第60話 女神杯代表決定戦(後編)
湿り気を帯びてきたのか空気が重い。
どんよりした灰色雲がこちらに向かって連なってくる。午前中の明るい青空が嘘のようだ。
「あらあら大変。ラン、後半戦は雨になるかもしれなくてよ」
「ええ、風も出てきましたね。残念だけど相当コンディション悪くなりそう」
「じゃあ、おまじないをしなくっちゃ。こちらにいらっしゃいな」
と言うとレア先輩は、ぼくの手を引いてロッカールームへと引き返した。
「“さあ、いよいよ後半ラウンドのスタートです。間もなく両選手がフィールドに戻ります”」
「“なんか嫌な感じですねえ。風も吹いてきましたし上空には雨雲が垂れ込めていますよ”」
「“風雲急を告げる、両者一歩も引かず均衡状態のまま後半に突入。勝利の女神はどちらに微笑むのか! 女神はふたりに試練を与えようとしているみたいですね”」
「“こうなるとショットの瞬間、自然が味方するか敵になるかで大きな違いが出ますからね!”」
≪おおっ!≫
≪パチパチパチパチ≫
「“ギャラリーの声援を受けて両選手が現れました!”」
「“おや? ラン選手、午前中とは違う雰囲気ですねぇ”」
「“確かに。午前中はミニスカートでしたが早くもレインウェアを身に付けているんですよ”」
「“いや、それだけじゃありませんよ。そうか! わかりました、化粧してるんですよ。スッピンもいいですが一段と華やかになりましたねえ”」
実況中継が聞こえてきた。なんだか世界中の人がボクの顔を見ようとしている感じがしてゾワッとする・・・。
「レア・・・ランのお化粧濃すぎません?」
「いいえぇ。ランは綺麗なのですものその位よろしいんですわ。第一、雨に当たった時に水滴を弾くことが目的なのですから、厚塗りにしなくちゃ意味がありませんでしょ? しっかり首筋から背中胸元まで塗り込んでおきましたから、これならちょっとくらい雨に濡れても大丈夫! ランとは最後まで対等の立場で戦いたいですものね」
「あ、ありがとう。でも・・・」
「でも? なんです?」
「なんだか・・・自分であって自分じゃない様な」
「まあ! 面白い子。お化粧すると女は変わるもの。綺麗になったことで気分まで高揚してきますでしょ? ランも気持ちをシャンと持って」
「は、はい」
そして雨が降って来た。
「“ああ、いよいよ降り出しましたよ”」
「“地球生まれのラン・ド・サンブランジュ選手は雨に弱いですからねえ”」
「“そう、まるで張り子のトラ。雨に弱いんですよ。濡れると肌にアレルギー反応が出るんでしたね。王都学園選手権でのこのふたりの対戦を思い出しますね!”」
嫌なことを思い出させるなあ、まったく。言われなくたってここの雨だけはダメなのだ。惑星ハテロマに来て、3つある太陽や地球の2/3しかない重力にも慣れたけど、刺激が強いアルカリ性雨だけは無理。雨に当たると直ぐに肌がヒリヒリして痛くなる。そうなると身体全体が熱っぽくなり息苦しくなってしまうのだ。
だから、レア先輩にばっちりウォータープルーフのファンデーションを塗ってもらい、レインウェアと大きなツバ広の帽子で身体をスッポリ覆い、手首まである雨用のグローブをしている訳で・・・。
実況中継の煩わしい声を耳にしながら、ボクは再びティーグラウンドに立った。
≪あああああー!≫
ギャラリーから悲鳴があがった。ボクの打った第2打が急に吹いた風に煽られて池に落ちてしまったのだ。風が来ることは予想していたのに・・・。明らかに集中力が欠けてきている。
それを横目で見ていたレア先輩は、先に2打目を池の手前、絶好のポジションに持っていっていた。鐘、ゴルフで言うとピンまで残り90m。
≪シュパッ≫
ふわっと舞い上がった純白の金属球は、真っ直ぐ鐘に向かって飛ぶと鐘の手前でバウンドして鐘の横1mで止まった。3オンだ。
≪うおお・・・うわっ!≫
グリーン周りで観戦していたギャラリーの歓声が、急に吹いてきた強風に掻き消された。
