第38話 プリンセス・ラン海外歴訪へ
窓の外はコバルトブルーの大空、遙か水平線には真っ白な入道雲が見える。夏真っ盛りだ。
ここは王室専用機のコンパートメント。とても飛行機の中とは思えないしつらえで、快適で豪華なリビングと寝室、浴室と化粧室、随員の為の控えの間が付いている。国王陛下や皇太子殿下が遠距離移動する際に使われるそうだから、これが本当のロイヤル・スイートルームなのかも。
「姫様ご覧くださりませ! 下に見えるのは公爵家のご領地サンブランジュ島でございますよ!」
「あの真っ白に雪を頂いているのがサンブランジュ山、向こうに見えるのはサンコルタ山、あっ! 遠くにサンレナート山も見えましてよ!」
「こんな高い所から見るのは生まれて初めてでございます!」
侍女のベル、専属メイドのレーネとカーラが、いつもより早口の甲高い声で喋っている。初めての海外旅行というので少し興奮している様子だ。ボクだってこれまで国内旅行しか行ったことはないのだけど、これからの歴訪のことを考えると不安でそれどころではないのだ。もっとも、海外旅行をしたことがなくとも宇宙旅行はしてしまっている訳だが・・・。
「どうなされまして? 姫様、ご気分が優れません?」
「・・・いいえ大丈夫。昨晩はあまり眠れませんでしたから」
「少し横になられてはいかがです?」
とその時、ドアがノックされた。
「よろしいですかな? すまんが内密な話なので姫君と二人だけにしていただけるかな?」
「はい。かしこまりました」
ボクの個室からベルたちがいなくなると、“鋼の宰相”セナーニ閣下が口を開いた。
「キリュウ君、一国を代表して親善訪問をする気分はどうかね?」
「・・・どうして・・・ボクを引っ張り出したりしたのですか?」
ボクも宰相の前では遠慮なく男言葉に戻れる。
「そりゃあ、君がたぐい稀なる美人だからだよ。訪問先の国民も政府や金融経済界の要人も、君と会うだけで楽しくなるだろう? 男なのだから君にも分かるはずだ」
と言いつつ宰相閣下の視線が、ボクの顔から胸、胸から腰、腰から太股へと下がって行く。今のボクは室内着に着替えているのでミニのシフォンワンピース。肌が透けて見える柔らかな素材で、いつもよりカジュアルな装いだ。それだけに無防備な感じがして心もとない。
「・・・じゃあ・・・どうして宰相閣下は今回同行することにしたのですか?」
「夏場は議会もないし閣議もない。もともとこの時期には休暇を兼ねて海外視察する予定になっておったのだ。老妻と旅するよりは、若く美しい姫君の随行で行く方が楽しいではないか。もっとも君が親善外交を進めてくれている裏では政治的駆け引きもしなければならんのでなあ。まあ、旅は始まったばかりじゃ、仲良く参ろうぞ」
「・・・宰相閣下はボクといると・・・楽しいのですか?」
「こうしてピチピチした若くて可愛い女の子と会話するだけでも若返った気分なのだよ」
「・・・男だと分かっているくせに」
「ふふふっ。君はまだ若いから知らんだろうが、いにしえから“衆道”というものがあってな、高貴な人々の間では同性への恋愛行為もごくごく普通のことなのじゃよ」
「・・・ッ! そんなイヤらしい目でボクを見ないでください!」
「はははっ。君にはこれから行く先々で王家の姫君として大切なお役目があるのじゃ。初々しい乙女を演じてもらわねばならぬでなあ、そうそう迂闊なまねはせんよ」
と言うとボクの露出した腕を大きな手でポンポンと軽く叩いた。ボクは宰相閣下の汗ばんで湿った掌の感触と脂ぎった視線にさらされて、背筋にゾワッと鳥肌が立ち身動きひとつ出来なかった。
「“姫様? どうされまして?”」
「・・・嫌な汗をかいてしまったので汗を流そうかと」
「“ここをお開けくださいませ。お湯浴みでしたらベルが承りますから”」
