第50話 プリンセス歴訪最後の記者会見
「“アビリタ王国友好の証としてこのたびの訪問がライネリア共和国の皆様に長く記憶されることを願って止みません”」
「“今回の自由貿易協定締結によってこれまで以上に両国間で各々の特産品を入手し易い市場環境となりましたことを誠に嬉しく思います”」
「“両国の野鳥保護条約締結により両国間を移動する渡り鳥の生態系を世界規模で保護する体制となりましたことを喜ばしく思います”」
「“よりよい国際社会を築く為に女性の社会的役割が評価され、両国間の交流が深められることを心より希望します”」
迎賓館に戻った翌日、ボクは早朝から国会議事堂、大統領府、関係機関を訪問しては決められたステートメントを読み上げ、分刻みの公務をこなしていた。
「姫様、この後もお食事をとる時間はありませんので、移動中に何かお腹に納めてくださいませ」
移動する車中でベルが、一口大にカットした果物を勧める。昨晩からボクは何も口にできなかったので、空腹を感じ始めたところだった。口紅が取れないよう気をつけながら頬張る。久しぶりの栄養補給は冷たくてジューシーで美味しかった。
「次の予定は?」
「はい。友好都市締結100周年記念式典のスピーチです」
「では、『皆様に長く記憶される』の原稿でいい?」
「結構でございます」
「ベル・・・きっと会えますよね?」
「大丈夫ご心配なく。手配は済んでおります」
ベルの言葉に励まされ、その後ボクは最後の公務に向かってスケジュールを突き進んだ。
ネオライネリアの中心部、大統領府や議事堂の建ち並ぶ官庁地区には各国が大使館を構えていた。そんな中のひとつ、アビリタ王国大使館の大広間に設けられた記者会見場には、プリンセス・ラン海外歴訪最後の公式会見ということで、生の声を聞こうと大勢の報道陣が詰めかけていた。その中には、ライネリア放送の報道腕章を巻いたラヴィとルブランの姿もあった。
≪パンッパンッ!≫
「姫君様ご入場です!」
手を打ち合せる澄んだ響きとともに執事が大声で呼ばわった。カメラや取材陣が溢れ返りざわついていた会場内が一瞬で静まる。
ボクは、随行団副団長の外務卿や大使夫妻に先導されて貴賓室を出ると大広間に向かって廊下を進む。団長であるセナーニ宰相は、ライネリア政府と出発前に何かの最後の交渉をしている為に出られないのだという。でも本当は昨晩のボクとのやり取りで顔を合わせるのが嫌だったのかもしれない。
記者会見場に足を踏み入れた瞬間、やがて来る嵐を予感させる遠雷のように眩いフラッシュが音もなく明滅した。放送用照明も輝度の高い白熱光を浴びせかけてくるので目の前が真っ白だ。眩しくて会場内の様子は見えないけど、大勢の人がどよめきながらこちらを注視している空気が伝わって来る。
「“これより記者会見を始めさせて頂きます。プリンセスには本日大変お疲れのことと存じますが最後までよろしくお願い申し上げます。それではまず最初に報道各社を代表して私の方からお伺いさせて頂きます”」
取材各社の中から選ばれた幹事が仕切り役として司会進行をする。友好関係の為に締結した経済や外交政策についての差し障りのない質問から始まったので、ボクは決められた回答を澱みなく言葉にした。ひと通り代表質問が終わると各社からの自由質疑となった。一斉に手が挙がる。
「“日刊ライネリアです。プリンセス・ラン、当地に入られて直ぐにお病気に罹られたとの発表でしたが今のご体調はいかがですか?”」
「はい。ご心配を掛けましたが今はもう大丈夫です」
それを受けて「どの様なご病気だったか?」「ずっと横になっておられたのか?」という質問が飛んだが、臨席していたヴェーラ博士が随行団医師として、公人と言えども患者にはプライバシーがあること、更に姫君は女性であり女性には公にしにくい体調変化があるものだ、と突っぱねた。女性記者たちも男性記者の質問は不躾だったと頷いている。
「“ネオライネリア新聞です。プリンセスの長く美しい髪は世界中の女性たちの羨望の的ですが、驚いたことにショートヘアにされておられる。病床に伏せておられたのに、これはどういうことでしょうか?”」
「“それは・・・”」
「“姫君様は、世界最大の都市であるご当地ネオライネリアご訪問を大変楽しみにしておられました。ところが急にご不例召されいずこにも参られることがなかったのです。ご体調を快復して頂く為にはまずご気分からとご当地流行の髪型をご提案申しあげました。姫君様はお国ではファッションリーダーとしてもお名を馳せておられます。ご当地を訪問されたご記念の髪型としてアビリタでも流行すること間違いありません”」
ボクが言い澱むと直ぐにベルがフォローに入ってくれた。次に一人の女性記者が立ち上がると質問を始めた。
