第52話 地区予選 ボクは女装癖のある弟?
≪パン パパーン≫
爽やかな秋晴れ。上空に開いた花火の白煙が風に流されていく。今日は風が強そうだ。
「“それでは第1組の選手をご紹介します。ラン・ド・サンブランジュさん”」
いよいよ女神杯への道第一歩、予選会が始まった。まずは地区代表を決める地区大会本戦に出場する為の一次予選いわゆる足切りだ。
言うまでもなく来年8月の女神杯のアビリタ王国代表になれるのはただ一人。その座を目指して全国の女性ゲオル選手が戦いを繰り広げるのだ。各地区の代表がマッチプレーで戦う決勝トーナメントは3月に開催されるので、これから半年間の長い道のりになる。ボクは思いを新たにティーショットの構えに入った。
相変わらずミニスカート姿でプレーすることには抵抗があったけど、他の女の子たちが最先端の流行として真似るようになったので、ボクひとりそういう扮装をしている状況ではなくなっていた。どうやらボクはこの王国のファッション・リーダーみたいなのだ。
1打目はフェアウエー中央、風に乗って他の選手たちより150m先の好位置だ。愛機タリスマンHD-3500Sを手に、誕生日に公爵がプレゼントしてくれたんだよなあ、それをプロ選手のダニアンがチューンナップしてくれたんだよなあ、グリップやシャフトが女の子仕様でピンクになっているのがイマイチなんだよなあ、などと考えながら歩いて行くと声を掛けられた。
「凄いショットね。どこでゲオルを覚えたの?」
「はい?」
同じ組でプレーしている背の高い選手だった。見た感じ落ち着いていて濃い目の化粧とかっちりセットした髪がいかにも大人の女性って感じだ。
「誰かいいコーチに教えられたんじゃないかと思ったの」
「ゲオルを教えてくれたのはオスダエル・ヒムスさんです」
「ヒムス・・・聞かない名前だわ」
「随分お年寄りですから。昔コーチをされていたそうですよ」
「そう。アナタいくつから始めたの?」
「ソードラケットを握ったのは去年が初めてでしたけど、似たようなゲームは8歳からです」
「ふ~ん。それにしてもそんな体格でよくあんなに飛ばすわね」
と言いながら自分の球の所に行き着くと、状態を確認して手慣れた感じでソードラケットをセットし、あまり時間をかけることもなく手堅く3打目でグリーンを狙える位置に打って行った。
「ナイスショットです」
「ありがと。でもアナタの球筋を見ちゃった後だと力の差を思い知らされるわ。あ~あ、パワーがないわねえ」
一緒にラウンドしているもう一人の選手が第2打を打った。これも良いポジションみたいだ。
「まあまあね。あの子は、同じフィールド所属で学校の後輩なの」
「同じフィールド・・・」
「アナタお姫様なんでしょ? だったらシモジモのことは分からないわね。ゲオルに女性のプロはいないの。職業として続けて行けないから、どこかのゲオル・フィールドに所属してそこで技を磨くしかないのよ。因みに私の本職は小学校の教師。でも、ゲオルが忘れられなくってね」
後でその後輩から聞いたところによると、彼女は12年前の女神杯予選に王都教育大学生として出場し、決勝トーナメントまで勝ち上がった。もっとも1回戦で敗れたのだそうだけど。もう一度決勝トーナメントに出場し2回戦まで勝ち進むことを目標に、それ以来日々練習を積んできているらしい。
女神杯の予選に参加する人たちにはそれぞれの思いがあることを実感する。
「お疲れ様」
「また機会があればよろしくね」
「ありがとうございました」
最終ホールのグリーン上で競技を終えたボクたちは挨拶を交わし合いながらスコア提出所に入る。
ここでお互いに同伴競技者のスコアを記入し合うのだ。自分で記入しないところがミソ。相手が記入した自分のスコアに間違いがなければ署名をして提出する。提出した後でもし誤記が発見されると、最悪失格になってしまうのだ。
「あっ・・・あの、4番目の『夏至』のスコアが2になっているんですが・・・」
「え? 夏至って言うとアナタの1打目が林越えで向こう側のフェアウエーに出て、そこから池越えでグリーンを狙ったホールよね?」
「ええ。それを乗せて1パットで上がりましたから3です」
「あら? そうだっけ? アナタとっても上手だから直接鐘に当てたのかとばかり思っていたわ。じゃあ3に訂正ね、はい」
「・・・ありがとうございます」
「なあに? 私がワザと間違えたとでも言うの? え?」