宰相が出て行った後、ボクは触れられたところが無性に気持ち悪くなって、肌をぬぐおうと直ぐに浴室に入った。個室に戻ってみたらボクの姿が見えないのでベルが心配したのだ。鍵を開けると浴室にベルが滑りこんできて、ボクの顔を覗きこむように窺う。
「ランさん・・・ひょっとして、閣下に何かされました?」
外に聞こえないように囁き声で尋ねる
「いや・・・腕に触られただけ」
「・・・でも顔色が悪いですよ?」
「閣下の舐める様な視線を感じただけでゾッとして、背筋に悪寒が走ったんだ」
「あのスケベオヤジ! 姫様を何だと思っているんでしょう」
「いや、閣下は男だって知っているから・・・」
「やっぱりスケベですよ。ランさんのことを男だと知りながら色目を使うなんて!」
「・・・それより、閣下のそんな視線に反応してしまった自分の方にも戸惑っているんだよ。ボク、潜在意識まで女の子になっちゃったのかな?」
「女も男も関係ありません! 視姦されたのなら当然の反応です。汚らわしい奴から性的対象と思われれば誰だって怖気を震います! だから、ランさんが女の子になってしまった訳ではありませんよ」
ベルは懸命にボクの気持ちを引き立てようとしてくれるけど、そういうことじゃないのだ。ボクはあの瞬間自分を、自分の身も守ることのできないか弱い存在だと感じたのだ。男の時には決して感じたことのない感覚だった。
「でもね、ベル。ボクは自分がか弱い存在だということを思い知らされた感じがしたんだよ。今まで一度だってそんな気持ちになったことないんだもの」
しばらくベルはボクの顔をまじまじと見つめていたが「このコは何も分かっていないんだから」と言わんばかりに首を振りつつ言った。
「いいですか、ランさん。君ねえ、見かけは女の子だけどやっぱり中身は男なのねえ。女はか弱い? 男に保護されなければ生きていけない? そんなの男の幻想ですって! もっともっと図太い生き物なんですからね、女は。 『か弱い私を守ってほし~い』 そういうポーズをしたがる女もいますけど、それはあくまで男の気を引く為のポーズ! どんな可愛い顔していたって根は相当にしたたかなんですから」
「・・・」
「あら? なあに? 幻滅したんですか? 女だってオナラもするしゲップだってするんです。ランさんだって今はそんな女性の仲間なんですよ。現実を直視しシャンとなさい!」
「じゃあ・・・か弱い存在だと思ったのって・・・」
「そう、その通りですよ! ランさんは自分で自分のことを、か弱くて異性から守ってもらえる存在なんだ、そんな自分ってなんて可愛いんだろう、って思ったんです」
「ううっ、自意識過剰で嫌なタイプじゃん、それって」
「でしょ? まあ、そんな女の子の方が男性から好かれるんですけどね。いい機会です。この旅行中にベルが女の子の手練手管をしっかり叩き込んであげましょう」
「あ、いやいいよ。別にボク、男に色目を使って口説かれたい訳じゃないんだから」
「そうですか? 男に戻った時にも絶対役に立つことですよ。手の内が分かっていれば、ランさんが女の子を口説くときにもまごつかないでしょ?」
「そ、そうかな?・・・そうだよね。じゃあ、無理のない範囲でボチボチ・・・」
「そうこなくっちゃ! なんだかベルも旅行中の楽しみができましたわ」
ベルはいそいそとボクの入浴を手伝いながら、嬉しそうにプランを考え始めた。
『歓迎! プリンセス・ラン』
『メッセニア共和国へようこそ! プリンセス・ラン』
『よきご滞在を! プリンセス・ラン』
朝日を浴びた街路には、アビリタ王国とメッセニア共和国両国の国旗が翻り、ボクを歓迎する電光メッセージがそこここで明滅を繰り返している。ボクを乗せた地上車が傍を通る時、通りの両側に溢れる大勢の市民が歓声を上げて拍手してくれる。ボクは車中から笑顔で手を振りながらそれに応える。国王陛下名代のボクのヤーレ連邦各国歴訪、最初の訪問先はメッセニア共和国だった。
