第5話 アラシと宰相閣下の提案
「キミは男だったのか?」
宰相閣下が驚いたように尋ねた。
「えっ?」
驚いたのはボクの方だ。
「確かにオトコ勝りの素晴らしい運動能力とは思ったが、まさか本当に男だったとは・・・」
「ボク、自分が女だなんてひと言も言ってません!」
「ならば、なぜ女の格好をしておるのだ?」
「お、女の格好?」
今日のボクは、地球から唯一身につけてきた財産、部活の練習着を着ていた。着圧機能付きの7分丈のカプリタイツとショートスリーブに、バギーパンツとフード付きスリーブレスパーカー・・・これのどこが女の格好なんだろうか。
「キミが着ているのは帽子のついた衣装ではないか!」
「帽子?・・・って、パーカーのフードのこと?」
ボクは急に思い当たることが数々あったのに気がついた。ボクがここに来たとき、風呂上がりに用意してくれたのはフード付きの服だった・・・着て来たのと似たデザインで背丈がいっしょだからだとばかり思っていたが、考えてみればラミータの服を貸してくれたのだった。
ヒムス家のひとたちは、迷子になったボクを気の毒がりずっと館にいていいと言ってくれて、その代りにと手伝いを申し出たところ与えられた仕事は、乳搾り、機織り、裁縫、刺繍、料理に掃除と、そのまま花嫁修業になりそうな家事全般だった。
ラマーダ母さんからは「アラシはハテロマのコたちより家事が上手かもしれないわね。教え甲斐があってわたしも楽しいわ」とも言われたっけ。
それに、ラミータの部屋に寝泊まりさせられたのも子供部屋だからとばかり思っていたが・・・どうやら、全く違う理由だった気がしてきた。
「あのぉ・・・ひょっとして、ここでは、帽子つきが女性の象徴なんですか?」
何をいまさら、という表情で宰相閣下がボクを見つめた。
「やはり・・・。ボクは、ボクたちの地球では、女でも男でも帽子つきを着るんです」
「そうなのか?オマエの言うことはとても奇妙だ・・・まるで、まるで男が乳房飾りをするようなものではないか!」
「乳房飾り?あ、ブラジャーのことか・・・。いや、そういうことじゃないんです、ってここだとそういうことになっちゃうのか?でも、とにかく地球では帽子は性別年齢にかかわらずかぶる習慣なんです」
「まあ、文化の違いはあろうからな。それは信じよう」
「であれば、ボクがわざと女みたいな格好をしていたんじゃないことは分かってもらえますよね?」
「まあ・・・な。しかし、困ったことになった。いまさら国王陛下にも国民にも、キミが男でしたなどとは言えない。言えるわけがない。苦節36年、今度こそアビリタが女神杯に勝てると期待しているのだ」
「男じゃだめですか?勝ちさえすれば男でもいいんじゃないですか?ボク頑張りますから」
なにを言い出すんだコイツは、という呆れた顔で宰相閣下に睨まれた。
「女神杯ゲオルに出られるのは両国を代表する2人の女性アスリートに限られるのだ。女神杯が600年の長きにわたってハテロマ競技大会最後を飾ってきたのは、地球女神伝説に基づくからであり、男が女神になれるわけないだろうが!」
ボクはシュンとしてまった。
いまボクが宰相閣下と面会しているのは館の4階にある書斎だ。
宰相閣下が「どうしても二人だけで話がしたい」と言ってくれてよかったと思う。いまさらだけど、もしこの場にヒムス家のひとたちが居合わせていたら、きっと卒倒していたに違いない。
いまにして思えば、夕暮れ間近の人影もないゲートに倒れていたボクをみて「女の子がひとりこんな寂しいところにいては危ない」と思って家に連れて帰ってくれたのだろうし、迷子になって途方に暮れている身寄りのない娘と思ったからこそ、館にも置いてもらえたのだ。ラミータとよい姉妹になると思ったからこそ、家族同様ラミータの寝室に寝泊まりさせてくれたのだ。可愛い孫娘を見ず知らずの男と同じ部屋に寝泊まりさせるなんて、ふつうありえないではないか。
しばらく考えていた宰相閣下が口を開いた。
「さてと、事態を収拾する方法がひとつだけある。キミの協力なしにはできないことだが、互いにとって最善の策であることは間違いない」
「・・・・どういうことでしょうか?」
「女になってもらいたい」
「えっと・・・ボクに性転換しろということですか?」
「そう。そこまでやってもらえれば申し分ない。が、いくらわたしでもそこまでは求めないよ」
「じゃあ、男とバレなければいいということで?」
「そうだ。さ来年の夏が次のハテロマ競技大会だ。キミには、その間女性として暮らしてもらい、万全を期して練習し女神杯に勝利してもらいたい」
「2年・・・2年半、女になっていればいいということですね?」
「そう。ただし、もし代表選手であるキミが男だとバレれば国家的スキャンダル、いや国際問題になるということはきちんと認識しておいてもらおう」
「このことを知るのは?」
「キミと私、それからプロジェクトを推進するメンバーに限られる。決して国王陛下や国民に知られてはならない。これは国家機密なのだ」
「でも、ボク元々男ですから、どんなに頑張って化けても女装した男にしか見えないのでは・・・」
「そこだよ。ひょっとして男かも、と少しの疑いも抱かせてはいけないのだ」
「どうすれば疑わなくできると?」
「簡単なことだ。誰ひとり疑うことのない憧れの女性、女から見ても理想の女性になればいいのだ」
「それって、ボクに女性アイドルになれということ?」
「アイドールとはなんじゃ?」
「ああ、こっちの話です。すみません。アビリタで憧れの女性っていうと誰なんですか?」
