第41話 普通の男の子に戻りたい
【滞在2日目 7:00】
≪ギョギョロン! ギョギョロン! ギョギョロン! ギョギョロン! ギョギョロン!≫
けたたましい音で目が覚めた。う~ん・・・何か鳴っているよベル・・・もう起きる時間なの?・・・あっ音が止んだ・・・ピシャピシャ・・・いきなり頬っぺた叩くなんて無礼な奴だなあ・・・
「起きなさあい! 朝よ! 目覚ましが鳴ったわよぉ! ホラホラ、もう起きる時間よぉ。お、少年。目が覚めた?」
目の前に見知らぬ女が腰に手を当てて立っていた。
「なあにびっくりしてるんだあ? 命の恩人に失礼だぞお」
「ここは・・・どこ? あなたは・・・だれ?」
「お、いきなり質問かい! まあ、いいわ。夕べは寝ぼけてたもんね。状況把握の時間は必要だろうから教えてあげるわ。まず最初の質問の答え、ここは私の家。ふたつ目の答え、私はラヴィ。もちろん独身よ。少年とはいえ男をうら若き乙女の部屋に泊めてやったんだぞお、感謝しなよ」
「ボ・・・ボク、どうしてここに?」
「は~あ、助けたかいのない子だなあ。アンタねえ、物騒な深夜の公園のベンチで寝ていたんだぞお? 危ないと思って家に連れてきてあげたんじゃない」
「公園・・・ベンチ?」
「そうよ、夏だからってあんな所で眠っていたら、虫には刺される風邪はひく、悪い大人にはかどわかされる、ほんと危なかったんだから!」
「あ・・・ありがとう・・・ございました。ラヴィさん」
「ようやく感謝する気持ちになったみたいね。 それじゃあ、今度はアンタのことを聞かせて? キミ、名前は?」
「ボ・・・ボク、アラシ・・・です」
「アラシ君かあ、エキゾチックな語感ね。キミ、ひょっとして外国人?」
「は・・・はい。りょ・・・旅行・・・旅行中に・・・逃げ出して・・・」
「ははあ~ん! 学校の修学旅行か何かで団体行動が嫌になって抜け出して来たんだなあ? こら、可愛い顔して悪ガキだぞお! 先生や友達が心配してるよぉ。さあさあ、顔洗っといで。お姉さん仕事に行かなければならないから、一緒に出よう。途中まで送って行ってあげるから」
【滞在2日目 7:10】
その頃、プリンセス・ランのご宿泊所であるライネリア共和国迎賓館ビルでは大騒動になっていた。
「至急マスコミに『プリンセス・ラン、急なご不例のため予定されていた訪問およびセレモニーは全て延期、ご快癒までご静養』と発表するように!」
ベッドの主の不在を象徴するかのように、ベッド脇でポタポタと点滴が滴り落ちて水たまりを作っていた。
「いったい、どういうことだ? 警備が居ながら姫の姿が掻き消えるとは。先生も先生だ、朝まで眠らせておけばよいものを、いったいどういう薬を処方したのかね?」
「朝までには姫君を回復させて元気にご公務をこなせるようにして欲しいって強い要請だった訳よ」
ちらっと随行団の責任者である外務卿を睨みながらヴェーラ博士は話し始めた。
「医者としては、向精神薬と睡眠導入剤を同時に処方なんかしたくなかったけど、ご公務の為とあれば仕方ないでしょ? まずは身も世もないと大泣きの姫君の気分を改善する即効性の薬を処方し、薬が効いてきたタイミングでぐっすり眠れるようにと遅行性の睡眠薬を処方したっていう訳」
「ということはだ、ひと眠りした姫はやる気満々何でも出来そうな気分になった、で、脱出行をしてのけた、抜け出た先で急激に睡魔に襲われてどこかで眠り込んでしまった、そういうことか?」
「ええ、そうなるわね。でも、そこまで姫君を追い込まなければこんなことにはならなかったのよ」
「ええい! 今さらそんなことはどうでもよい。ともかく姫に何かあってみよ、一大事じゃ! 直ぐにライネリア政府に要請して、秘密裏に姫を保護してもらうのだ! 分かっておるだろうがあくまで本件は極秘事項だ。これ以上騒動になってはかなわんからな」
【滞在2日目 7:50】
ボクは顔を洗ってサッパリした気分になっていた。タオルで拭きながら鏡を見てみると、目の周りにあったくまは跡形もなく消えているし、頬にも赤みが差して元気溌溂、瞳がキラキラ輝いている。こんな楽しい気分になったのはいつ以来だろう?