「いやあ、姫様のご来駕を心待ちにしておりました! やはり姫様が国賓として来られるのと宰相閣下の訪問では全く歓迎が違います。何せセナーニ宰相はあの苦虫を潰した様な風貌。こちらの国民には不人気なんですよ」
空港で出迎えてくれた駐在大使が思わずこう漏らしていたけど、前回宰相閣下が来た時にはブーイングと抗議プラカードのデモだったそうだ。
滞在中の宿泊先である迎賓館に到着すると直ぐに着替えさせられ、休む間もなく国会議事堂に移動。上下両院議会の表敬訪問と、両院議長との懇談会。外務大臣とのミーティングを兼ねた昼食会をはさんで、議会の庭園で記念植樹。移動して婦人団体の会合でスピーチ、経済団体代表との面会、金融機関代表との面会、在留邦人会のレセプションでスピーチ・・・分刻みの予定を消化させられた。
「“アビリタ王国の友好と絆の証としてわたくしの訪問がメッセニア国民の皆様に長く記憶されることを願って止みません”」
盛大な拍手を受けてスピーチを終えたけど、既にボクは自分がどこで何をやっているのか分からなくなっていた。
「ランさん、スマイル」
傍に控える侍女のベルに囁かれて、ボクは慌てて笑顔を作る。王立スポーツ研究所の女性化プロジェクトで鍛えられ顔の筋肉を自由に自分の意思でコントロールできるから、どんな時でも不自然にならずにキラースマイルを作れるのだ。
「なんて愛らしい!」
「プリンセスの笑顔を見ているだけで幸せな気分になれますわ!」
感嘆するざわめきが会場のあちこちで沸き起こっている。
「いやあ、お見事なスピーチでしたね。まだお若いのに大したものだ」
左隣の席の男が話しかけてくる。誰だっけ? そうだ、これはボクを歓迎する晩餐会だった。ということは、この背の高い老人はここの大統領。
「お褒めいただいて恐縮です。大統領閣下」
「それにしてもお綺麗ですこと。お色が白くてらっしゃる上に何と言ってもその小さなお顔。お国では姫君の歓心を得ようと多くの殿方がお騒ぎなんでしょう?」
大統領の向いの席の老婦人が話しかける。大統領夫人だ。
「そうなんですよ。姫君は先月社交界にデビューされたばかりですが、押しも押されもせぬNo.1ターゲットですよ」
ボクの正面の席に座るセナーニ宰相が、さり気なくボクの胸元に視線を投げながら答える。
「これほど美しい姫君のお傍にいられるんですから、セナーニ閣下も今回は楽しいご旅行ですなあ」
右隣の太った中年男が宰相に言った。この人物はここの首相だ。大統領と違って自分はまだまだ“現役”だというアピールに聞こえる。こいつもさっきから嫌らしい目付きで、素肌が露出しているボクの胸や肩、太腿ばかり見ている。
食事の間中いろいろ話しかけられたけど、全然楽しくはなかった。連中は男と女の性的な話題を振って、経験のない女の子が当惑するのを見て楽しんでいるのだ。本物の女の子だったら清純な振りをしながらも、いずれ自分の身に訪れるそういった事柄にドキドキワクワク興味津津で楽しんだのかもしれない。
でもボクにとっては自分の身に降りかかりつつある現実の脅威としか思えなかった。
「おお、そろそろ食後の時間ですな。プリンセス・ラン、1曲お誘いしたいのですが?」
「ええ、大統領閣下。よろこんでご一緒させていただきますわ」
ボクは差し出された手に、自分の手を重ねてダンスフロアーに導かれる。主賓とホスト、両国を代表する二人の踊りを皮きりに出席者が踊り出した。
確かにセナーニ宰相の言った通りだった。王族独身女性による親善外交の方が、国と国との融和の象徴としても絵になるし、何より目の前で国政を司る爺様が鼻の下を伸ばして喜んでいるのだ。男性トップ同士では一緒に踊る訳にもいかないから、親密な感じには見えなかったかもしれない。
結局その夜ボクは次々誘われたので、晩餐会がお開きとなる夜遅くまで踊り続けることになってしまった。だって、ボクは女だから踊りに誘われたら断れないのだもん。