第37話 王室舞踏会(後編)
舞踏会場に管弦楽のクレッシェンドが高らかに鳴り響いた。亡きマリアナ姫の代役ではなく、ラン姫としてのボクのデビューダンスは終わった。場内に拍手が沸き上がる。息を整えようとボクは胸を大きく弾ませる。そんな様子をユージンが眩しそうに見つめている。ビスチェドレスだから胸の膨らみの上の方が丸見えなのだ。
「少し休みましょう。ラン姫は最初から踊りっぱなしなのでお疲れでしょう」
「ええ、お気遣いありがとうございます。ユージン様」
ユージンの差しだす腕に手を添えて壁際の椅子まで案内してもらい、少し痛む足先を休めてようやくひと息つくことができた。
「あの・・・ユージン様。ひとつお尋ねしてもよろしゅうございますか?」
「なんでしょう? ラン姫の質問でしたら何でもお答えしますよ」
「あちらで踊っておられるお二人のことなのですが・・・」
「ああ、レア姫と殿下のことですか?」
「はい。お相手の殿方はどなたにございますか?」
「あれ? ご存知ありませんでしたか? そうか! ラン姫はこちらに来られて、まだ日も浅いですからね。あの方はフランツ殿下。国王陛下と王妃殿下のお子です」
「ということは・・・王子様?」
「そうです。陛下にはお世継ぎの皇太子殿下とご次男のフランツ殿下、二人の男のお子様がおありです。ラン姫のお父君は陛下のお従兄弟ですから、フランツ殿下はラン姫の又従兄弟にあたりますね」
「またいとこ・・・」
「殿下をご存じないということはレア姫とのこともお聞きになっていない?」
「・・・はい」
「レア姫は殿下の許嫁なのです」
「いいなずけ・・・ということはご結婚なさることに?」
「ご予定では今頃は既に結婚式を挙げられてご夫婦になっていたはずです。まあ、ご婚約はされてますから、いずれご夫婦にはなりましょう。でも、その原因を作ったのはラン姫、アナタだというもっぱらの噂ですよ?」
ユージンがいたずらっぽい目でボクを見つめる。
「わたくしが?」
「ええ。レア姫は王立女学院を卒業したら直ぐに王家に嫁ぐことになっていたのですが、急に大学にご進学されてしまい日延べになったのです。その理由は、女神杯を目指す為と。そうとすれば、レア姫の闘争心に火を点けた人物がいるはず。丁度その頃、天才的女性ゲオラーが彗星のごとく現れたのですよ」
「それが・・・わたくし、ですか」
「ええ。フランツ殿下が先ほど“レアの可愛い思い人、ラン姫”と言われたのはその辺を踏まえてのことでしょう」
「わたくし、殿下に悪いことをしてしまったのですね」
「あはは。おっと失礼、笑ってはいけませんよね。ラン姫がお気になさることはありませんよ。もし私が殿下の立場だったとしても、ラン姫を怒ることはできませんよ」
「どうしてですか?」
「だって、こんな可愛い姫君に“よくも俺の許嫁の気を惹いてくれたな”と嫉妬するんですか?」
そうだった。ボクは女の子なのだ。ユージンの言葉に二の句が継げなかった。
その時、突然声をかけられた。
「よろしいですかな?」
「これは宰相閣下! 閣下とラン姫はお知り合いでしたか」
「姫とは因縁浅からぬものがありましてな。地球からこちらに来られたときに色々お世話をしたのですよ」
「そうでしたか、ではパートナーを代わりましょう。ラン姫をお願いします」
「ご安心を。大切に取り扱いますよ」
何を企んでるんだこのオヤジ、と思いながらも 差しだされた“鋼の宰相”セナーニ閣下の手に自分の手を重ねて、ダンスフロアに導かれて行く。女性は男性から踊りに誘われたら断ってはいけない、家庭教師のタチアナ先生から厳しく言われているのだ。曲が始まり踊りだすと、宰相閣下は無遠慮にジロジロ見ながらボクにしか聞こえない声で話し始めた。
「さてと、キリュウ君。この機会に君と少し話がしたかったのだ。それにしても見事な化けっぷりだ。期待していた以上だ。君がこれほど美しい女性に変身しようとはね。ゆで卵のようにそそる白い肌、大きくもなく小さくもなく美しい胸の膨み、誘うように艶めかしくくびれた腰、目を奪うように紅いに光る唇・・・見ているだけでも自制心を失いそうじゃ」
ボクの手を握る閣下の大きな手に力が込められる。