ボクは、輪ゴムでくくったポニーテールを再び帽子の中に仕舞い込み、ひさしを下げて目深に被り直すと、洗面所を出た。
「アラシ君、準備は済んだ? じゃあ、行こうか」
ドアを開けると、廊下に雑然と物が散らかっているのが見えた。
ラヴィの家は高層アパートの17階にあった。ネオライネリアは人口3000万の巨大都市で、限られた面積の中に住まいを確保するため住宅は全て高層ビル化されているのだ。
ボクにとっては、高層マンションと言えば高級住宅で、三鷹駅の北側に出来たツインタワーに住む友達の豪邸を思い出すのだが、ここではイメージが大きく違っていた。廊下の壁紙は破れ、そこここにガラクタが散らばり、エレベーターもいたずら書きだらけ。ラヴィの部屋もワンルームにバストイレだけだったから、どうやら庶民が生活する普通の居住環境らしい。
エレベーターで地上階に降りて玄関から外に出ると、三つ目の朝日が昇るところだった。
「で、アラシ君の学校の人たちの宿泊所はどこなのかな?」
「・・・」
「そ、言いたくないんだ。まあ、いいわ。じゃあ、気をつけて帰るのよ。さよなら」
と言うと、ラヴィは急ぎ足で通りの方へと歩き始めた。後ろ姿を見送っていたら、急に立ち止まって急ぎ足で戻って来た。
「アンタ、お金持ってるの?」
ボクは首を横に振った。
「やっぱり! 逃げ出して公園のベンチで寝ていたところを見るとお金なんか持ってないよね。じゃあ、少しだけど、これあげる。私は朝食抜く習慣だけど、キミまで付き合わせたら可哀そうだもんね。通りに出ればファーストフードがあるから、そこで何か食べて残りのお金でタクシーに乗って戻りなさい。みんな心配しているんだから、あまり羽を伸ばし過ぎないようにね」
「ラヴィさん、ありがとうございます。ご親切は忘れません」
「うふふ、感心ね。子供のくせにしっかりご挨拶できるのねえ。じゃあね!」
きびすを返すと再び急ぎ足で歩きだし、雑踏の中に消えて行った。
「子供っていう訳でもないんだけどなあ・・・背がちっちゃいし、女の子みたいにスベスベした肌しているから子供に見られるのかなあ。じゃあ、せめて声だけでも男の声を出さないとね。うううん、コホンッ。あ~、あ~、本日は今日なり。あれ? 男の声ってどうやって出すんだっけ? ずっと女の子喋りしていたから出し方忘れちゃったぞ! あれえ? あれえ? どうだったっけ・・・≪ぐぐ~っ≫ ありゃ」
ボクは男の声が出せなくなって焦っていたけど、お腹が鳴ったので今は自由な時間を満喫することの方が優先だと思いなおした。
「さてと・・・どうしようかなあ。お腹減っちゃったし、まずは腹ごしらえかな」
【滞在2日目 8:30】
ラヴィは地下鉄の車内にいた。何しろラッシュアワーなので足の踏み場もないほど混雑しているのだ。電子デバイスを取り出してメールチェックする訳にもいかないし、他人と視線を合わすのもはばかられる。仕方なく広告やニュースが流れる壁面ビジョンを見るともなく見ていた。
「ふ~ん、34℃ね・・・今日も暑い一日になるなあ・・・へえ、訪問中のプリンセス・ランお病気で今日のご予定すべて延期かあ。それにしても綺麗なコだよねえ。女の私から見ても素敵だよなあ、まだ16かあ・・・あれ? この顔・・・どこかで会ったことがあるような・・・」
【滞在2日目 8:40】
「ああ、おいしかった! こういうジャンクフードが食べたかったんだよね。健康に悪そうだけど美味いんだなあ、これが。やっぱ都会っていいなあ。さてと、せっかく街に出たんだからブラブラ見て回ろうかな」
ボクはファーストフードの店を出ると左右を見渡した。遠くに尖塔の上にジェットコースターを巻きつけた、あの高層ビルが見えたので、そちらの方へと歩き出した。
【滞在2日目 9:00】
「なるほど、な。姫君はこの下に隠れてここまで来たってえ訳だ」
と言いながら眼光の鋭いガッシリした体躯の男が、テーブルクロスを捲り上げてワゴンの下を覗いた。
「ふう。それにつけても、本庁特別機動捜査班を総動員して迷子探しとはな。防犯カメラの記録では、2時5分に帽子を目深に被った小柄な人影が、ここの裏口から外に出ているから、それがマルタイ(保護対象)だろうな。だとすれば既に7時間も経過している。どこでどうしているやら・・・」
