまでは285m。女神杯を2連覇している世界女王にとっては届く距離だが、なにせグリーンが狭いのだ。
グリーンも池の中に島として浮かんでいるのが見える。ただ、他の島と大きく異なっているのは平たんではなく、まるで中華まんみたいにこんもりと膨らんでいた。
「“グリーンの直径は30mほどと狙うのにそう難しいという大きさではありませんが、問題はその形状です! なんと言いますか、例えて言うなら・・・女性の乳房のようといいますか”」
「“なるほど! 膨らみの頂上にポチッと鐘が見えますもんねぇ。それにしても、周囲が全て池に向かって落ちていますから、よほど上手く球を止めないと池に吸い込まれてしまいます”」
「“果たして氷の女王はどういう攻め方で行くのか? 注目の第2打です!”」
スジャーラは右利きなので、少し左方向を向けば島の先端の不安定な位置にある金属球に対しても無理なく構えることができた。
「“ほう、オープンスタンスで構えましたか。これなら普通にソードラケットを振れますし、フェードボールで止まる球を打とうという訳ですな”」
「“ということは直接狙いますか?”」
「“まだ1ホール目ですが、挑戦してくる者を容赦なく突き放すのが氷の女王のやり方ですよ”」
≪シュン ギュロロロロロ≫
スジャーラが精神を集中すると彼女のグリップしていたソードラケットの形状が変化した。
シャフトは距離が出るよう長く細く、ヘッドはスピンが掛かりやすいようフェース面にロフトと溝が付いていた。長い腕を最大限まで振り上げると一気に振り下ろした。
≪スパッ! シャーーーーーーーーーーーーッ≫
左方向に飛び出した金属球は、高い弾道で右旋回しながらグリーンを目指す。
「“いい感じで弧を描いているんじゃないですか?”」
「“うむ。これならグリーンを捉えます。問題は止められるかどうか”」
「“さあ、どこへ落ちるのか? グリーンに落下しても球が止まらなければペナルティを課せられてしまいます”」
≪トーン! トントントントン≫
「“氷の女王の球は手前の傾斜面に落ちた! 大きくバウンドして頂上の鐘に向かって跳ねる! おっと! 弾みが大きい! ああっ! 鐘の上を通過してしまった! そこから先は下り傾斜だ!”」
≪コロ コロ パシャッ≫
≪ああああああっ≫
「“ああ! 氷の女王の第2打は無情にも池の中だあ! ギャラリーから大きなため息が漏れています”」
「“いやあ、狙い通りのいい球筋だったんですよ。ついてないとしか言いようがない!”」
「“となると氷の女王は次が第4打ですか。グリーンの奥にこぼれて池に落ちたので、グリーン手前のドロップゾーンからの救済ショットとなりますね”」
「“まったく不運としか言いようがありません。それにしても出だしホールからこんな極端に難しいレイアウトを用意するとは! これであえて2打目を刻んだプリンセス・ランが一気に有利になりましたよ!”」
あんな無理して攻めるなんて、初見のコースでよくやるよ。ボクは3つ目の島からその様子を見ていた。
今回の第199回近代ハテロマ競技大会女神杯だけの為に作られた専用ゲオルフィールドだけに、相当こだわりをもって設計されているみたいだ。ボクとしては、明日まで4ラウンドの長丁場になるので、最初のラウンドはまずどういうレイアウトなのか位置と距離を確かめるだけでもいいと思っていたのだけど・・・。
さて、グリーンまで130mくらいだ。ここから見ると本当に水に浮かぶ巨大な中華まんだ。思わず笑みがこぼれそうになるけれど、これからショットする立場としては笑うに笑えない。だって、どこにも平らな場所は見当たらないのだ。ほんといやらしいグリーンだ。スジャーラのショットみたいに行き過ぎれば池の餌食になるし、下手にバックスピンが掛かり過ぎると傾斜を後戻りしてやっぱり池に落ちることになる・・・。
「“さあ、プリンセスの第3打に注目です! これを寄せれば、というよりこの難攻不落のグリーンに乗せることができれば一気に優位に立つことができます!”」
「“おっしゃる通りです。鐘は頂上より少し下り傾斜にかかったところにあるので、鐘に寄せるというより傾斜のない頂上の直径2mが落としどころでしょう”」
≪ヒュー バサバサバサ≫
白いミニワンピースの裾が風にあおられて音を立てる。グリーンまでの間の池にはさざ波が立っているし、結構強い風が吹いている。最初から苦労させてくれるぜ。
ボクは、目をつぶると自分を包み込む球体をイメージした。その球体をどんどん膨らませていくと数本のラインが見えてくる。そうか・・・でも、風の方向が変わるたびにラインも変化している・・・見えた。何回かに一度、この方向から強い風が吹いてくる。その瞬間を逃さずイメージ通りに打てば風に乗る・・・。
「“さあ、プリンセスがスタンスに入った! 高速回転音とともにシャフトが眩く輝きだす! ゆっくり振り上げるとゆったりとしたタイミングで振りぬく! まるで魔法の杖を手に踊っている妖精のようだ!”」
≪カシーーーーーン!≫
「“おっと? 右に飛び出しましたよ?”」
「“池に向かっている。サイドスピンも掛かっていないしこれじゃあ池に落ちてしまう!”」
よし、ラインに乗った。これでいい。ボクは心の中でガッツポーズをした。
≪ビューッ≫
ボクの金属球は高々と舞い上がりグリーンの右方向に向かっていたが、突然吹き出した横風に乗って左旋回をはじめる。
「“ああ! 戻ってくる。プリンセスの球が戻ってきましたよ!”」
