第47話 売春窟に紛れ込んでしまったプリンセス
ボクとローラは、事務所に連れて来られていた。そう、非常階段から入り込んだところを見つかってしまったのだ。事務所と言ったってもの凄く怪しい雰囲気で、裏社会の関係ではないかと思わせる所だった。
【滞在2日目 21:30】
「非常階段を伝って入り込んだってか?」
「はい。下の階が大混乱だったので安全な所へ避難しようと思ったんです。上がって来て最初の扉を開けたらあそこだったんです。決して悪気があってこちらに入り込んだ訳ではありません」
ボクは、懸命に不法侵入した事情を説明する。目の前には恐ろしい波動を出しまくっている男が、どっかとソファに腰を下ろしてこちらを睨みつけていた。周りにはぴんと背筋を伸ばし緊張した面持ちで立っている男たちがいて、そのやり取りを聞いている。
「ああ、下は大騒ぎだったらしいな」
既に情報が入っているらしく、男は煙草に火を点け紫煙を噴き出すと言った。そのまま、後の言葉もなく微妙に間が空いたので、ボクはここは潮時と暇乞いをすることにした。
「ご迷惑をかけて済みませんでした」
ボクは女の子の格好をしているのできちんと膝に手を揃え愛想よくペコリと頭を下げた。
「ん。事情は分かった」
「では、そろそろ行ってもよろしいでしょうか?」
「まあ、そんなに急ぎなさんな。それにしてもしっかりしたお嬢ちゃんだ。しかも別嬪ときている。気にいったぜ。そっちの少年もなんか言ったらどうだ?」
そう言うと、男子中学生の格好をしていたローラをひと睨みした。ローラは射すくめられた様に、瞬きひとつ出来ずに固まっている。
「どうなんだよ! オマエ男なんだろ! 何とか言えよ! えっ?」
「ごめんなさい。この子、引っ込み思案なんです」
とボクは男の視線を遮る様にその前に立ってローラを庇った。すると、立ちあがった男が行き成りボクを払いのけた。軽くいなしたのだろうけれど、ボクは堪らず床に吹っ飛んでしまった。
「おっと、ごめんよ。華奢だなあ、女の子は。そんな彼女に庇われて恥ずかしくないのか、オマエ?」
男は手を伸ばすとローラの胸倉をつかんだ。
「きゃああああああああ~っ!」
堪らずローラが悲鳴を上げる。思わず男は手を放し、いまつかんだ手の感触を確認した。
「オマエ、女じゃねえか!」
ボクは急いで床から立ち上がるとローラを庇うように抱きしめた。勢いでローラの長い髪が服から外にこぼれ出て、スイングするように揺れながら金色に輝く。男たちから「おっ」と声が漏れる。
「ほほう、こっちのお嬢ちゃんも上玉だぜ」
「社長、こいつらに少し詫び入れて貰っちゃあどうです?」
「・・・そうだな」
ギラギラした視線に取り囲まれたのを感じて、ボクは一層強くローラを抱きしめて言い返した。
「お詫びは申し上げました! もう帰してください」
「甘いぜ。他人に迷惑かけた以上は落とし前つけるのが筋だろうが」
立っていた男の一人がカサにかかって言う。社長の前でいい顔をしようという魂胆がまる見えだ。
「ご迷惑って・・・間違って部屋に入っただけじゃないですか」
「それが迷惑だってえの」
「だから、謝っているじゃないですか! この上何をしろと言うんです?」
男はボクの顔を睨みつける。ここで目を反らしたら負けだと覚悟を決めてボクも睨み返す。しばらく睨み合いが続いた後、男は視線を反らすと社長と呼んだ男を振り向き身振りで判断を促した。
「お嬢ちゃん、いい面構えしてるな。それに免じてこのまま帰してやってもいいんだが、それじゃあ若いモンが収まらない様子だ。見たところ、まだ16、7の学生さんだ。学校じゃあ教えちゃくれねえだろうが、いずれ世間に出たら嫌でも知ることになる社会勉強をして行くっていうのはどうだ?」
「しゃ、社会・・・勉強って何ですか?」
「そんな怖がらんでもいい。まだ一人前の女になりきってもいねえ娘っ子をキズものにはせんよ。お嬢ちゃんの様な上玉は社会の宝だからな。ははは」
ボクは、唇の端を曲げてニヤリと笑う男を見ながら、このままでは絶対にここから帰してくれないなと観念した。
【滞在2日目 22:10】
既に新花街タワー屋上の尖塔部分で大蛇の様に巻きつくタワーコースターは営業を始めていた。時折、レールを車輪が軋ませる轟音と乗客の絶叫が夜空に響き渡る。そんな様子を怖々とあるいはワクワクしながら順番待ちする列を見下ろす一角に、マグナダル警部たち警察庁特別捜査班の捜査本部が設置されていた。そこには姫君確保の際に宥める必要から、ベルの姿もあった。
「どうだ? まだどのエレベーターにも乗ってきていないか?」
「はい。100機あるエレベーターの内、屋上まで通じているのは一般乗降用の1~4号機と業務用の99~100号機の6機でいずれも監視下にあります。捜査員を配置した21時半以後、まだマルタイ|(保護対象)現れません、警部」
