第62話 卵巣と子宮と
ボクは、ヴェーラ博士に呼び出されて、久しぶりに王立スポーツ研究所を訪れていた。
普段だとヴェーラ博士の方が宮殿に往診に来てくれて、ボクに女性ホルモンを注射したり不足しているミネラル分を補給するんだけど、今日は何か研究所で見せたいものがあるのだそうだ。
「ランちゃん。ハテロマ競技大会合同記者会見ご苦労様。ヤーレの氷の女王にしっぺ返ししたお手並み、ホントお見事だったわ。中継見ていて先生もスカッとしちゃった。あんなことが出来るようになったなんて、キミもう完全に女ね」
「それってあんまり嬉しくない・・・」
「そんなこと言わないの。言い返されて二の句が告げず怒りに満ちた形相で睨むしかない大女と、輝くばかりに可憐な笑顔のランちゃん。世界中がキミのファンになったんだから! 完全勝利よ! 苦労して女の子になる練習してきた甲斐があったというものでしょ?」
「それは・・・そうですけど」
渋々認めるボクを面白そうに見つめていたヴェーラ博士の目がマジになった。
「さてっと。今日来てもらったのはね、キリュウ君にとても大切な話があったからなの」
「・・・何かまずいことでも起きたんですか?」
「まずいこと・・・そうね、確かにまずいことだわね。でもまだ起きてはいないわ。そうならないようにするにはどうしたらいいかを相談したいのよ」
「・・・いったい何が起きそうなんですか?」
じっとボクの瞳の奥にあるものを確かめるように覗きこみながら十分に間をとって言った。
「キミが男だとバレてしまうことよ」
「えええええええええっ! 地球に帰る為だからと思ってこんなに苦労して女に化けているんですよ!」
「確かに、見かけは女の子ね。と言ってもまだ一番肝心な部分におチンチンがついてるけど」
と言うとヴェーラ博士は、遠慮なしにボクの股間をチョンとつっ突いた。
「な、何するんですか。絶対切りませんからね! で、いったいどういうことですか?」
「キリュウ君、ジェンダーベリフィケーションって知っている? 一般的にはセックスチェックとも言うけれど」
「セックスチェック・・・競技会とかで女性種目に筋力体力で有利な男性が参加しないようにする検査?」
「それよ。ハテロマ競技大会は最も権威のあるスポーツ競技会なの。なかでもキミが出場する女神杯はこの惑星に平和をもたらした、とてもとても神聖な競技なのね。決して不正があってはならないし、あったとしたら国際紛争にもなりかねない訳。だから選手の性別は特に厳しくチェックされることになるの」
ボクは思わず自分の股間を見下ろした。そこには、中途半端な男性器があるのだ。サオはあってもタマはない。残された袋には睾丸摘出手術の際に付けられた仕掛けがあるんだった。
「先生の仕掛けを使ってプチップチッてペニスを被い隠せば女の子にしか見えないってベルも・・・」
「確かにその仕掛けを使えば女性器みたいに見えるけど、ジェンダーベリフィケーションって選手を裸にして女かどうか調べたりしないものなのよ」
そんなことで済むなら悩む必要はない、ほんとこの子は何も分かっていないんだから、と憐れむような目で見つめられてしまった。
「・・・というと?」
「基本的には口の中の粘膜を採取して染色体を調べるんだけど、女性ホルモンを投与してきて、見た目はすっかり女性だとしても、キミの場合どうしても引っかかってしまうのよ。そうなると詳しい検査をされることになるでしょ? 言い逃れできなくなるわよ」
ボクは途方に暮れてしまった。だってどんなに頑張っても染色体は変えようがないじゃないか。
「・・・じゃあどうすれば?」
「アスリートの女性ってね、多かれ少なかれ男性化しているものなの。だから彼女たちと同じように染色体の比率が女性と認められる範囲内に収まっていれば組織委員会だって文句はないの。
でも、キミは男なんだからそうはいかないよね。その段階で怪しい場合には、次の検査として分泌するホルモン量を調べられることになるわ。そのチェックで女性の量だと認められればOKになるのよ。まあ、キミの場合そこの段階でなんとかクリアさせることができると考えているわけよ。組織委員会だってこんなに愛らしいランちゃんを、男だなんて思わないし思いたくもないはず。少々疑問があってもスルーすると思うのよ」
