第35話 レディになるための猛特訓
3つの太陽が順番に傾いて初夏の日差しに照らされた樹々が影を長く伸ばし始めた。『カラ~ン、カラ~ン、カラ~ン』王立女学院のキャンパスに鐘の音が響き渡る。
「う~ん、ようやっと放課後だあ」
「さあて、部活に行かなきゃ。あれ? ランは行かないの?」
「うん。試合が終わって合宿でいなかった分、早く帰らなければならないんだ」
「ふ~ん」
本当は、王室舞踏会で社交界デビューする為の特訓なんだけど、そんなことをパメルやサリナに言ったら大変だ。ボクは根掘り葉掘り聞かれる前に、そそくさと教室を出て迎えの車に急いだ。
「姫様、ご基礎はお出来になっていますわ。でも、それだけではただの女性というだけ。16歳になられたのですから、レディとしての立ち居振る舞いが自然にお出来にならねばなりません。さあ、もう一度!」
ボクはこの惑星に転移してからというもの、最初にヒムス家でラマーダ母さんから家事全般の手ほどきを受け、次に王立スポーツ研究所で学園生活を送る為の女の子としての基礎を学んだ。男が女に化けるのだってもの凄く大変だと言うのに、今度は女の子でも身に付けるのに苦労する貴婦人としての特訓なのだ。社交界デビューしているレア先輩みたいにならなければならないのだ。ボクがお嬢様言葉で喋る? ううっ気持ち悪い。
「違いますわ! もう一度おっしゃって」
「はい・・・ボク、いえ、わたくしはサンブランジュ公爵家の姫、ランにございます。本日はお招きいただきまして誠にありがとうございます」
「ボク、は絶対になりませんよ。それとそんな棒読みではなく、ちゃんと女性らしく感情をお込めになって。さあもう一度!」
ボクを厳しく指導している先生は、女官長リネアさんの同期任官で、長年にわたり王家の姫君の家庭教師をしてきた老婦人のタチアナさん。厳めしい顔でジロッと睨まれると、さすがに怖い。
「違います! しっかりお指先までご神経を行き届かせて! それでは単に女性が会釈しただけ。貴婦人ではありません!」
「そんなことを言ったって・・・」
「それも違います。きちんとおっしゃりなさい」
「はい・・・そのようなことをおっしゃられても、わたくしには致しかねます」
「話し方はよろしい。しかし、承れません。お出来にならないならご努力なさいませ」
「ううっ」
「それもなりません。たとえうめき声であっても貴婦人らしくお言い直しを!」
「レディのうめき声で、と言われましても・・・」
「ご自分でお考えなさいませ。ご自身のご表現でなければ御身につきませぬ」
こうして1カ月が過ぎた。季節はもう夏、朝から気温がジリジリ上昇してじっとしているだけでも汗ばんでくる。小さな白いレースの日傘を片手に、薄手のノースリーブとミニスカートに素足の編み上げサンダルなので、まだしも楽だ。男だったらこうはいかない。女の子にされてよかったと思うことのひとつではある。校門の前で地上車を降り、ベルに見送られて校舎までの道のりを歩いていると、パメルが走り寄って来た。
「ラン、おはよう!」
「おはようございます」
「ランはそうして薄着になると、本当に細いねえ。それに日傘を支えている二の腕の白いこと」
「それほどでもございませんわ」
「・・・なんかラン、すっかり、アレになったね」
「アレ、でございますか?」
「うん。なんていうか、まるでレア先輩みたい」
「このひと月、お行儀作法を厳しく躾けられておりまして」
「ランは公爵家の姫君だからそれでいいんだけど・・・なんか調子狂っちゃうわ」
「ご期待にそえず相済みません。わたくしといたしましても大変不本意なのですが、お話は全て録音されておりまして。本日も帰宅いたしましたら、一日を振り返りつつお行儀作法の先生から言葉遣いを正されるのです」
「ランも大変だねえ。いやあ私、姫じゃなくてよかったわ」
とその時、1年生が通学の生徒たちの間を縫うように走り込んできた。
「待て~え!」
「待てって言われて待つ奴がいるか!」
「だったら・・・こうだ!」
といきなり飛び掛かった。ところが逃げている子が間一髪体をかわしたもので、追っている子は行き場を失いボクにぶつかって来た。
「うわあ!」
「危ない! ラン」
その時、思わずボクの口をついて出た叫びは
「あ~れ~え!」