「そんな・・・」
つくづく女って怖いと思った。
それはともかく、女神杯アビリターレ西地区1次予選会はボクの圧勝だった。8ホールで-10のフィールド新記録で、2位以下に5打差をつけてのトップ。上位10人が来月の2次予選に出場することが決まった。
「姫様、お疲れでございましょう。宮殿にお戻りになりましたらお風呂に入ってゆっくりお休みいただいて」
試合が終わった後、着替えず直ぐに専用リムジンに戻ったボクをベルが出迎えてくれる。
その間にも、カメラマンのフラッシュがバチバチ焚かれ、周囲には人だかりができてしまっている。
本当はここの練習場で軽くスイングの調整をして、クラブハウスで着替えてから帰りたかったのだけど、そういう状況ではなかったのだ。
「出迎えありがとう。でも、このまま少しウェイトトレーニングをしたいのでこのまま貴族倶楽部に向かってくださいます?」
「畏まりました。でもまだご昼食を摂られていませんけど? ヴェーラ先生から、姫様には三度三度しっかり召しあがっていただく様にとキツク申しつかっておりますので」
「あまり食欲はありませんが・・・仕方ありませんね。貴族倶楽部の食堂で何かいただくことにしましょう」
「それでしたら結構でございます。ユマ、貴族倶楽部にお願いね」
ショーファーのユマは、軽く頷くとピンクのリムジンを静かに発進させた。
貴族倶楽部に着いてベルにじっと見張られながら昼食を摂っていると、微笑みながらユージンが近づいてきた。
「ラン姫ではありませんか。こんな所でお目にかかれるとは! あっ、ランさんとお呼びする方がよかったかな?」
「いいえ。ラン姫で結構でございます。わたくし心を入れ替え公爵家の名に恥じぬようレディとして振舞うことにいたしましたので」
「そうですか。ではラン姫、まずは陛下名代として無事ご帰還されましたこと心よりお祝い申し上げます」
「ありがとうございます」
「いろいろと・・・お噂が出ている様ですが、このユージンはデマであれ真実であれ、いかにもラン姫らしくとても素晴らしいことだと思っていますよ」
「もう、そのことは仰らないでくださいませ」
ベルたちも、ボクの耳には出来るだけ入れない様にしているらしいのだが、ネオライネリアでの逃避行が色々取り沙汰されているみたいなのだ。ボクだって当の本人じゃなかったら、王家の姫が男装してこっそり一人で大都市を冒険したニュースを聞いたらすっごく面白がると思う。
噂を聞きつけ事実を聞き出そうとマスコミはボクを追い回すし、ひと目顔を見てやろうと野次馬が群がるのも無理のないことかもしれない。
とんでもない不祥事だと国王陛下に告げ口した有力貴族がいたらしいんだけど、陛下は大笑いして「それでこそ予の名代ラン姫じゃ!」と取り合わなかったそうだ。いよいよもって国王陛下には頭が上がらなくなってしまった。
「お一人でお食事ですか?」
「はい。わたくしは頂かなくてもよいのですが・・・」
「姫様にはしっかり栄養を摂っていただかなければなりません。お医者様からキツク申しつけられておりますので。姫様が召しあがられたお食事の量は逐一先生にご報告しております」
ベルが厳粛な顔をして言う。
「見張られている訳ですか。それはお気の毒に」
「これを食べ終えましたらトレーニングをするのですが、ユージン様もご一緒にいかがですか?」
以前ならユージンを見つめただけでドキドキしちゃったのだろうけど、海外歴訪から帰国してボクの何かが大きく変化していた。姿形は女の子だし、仕草や喋り方も貴婦人なのだけど、ボク自身は男の気持ちに立ち返ることができていた。これまで次第に女性化して行く自分と向き合わなければならない日々の恐怖に慄き、女心と男心の狭間で揺れ動いていたのが嘘の様だ。
今のユージンは一緒に居ても負担にならない友だち、といった感じがしていた。
「なんだか、以前より落ち着きが出たみたいですね」
「ユージン様を見てもドキドキ胸をときめかせて赤く頬を染めなくなったからですか? お寂しい?」
「あはは。私もこのラン姫の方が気楽でいいですよ。では、ご一緒に筋トレやりますか!」
「ハア、ハア、ハア、ハア いや、それにしてもラン姫は凄いですよ」
「そうですか?」
「ホラ! 息ひとつ切らしてないじゃありませんか。ハア、ハア 私なんかベンチプレス2セットにスクワット3セットをやって、もうヘトヘトですよ」