腕を組みその様子を見ていた、いかにもやる気の無さそうな表情の男が溜息まじりに言う。
「仕方あるまい。万が一のことでもあれば重大な外交問題に発展しかねないのだ。大統領閣下直々に指示する訳さ。俺たちは公僕、命令に従うだけだ」
「へえへえ。分かりやしたよ」
眼光の鋭い男はジロリと横目で同僚刑事を睨んでから、防犯カメラに映った姫君の写真を見ながら無線機のトークスイッチを入れた。
「“全捜査員に告ぐ。マルタイの服装が分かった。麻のひさし付き帽子、白シャツに緑のブレザーとグレーのパンツ、足元は茶色の皮のスニーカー、ひと言でいうと私立中学の生徒の様な姿だ。以上”」
【滞在2日目 9:05】
「お早うございまあす!」
ラヴィは、勤め先であるライネリア放送の報道部の大部屋に到着すると、大きな声で挨拶した。
「お、新人。朝っぱらから元気いいな。昨夜はお前んとこの先輩たちに付き合ってナイトスポットツアーをして来たんだろ? 夜刊チームは午後出社でいいんだよ」
「はい! でも、新入社員は始業時間に出社しろって厳しく人事部から言われていますから」
「人事の奴らもしようがねえな。事務と現場の違いも分かってねえんだから。ともかく無理すんなよ」
ラヴィは自分のデスクに座ると新聞を広げ、今夜のニュース番組のネタになるかもしれない記事をチェックしはじめた。
「ふう~ん。どこもプリンセス・ランご到着がトップ項目なんだあ。やっぱり評判の美女姫だもんな。でもさっき、初日の予定は全てキャンセルだって言ってたよなあ。あら、この写真なんかとっても可愛いじゃん。長い黒髪が色白の肌を引き立てて・・・んッ・・・んッ?・・・んッ?んッ?・・・この口もとから眼にかけての感じ・・・どこかで見たよなあ・・・額の所を帽子のひさしで隠すと・・・あああああああああああーッ!」
ラヴィは写真を指さしながら悲鳴にも似た大声を上げている自分に気づき、慌てて口を押えた。
「なんだなんだあ? ゴキブリでもいたか? 新人」
「い、いいえ。大丈夫です。なんでもありません。ちょっと、言われていたのにやり忘れていたことを思い出したもので。ちょっと出掛けてきます。お騒がせしました!」
ラヴィは、ボスのデスクに書きなぐったメモを貼り付けると、取材機器ラックからピンバッチ型の極小無線カメラを借り出した。震える手でジャケットの襟に留めて、バッグの中に録画機をセットすると、わき目も振らずに部屋を飛び出した。
【滞在2日目 9:10】
「お嬢ちゃん、本当に切っちゃっていいの?」
おネエっぽい男性美容師が、ハサミを手に逡巡していた。
「ええ。この辺からバッサリ切っちゃってください」
「こんな美しい黒髪なのに・・・やっぱり止しといた方がよくはない?」
「いいんです。ボーイッシュな感じにしたいんです」
「そうお? 男子生徒さんかと思ったらこんな綺麗なお嬢ちゃんだったじゃない、びっくりよお! アナタ、外国のかた?」
「はい。修学旅行でネオライネリアに来ているんです。せっかく都会に出たんだから、記念に髪型を変えたいんです」
「そういうことなの。じゃあ、お兄さん力になってあげるわ。お友だちが見たら、アナタと気が付かないくらい変えちゃうわよ」
「その、お、お友だちを、びっくりさせたいので、男の子みたいな感じでお願いします」
「分かったわ任せなさい。アナタの願い、このお兄さんが引き受けたわよ」
と言いながら、櫛で髪を整えながらカットイメージを膨らまし始めた。
ボクは、ジェットコースターのある高層ビル行こうと思ってぶらぶら通りを歩いて来たのだが、途中で美容室を見つけた。帽子で隠してはいるけれど、考えてみれば少なくともアビリタ王国では帽子を被っていれば女の子、ここライネリア共和国でだって長い髪のままではどう見ても女の子、久しぶりに自由になれたのだから髪型を変え男に戻ってこの時間を楽しみたくなったのだ。
ラヴィさんから、朝食をとったらタクシーに乗って宿舎に戻るようにと紙幣を1枚貰ったのだけれど、ファーストフード店で支払ったらいっぱいお釣りが来た。宿舎の場所を言わなかったから困らない様に高額紙幣をくれたみたいだ。国に帰ったらお礼の手紙を書いて何か贈り物をしようっと。
こうしてボクの冒険の朝は過ぎて行った。