「ほんと危なかったんだから! それにつけてもびっくりしたのはランの悲鳴よ!」
教室に着いてパメルが目撃談を大声で話すものだから、クラス中がすっかり盛り上がっている。
「あ~れ~え、と叫んだのを聞いた時はわが耳を疑ったわ」
「いまどき、そんな悲鳴をあげる子がいたなんて」
「それがさあ、私も近くにいたんだけど、ランって可愛い姫ボイスじゃない? 違和感がないんだな、これが」
「ラン、もう一度聞かせてよ!」
「そんな・・・恥ずかしゅうございます」
ボクは真っ赤になってうつむいてしまった。
「姫様、ユージン様からお花が届いていますよ」
女学院から宮殿に帰ると、部屋に綺麗なピンクの薔薇が飾られていた。
「姫様のイメージカラーの華麗な薔薇を、毎週送ってこられるなんて胸がキュンッとしちゃいますわ」
「姫様もそろそろお心をお示しになりませんとね」
「確かに、ユージン様は・・・素敵な殿方と思っております」
「では、王室舞踏会のエスコートはユージン様でお決めに?」
「いえ、それはまだ・・・」
「お迷いになることはございませんでしょうに?」
お嬢様言葉を強要されるようになって1カ月、立ち居振る舞いも貴婦人のようになって来ているけれど、ボクの頭の中、心の中は、当たり前だけど男のままだった。とはいえユージンのことを思うと、胸が苦しくなる時があるのも事実。この話をしたらヴェーラ博士は「女性ホルモン摂取効果で“異性”に対しての感情が芽生えたのよ」と手を叩いて喜んでいたっけ。博士はボクを二度と戻ることのできない完全な女の体にしようと、虎視眈々狙っているのだと思う。
「姫様、ユージン様とはお会いにならないのですか?」
「貴族倶楽部でお救いいただいてから、もう随分になりましてよ」
「そのことは以前にも申しました。わたくし、ユージン様とお会いしても何をいたせばよいのか分からないのです」
「うふふ。本当に姫様はネンネなのですねえ」
「男と女ですもの、お会いになれば自然と分かりますよ」
そんなやり取りを傍で見ていたベルが、思い立ったように言いだした。
「そうですね。いつまでも姫様が男性恐怖症のままでは困りますから、ユージン様をお呼びして親しくお話し相手になっていただくのもよろしいかと。早速、リネア女官長と相談いたしましょう」
「えっ! ベル、急に何を言い出すの? ボクにだって心の準備があるんだから、待ってよ」
「あら、お言葉が元に戻っておしまいに。タチアナ先生に叱られましてよ」
「あっ! えと・・・何を言い出すのです、ベル。わたくしにも心の準備は必要なのです。お待ちになって」
「姫様のお為です。貴婦人としてのお振る舞いを男性の前でなさる機会は、先生も望まれていたことですし」
「そ、そんなぁ、じゃない、えと・・・そのようにご無体なことを」
ベルから相談されたリネアさんは早速公爵に報告、公爵は「ランが男性にも興味をもってくれるようになったか」と大いに喜んだとか。タチアナ先生にも相談が行き、「これはいい機会です」とボクをレディとして教育する為、完璧な姫様仕様で面会するように段取りが組まれることとなったのだ。という訳で、ボクの意思などお構いなくユージンの来訪が決まってしまった。
「ラン姫、本日はお招きに預かり喜びに堪えません」
「ユージン様、わたくしの為にお運びくださりありがとうございます」
とボクが言うと、ユージンはボクの手をとった。ボクの倍はありそうなユージンの大きな手の小指には、ボクが贈ったピンキーリングがはめられていた。そしてボクの手を引き寄せると手の甲に軽く口づけをした。
「!」
まさかそんなことをされるとは思ってもいなかったので、ボクはどうしていいのか分からなくなり固まってしまった。そんなボクをユージンは、とても好ましそうに見つめながら、
「やっとお目にかかることが叶いました。それにしてもラン姫は華奢ですね。この身体のどこに駆けっこで張り合うだけの力があるのか不思議ですよ。そうか、ラン姫は時折心の中で男になるんでしたね。今はランさん、の方がよかったのかな?」
「あ、いえ、今は、お行儀作法のご指導を受けておりまして、この話し方で失礼いたします」
「ほう、いよいよもって高嶺の花におなりですな。では本日は、麗しきご婦人として接しましょう。それでは改めてと。ラン姫、本日は一段とお美しい。先日貴族倶楽部でお目にかかった折にも際立つ美しさに・・・」