確かに、見かけ上ボクの方がヤーレ代表よりずっと女らしいかも。
「・・・でも、どうやってホルモンの分泌量を女性並みにするんです?」
「ちょっとしたトリックを仕掛けるのよ。完全にはいかないだろうけど、まあ疑われない程度にはできるはずよ。その為にはどうしても手術が必要なの。キミの体内に“仕掛け”を埋め込みたいのよ。手品だって仕掛けは必要でしょ?」
「・・・また手術ですか。今度はどんな仕掛けを埋め込むんですか?」
「うふ。見せて上げようね。先生、この日の為に頑張ったんだから!」
ヴェーラ博士に伴われて、これまで一度も入ったことの無い研究棟に着いた。厳重な殺菌ゲートを潜って入った部屋には、大きな培養タンクがいくつも並んでいる。
「すごいでしょ? ここは人工臓器の開発をするクローン研究室なの。それで、これがその“仕掛け”よ」
ヴェーラ博士が林立する培養タンクのひとつを指し示した。液体で満たされた培養器の中に気泡がブクブクと立ち昇っている。ケースに付けられているボードを見ると、
人工臓器:アラシ・キリュウ体細胞より培養
培養開始:宇宙暦12010年3月
と書かれているのが読めた。よく見ると気泡の中に小さな白いモノが漂っている。それ自身では動かないけれど、泡を浴びて水中でユラユラしているのだ。
「・・・これは?」
「内緒にしていて悪かったけど、これキミから採取した体細胞を使って作った人工臓器なの」
「じゃあ・・・ボクの一部?」
「一部・・・いい表現ね。でも、キミの身体にもともと備わっているものじゃないけどね。これは卵巣と子宮なんだから」
「・・・ランソーとシキュー」
音声は認識したものの何を意味する言葉なのか直ぐには理解できなかった。
「卵巣と子宮よ。キミは男の子だから当然そんなもの付いていないでしょう? キミの体細胞の遺伝子情報をいじって女の子に必要な“お道具”を用意したっていうわけ。培養って結構時間がかかるのよぉ! 女性化プロジェクトでキミが王立スポーツ研究所に来たときから、限られた時間の中でよくここまで培養できたものだわ。われながら大したものだと感心しちゃうわ。どうにか女神杯に間に合わすことができたんだから先生に感謝してよ?」
ヴェーラ博士はいかにも自慢そうに胸を張りながら言った。
「・・・これをボクの体内に?」
「そう。女神杯まであと3カ月、キミの身体の中に埋め込んで馴染ませるにはギリギリの時間ね」
「・・・ひょっとしてボク、女になってしまうんじゃ?」
「キミ、おチンチン付いてるんでしょ? だったら男じゃないの!」
「・・・でも、自分で女性ホルモンを分泌できるようになるんでしょ?」
「そうよ。この手術をすれば、これまで毎週定期的に注射してきたけど、その必要はなくなるの。これからは女性ホルモンのことなんか全然気にしなくていいのよ! 良かったじゃない!」
まあ、定期的にホルモン注射をされるって結構面倒なことなのだが、ことはそういう不便さが解消されてよかったよかったという問題ではないのだ。
「・・・そんなことどうだっていいです! ボク、子供を産める身体になってしまうんですか?」
「そうよぉ、毎月生理にもなるわねぇ。女の子よぉ。あら、そんなに嫌がらなくったって」
ヴェーラ博士は、ボクの戸惑う姿が面白くて仕方がないといった感じで嬉しそうに言う。
「なんなんですか! それじゃあ、完全に女じゃないですか!」
「女と言えば女だけど、キリュウ君はそこを女性器に改造するつもりないのよね?」
「絶対ありません!」
「じゃあ、女じゃないわ。器官として体内に備わっているだけで本来あるべき目的には使えないんだから。そうでしょ? キミには“構造的”に男の人を受け入れる入口はないんだし、男性器を自分の子宮で包み込んで精子を受け止めることができない以上、妊娠するわけがないのよ」
「・・・」
理屈として博士の言っていることは分かるけれど、自分の身体の中に卵巣と子宮が埋め込まれるということがどんなものなのか、まったく想像できなかった。ボクは男なんだけど・・・自分で自分を妊娠させちゃうの? そうか! 睾丸とっちゃているんだ・・・精子を作れないということはそうはならないんだ・・・だけど、万が一っていうことは?