「“もの凄い風です。ギャラリーが必死に飛ばされないよう屈んでいます”」
「“それにしてもレア選手はツイていましたねぇ。もしこの風で持っていかれていたらノーチャンスでしたよ”」
「“勝利の女神はレア選手に微笑みましたかねぇ”」
ボクは樹にしがみつきながら池の畔でその様子を見ていた。
風が収まるのを待って、落としてしまった代わりの金属球を指定された位置にセットする。残り30m。1打ペナルティになっちゃったからこれが4打目。レア先輩は確実に4打で上がるだろうから、これを直接当てなければこのホールを落とすことになる。
ボクはショットをイメージする。見えた・・・これからスイングに入るタイミングだと風が巻いていて収まりそうもない。となるとどの風に乗せるかだが・・・。
≪シャッ≫
しっかりスピンを掛けたピンクの金属球が高々と舞い上がる。
「“ああっ! ラン選手の第4打は左に真っ直ぐ飛びだしました”」
「“これはミスショットだ”」
その時、左から突風が吹いた。
「“おっと! 風に押し戻されてグリーンの方に戻ってきましたよ!”」
「“ツイていますね”」
≪トンッ≫
鐘の斜め下に落下した球は、ほとんどバウンドせずにグリーンに乗ると、風に押されるようにして鐘に向かう。
≪・・・おおっ! あああああ≫
当たる直前で失速した。ギャラリーから溜息が洩れる。
「“ラン選手の第4打は惜しくも鐘の手前5cmで止まってしまいました!”」
「“いや、ナイスチャレンジです。この難しい風の中であれだけのショットを打てるなんて並の選手では不可能です”」
レア先輩がOKしたのでボクは金属球を拾い上げる。5打で上がった。
≪コン・・・カーン♪≫
≪パチパチパチパチ≫
難なくレア先輩がパットを決めた。これで4打、このホールボクの負けだ。後半戦も最初のホールからずっと膠着状態が続いていたけれど、6ホール目『秋分』でついに均衡が破れてしまった。残り2ホールで1ダウン。
一段と雨脚が強くなってきた。バラバラッと雨具を叩く音が耳障りだ。
後半ラウンド通算15ホール目『立冬』は全長1100m、恩賜臨海公園ゲオルフィールドで最も長いホールだ。飛距離から言えばボクに有利なホールだけど、S字に曲がっているので一歩間違えると森の中だ。それに遠くへ飛ばすということは風の影響をもろに受けてしまうので怪我をする危険性も高くなる。
≪パチパチパチパチ≫
≪ナイスショット!≫
先に打ったレア先輩の白い金属球はフェアウェイの真ん中、S字の最初の曲がり際にきっちり止まった。さすがに抜群の安定性だ。この横風の中でもしっかりコントロールされている。
ボクはボクの道を行くのみ。1ホールビハインドである以上は攻めて行くしかない。
≪シュッ キュイーーーーーーン!≫
低めに飛び出した球は、ピンクの残像を残して猛烈な勢いで空気を裂いた。150m先でホップするとグングン高度を上げて最大飛距離を目指す。予想ではそろそろ左から横風が吹いて来るはずだ。
≪ビュンッ≫
来た。これに乗ってコース沿いに右に運ばれれば狙い通りS字の最初のカーブを曲がって2つ目の曲がり角まで行ってくれるはず・・・。
≪フッ≫
風が止まった。これじゃあ曲がり切れない・・・。
≪バサバサッ コーン≫
≪あああああ・・・≫
コースを突きぬけて真っ直ぐ森の中に落ちてしまった。600m以上飛距離が出ているのだろうけど、森の中に落ちてしまっては脱出できるかどうか・・・もしこのホールを落とすことになれば自動的にこの試合の負けが決まってしまう。つまりは女神杯に出られなくなってしまうのだ。
宰相閣下との約束が果たせないことになれば、地球に帰ることが出来ない。ボクは一生、この惑星で女の子として生きて行かなければならなくなる。ここは悪くてもレア先輩と同じスコアで上がらなければならない。
レア先輩は、物差しで測ったような正確なショットで2つ目の曲がり際に持って行った。
