第55話 開眼 冬休み自主トレの成果
危ない! 落ちる!
目を開けるとはるか下に地球ゲートやヒムス家の館が見えた。ああ、もうダメだ・・・そう思った瞬間、がっちりとした逞しい腕がボクの肩を支えていた。
「ダーラムさん・・・」
「姫君、お怪我はありませんでしたか?」
「ええ、ありがとう。大丈夫です」
ボクがホッとしてダーラムに礼を言っていると舌打ちが聞こえた。振り返るとオスダエルじいちゃんが眉間に深い皺を寄せ憮然とした表情で腕組みしている。
「困るのう~。警備さんや、オマエさんがそんな風に過保護では修業にならんぞ」
「はあ。しかし姫君の身に危険が及ぶ可能性がありましたもので」
「大丈夫じゃよ。アラシとてアスリートじゃ。人に優れた身体能力を持っておる。あれくらいの風に煽られたからと言って落ちはせんよ。じゃな?」
「・・・はい、師匠。ではダーラムさん、これからはお手出し無用に願います」
ダーラムは一瞬不服そうな顔をしたが、なにもオスダエルじいちゃんがボクに危害を加えようという話ではないのだからと納得したみたいだ。
それから来る日も来る日もボクは朝から日が暮れるまでこの岩棚に座り続けた。傍らにはダーラムが控えていたけれど、気配もなく静かに見守るだけだった。
最初は目をつぶると空間認識が失われて上下左右が分からなくなるので墜落の恐怖で冬の最中であるにもかかわらず背筋を嫌な脂汗が流れ続けた。でも、馴れと言うのは恐ろしいもの、次第に座っているだけであれば恐怖を感じなくなっていった。すると色々なことに思いが行くようになる。梢を渡る風の音や上空を旋回する鳥の声、周りの音も聞こえてきた。
あれ? なんだろう・・・いま、身体の輪郭がぼやけた感じがしたけど。
不思議な感覚に気がついたのは2週間ばかり過ぎた頃だった。自分の身体が大きくなった気がしたのだ。最初は1mmほど、次の日は1cm、その次の日は10cm、日を追うごとにどんどん自分が大きくなっていく感じがしていった。
「師匠。なんか変なんです」
そんなある日、意を決して訊いてみることにした。弟子は黙って師匠の言うことに従っていればいいって言われていたから、疑問を抱いちゃいけないって思って尋ねられなかったのだ。
「なんじゃな?」
「瞑想していると自分の身体が大きくなった様な感覚に襲われるのですが・・・」
「ほう! オマエさん、筋はいいとは思ったがこれほど早く目覚めるとはのう」
「?」
「それは内なる気と外の気が一体化した証拠じゃ。してどこまで感じておるのじゃ?」
「今は身体の外側1mでしょうか」
「うむ、そこまで来ているのか。で、その感覚を呼び出すにはどれほどかかっとる?」
「目をつぶりおへその辺りに気を集めるつもりで深呼吸をすると4、5回で直ぐに来ます」
「むむ、やはりわしの見抜いた通りじゃった。オマエさんは、まさにアルカナの再来じゃ!」
翌日からボクは岩棚の上に立たされた。それも片足で。最初こそ目をつぶるとバランスが崩れてフラフラ揺れたけれど、不思議なことに恐怖心はもうなかった。危なかしかったのが段々岩棚に根を生やしたように足が安定してきて、ちょっとくらい風が吹いても微動だにせず立てるようになった。それを見届けるとオスダエルじいちゃんが言った。
「よいか、アラシ。いまオヌシの立っている所は空中じゃ。己の周りに球体をイメージし大きく育てるのじゃ」
「はい、師匠」
ボクは自分のへそを中心に外に向かって球体が膨らんでいくイメージを感じる。最初は半径1mくらいだったのが半径10mまで成長した。ここが限界かな、と思ったとき師匠が尋ねた。
「アラシ。何が見えておる?」
「はい。自分の周りに球状の閉じられた空間が・・・」
「大きさは?」
「はい。半径10mくらいでしょうか」
「よろしい。ホレ!」
目をつぶっていたけれど、ボクの半径10mのエリア内に投げ込まれた金属球が見えた。不思議なことに飛んで来る球の手前にこれから飛ぶであろう軌道がはっきりと見えている。軌道上に手を差し伸べるだけで体勢を崩さずにキャッチできた。
「それじゃよ! その球体はオマエさんの気が及ぶ範囲ということじゃ。その範囲内にあるものであればオヌシは未来を見ることができる」
「・・・未来を見る?」
「極めて高い確率の予測と言い換えてもよい。試してみよ。その金属球を打つイメージじゃ!」
