第54話 冬休み 再び訪れた地球ゲートで
ボクは、女神杯の最終予選を控えて最後のトレーニングをするため、ヒムス家で冬休みを過ごすことにした。
公爵やサンブラジュ島の市長さんたちからは冬離宮で過ごすようにと懇願されたけど、地球ゲートと向き合うことで、改めて地球に帰還するために戦うというイメージを固めたかったのだ。なにしろアビリタ王国各地区の代表が集まって熾烈なマッチプレーでただ一人の勝者を決める大会なのだ。地方大会から最後まで勝ち続けることができた者だけが国代表となれる。
「お久しぶりです!」
「おおっ! アラシか。よう来た」
多段式ロケットを三本合せたようなヒムス家の巨大な木造の館に近づくと、館の前の畑で作業をしているオスダエル・ヒムス翁が見えた。リムジンから降りて走り寄る。
「オスダエル様もお元気そうで」
「ジジイでええよ。そんな他人行儀な言い方をされては叶わん」
「それじゃあ、オスダエルじいちゃん!」
「うん! それそれ、オマエさんとわしの間ではその呼び方じゃよ」
昔と変わらぬ態度で迎えてくれたのが嬉しい。
「姫君。まずは館にお入りを」
サングラスを掛けた屈強な男が周囲に目を配りながらボクを促す。名前はダーラム。彼がいる理由だが、出発前のご挨拶に王宮に参内したとき陛下が急に言いだしたことから始まる。
「ランや。いくらヒムスの所とはいえ誰も同行せぬでは、予も妃もランの身が心配で落ち着かんではないか。よし、王宮警備隊から1個小隊を護衛に遣わそう」
ヒムス家はボクの実家みたいなものだけれど、大会前の大事な時期だしどんな危険があるかもしれないからと思ったみたいだ。
「そ、それは困ります! アルカナ選手・・・アマチュアゲオル協会のアルカナ会長から『肉体を超えたところにある強靭な精神力を鍛えよ』とご指導を頂きまして、わたくしの原点である地球ゲートでひとり自分と向き合い鍛え直そうと考えているのです。ですから侍女も連れて行きません」
「アルカナがのう・・・付き人が多くては鍛錬できぬか。仕方ないのう、では護衛官は一人としよう。いや、何も言うな。これは国王命令じゃ。隊長に王宮警備隊No.1の戦士を姫の同行とするよう申しつけよ」
だったら私もと、最後までベルは同行を言い張ったのだけれど、ボクはどうしても独りになりたかったので振り切った。という訳でこの身長2m10cmの筋肉質に引き締まった、いかにも格闘家というダーラムだけがボクの唯一の付き人に決まったのだ。でも、メイドたちが噂していたところによると、ダーラムは小隊長で彼の背後には姿を見せない特殊部隊が動員されていて、軌道上の衛星からも24時間ボクの周辺は監視されているみたいなのだ。
ダーラムも気を遣ってくれて、ボクの滞在中はトレーニングの邪魔にならないよう静かに見守ると約束してくれているのだが、やっぱりボクが外にいると気になるみたいだ。
オスダエル爺ちゃんに先導されて館の中に入るとラミータが飛び出してきた。
「アラシちゃん! あっと、違ったわ。お母さんに怒られちゃう。えっと・・・ラン姫さま」
「アラシでいいよ。ラミータにそんなヨソヨソしい呼び方されたら悲しくなっちゃうじゃない」
「じゃあ、アラシちゃん!」
と叫ぶように言うとボクの胸に飛び込んできた。
「それでいいわ。あれ? ラミータ、あなた少し背が伸びたんじゃない? よく見せてみて」
両肩をつかんで腕を伸ばしラミータの姿を頭のてっぺんからつま先まで見下ろし、再び視線を顔の位置に戻すと目の前の同じ高さにラミータの仔鹿の様な澄んだ可愛い瞳があった。
「もうおんなじ背丈じゃないの。それにとっても綺麗になったわ。もうすっかりお姉さんね」
「ほんと? 本当にそう思う?」
「ラン姫様ようこそお出でに」
そのときラマーダ母さんが顔を出した。お腹の前で手を組み合わせて軽く膝を曲げてお辞儀している。
「お久しぶりです! でもそんな畏まった言い方やめてください。アラシはヒムス家姉妹の年長さんですよ」
「そんな! よろしいのでしょうか公爵家姫君に?」
「アラシって呼んでくださいな。わたしもラマーダ母さんって呼ばせてください。しばらくお世話になるのです、以前のようにお手伝いも言いつけてくださいね」
「ああ、アラシ。あなた、全然変わっていなかったのね!」
ラマーダ母さんは大きく羽の様に腕を広げると、ボクを包み込むように抱きしめてくれた。まるで雌鶏のお母さんみたいだ。ラミータも慌ててその輪に入り込んできたので、母娘三人が仲睦まじく抱きあうこととなった。
「オホン・・・」
護衛してきたダーラムの咳払いが聞こえたので、ボクは紹介していないことに気が付いた。