「“風を利用したんだ・・・ん? でも、打ったときには向かい風だった。どうやって読んだんだ?”」
≪トン! コロッ≫
≪うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!≫
「“やった! やりました! 見事グリーンの頂上にワンバウンドで止めました!”」
「“グリーンの丁度真上に来たときに横風が止み、失速してポトンと落ちたんですよ。どうやってそんなことが意図的にやれたのか・・・うーむ”」
「“結果を出したんです。もうそんなこといいじゃありませんか! プリンセスはミラクルショットで第3打見事にグリーンを捉えました!”」
ボクのショットに沸き立っていたギャラリーが収まると、スジャーラは靴を脱いでグリーン奥の斜面から池に足を踏み込んだ。彼女の球は岸部の浅瀬に沈んでいるのが見える。
「“ご覧ください! 氷の女王は水の中に沈んだ第2打を、そのままショットするつもりです!”」
「“いや、最初のホールから凄いことになってきましたよ! 水中ショットは実に難しいんです! 光が屈折するので見た目と実際の球の位置が微妙にずれるんですよ。それに構えるときにソードラケットを水面に触れさせるとペナルティですから打ち下ろし位置を確かめる訳にもいきません。正確なスピンを求められる勝負では微妙なずれが命取りになりますからね”」
スジャーラが構えに入る、1打目とは違って時間をかけている。やはり氷の女王だって勝負どころでは慎重になるのだ。傍若無人な態度の大女と思っていたけど、意外と繊細なのかもしれない・・・。
スタンスが決まり静止したソードラケットが回転音を高めると黄金色に輝きだす。水面に映って二重写しになっているふたりのスジャーラが一斉にバックスイングをはじめた。
≪チャッ パシャーーーッ≫
水の抵抗をものともせず勢いよく飛びだした金属球は、頂上を目指して舞い上がった。
「“上がった上がった! 水中から脱出成功です!”」
「“これはいい! 鐘を目指して真っ直ぐ飛んでいる!”」
≪トン クッ クー≫
「“グリーンに落ちた! プリンセスの手前1mに落下!”」
「“やりましたよ! バックスピンで球足を殺している! いやあ素晴らしいショットだ! あとはパット勝負だ”」
「“いや、待ってください。まだ氷の女王の球は動いています!”」
「“ああ! バックスピンが効きすぎたんだ! 微妙な起伏の下り斜面に落ちてバックスピンが掛かり過ぎてしまったのでしょう。ああ、崖の縁に戻されていく!”」
頂上付近の比較的平らな場所に落ちた球は、バックスピンで戻ったが徐々にスピードを落とすと急傾斜にかかる手前で止まりかけた。が、一瞬ためらったように見えた後、縁を越えるとコロコロ勢いを増しながら池に落ちて行った。
「“ああ! なんということでしょうか! 無情にも氷の女王の第3打は再び池の中へと消えていきました!”」
「“むむ、そういうことだったのか。分かりましたよ。この島全体がグリーンではなかったんですよ。グリーンと呼べるのは頂上の直径2mの範囲、あなたの例えで言うならオッパイではなく乳輪だったんです!”」
スジャーラは第4打も水中ショットを試みた。ギブアップはできるけど、斜面にかかる鐘の位置ではボクが必ずしもパットを入れるとは限らず、外せば池に転がり落ちる可能性があると思ったのだ。
今度は上手くいって“乳輪”で球を止めることができた。二度同じ失敗はしない、それが氷の女王なのだ。
「“さあ、今度はプリンセスのパットの番です。距離は2.5mと入れごろ。これが入れば1アップです!”」
「“いいや決して入れごろではありません。短いですがそんな易しいパットじゃありませんよ。鏡のような傾斜の途中にある以上は、もし鐘を外したらそのまま球は池の中です”」
「“当てればこのホールをゲット、外せば池の中。プリンセスはこの恐怖のパットを決めることができるのでしょうか! さあ、注目です!”」
ボクは、目をつぶると再び球体をイメージした。最初のホールから消耗を強いられるけれど、こういう状況では仕方がない。縁まで緩い傾斜で1m、そこから段々傾斜がきつくなりながら鐘まで1.5mか。ラインが見えた・・・。
≪コツンッ≫
ボクは、思いっきりよく金属球を叩いた。微妙な起伏に球足をとられることなく真っ直ぐに転がっていく。崖の縁を越えると一気に傾斜面を転がりさらに勢いを増す。そして・・・。
≪カ~ン♪≫
≪うおおおおおおおおおおっ!≫
「“やりました! 見事『立春』の鐘を鳴らしました! プリンセス・ランの1アップです!”」
「“いやあ、驚きました。普通なら崖の縁で止まるか止まらないかの、ギリギリまで球足を殺したパットで攻めるところですが、プリンセスは思い切って打ちましたね。あれなら曲りを気にしなくてもいいでしょう。いや、見かけとは正反対というか男らしい思い切りのよさです”」
ボクは、どの道このパットを外したら池の中だと覚悟を決めていた。
地面に穿った直径10cmほどの穴に球を入れるゴルフと違って、ゲオルは直径10cm高さ20cmほどの鐘に球を当てて鳴らせばいいのだ。ならば思いっ切り勢いよく当てればいいと思ったのだ。
それにしても2日間4ラウンドのまだ1ホール目だというのに厳しい戦いを強いられることだ。真夏の太陽が次第に高度を上げてきている。これから日没近くまでの2ラウンド、3つの太陽にジリジリ照らされて暑い戦いになりそうだ。