「はい、師匠」
ボクは金属球を足元にセットするとスタンスを整え、ソードラケットを手にしたイメージを浮かべてみた。するとどうだろう! 構えたときにイメージしたスイングアーク、イメージしたソードラケットの形状で軌道が線を描いたようにはっきりと浮かび上がって来た。打ち方を変化させると予測弾道もその度に変化していく。風の動きでもどんどん軌道が変化していくのだ。
「これは凄いです!」
「じゃがな、落下点まで弾道が見えておるのだろうがそれは気の及ぶ球体から外に出た後の単なる予想なのじゃよ。気の及ぶ範囲をどれだけ大きく出来るかで精度が決まる。いまのオマエさんでは10m先までしか見えんのよ」
「・・・ということは」
「そうなのじゃ。恐らく10mの転がしであれば今でも確実に鐘を鳴らせよう。しかし、それを超えるとなると・・・要するに女神杯までにオマエさんがどこまで球体をでかくすることができるか次第なのじゃよ」
「よく分かりました。では師匠、大きくするにはどうすればよいのでしょうか?」
「うむ。気づいておろうが、気を一体化させることができたのはオヌシに能力があったからじゃ。所詮、わしには潜在する能力を顕在化するきっかけを与えることしかできんのよ。これまでもオマエさんと同じ様に修業をして気を及ぼすことに成功した者はおる。しかし皆、数センチのことじゃった。オマエさんの様にメートル単位で出来た者は40年前のアルカナだけじゃ。ここから先は自分で鍛錬していくしかないんじゃよ。女神杯チャンピオンとは孤独なもの。それを目指す者にとっては厳しい道なのじゃ」
「自分ひとりで・・・」
ボクは、パットが決まらなければ敗退してしまう危機に直面したジュニア競技会のことを思い出した。あの時にも突然ラインが見えてきたんだっけ。そしてそのイメージ通り打ったら15mの難しいパーパットが決まったんだった。あれは、この球体の中と同じことが起きたのかもしれない。
ゴルフもゲオルもプレーヤーと自然との戦いだ。だから厳しいのだ、だから面白いのだ。あの時、ボクがジュニアの地方大会とはいえチャンピオンになれたのも、自然と仲良くできたからなのかもしれない。己の外の気と内なる気を一体化する・・・つまりはそういうことなのだろう。
「アラシ、ラミータ、それじゃあ頼んだわね」
「はい、母さん」
「はい。ラマーダ母さん」
翌日からボクは、朝のトレーニングの後は家の手伝いをして過ごすことにした。
岩棚で瞑想すれば難なく気の一体化ができるようになったのだが、どんな時でもやれなければプレッシャーのかかる競技中には役立たないと思ったのだ。だから、ラミータと家の手伝いしてお喋りをしながらでも、実は気を膨らませるトレーニングをしているのだった。
目の前に体重2トン、背丈が3m近くある一角獣の巨大な乳房がぶら下がっている。
「確か、乳搾りのコツは優しく強くていねいに、だったっけ?」
「そうよ。アラシちゃん」
ひと抱えもある乳首に手を伸ばし、両手で根元をしっかり締めつける。両腕を使って上の方から肘までゆっくり搾っていくとビュッとミルクが飛び出して、下に置いた大きなジャグの中に溜まって行く。
「上手よ。それだったらひとりでも大丈夫ね。じゃあ私、あっちの牛を搾るね」
「ラミータに褒められちゃった。それにしてもここの牛、大きいね」
「地球のはもっと小さいの?」
「ええ。背丈は半分くらいかな。乳房も半分より小さいかも」
「ふ~ん。でも地球人なのにアラシちゃん、結構オッパイ大きいじゃない」
「う、牛と一緒にしないでよ」
「だって、背の高さは一緒なのに私よりアラシちゃんの方が胸があるんだもん」
「!」
生まれて初めて胸がでかいと言われてしまった。乳を搾りながら自分の乳房のことを思うのってなんだか変な気分だ。女の子って平気なのだろうか。そんなことに思いを巡らしながらも、ボクは自分の周囲の気と自分の気を同化させる。
目をつぶると、牛の乳首から飛び出してくるミルクが見える。目で見ていた時と違って搾る前に飛んで行く軌道が見えた。力の入れ方、肘の搾り方をイメージした瞬間に、その後の展開が見えるのだ。その通りに力を入れたつもりなのに、違った軌道で飛んでしまった。そうか、イメージしてもその通りに身体が動かなければその結果とはならないんだ! ゲオルでも思い通りのスイングができなければ、この修業も活かすことはできないのだ。改めて朝のトレーニングのショット練習にも力を注がなければと思った。