この調子ならレア先輩は次のショットで確実にグリーンに乗せて来るだろう。となると何がなんでも次のショットは、森の中から第3打でグリーンを狙える位置まで出さなければならない・・・。
ピンクの金属球は巨きな樹が林立し絡み合った太い根の間の土の上にあった。樹の根といってもメタセコイヤを凌ぐ巨樹だから、地面に出ている部分の高さだけでも1mはある。
ボクは周囲を見回し樹を見上げながら暗澹たる気持ちになっていた。この位置からは、最寄りのフェアウェイまで前方も後方も横にも200mはある。見まわす限りどこにも直接フェアウェイに抜ける隙間はないのだ。
「サンブランジュさん、あと3分以内にプレーを再開しなければ遅延行為でペナルティとなります」
腕を組みながら思案していると、時計を手にした競技委員から注意された。球を探すのに時間がかかり過ぎたみたいだ。
焦る気持ちを静めるように胸に手を当てて、ボクはオスダエル爺ちゃんと修業したときのことをイメージした。
≪ヴォン≫
片手に提げていた愛機プリンセスマリアナ号がスタンスポジションに付いてもいないのにひとりでに反応している。そうか・・・勇気を出して早く打てとボクに催促しているんだ。
自分を包み込む球体をイメージする。直径2mでは予測ラインは見えないか・・・。さらに思念を集中させて球体を膨らます。直径100m。弱々しいけれどラインが数本見えてきた。もっと拡大しないとはっきりしないんだ・・・。直径200m・・・見えた!
ボクは目を開くと大きく息を吐いた。疲労感で心臓がバクバクいっている。イージス艦のフェイズドアレーレーダーのように方向を定めて思念を拡大するのであればそれ程のことはないのだけれど、全方位に向けてだと相当な肉体的負荷がかかってしまう。でも不思議なことに精神的には疲労感は殆ど感じないのだけれど・・・。
≪シュルルルッ≫
スタンスに入るとヘッドの形状が変化した。後はイメージできたラインの通りにショットするだけだ・・・。
「“いやあ、それにしてもロストボールにならずに済んでよかったです”」
「“まったくですよ。ロストになった瞬間この試合の負けが決まったようなものでしたから”」
「“そういう意味ではラン選手、まだまだツキがあります。とは言え、ボール探しに手間取りましたから急がないとなりません。さあ、瞑目し長考していたラン選手がスタンスを取ります。果たしてどこからどのように脱出させるのか、あれえ?”」
「“どっち向いているんだ・・・あれじゃあ目の前の樹に当たるぞ!”」
ボクは、2m前に立ちはだかる巨大樹の太い根に向かって構えていた。こうなっては予測ラインと愛機プリンセスマリアナ号の潜在能力を信じるしかない。ゆっくりとテイクバックすると、高めのトップ位置から鋭く金属球を振り抜いた。
≪シュッ カキーン!≫
火を吹く勢いで飛び出した金属球は真っ直ぐ巨大樹の幹に当たると、跳ね返って斜め45度の方向に低い弾道で飛ぶ。地面スレスレで通った衝撃で枯葉が舞い上がる。
≪カアン!≫
絶妙の飛行ラインで幹と幹、枝と枝の間を抜いて飛び続けたピンクの球が、巨大樹の樹皮を掠めて角度を変える。
≪カアン!≫
さらに角度を変えると正面を塞ぐように横たわる倒木に向かう。
≪カアン!≫
倒木の上辺に当たった。樹皮をえぐり破片を巻き上げながら金属球は高々と上空に舞い上がる。
≪トーンットントントン・・・スッ≫
フェアウェイの真ん中で停止した。
≪うぉおおおおおおおおおおおおっ!≫
≪パチパチパチパチパチパチパチパチ≫
「“いまのをご覧いただけましたでしょうか? 信じられません! スーパーショット、いや、ミラクルショットにギャラリーから大歓声が上がっています!”」
「“驚きましたねえ、グリーンまで残り50m、一転してチャンスにつけてしまったんですから!”」