「そうか。180階上下階の捜索状況はどうだ?」
「180階に停止するエレベーターは20機で全て出入りをチェックしていましたが使った形跡はありません。上下階への連絡階段は設計時4か所でしたが、カジノや妓楼が売春婦を融通し合う為に勝手に作ったものが蟻の巣の様に無数にある為、どこを通ったのか確認できていません」
「どれかは通ったんだ。179階と181階は総当たりできたのか?」
「店の数すら確認できない中での捜索でして、現在完了したのは50%前後かと」
「あれから1時間か。さて、姫君はどこに行ってしまったのか」
「ああ! 姫様は、姫様は、絶対にご無事なんですよね?」
「今となってはご自分の意思で逃げておられることは間違いない訳でしてな。ベルさんも指令車で、広場から群衆に紛れて逃げる姫君の映像はご覧になったでしょう?」
「・・・でも、こんないかがわしい建物の中で、万が一にも何かあったとしたら」
「だから、部下たちも必死に行方をお探ししているのです」
「“警部。そこから切符売り場横のベンチが見えますか?”」
順番待ちの列やエレベーターの出入りを監視している刑事からの無線が入った。
「“ああ。見えている”」
「“あの二人、プロ用のカメラを持っています。どこかのプレスじゃないでしょうか?”」
「“本件を嗅ぎつけたか”」
「そ、そんな! マグナダル警部、絶対に困ります!」
警部はベルの悲痛な顔を見ながら、ひと呼吸置いて指示を出した。
「“よし。そいつらに任意同行かけろ”」
「“ラジャ”」
【滞在2日目 22:15】
「来ませんねえ」
「あれから1時間経っているから、もう来てもいい頃なんだがな」
ラヴィたちも屋上に着くエレベーターの出入りをチェックしていた。ルブランは決定的チャンスを逃すまいと手にした高感度カメラもチェックしながら屋上にいる人を見ている。当然、特捜の刑事たちが居ることは承知していたが、自分たちに手を出すことはしないだろうと考えていた。ところが、
「すみません。ちょっとよろしいですか?」
振り向くと刑事がいた。
【滞在2日目 22:30】
ボクたちは、足を鎖に繋がれて3段に組まれた棚の最上段に座らされていた。胸に「99番」のプレートを付けさせられたローラが恐怖に震えている。ボクの胸には「100番」が付いていた。
「“38番ユリアちゃん、ご指名で~す”」
≪ガチャッ≫
これで20人目だ。スピーカーからの指示で棚に繋がれていた足の鎖が外れる音がすると、ボクの直ぐ下に座っていた女の人が立ち上がり正面に向かって一礼した。すると横の扉が開き、事務所に居た男に手招きをされてそこから出て行った。正面は鏡になっていて自分たちの姿しか見えないのだが、どうやらマジックミラーになっていて向こう側には大勢の人がいるみたいだった。
「アンタたち、これ食べる?」
ローラの前に座っていた青い髪の女が、ボクたちの方に振返りキャンディを差し出した。一瞬、顔を見合わせたけど、とてもチャーミングな笑顔だったのでボクも笑いかけた。
「ありがとうございます。ほら、ローラも頂いたら?」
「見かけない顔だけど、初めて?」
「えっと、ここに座ったのは初めてです・・・ここって何なのですか?」
女は大きな目を更に開くと、弾けるように笑い出した。部屋に居た80人ほどの女たちも大笑いしている。
「きゃははは! ここって何なのですか、だって!」
「ウブねえ!」
「アタイたちにもそんな時代あったっけねえ?」
キョトンとその様子を見ていると、ボクたちが何も理解していないことに気がついたのか、涙を浮かべながら大笑いしていた青い髪の女が真顔になって尋ねた。
「本当に知らないでここに連れてこられたの?」
「事務所で社長って呼ばれていた人が社会勉強をして行けって。それでここに座らされたんです・・・」
「ふ~ん、社長も思いきったことするわねえ」
「教えてもらえますか? ここっていったい・・・」
「遊郭よ」
「ユーカク?」
「そう、アタイたちの仕事は人類の歴史で最も古い職業よ」
「一番古い・・・どういう仕事ですか?」
また目を大きく見開く。女たちは一斉に笑い出した。
【滞在2日目 22:35】
「だから言っているでしょう。私たちは単にナイトスポットを取材していただけだって!」
「確かに、ライネリア放送の身分証をお持ちですな。しかしながら、傍からみると実に怪しい挙動、狙いをつけた誰かを待っているご様子でしたが?」
ラヴィとルブランを尋問するのはマグナダル警部。
「誰だっていいでしょう」
「それが、そうはいかんのですよ。お答えいただけないのなら署の方にご同行頂くことにしますが?」
「・・・うちの娘たちですよ。待っているのは!」
「ほう、娘さんですか。うん? 待てよ・・・ルブランさん・・・ひょっとして娘さんのお名前はローラでは?」