「“ライネリア放送です。プリンセス、ご本復誠におめでとうございます”」
質問者の声に聞き覚えがある様な気がしたのでその方を見ると、そこにはスレンダーでボーイッシュなショートヘアの女性が立っていた。ラヴィだった。隣にはカメラを構えたルブランが居る。ボクは呆然として一瞬固まってしまった。
「“今回初めて海外歴訪をされ各地をご覧になられましたが、プリンセスが楽しくお過ごしになり一番印象に残った思い出の地はどちらでしたか?”」
「“・・・・・・・・・・・・・・・・”」
ボクは言葉もなくラヴィを見つめていた。様子が変なのに気づいたのか会場がざわつき出す。慌ててベルが想定問答で決められた出だし部分を耳打ちしてくれたのでハッと我に返って模範回答を口にする。
「“いずこも訪れた都市は素晴らしく、市民の皆様からの温かい歓迎に感銘いたしました。訪問した名所旧跡はそれぞれの気候風土に花開いた文化を深く感じさせ、わたくしにとってはいずれも忘れ難く・・・”」
ボクは急に涙がこみ上げて来るのを止められず、嗚咽を堪えて言葉を続けられなくなった。頬に光る涙を見つけて再び会場がざわめく。
「“・・・ネオライネリアです”」
ボクがようやく絞り出すようにして口にした言葉。それを聞いて一層会場がどよめく。司会進行から確認の為の質問が飛ぶ。
「“プリンセス、いま何とおっしゃられましたか?”」
「“・・・ネオライネリアです。わたくしはこの地を訪問したことを生涯の思い出として胸に抱いて参ります”」
それを聞いたラヴィの目にも涙が光った。ルブランもカメラのファインダーを覗きこみながら肩を震わしている様子だ。
「“しかし、プリンセスは滞在期間中ほとんど宿所におられてどこへも行かれてはいなかったはずでは?”」
「“それなのにどうしてネオライネリアなんですか?”」
「“特捜が昨日一日市内で動いていた話と何か関係があるのでは?”」
「“迎賓館ビルの出入り業者からある噂が流れているのをご存じですか?”」
記者たちが騒ぎ始める。どうやらボクの脱出行は色々な所で漏れ始めているみたいだった。それでもボクは瞬きもせず頬を伝う涙を流れるに任せていた。
「“お静かに! 姫君様のご出発時間が迫っています。そろそろ会見は終わりにいたしましょう”」
「“最後に! 最後に今の質問にお答え頂けませんか?”」
ボクは、自分の発言が引き起こした影響の大きさにようやく気が付いた。
どう糊塗しようといずれは調べられて分かってしまう事なのかも知れない。そうなのだ、ラヴィやルブランだってどんな仕事をしているか言わなかっただけで、決してボクを騙した訳ではないのだ。ネオライネリアでの一日はボクが自分で決断し行動したことであって、誰かにそそのかされてやった訳じゃない。
心配があるとしたら、国王陛下に迷惑を掛けてしまうことだ。陛下の名代が仮病を使って仕事を放棄して街中を遊びまわっていた、事実関係はそうなのだからどの様にマスコミに書かれても弁解はできないのだ。こうなれば自分にできる責任の取り方は一つしかない。
そう思うと逆に開き直りの気分になっていた。涙をそっと拭うと明るい笑顔でできるだけ優しい声で、それでも少し陰りの残る声で語りかけた。
「“答えにはならないかもしれませんが、こうして記者の皆さんたちとお話できることも、わたくしにとりましてはここネオライネリアでの楽しい思い出です。わたくしは国に帰りましたら来年の女神杯のことだけを考えて日々を過ごすことになります。もはや親善訪問はじめ公の場にも出ることは決してございません”」
あ~あ言っちゃった、という顔を随行団のメンバーがしている。意味が直ぐに呑みこめないのか記者たちからの質問が途切れている。
「“最後に、皆様と親しくご挨拶をさせてください”」
その隙を突くようにボクは立ちあがると居並ぶ記者たちの方に歩み寄った。記者たちは、予定外の出来事にびっくりしていたが、プリンセスとすぐ近くで会話できる得難い機会とばかりに順番に並び始めた。一人ひとり握手しながら挨拶を交わしていくと、ラヴィたちの番になった。
「ライネリア放送のラヴィとルブランです。プリンセスのライネリアご訪問を心より歓迎いたします」
「ありがとう。今後将来に渡りわたくしが公的な場に出ることはございません。プリンセス・ラン最初で最後のご公務、国王陛下名代を最後まで全うさせて頂けることを願っております」
ボクはそう言うと、ラヴィとルブランの目をしっかり見つめながら思いを込めて握手をした。次に進もうとした時、ラヴィが思いついた様にポケットから小さなメモリーカードを出すとボクの手に握らせた。
「?」