「怖い顔しちゃって。可愛い顔が台無しよ! いいわ。そんなに心配なら本当のことを教えて上げる。この卵巣は、キミの体細胞から人工的に作ったものなのでいわゆる排卵する機能はないのよ。女性として最低限必要なホルモンを分泌する機能があるだけ。だから、たとえ直接子宮に精子を注入したって受精卵にはならないの。つまりは妊娠できないわけ。どう安心した?」
「・・・安心したって言われても。でも・・・なんか変ですよ。最低限必要なホルモンというのであれば移植するのは卵巣だけでいいはずでしょ?」
明らかに動揺している!
「うっ・・・いい質問ね。ポイント高いわよ。その理由はねえ、卵巣と子宮って女性として1セットだからなの。よく女は子宮で考えるっていうじゃない? キミも子宮を持てば一層女の子の考え方が分かるようになるわよ! それに万が一、組織委員会のチェックで引っ掛かったとしても、腹部X線で子宮があったら文句のつけようがないじゃない? 先生が折角苦労して培養したんだし移植しようよ! 捨てるのもったいないじゃない? 使おうよ。ね?」
「・・・なんか変。絶対、コジつけていると思う。ボクが拒否できないと思って・・・」
「そんな凹まないの! キリュウ君、女神杯に出て勝たない限り地球に帰還できないんでしょ? 女神杯に出られなきゃ意味がないんだから、まずは男だとバレないことの方が大事なんじゃないの?」
ヴェーラ博士の言うとおりだった。いま解決すべき最優先課題は女神杯なのだ。ボクはこれまでと同様、この身を犠牲にしてでも目的達成への道を選ばざるを得なかった。まあ、チンチンは取られずに済むんだからと自分で納得した。
その後、ヴェーラ博士から手術のスケジュールとこれから自分の身に起きることになる自然現象に対する“女性としての心得”を詳しく指導された。
少し安心したのは、ボクの人工臓器は卵巣と子宮の最小単位の機能をもつように造られているので、健康な若い女性のもののように活発に活動する臓器にはなっていないということだった。
「多分生理はないんじゃないかなあ。あっても相当軽くて済むはずよ」
とヴェーラ博士も言ってくれた。因みに新陳代謝の際の排出ルートだけど、当たり前のことだがボクは女じゃないので膣も腟口もないから消化器官にバイパスして出口を設けるのだそうだ。つまりは血便になるということか・・・どっちにしろあまり気持ちのいいものではなさそうだ。
≪カラ~ン カラ~ン カラ~ン♪≫
王立女学院のキャンパスに終業の鐘が響き渡る。
「ふ~う。くったびれたあ」
「やっと終わりだよぉ」
後の席に座るクラスメイトのパメルとサリナが大きく伸びをしながらアクビ涙の目で言い合う。
「それでは、ゲオル部の部活があるのでお先にお暇いたします。皆様ご機嫌よう」
宮殿から一歩でも外に出たら学校であっても公爵家姫君でいなければならない。逃避行の一件以来の約束だから、言葉遣いも所作も完璧なお嬢様でいなければならないのだ。
「あれ? ランはこれから部活?」
右隣のミーシャが怪訝な表情で尋ねる。女神杯出場が決まってから王立女学院をあげてボクを気遣ってくれていて、基本的に部活免除で授業だけ出れば後は自由なのだが、今日はソードラケットのケースを持っていたから不思議に思ったのだ。
「はい。明日より王立スポーツ研究所で女神杯の準備合宿に入りますので、今日はゲオル部の皆様と軽く練習させていただこうと思いまして」
「そうなんだぁ。さすがに王国代表選手でゲオル部キャプテンも兼ねるとなると、いろいろ大変だね」
「ランは食が細くていつも心配なんだけど、スポーツ研究所での合宿ならば健康管理バッチリだね」
まさか、卵巣と子宮=女の子セット を身体の中に埋め込む手術をする為だとは言えないわけで・・・。
「それで、いつまで泊まり込みになるの?」
「2週間ほど。再来週には学校に戻って来ることができるはずですわ」
「えっ? そんなに? じゃあラン、大切な大切なユージン様とは会えないの?」
「あの方は関係ありませんでしょ。今は女神杯のことで頭の中はいっぱいなのです」