「どうしてご存知なんですか!」
ポーカーフェースを装ってはいるが警部の微妙な表情から、ラヴィは全て理解できた気がした。
「先生、警察はとっくにご承知みたいですよ。ここから出されては、大事な・・・そう、ローラちゃんの無事を確認できませんし、ここはひとつ正直にお話しした方が・・・」
と言いながらラヴィはさり気なく襟もとのピンバッジをいじった。
【滞在2日目 23:00】
「“99番、100番、外へ”」
≪ガチャッ≫≪ガチャッ≫
ボクとローラの左足に付けられていた足枷が外れて鎖から自由になった。1時間以上繋がれていたので足首が少し痛む。横の扉を見ると、事務所でボクと睨み合った男がいた。誇らしげな様子でニヤッと笑うと手招きする。マジックミラーの部屋から出ると、いきなり腕をつかまれどんどん通路の奥へと連れて行かれた。
「どうだったね、社会勉強は?」
社長と呼ばれている男が、紫煙を燻らせながら尋ねた。ボクは、屈辱的な時間を強制されたことに憤慨していたので黙ったまま睨みつけてやった。
「負けん気の強いお嬢ちゃんだ。褒めておこうか。さてと、体験学習をした後は座学でしっかり理解をしてもらうか。競り場の窓を開け!」
稼働音がしたと思ったらボクたちの背後の壁が透明に変化して行った。そこに見えたのは数百人の男たちが、水槽の中の金魚の様に女たちが居並ぶ雛段をガラス越しに眺めながら、何度も何度も片手に持った端末装置に何かを入力する姿だった。水槽の上には巨大な表示画面があって、そこに掲示された数字がどんどん大きい単位になっていく。
「あれが何だか分かるか?」
「・・・ひょっとしてオークション?」
「お嬢ちゃん、いいセンスをしているよ。そうだ。あれは女を競り落とす場所なのさ。見ての通り、性的欲求に飢えた男たちが、気にいった女を手に入れようと競い合っているのさ。お嬢ちゃんたちも、あそこに居たから分かるだろうが、向こうからは何もこちらの様子が分からんのだ。ほら、今右端の女にスポットライトが当たったろ? あれが次にセリにかけられる女だ。ほほう、出だしから良い値がついたな。こりゃあかなり行くぞ」
≪カンカンカンカン≫
鐘の音が響くと、ひとりの男が飛び上がって喜び、他の男たちが落胆したのが見えた。
「それでだ。お嬢ちゃんたちがどうだったのか見せてやろう」
「え? ボ、わ、わたしたちセリに掛けられたんですか?」
「そうだ。よし、スクリーンに映してやれ」
透明だった壁が白濁するとそこに画像が現れた。
さっきはあちら側に居たけど、こういう風に見えていたんだ。ローラにスポットライトが当たった。水槽の上にある表示ボードに最初の数字が現れた。なんだかさっきの女の人より大きな数字みたいだ。ローラは、自分が男に売られているという屈辱的な事実に震えながらも、行方が気になるのか瞬きも忘れてスクリーンを見つめている。ボクは、ローラの手をギュッと握ってあげた。
≪カンカンカンカン≫
数字が止まった。600,000。ボクにはここの貨幣感覚が分からないけど、さっきの女の人の倍近い数字だった。ローラは唇を噛みしめていたけど頬が紅潮している。
次にボクの座っている所にスポットライトが当たった。場内のモニター画面に、ボクが大きく映し出される。それを場内の男たちが食い入るように見つめると、急いで端末を入力し始めた。最初に現れた数字は・・・さっきの女の人の落札価格より多い! 見る見るカウンターの数字が上がって行く。
≪カンカンカンカン≫
入札停止となり、最後に表示された数字は・・・。
「ふふ。驚いたか? お嬢ちゃんの落札価格は240万リグレ、最高級スポーツカーや大型クルーザーが買える値段だよ。あの場に居た男たちはお嬢ちゃんと一夜閨を共にするのにそれだけ払ってもいいと思った訳だ。自分の値段が分かった気分はどうだ?」
「・・・」
「そんな怖い目で睨むな。まあ、それもまたお嬢ちゃんの魅力だが」
「・・・わたしたち、落札されたんですか?」
男はじっとボクを見つめてから、ひとつ息を吐くと言った。
「客がどこまで出すか見たかっただけだ。最後に入札したのは胴元の俺だ」
「・・・」
「俺に240万リグレはちと高すぎるがな」
「・・・」
「そんなに睨むんじゃない。分かったよ、からかうのは止めにした。若いモンも気が済んだみたいだし、もう帰っていいよ。しかし、いい玉だ。お嬢ちゃんがウチの娼婦になってくれたら新花街タワーでトップの遊郭になるんだがな。お嬢ちゃんなら落札価格の半分を報酬にしようじゃないか。もし、その気になったらいつでも来いよ!」
「まったくそんな気はありません! もう2度と会うことはないでしょう。さようなら」
ボクは、ローラの手を引きながら急いで店を後にした。もう日付けが変わる時間だ、急がないと。