「そうそう、こちらの方はダーラムさん。国王陛下のご命令でこちらに滞在中わたくしの警護をしてもらうことになりました。ダーラムさんにもお部屋を用意していただけますか?」
「ええ、ええ、もちろんですよ。アラシのボディーガードさんなら家族同様です。では、ダーラムさんこちらにどうぞ。ラミータ、アラシを用意したお部屋に案内してね」
「はあい・・・」
ラミータが不服そうに頬を膨らませて返事をしたのを見て状況が飲みこめた。
「ラマーダ母さん」
「なにかしら?」
「滞在中のお部屋なら、前みたいにラミータの部屋に一緒にしてくださいませんか?」
途端にラミータの瞳が輝きだした。
「でも・・・アラシはもう王立女学院に通う立派な娘さんなのだし一人部屋に寝てもらうのが当たり前でしょ?」
「いいんです。ラミータとお喋りもしたいし一緒の方が楽しいですから」
「そう? じゃあラミータ、アラシは大切なトレーニングの為に来ているのです。あなた邪魔をしないようにできる?」
「はい! アラシちゃんに迷惑かけないようにします」
「いいでしょう。じゃあ、アラシをお部屋に案内して。寝床の用意お願いね」
「は~い! アラシちゃん行こう!」
こうしてボクの冬休みトレーニングは始まった。
翌朝、ボクは夜明け前に起き出した。まだラミータは眠っていたけれど日課であるランニングをする為だ。家の前で準備運動で入念に身体をほぐしているとダーラムが出てきた。
「姫君、おはようございます」
「おはようございます。ちょっと走って来るだけだからまだ休んでらしたらいいのに」
「そうは参りません。片時といえども姫君をお守りせねば陛下のお叱りを受けてしまいます」
「では、くれぐれもご無理なさらずに。わたくし準備ができましたので走ります」
と言うとボクはすっかり身に沁みついている1km3分ペースで走りだした。ダーラムが数歩遅れて追走する。
館の前からまだ短いもののようやく結べるくらいに伸びたポニーテールを左右に揺らしながら小道を走って行くと、林を抜けて樹々の間にポッカリ開いた広場みたいな原っぱに出た。
ほの暗い原っぱの真ん中に、丸座布団みたいな石の台座がある。懐かしの地球ゲートだ。相変わらず遺跡の台座の様に古びていて、これが起動して星間ワープ装置になるとは思えなかった。宰相閣下は約束を守って本当にこれを起動する研究をしてくれるのだろうか・・・。ボクは一抹の不安を抱えながらも、改めて女神杯に勝つしか戻れる道は他に無いのだと思う。
地球ゲートの台座を折り返し、向こう側の林の中を通る小道に入る。高い樹々の梢に朝日が差し込んで来て次第に明るくなって来た。冬の朝の冷たい鮮烈な空気が燃焼を始めた素肌に心地よい。
「ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・」
「ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・」
ダーラムはボクのペースにも息を切らさずしっかり追走してくる。
ここハテロマは地球と比べれば小さい惑星なので重力が2/3しかない。地球人であるボクにとっては軽々と快走できる環境だ。とは言えハテロマの重力下で生活して2年、その上身体を女性化させられているのだから通常であれば筋肉や骨格が衰えてもおかしくはないはずだ。ところが筋力の衰えが全くないのだ。ボクの主治医であるヴェーラ博士の話では、女性化プロジェクトで処方したハテロマ人の女性ホルモンには思わぬ効能があったらしい。
それにしてもダーラムは立派だ。ハテロマ人にとっては相当負荷がかかっているはずだが、ダーラムは泣きごとひとつ言わずついて来る。
ボクはきっかり30分走って館の前に戻った。1km3分ペースだから10km走った計算だ。整理体操をしながら息を整える。さすがのダーラムも傍で膝に手を当てて大きく息を吐いている。
「お疲れ様。ダーラムさん、大丈夫?」
「・・・ングッ。だ、大丈夫です」
「これでわたくしの毎朝走るコースが分かったでしょうから、明日からは見渡せる地点で待っていて必要なところだけ併走しては?」
「い、いいえ。これはよき折です。自分もこの機会に鍛え直そうと思いますので、どうかご心配なさらず」
「そう? でしたら明日もよろしく」
そのまま、愛機タリスマンHD-3500Sと篭に入った金属球を持って、初めてゲオルの球を打った原っぱに出た。既に2つ目の太陽が顔を出して、草原には朝の光が溢れはじめている。
≪ヴオン≫