「“飛距離は200mちょっとでしたが、直接出せるルートの無い迷路のような状況からバウンドを利用して脱出させたのです! これを奇跡と呼ばずして何を奇跡と呼べばいいのでしょうか!”」
ボクの2打目を目で追っていたレア先輩は、行方を確認するとすぐに3打目の構えに入った。まだ実況中継とギャラリーの興奮は収まっていない。
≪シュパーーーーン!≫
「“おっと! 早くもレア選手が第3打をショットしました”」
「“ミラクルショットの直後なので余計なプレッシャーがかからない内に打ったのでしょう”」
「“真っ直ぐグリーン方向に飛んでいます! おおっと、横から強い風だ! うまい! トントンとグリーンエッジに落下した球は鐘に向かって転がり・・・ナイスオン! 鐘の奥1.5mに付けました”」
3打目を打ち終えグリーンに向かって歩いて来るレア先輩と目が合った。ボクはニッコリ微笑みながら声を掛ける。
「レア、ナイスアプローチ!」
「ありがとう、ラン。あなたのリカバリーショットもお見事でしたわ」
「うまく行きました。ここで負けるわけにはいかないので・・・」
「苦しいときに力を出せる人はホンモノですわ」
「苦しい状況にしない人の方がスゴイですよ」
「うふふ。ランと戦うのって本当に楽しくって。さあ残りは50m。そこからならランは直接鐘を鳴らせるでしょ? マッチイーブンに戻して最終ホールで勝負しましょう」
「はい。では遠慮なく」
≪スパッ≫
低く鋭い弾道で飛び出した球は風の影響を受けることなくグリーンを目指す。球速が早いのでこのままだと大オーバーしそうだったが、グリーンに落下すると強烈なバックスピンが掛かり2バウンド目で球足を殺し鐘に向かってゆっくりと転がりはじめた。
≪トン、トン・・・・カラン♪≫
≪うぉおおおおおおおおおおっ≫
このホールはボクが奪取した。これでオールスクエア、残すは1ホールだ。雨脚がますます強くなる中、最終ホールのティーグラウンドに向かう。
雲の流れが遅くなり風も収まってきた。上空の気流が変化したみたいだ。
でも雨は相変わらずシトシトと途切れることなく降り続けている。
「“泣いても笑ってもあと1ホール。いよいよ女神杯代表決定戦決勝マッチプレー最終ホールです。わが国の代表を決める戦いだけに素晴らしい展開になりましたね”」
「“まったくです。このホールは池越えの230m。前半戦では両者ともに2打で鐘に当てていますので1打目が勝負でしょう”」
「“もしここで引き分けになければ、決着がつくまでこのホールを繰り返すサドンデスとなります。もっと観ていたい気もしますがこの悪天候です、早く決着が見たい!”」
なんか勝手なことを言っているよなあ。レア先輩はどうなんだろうと見ると、濡れてしまったグラブを新しいのと交換しながら、チラッチラッとボクの方を窺っていた。
「レア、なんです? 何かボクの顔に付いています?」
「いいえ。雨に濡れているけど大丈夫かしらって。でも、その様子ならランはまだまだ行けそうね」
「ええ。ばっちりウォータープルーフのファンデーションで厚化粧してもらっていますから」
「お化粧映えするっていうのかしら、とっても綺麗ですわよ」
「あ、ありがとう。さあて勝負と行きますか」
ボクは照れているのを隠すように言った。女の子として暮らし始めて結構たつのだが、今でも綺麗だとか可愛いとか言われると複雑な気持ちになるなのだ。
雨脚が強くなってきたのでグリーン上にも水が浮き始めている。
たっぷり水分を吸ったグリーンは球が転がりにくくなるからドンピシャで落下位置までの距離感を合せなければならない。
≪ヴオン≫
愛機を起動させるとシャフトについた水滴が振動で飛び散る。
さあ、狙い通りに飛んでおくれ・・・ボクはセットしたピンクの金属球に気持ちを乗せてゆっくりとテイクバックした。
≪スパーーーーーンッ!≫
渦巻く気流を引き裂きながら低めに飛び出した球は、水面スレスレに風圧で水しぶきを上げながら飛行するとグリーン手前のマウンドに真っ直ぐぶち当たって高々と飛び上がった。