「うっ・・・閣下、そんなイヤらしい目でボクを見ないでください。見かけはともかく、中身は今も男なんですから」
「それそれ!その玉を転がすような愛らしい声もじゃ。男であれば誰でもこの仔猫を組み敷いて鳴かしてみたいと思おうぞ。惜しい。実に惜しいよ。まだ16じゃったな? これで大人の身体つきになったら、どれほど良き女になることか。どうかね、いっそ女になってしまっては? 悪いようにはしない。公爵も、陛下も君を大切にするぞ?」
獲物を射すくめるように宰相の目が爛爛と光る。
「と、とんでもありません! 閣下との契約はあと1年です。ボクは女神杯に出場し、勝ちます。必ず約束は果たします。そうすれば男にも戻れるし、地球にも帰してもらえるんですよね? ね?」
ボクの必死の反撃に宰相の圧迫感が少し弱まった。でもまだ瞳にメラメラと好色な炎が燃えている。
「ああ、分かっとるよ。君と交わしたのは男と男の約束じゃ、必ず果たす。それにしても惜しい。これほどの美形だ、わがアビリタ王国にとっての逸材だ。これを利用しない手はないのだ・・・んー・・・そうだ! キリュウ君、近々君に仕事を依頼することにしたぞ!」
「仕事? ボクは学生ですよ。第一、この秋には大事な大事な女神杯予選が始まるんです。この夏休みはその為の準備をしなければなりませんので」
「分かっとるよ。この仕事は女神杯を目指す君にとっても、きっと役に立つことだ。夏休みはサンブランジュ島に滞在かね?」
「・・・公爵は一緒に夏離宮で過ごそうと言っていますが」
「そうかね。では、その期間中に少し時間をもらうことにしよう。折角の父娘の時間に都合をつけてもらって済まないが、手配が済み次第公爵にお願いして君を借り受ける。君は何も心配しなくてよい」
そう言うと、いかにもいいアイデアを思いついたぞ、という顔で一人ニンマリした。背筋にゾワッと悪寒が走る。この男がこういう顔つきをするときは、決まってボクの身に何か悪いことが起きる。だから意識せずとも知らず知らず、身の危険を感じてしまうのだ。
「まあ素敵! 『アビリタ新聞』の社交欄に姫様のお写真が載っておりましてよ」
「こちらにも! あら、これにもですわ。全ての新聞の社交欄に姫様のお写真が」
翌日の新聞には、王室舞踏会のボクのデビューの様子が、写真と記事に大きく取り上げられていた。それを読みながら侍女のベルたちが嬉しそうに騒いでいる。どうやら社交欄に載るということは凄いステータスらしいのだ。吉祥寺に居た頃は、新聞を読むと言っても番組表とマンガくらいだったから、その感覚は分からない。そもそも日本の新聞に社交欄なんてあったろうか。
「わたくしにはよく分かりません。社交欄に載せられると何か善いことがあるのですか?」
「これで姫様も名実ともに社交界の一員。大人のお仲間として認められたのですよ」
「そうです。今回デビューされた中で最も注目されているのが姫様なのですよ」
「どうも分かりません。注目されることが善いこと、なのですか?」
ベルが面白そうにボクとメイドたちのやり取りを聞いている。
「それはそうでございましょ! 社交欄で注目されたということは、姫様とのご縁談を求めて来られる殿方が大勢現れるということですから」
「え゛ッ!・・・じゃないじゃない・・・まあ! 絶対そんなの困ります!」
「これだけお美しいのです。殿方が放っておくはずがございませんもの。当然のことですわ!」
「お美しさと言う点では姫様に引けをとらないレアお嬢様も、ご婚約なさってしまわれては殿方にとって手の届かぬお方でございましょ? いま最も美しくてお若い独身女性は姫様なのですもの」
「で、でも・・・わたくしまだ16です。学校に行かなくてはなりませんし、そうだ! 女神杯があるのに縁談なんて無理ですわ!」
「あらあら、そんなムキになられて。なにを焦っておいでなのです。もちろんご結婚なさるのはずっと後のこと、ご婚約のお話ですって」
「婚約も結婚も同じことではありませんか! 男の方とそのようなこと、わたくしには絶対無理です」
「そんな恥ずかしがらなくても。女であれば誰でも花嫁になるのが夢じゃありませんか」