「ふむ。まずは王妃陛下だな。国民の母として敬愛されておる。それから、皇太子妃殿下だな。結婚パレードは伝説になっておる」
「ボクに王家の女性みたいになれと?」
「いや、わたしも宰相という立場上このふたりから始めねばならんのだ」
「じゃあ、いったい目標にするべき女性って誰なんですか?」
「キミが目標にするべきは、シモン伯爵家の令嬢レアさまじゃろう。才色兼備、まさに才媛じゃ」
「ボクでもお目にかかれるんですか?」
「レアさまは今度王立女学院の最上級生だから、いずれキミも会えよう。とにかく、キミが女になって2年後の女神杯に出場し勝利してくれればすべてが丸く収まるのだ。その為に必要なことであれば国をあげてなんでも用意しよう」
国家レベルの凄い話になってきた。でも、ボクにとってのメリットが見えない。
「お互いにとって最善、というお話でしたよね?ボクのメリットはなんでしょうか?」
「そこでだ。キミはキミなりに地球ゲートを調べてみたのだろう?それで何かわかったのかな?」
「いいえ・・・どういうきっかけで起動したのか、どうすれば再び機能するのか、かいもく見当がつきません」
「であればひとつ提案がある。地球ゲートが起動してキミがここに現れたのは間違いない。とするならキミであれば再びゲートが起動するかもしれない。問題はどういう条件が整えばよいかだ」
「そうです。その通りですよ。でも、それが分からないから困っているんじゃないですか・・・」
「どうだろう、もしキミがこの件で協力してくれるのなら、国の機関を総動員して帰る方法を研究させよう」
ボクは毎日自分が倒れていた場所に戻ってはいろいろと試してみていた。何をやってもウンともスンとも言わずなかば絶望しはじめていただけに、国家機関が帰れる方法を研究してくれるのであれば地球に戻れるかもしれない。
「・・・あの、閣下から見て、ボクっていまも女の子に見えてるんですか?」
「もちろんだとも。だから誤解したんじゃないか。キミならできる」
「でも、胸はないし、股間には・・・ついている訳で」
「キミは背丈が低いから少女にしか見えんのだよ。未成熟ではあるが相当に美形のな」
確かにハテロマのひとは背が高い。じいちゃんは190cmはありそうだし、ラマーダ母さんも180cmはある。ラミータが丁度同じくらいで160cmだから、これが少女サイズなのだろう。宰相閣下だって200cm近くある感じだ。
「これはボクと閣下との取引ですよね?」
「そうだ」
「確認すると、ボクは2年後の女神杯に出て勝利することとそれまでバレないよう女性として暮らすこと。その見返りとして閣下は地球ゲートの起動方法を国の機関で研究させるということですね?」
「その通りだ」
ボクにはその方面の趣味も知識もないので、女になって生活するということがどういうことなのかイメージできたわけではないけど、ただひとつ明らかなことはこれが地球に帰れる大きなチャンスということだった。
「わかりました。取引成立です」
宰相閣下とボクは固く握手を交わした。といっても2mの大男の巨大な手にボクの小っちゃな手が包み込まれただけなのだが。
「さっき、このことは国家機密で国王陛下や国民にも知られてはならない、と言ってましたよね?」
「それがなにか?」
「ヒムス家のひとたちにも秘密にしていた方がいいのでしょうか?」
「キミの打ち明けたいという気持ちは理解できるが、秘密というものは身内から漏れやすいものだよ」
ヒムス家のひとたちが卒倒する姿を想像してしまった後だったので、やはりボクが男だということは秘密にしておいた方がいいと思い直した。じいちゃんに心臓マヒ起こされてはかなわないからね。
「これから、ボクはどうすればいいのでしょうか?」
なにしろ、“誰ひとり疑うことのない憧れの女性”“女から見ても理想の女性”に化けなければならないのだ。
「格好だけ女の真似をしたのでは見破られてしまう。キミには心身ともに女性になってもらいたい。だからと言って性転換しろというんじゃない。どこまでやるかはキミが決めることだ」
これから2年半どこでどういう生活をすることになるのか、その中で男だとバレる危険性とはどういうケースなのか、それを回避するにはどういう選択肢があるのか、専門家をつけてもらって事前勉強をし準備を進めることになった。
宰相閣下とその護衛隊が帰って、再び館の周りは静かになった。落ち着いてくると、改めてボクの人生がたった半日で大きく動いてしまったことに気がついた。これでよかったのだろうか、こんな決断をして後々悔いはないのだろうか、いやこれしか地球に帰れるチャンスはなかったのだ、とハッピーになったかと思うと、ドヨンと落ち込んでしまったり自分でも何がなにやら分からなくなってしまった。じいちゃんも母さんも、そしてラミータも何も言わずそっとしておいてくれた。
夕食のときボクは話を切りだした。
「ボク、王立スポーツ研究所に行くことになりました」
3人は予想していたのか、驚きはしなかったけど寂しそうだ。
「アラシは才能に恵まれておる。それを開花させるのも女神から才能を与えられたものの務めじゃ」
「さびしくなるね。でもアラシちゃんが活躍するの楽しみにしてるよ」
「アナタのおうちはここよ。いつでも家族のところに帰ってらっしゃい」
目に涙が滲んできた。
「ありがとう・・・皆さんのためにもボク、絶対アビリタに女神杯を持ち帰ります!」
「その意気じゃ」
こうしてボクは地球ゲートのヒムス家の館を離れ、アビリタ王国の首都アビリターレに行くこととなった。