本気でユージンは激しい息づかいをしていた。大げさに茶化して言った訳ではなさそうだ。
「うふふ。男の方を筋力で負かせたのなら嬉しいですわ」
「いやあ参ったな。これからは対等勝負ですよ」
真顔で言っている。前に駆けっこで競争したことはあったけど、まさか筋トレで負けそうになるとは思ってもみなかった様子。
「いいですよ。ユージン様でしたらわたくしもハンデなんか要りません」
「あちゃ、大学陸上界の有望選手に言ってくれますねえ。でしたらこれからは本当にイーブンです。ラン姫、私のことをユージンと呼び捨てにしてください」
「ユージン様を?」
「その、“様”は余計です。なんか対等な関係じゃない感じでしょう」
「では、ユージン」
「お、いい感じですね。これならば対等に勝負できそうだ」
「ならわたくしにもお願いがあります」
「なんでしょう?」
「わたくしのことも呼び捨てにしてくださいません?」
「ラン姫をですか? それは立場上まずいよなあ・・・“ラン”、いやいやいや親族でも婚約者でもないのにそれはできませんよ」
「でしたら愛称はいかがです?」
「愛称? そうですね、ニックネームならば構わないでしょう」
「ありがとう。ではこれからはわたくしのことを“アラシ”と呼んでください」
「アラシ・・・いい響きだ。よし、これからはラン姫改めアラシです!」
アラシと呼んだ深いバリトンが耳に心地よかった。ボクは、ローラのことを思い出しながら、彼女はこの世界で最初の女友達だけど、ユージンは初めての男友達になったのだと実感していた。
「いま、この街でその名を呼んでくださる方はお二人しかいません。そう、わたくしを女だと見ないでいてくれる大切なお友達だけなんです」
「それは光栄だなあ。これだけ筋力を見せつけられるともう男だの女だのとは言ってられませんよ。私がアラシを勝負で圧倒することができた時、初めて女性として見られる様になるのかもしれません。いいですか、それまでは対等ですからね?」
「はい。確かに承りました」
「では、アラシ。そろそろシャワーといきますか。一緒にどうです?」
「それと、これとは別です」
「やっぱりダメですか」
「当たり前です」
ボクとしては、男同士で別に構わないようなものだけど、もしユージンがボクの裸を見て興奮したりすると、せっかく友達になれたのに気まずい関係になってしまいそうだと思ったのだ。一応ボクも男なのでユージンがどう感じるかくらいは想像がつく。
女性用ロッカールームで待ち受けていたベルは「姫様はご自分でなさると適当されますからね」とボクをシャワールームに連れ込むなり目一杯シャボンを泡だてて磨きたてるように甲斐甲斐しく面倒を見る。
どうも逃避行の一件があってからベルはボクをどんな時でも自分の監視下に置こうとしているみたいなのだ。着るものにしたって、ボクの好みというよりは「これを着ていただきます。この方がお似合いです」とベルが決めてしまうのだ。
薄化粧を施されしっかり髪をセットされてミニのワンピースドレスに着替えて出て来ると、既にシャワーを終えたユージンが待っていた。ウェストを絞り込んで胸を強調するデザインなので、スカートの裾から覗く太腿とマッチして身体の線が凄く女性的に見えているのだろう。一瞬ポカンと口を開けていた。
「アラシ。トレーニングウェアからそういう格好に戻ると、やっぱり映えますねえ。眩しいですよ」
「それはどうも。でも、イーブンですからね、ユージン」
「分かっていますとも。それにしてもいい匂いだ」
「一応、立場は公爵家の姫ですから。でも、予め申し上げておきますけど、もしユージンが必要以上にわたくしのことを女として扱うなら口をきいてあげません」
「はいはい。それは大いに困ります。これからはアラシのことを女装癖のある弟、どんなに可愛くてもこいつは男なんだ、と思うことにします」
「ま、いいでしょう。あら? 何を笑っているんです、ベル」
「い、いいえ。侍女としてベルの使命は姫様のお美しさを引き立てることですから、女装の弟様を見る度にユージン様がグラつかれなければよろしいが、と」
傍に控えていたベルが、口を押えて必死に笑いを堪えながら言った。
これがもし自分が逆の立場だったら堪らないなと思いながらも、ボクにはもう地球に帰るという目標以外に道はないのだからと、ユージンには男同士の関係でいてもらうことを願うことにした。