「わたくしは違うんです。わたくしは絶対お嫁には行きません!」
「はあ・・・公爵様がおよろしいのですよねえ。まだまだ姫様はお子ちゃまなのですねえ」
いつでもボクの味方をしてくれる忠実なメイドのレーネとカーラですらこうなのだ。あと1年なんとか“操”を守り通さないと、ボクは本当に女にされてしまいかねない。心底困ったことになったと思った。
「姫様、その男性恐怖症をお直しにならないと社交界ではやって行けませんよ。社交界も公爵家姫君の大切なご公務のひとつでございますからね」
ベルが意地悪そうな目をして言った。
「男を手玉に取るのお?」
ボクは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。いつもの日課で寝る前にベルが丹念にブラッシングしてくれている。二人きりなのでボクも男に戻って会話する。
「そうです。地球に戻るまでこれからの1年間、もしランさんが処女を守りたいのなら小悪魔におなりなさい」
「ボクが小悪魔あ? そもそも処女じゃなくって童貞だし・・・あわわっ」
「うふふふ。ランさんに女性経験がないことなんかバレバレですよ。それよりベルはランさんのことを考えて真剣に言っているんですよ?」
「それが小悪魔?」
「そうです。前にも言いましたが、男性からちやほやされるのは女性の大切なお仕事なのです。そして可愛い女性が社交界で操を守るには、どの男性とも仲良く、しかも等距離を保つことが肝心です。どの男性からもラン姫は自分に気があるのではと思わせるのです。決して片寄ってはいけません。もちろんどなたかをお好きになって、ランさんがそのまま女になると言うのであれば話は別ですが」
「そ、それはない。絶対ない!」
「だったら小悪魔におなりなさい。でも・・・ランさんって恋する乙女タイプだから」
「絶対恋はしない! 男とはしない! ベルに言われたとおりちゃんと演技するってば。それでも、もしも縁談が来てしまったら?」
「その時はお断りになればよろしいのです」
「う~ん・・・だったら、今のうちに公爵に本当のことを話してしまった方がよくはない?」
「それはダメですよ。ようやくお元気を取り戻されたのにこのタイミングで、ランさんは男で1年後には地球に帰ってしまう、なんて聞いたら公爵様は立ち直れなくなります。今少しお幸せな時間を過ごさせて上げてください」
後になればなる程、公爵に本当のことを言いづらくなると思ったけど、ボクと踊っている時の嬉しそうなあの笑顔を思い出すと今は言えそうにない。少なくとも夏休みをサンブランジュ島の夏離宮で過ごす間だけはこのままでいようと思う。時期が来れば嫌でも言わなきゃいけなくなるだろうし、ボクはベルのアドバイスに従うことにした。でも、どちらかといえば清純派のボクにできるのだろうか、小悪魔なんて・・・。
「ランや、宰相から内示があった。おまえに陛下の名代としてヤーレ連邦共和国に行ってもらいたいそうじゃ。出発は再来週、宰相が同行する。正式には今日陛下の使者を迎えて承る」
サンブランジュ島の高原にある夏離宮のテラスで遅い朝食をとっているとき、突然公爵が言いだした。傍に控えている執事たちが「おおッ」とどよめいている。ついに来たか、宰相が考えた策謀はこれだったのだ。ボクは仕組まれているに違いない“なにか”への警戒心と恐怖心でいっぱいになってしまった。
「・・・なぜランなのですか?」
「おや、嬉しくはないのかね?」
「・・・折角の夏休みにお父様と離れて過ごすなんて、寂しいんですもの」
「ほほう、嬉しいことを言ってくれおる。だがな、これは大変名誉なことなのじゃ。わがままは許されまい。宰相が言うには、王妃殿下とお病気勝ちの皇太子妃殿下以外に、女性王族のいない期間が長く続いたが、ラン姫が社交界にデビューしたので女性による王室外交を復活できるようになった、早速だがヤーレ連邦各国歴訪を通じて各国国民とわが国との親善の架け橋となってほしい、ということなのじゃ。こう言われればランとしてもお受けせねばなるまい?」
ボクは返す言葉がなかった。こうしてボクの王立女学院2年生の夏休みは、国王の名代として海外で過ごすことになったのだった。