≪トーン トントントンッ≫
≪うおおおおっ!≫
「“これは凄い! 先に打ったラン選手のピンクボールは鐘の手前30cmで停止しました!”」
「“レア選手に相当プレッシャーが掛かりましたよ、さあてどうしますか”」
ボクの球の行方を目で追っていたレア先輩は微動だにせず、そこだけ時間が止まっているみたいにジッとしていた。
≪ブンッ≫
グリップエンドの起動スイッチを入れると、こちらを一瞥することもなくスタンスに入った。
≪スパーーーン! シュルル≫
レア先輩は素晴らしいフォームで金属球を打ち抜いた。
「“いい角度で上がったぞ! これはいい! 真っ直ぐ鐘に向かっています!”」
「“いや、このプレッシャーがかかる状況でよくショットをしましたよ!”」
≪トーン トントン スーーッ≫
≪うおおおおーーーっ!≫
「“なんということでしょう! 白い球はピンクの球に寄り添うようにピタリと止まっています!”」
「“驚きましたねえ! これだとパットするまでもなく引き分けでしょう”」
実況がコメントしたとおり、ボクもレア先輩も互いにOKを出したので最終ホールは引き分けとなった。
それに続くプレーオフ1ホール目はボクが鐘の奥1mに付けたけど、レア先輩もすかさず横1mに付け返したので難なく引き分けた。
2ホール目は風に煽られてボクはグリーンを外してしまった。でも外からのランニングアプローチが上手くラインに乗り2打目で鐘に当たてることができた。もちろんレア先輩は判で押したような正確なショットでピンそばに付けていたのでボクがOKを出して引き分けとなった。
「“さあ、プレーオフ3ホール目。ここまで両者一歩も譲らず最高のショットで引き分けて来ましたが、そろそろ決めて欲しい!”」
「“いや、もの凄い戦いです。女神杯代表選史上最高の名勝負ですよ、これは”」
もし負けたら、ボクは地球に戻れなくなる。そうなるとこの惑星で女性として一生を過ごさなくてはならないだろう。そんな切迫した状況なのに、ボクはレア先輩と戦っているのが楽しくて仕方なくなっていた。お互いに繰り出す最高のショットで繰り広げられる最高のゲーム、その場にプレーヤーとしていられること自体喜びだった。もちろん勝ちたい、勝たなければならない、でも、このままいつまでもプレーを続けていきたいという矛盾した気持ち。再び『冬至』のティーグラウンドへの道を戻りながら、こみ上げて来る嬉しさを言葉にする。
「レア、ありがとう。一緒に戦えてとても幸せでした」
「でした?」
・・・そっか “でした”は過去形だった。自然に言葉に出してしまったけれど、そろそろ決着のときが来たのかもしれない。
「レア、ランは次のショットで決めるつもりです」
「ラン。私も最後まで負ける気はありませんよ。たとえアナタがティーショットで直接当てることができたとしても、そのときには私も当て返すだけです」
ボクは思わずレア先輩を見つめてしまった。表情には冗談も気負いが微塵も見えない。なんて強靭な精神力なのだろう。
ふっとレア先輩が微笑んだので、ボクは何も言わずに最高の微笑で返した。レア先輩がボクの笑顔の中で一番好きだと言ってくれたスマイルパターンだ。
「うふふ、ラン。こちらこそお礼を言わなくてはなりませんね。私がここまで来ることができたのもアナタという存在があってこそです。ランがいなければ決して女神杯を目指そうなどと思わず、今頃は王家に嫁いでいたことでしょう。ありがとう」
と言うとレア先輩はボクを引き寄せて抱きしめた。周囲でため息を吐いているのが聞こえる。
「いいよなあ、綺麗な女の子同士のスキンシップって」
「あの笑顔を見ろよ。とろけそうだぜ」
「あの中に混ぜて欲しいよ」
雑音を背に受けてボクたちは再びティーグラウンドに立った。