グリップエンドを回してソードラケットを起動させる。シャフト内部で擬態システムが高速回転を始める。両手で棒状のグリップを握ると、包みこむように形状が変化した。いつもながら手に絡みつく様子は、まるで生き物のようだ。
ボクは500m先に見える背の高い大きな樹に向かって狙いを定める。ここで初めてゲオルの金属球を打ったとき、あれを狙ってみろと言われて当てたんだよなあ。手前に落下して勢いよく転がって≪カーン≫って音がしたっけ。
ボクはスタンスを決めると、弾道をイメージした。ソードラケットの回転音がひと際高くなると
≪ググッ シュン≫
ヘッドの形状が変化した。美しい紡錘形だ。シャフトは細く長く最大飛距離を目指す姿になっている。ソードラケット全体が眩く輝きだしたのを感じて、ゆったり大きなアークで振りあげた。
≪スパッ!ギュイーーーーーーン≫
一気に振り下ろした瞬間、ヘッドが金属球を包み込むように捉えた。空気を引き裂くような猛烈な摩擦音と光跡を残して低く飛び出した球は、200m先で急激にホップすると真っ直ぐ目標に向かって飛んで行った。
≪カーン≫
当たった。
≪ゴクリッ≫
傍で唾を飲みこむ音がした。振り返るとダーラムが大きく目を見開いて呆然としていた。
続けてボクは違うイメージで集中するとショットした。今度は高い弾道で左に飛び出しすと、途中から緩く右に旋回を始めた。
≪カーン≫
当たった。
続けて打つ。次の球も高い弾道で右に飛び出すと、途中から左にゆっくり旋回を始めた。
≪カーン≫
当たった。
「ほほう! アラシ、ずいぶん腕をあげたな」
オスダエルじいちゃんだった。
「ありがとう! 前より上手になっています?」
「ああ、上手になったとも。実に見事なものじゃよ。同じ目標に対して違う球筋で打ち分けられるとは大したもんじゃ」
「でも、これじゃあまだ女神杯には勝てないって・・・」
「ほほう、そんなことを言うのは・・・アルカナかね?」
「はい。オスダエルじいちゃんにコーチしてもらいなさいって言われたんです」
「なるほどの。あれから40年か・・・アビリタ王国にも女神杯に勝つチャンスがなかった訳ではない。それなりの身体能力を持つ選手はいたからの。しかし、勝つことはできなかった。ゲオルは奥深い競技でな、身体能力だけでは限界があるのじゃ。アルカナの、そしてその後のヤーレ共和国の女神杯覇者との違いは局面を動かす強靭な精神力じゃ。あの時のアルカナは凄かった・・・アルカナ以後オマエさんのような逸材は出ておらんのじゃよ」
「オスダエルじいちゃん、わたくしにその方法を教えてくださいませんか?」
「キツイぞ?」
「覚悟の前です」
「よろしい。では、今日からアラシはわしの弟子じゃ。遠慮のう鍛えることにする。警備のアンタも姫さんが虐待されていると誤解せんようにな」
と言うと、オスダエルじいちゃんはダーラムを軽く睨みつけた。
朝食後、オスダエルじいちゃんに連れられて行かれた場所は地球ゲートを見下ろす丘の上だった。
木立を抜けて頂上に出ると岩盤が露出して岩棚になっていて地球ゲート側が切り立った崖になっている。
その崖の上に突き出した畳一枚分ほどの平たい岩を指差すとオスダエルじいちゃんが言った。
「座れ。よいか、アラシ。今日からここで瞑想をするのじゃ」
「はい、師匠。でも・・・いつまでですか?」
「己の外の気と内なる気が一体化するまでじゃ」
「・・・」
「分からずともよい。わしに指導を仰いだからには黙って従え。弟子の分際で『でも』も『なぜ』も無用じゃ」
「はい」
外の気と内の気と言われてもなあ・・・座っては見たもののどうしていいのか分からない。そんなことより自分が座っている場所だ。宙に浮かんだ何もないところなのだ。崖下まで100m以上あると思うと気が気じゃない。時折崖下から巻き上げてくる風に煽られると身体がグラグラ揺れる。重力が軽い上に、ボク自身が女性化したせいで軽くなっているのだ。男だったときと比べると、乳房が出来てウエストが細く柔らかくなった分、空気抵抗に対する上半身の耐える力が弱くなった気がする。その分、本物の女の子なら骨盤が大きいので座ってさえいれば十分安定するのだろうけど、さすがに骨格構造まで女性化してはいないのだ。
「アラシ、内なる気が千々に乱れとるぞ。ちゃんと集中せぬか!」
「!」
「オマエさんの思っとることなど手に取る様に分かるんじゃ。座り心地が悪いならその足元の岩と同化することじゃ。まずは己を見つめよ」
ボクにはよく分からなかったけれど、心の中を見つめる為には目をつぶった方がいいと思った。怖々目を閉じてみる。
「うわっ!」
その瞬間風が吹き上げてきてボクはバランスを失った。