新年を迎える夜明け前、暗がりの中でボクは地球ゲート近くの大きな樹のある原っぱに出てショット練習をしていた。
≪スパッ!ギュイーーーーーーン≫
≪カーン≫
≪スパッ!ギュイーーーーーーン≫
≪カーン≫
暗いので樹は見えないが自分の気で生み出した球体が捉えた予測軌道に沿って狙っているのだ。どうやら500m先の巨木の太い幹に当たっているようだ。
≪スパッ!ギュイーーーーーーン≫
音がない。スイングはイメージ通りにできていた。外れたのは球体を出た後に風が吹いたり、気温が違っていたりして予測とズレているからだ。気の及ぶ範囲をどこまで伸ばせるか、それで精度が違ってくるのだ。それは分かっているんだけど・・・。
その時、曙光が射してきた。丁度、大きな樹の真後ろから一つ目の太陽が顔を覗かせたのだ。赤味を帯びた太陽ビームが樹の幹や枝を透かして段々ボクの方に伸びて来る。
≪ピンッ≫
朝日を身体全体に浴びた瞬間ボクの中で何かが変化した。
直ぐには分からなかったけれど、朝日が眩しくて目をつぶったとき何が変化したのか分かった。前方500m大きな樹までボクの気が届いていたのだ。今までボクを球状に覆っていた気が、指向性レーダーの画像の様に前方に涙滴型のエリアを作っていた。そうか! 気を満遍なく広げるのではなく、方向を定めるんだ!
今のボクには500m先の日を浴びた地面から立ち昇り始めた水蒸気の動きも、地上の冷気と温められた空気が触れ合うところで巻き起こる風の動きも見えていた。
改めて金属球をセットし構えに入ると、イメージしたスイングの予想軌道がくっきり浮かび上がって来る。
ボクは、イメージした通りの力加減でゆっくりとタリスマンHD-3500S振りあげ、振り下ろした。
≪スパッ!ギュイーーーーーーン≫
次第に力を増す朝日を浴びてキラキラ輝きながら打球は美しい弧を描きながら目標に飛んで行った。
≪シュパッ! コーン! カランカランカラン≫
狙い違わず金属球は大きな樹の幹に穿たれた洞に飛び込んだのだった。ボクはあまりのことに言葉を発することができず、朝日に笑顔を煌めかせながら嬉し涙を浮かべた。
≪ウォー!≫
≪パチパチパチ≫
突然拍手と歓声が上がったのでびっくりして目を凝らすと、警護していたダーラムと迷彩服に身を包んだ6人の特殊部隊兵士が原っぱの中から湧いて出るように現れた。そうか、こうしてボクのことを見守ってくれていたんだ。
「姫君。おめでとうございます! 小官も部下も感動に打ち震えております。ついにご修業を成し遂げられましたな」
「ありがとうダーラムさん。部下の皆さんもずっとわたくしを見守っていて下さったのですか?」
「はい。国王陛下から姫君に姿を見せてもいいのは小官だけと念を押されましたもので」
「この真冬の野山で大変なご苦労をお掛けしていたのですね。ごめんなさい」
「とんでもありません職務なのですから。良き冬季訓練の機会になりましたし、それに・・・楽しみもございましたから」
「楽しみ、ですか?」
「ええ。毎日姫君の麗しいお姿を眺めていることが出来たのですから、部下も小官も大いに士気が上がりました」
「まあ!」
なぜ女の子が「まあ!」って言うんだろうと常々思っていたのだが、いま自分で口にして見て初めて分かった気がした。
その晩、ラマーダ母さんとラミータに手伝ってもらって、ボクは自分でデザインした絵柄を刺繍したワッペンを7枚製作した。
「これを頂けるのですか? おお! ゲオルのソードラケットと地球ゲートがイラストされていますぞ。なんと『プリンセスラン親衛隊』と刺繍されているではありませんか!」
「感謝の気持ちです。ヒムス夫人たちにも手伝ってもらって作りました」
「姫君のお手製! わが小隊の宝といたします。これからも姫君危難のときにはいつでも馳せ参じます。早速、国王陛下のご許可をいただかないと」
相手に何が気に入ってもらえるか、あれこれ考えて、ああでもないこうでもないと工夫して、頑張って手作りして、渡したときに喜んでもらえるのがこんなに嬉しいとは! こんな気分になったのは初めてだ。ひょっとして、これって女の子の気持ちなのか? う~む。
こうしてボクの冬休みトレーニングは終わった。