「ふふふっ無理しちゃってぇ!」
「いつも筋トレ一緒だって言うじゃない?」
「そ、それは競争しているだけで・・・」
「好きなんでしょ?」
「いいからいいから! ラン、ちゃんとユージン様には連絡しなさいよ!」
「恋せよ乙女!」
乙女じゃないんだけどトンと背中を叩かれてボクは教室を出た。
≪パシーーーーンッ!≫
≪パシーーーーンッ!≫
≪パシーーーーンッ!≫
今シーズンのパンツルックのユニフォームに身を包んだゲオル部員たちと一緒に、ボクはドライビングレンジに立っていた。昨年のミニワンピースと違って、脚の付け根あたりに集まる視線を気にする必要がないので気分的に随分楽になった。部員たちを見ても、今までよりボールに集中できているようだ。
でも、仕草が大胆になったというか奔放になっているというか、去年に比べてなんだか粗野な感じになっているような気も・・・。女の子がスカートから脚を出すことには、仕草を女らしくする効用もあるのだ。
「ふう~ん。ランはパンツルックでも女らしいんだぁ」
練習用の金属球を揃えた両膝を軽く曲げてセットしていたら、後ろから声をかけられた。ボクと同じ3年生部員のジルだった。
「先生方から厳しく躾けられて習慣になっているからでしょうね」
「やっぱお姫様は違うわ」
「そんなことよりジルは練習しなくてよろしいの?」
「うん。なんだかランのショットを見ていると無力感に襲われて・・・」
「無力感?」
「そう。だって全然球筋が違うんだもの」
ぷうっと頬を膨らませて下を向く。
「ジル。わたくしは明日からしばらく学校に来ることができません。女神杯に向けて名ばかりのキャプテンとなり部員の皆様には大変申し訳なく思っていますが、これもアビリタ王国に40年ぶりの勝利の栄冠を持ち帰るため。不在の間、副キャプテンであるアナタがしっかりしなくてどうするのです? もうすぐ王都学園選手権なんですよ?」
「だってぇ・・・みんな、ランの言うことじゃなきゃ聞かないんだもん」
ジト目でボクのことを見つめる。
「ジル。わたくしには分かっていますよ。アナタなら絶対に大丈~ぶ♪」
ボクは歌うように言いいながら頬を寄せて優しくジルを抱きしめた。
「ずる~い!!」
「抜け駆けだぁ!!」
「副キャプテンが職権乱用したぁ!!」
まわりから一斉に非難が巻き起こってしまった。
「へへっ 羨ましいだろう? お前たちもキャプテンに抱きしめて貰いたかったら、王都学園選手権の選手に選ばれるよう頑張ることだな」
「キャプテン! 副キャプテンの言っていることは本当ですか?」
「ラン、どうなの?」
1年2年部員はもちろん3年部員にまで、懇願するような真剣な目で見つめられてしまった。皆どうしてボクに抱きつきたがるんだろう・・・ほんと分からない。
「ええっと。仕方ないですね。それがあれば頑張れるというのであれば、そうしましょう」
「やった!!」
「頑張る!!」
歓声があがったのを手で制した。
「その代わり条件があります。まず、副キャプテンの指示にちゃんと従うこと。そして、代表に選ばれた選手は全力を尽くすこと。選ばれなかった部員はしっかり応援すること。どうか去年果たせなかった優勝を勝ち取ってください。優勝したときには全員と抱き合ってお祝いします!」
それを聞いた瞬間、ひとり残らず飛び上がるようにして歓声をあげた。これってそんなに嬉しいことなのかな・・・?
「やったあ!!」
「全員といったってやっぱり優勝した以上は戦った選手からだよな?」
「そりゃそうだろう!!」
「だったらこれからは全員ライバルだ!!」
「誰にも負けられない!!」
「今日から特訓だ!!」
うちのゲオル部、俄然やる気になってしまった・・・。
明日はいよいよ“女の子セット”の移植手術。ボクは卵巣と子宮のある身体になってしまうのだ。それを思うととても気が重くなる。だけどゲオル部の仲間たちがやる気になってくれたのを見て少しだけ気持ちが軽くなった。いろいろ思い悩まず地球に帰還することだけを目指して頑張ればいいんだって思えるようになった。