雨が小降りになって、空も明るくなってきた。雲が赤味がかっているので、きっと上空は夕陽なのだろう。これからは日没が近づいて暗くなるはず。ここは勝負だ。ボクは思い切って雨具を脱いだ。
「“おや? ラン選手がレインウエアを脱ぎましたね。素肌で大丈夫なのでしょうか?”」
「“ここは勝負に出たのでしょう。着ているものが多いとどうしても動きが制約されますからねぇ”」
≪ブオン≫
グリップエンドのスイッチを入れて愛機を起動する。心地よい振動が手に伝わってくる。
ほんとこいつとは相性がいいみたい。グリーンに向かって意識を集中する。今度の鐘の位置はグリーンの一番手前か。このポジションで狙えるルートは・・・見えた。ボクは無心にソードラケットを振り抜いた。
≪スパーーーーーンッ!≫
「“プレーオフ3ホール目。ラン選手のショットは・・・またしても低い弾道だ! 水面スレスレに飛んで・・・トンッと、あれ? 跳ねないぞ? 球足が落ちない! このままではグリーンから飛び出すぞ・・・”」
「“いや、強めですがラインに乗っていますよ、これは!”」
≪キーン♪≫
≪うおおおおおおおおおおーっ!≫
「“当たった! 当たった! 当たったぁ!! 直接当てたぁ!”」
「“やりましたよ! やってくれました! 素晴らしい!”」
ボクは振り返るとレア先輩に軽く会釈してティーグラウンドを空けた。大歓声に打ち消されて声は聞こえなかったけれど、唇の動きでレア先輩が「ナ・イ・ス・ショ・ット」と言っているのが分かった。
「“さあ、今度はレア選手の番です。このショットで直接鐘に当てなければ負けが決まります”」
「“もう解説は不用でしょう。ここはじっと黙って成り行きを見守りませんか?”」
頬がちょっとだけ紅潮しているけれど、レア先輩はこれまでと全く変わらない手順でいつも通り構えに入った。まったく力みはない。
≪スパーーーン! シュルル≫
ボクより身長が高く腕が長い分大きなアークの寸分も狂いのない正確なスイングで振り抜かれた金属球は、グリーンを目指して真っ直ぐに飛び出す。綺麗な球筋だ。風が収まっているので高い打球でグリーンに直接落とし球足を殺して鐘まで転がす狙いだ。
≪トーン≫
正確無比なショットは狙い通りの位置に球を落とした。
≪スーッ≫
スピードを十分に落とした白い金属球は転がりはじめた。オンザライン、狙い通りのコースだ。固唾を呑んで見ていたギャラリーが奇跡の瞬間が近づいていることを知ってざわめき出す。
「ぉぉぉぉおおおお!」
「そのままだ!」
「あと2m!」
「行け!」
「あと1m!」
「当たれ!」
「あと50cm!」
「当たってくれぇ!」
≪シャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ≫
その時、グリーン上を一陣の風が吹き抜けた。風にあおられた球はほんの少しだがコースを変える。
≪コロ コロ スッ≫
白い金属球は鐘の真横で停止した。
大勢ギャラリーがいるのに水を打ったように静まり返る場内。粛として声も出ない。ボクも目の前で起きたことが信じられず瞬きもせずに見つめていた。と、柔らかな胸に抱きしめられた。甘い香りとともに耳元で優しい囁きが聞こえてくる。
「ラン。私の負けです。女神杯、まかせましたよ。ランなら必ずや勝利できます。祖国に栄冠を!」
「レア・・・」
「“なんと言う結末、なんと言う決着のつき方でしょう!”」
「“あのタイミングであの突風、無情としか言いようがありませんね”」
「“しかし・・・感動しました!”」
「“女神杯代表選考会の歴史に残る名勝負でしたね”」
≪パチパチパチパチパチパチパチパチ≫
「“大勢のギャラリーからも惜しみない拍手が沸き起こっています! おめでとう、ラン・ド・サンブランジュ選手! よく戦ったぞ、レア・ド・シモン選手! なんと美しい光景でしょうか! 美女ふたりが抱き合って互いの健闘を讃えあっております!”」
こうしてボクの女神杯出場が決まった。