「プリンセスはご病気で市内をご覧になれなかったご様子。 “友人”の修学旅行生を観光案内したときの映像を差し上げます。もう・・・私たちには必要のないものです。ご心配なさらずこれをご覧になってネオライネリアのよき思い出となさってください」
と言うとラヴィは襟元に付けたピンバッチをいじって見せた。ボクはハッとした。それが何なのか今になって気が付いたけれど握った手の中のメモリーカードの意味を考えて、ボクは自分に出来る最高のキラースマイルを浮かべると言った。
「ラヴィさん、あなた方のご親切、ありがたく頂きます。 “ご友人”の迷子の修学旅行生も、きっと情けを掛けてくださったことを生涯忘れないでしょう」
ラヴィは眩しそうにボクの笑顔を見ながら笑顔を返してくれた。こうしてボクの最後の公務は終わった。
「ローラさん、お呼び立てして済みませんね。アラシさんがお借りしていた衣装はこちらでございます。お持ちくださった服と靴は、私が責任を持ってお返ししますから。」
ベルがローラを大使館に呼んで、昨日交換したままになっていた服を引き換えている。記者会見が終了して10分後のことだ。
「あのお・・・アラシ、アラシ君は大丈夫ですか? いま元気なんですか?」
「ええ! とってもお元気ですよ。ローラさんにとっても感謝していましたよ」
「感謝なんて・・・わたしの方こそアラシ君には感謝しなければいけないんです」
「うふふ。可愛い方ですこと。ちょっとここでお待ちになってくださいね」
と言うとベルはローラを残して部屋を出て行った。
ボクはベルに案内されて、記者会見に着ていたピンクのミニドレスのまま小部屋に通された。ベルからは、隣にローラが居るからと聞いていた。曇りガラス越しに人の気配がする。
「ローラ? そこに居るんだね?」
ハッとした様子が伝わってくる。曇りガラスに近づいてガラス越しにこちらを窺っているみたいだ。
「“アラシなの?”」
「うん。ボクだよ。こんな所に呼び出してごめん」
「“そんなことどうでもいい。アラシは、アラシは無事帰ることができたの?”」
「心配してくれていたんだね。いろいろあったけど、大丈夫。ちゃんと後始末できたみたいだから」
「“そう。お願いだからここを開けて顔を見せて!”」
ローラはそう言うと、曇りガラスの移動式仕切り扉を動かそうと手を掛けた。
「ダメ! 開けちゃいけない」
「“え?”」
「ここを開けてはいけないんだ」
「“どうして?”」
「ごめん、ローラとはこのままでお別れしなければならない・・・ボクにとってこの星で一番好きな女の子はローラだから」
「“わたしもよ! この星で一番好きな男の子はアラシよ! だから会いたいんじゃない! 触れたいんじゃない!”」
「ボクだって・・・ローラを抱きしめたい。だけどダメなんだ。今のボクの姿は見せられないから・・・」
「“アラシのこと、パパたちが話してくれたわ・・・だからわたしには分かっているのよ?”」
「・・・そう? でも、やっぱりダメだよ。ローラには、ローラにはボクを男の子として記憶していて欲しいから。男の子としてローラが思っていてくれていることを励みにできるなら、ボクはこれから起きるどんな辛いことにだって耐えられると思う。だからごめん。やっぱり今の姿は見せられないや」
ローラのすすり泣きが聞こえてきた。ボクには掛ける言葉がない。しばらくどちらも無言でいたけどローラが、まだ涙声で話し始めた。
「分かったわ。ホント、男って自分勝手なんだから!」
「ごめん。ごめんよ」
「その代わり、条件があるわ。アラシはわたしに手紙を寄こすこと。アラシがちゃんと男らしい手紙を書いて来ればわたしはガールフレンドとしてちゃんと返事を書いてあげるわ。それでどう?」
「うん。分かった。ローラはボクの大切な女友だちだよ」
「じゃあ勘弁してあげるわ。今のアラシの姿は見ないでおいてあげる」
「ありがとう」
≪コンコン≫
その時、ボクの部屋のドアがノックされた。
「もう限界です。国賓ですから隊列を組んでご出発なさらないとなりません。後は私がローラさんを外に案内しますので姫様は取り急ぎ空港に向けてご出発を」
ベルが顔を出して小声で言う。仕方なくボクは曇りガラスに向かって最後の別れを告げた。
「ローラ、お別れの時間になっちゃった。いろいろありがとう。楽しかったよ。ボク必ず手紙を書くから」
「“お礼を言わなくちゃならないのは私の方よ。アラシありがとう。私も必ず返事を書くわ”」
「じゃあ、お別れだ。またねって言えないんだ、ごめん。ああ、大好きだよ!」
「“アラシったら謝ってばかりね。でも大好きよ。元気でね!”」
頬を付けているローラの影が曇りガラスに映っていた。涙が滲んでいる。ボクは駆け寄ると曇りガラス越しにキスをした。