傍らで控えている(見張っている)リネアさんやベルたちが、なぜかとても嬉しそうだ。
そうそう今日のボクの格好だけど、胸元を強調する腕肩丸出しのビスチェドレスなのだ。もちろん淡いピンクのミニスカート仕立て。アップした髪にはいかにも姫様らしいピンクゴールド細工のティアラ、耳にはそれとお揃いの耳飾り。ミニから伸びる足には、極薄ソールでほとんど素足としか見えそうもないヒールサンダルだ。
髪をアップにすると首筋のラインが強調されるので、ますます丸出しの肩が気になってくる。胴回りにだけ布を身に着けているだけで、何も着ていない感じがする。
ボクは露出狂じゃないんだから絶対嫌だと言ったのだけど「いまは夏。お暑いでしょ。この方がお楽ですよ」と強制的に着せられてしまったのだ。
控え目な視線だけど、やっぱりユージンはボクの胸元を見つめている。女の子が素肌をさらけ出しているのだ。多分、ボクがユージンの立場だとしてもそうなってしまうと思う。ということは、ボクが性的対象に見えている? ううっ。
「おや? 寒気ですか」
「姫様、ショールをお持ちしいたましょうか?」
「い、いいえ、だ、大丈夫ですわ。気持ちの良い風ですもの」
まさか、男に見つめられて思わず怖気を震ってしまった、とも言えないし。それでもベルは冷静に観察するような視線でジッと見つめていて、しっかりボクの心理状態を見抜いているみたいだった。
その後、昼食を摂りながら3時間ほどいっしょに過ごし、ユージンの初回訪問は終わった。まあ結果的には、ゲオルの話、合宿の話、ユージンの大学生活のエピソード等々、ユージンと話をしてとても楽しかったのだ。これは男同士の会話であったとしても、楽しかったに違いないと思う。でも一方で、ユージンから女として見つめられていることを意識せずにはいられなかった。ボクの心の中にも、それを嬉しいと思ってしまう気持ちがあったことは否定できない。
「ランさん、ユージン様とお話するのがとても楽しそうでしたね」
その夜就寝前、ボクの髪を丹念にブラッシングしながらベルが言った。
「うん。ユージンは話題が豊富だし、大学の男友達のエピソードなんかはとっても愉快だったから」
二人きりなのでボクも男の子に戻って話をする。
「でも、ランさん。ときどき女の子になっていましたよね?」
「うっ、き、気が付いていた?」
「そりゃあもう。いつも傍にいてランさんの身体の隅々まで知っているんですから」
「確かに、女の子の気持ちになっていたみたいなんだ・・・」
「それって、快感でした?」
「・・・正直に言うと、ユージンに見つめられて称賛され優しくされている内に、とても幸せな気分になっちゃったんだ」
「やっぱり! ランさんの瞳が潤んで愛らしくなった感じがしましたもの」
「実は・・・ヴェーラ博士に性転換手術してあげようか、子供だって産めるようにできるのよって言われたんだ。その時はあり得ない話と拒絶反応でしかなかったのだけど、その幸せな気分のときにふとそれを思い出して・・・それ程の拒絶感でもなかったんだよね」
「いいお話じゃありません! ランさんなら間違いなく最高の女性になれますよ」
「でも、ボクは地球に絶対帰るんだ。女になってしまったら帰ってから面倒なことになるから、そんなのあり得ないって」
「こんなに可愛いのに惜しいなあ・・・私がランさんみたいになれるんだったら一も二もないですけどね。それで? 女性化への恐怖心はどうなんです?」
「それが・・・不思議なんだよね。女になってはいけないって頑なに思っていたのが嘘の様で・・・男でありながら女の子の気持ちも楽しんでいる自分に気が付いて、びっくりしちゃった」
「それはランさんが、ご自分に自信を持てるようになったのですよ、きっと」
ベルに言われて気が付いた。ボクは女の格好をさせられて男と向き合わなければならないのが嫌で堪らなかったのだ。いつの間にか女の子としての姿形や振る舞いをすることに違和感を感じなくなっていた自分と、それを冷静に見ていられる自分がいることに思い至ったのだった。
いよいよ王室舞踏会が迫って来た。そろそろエスコート役も決めないと。誰に頼もうか? 頼むとするならやっぱり彼かな・・・でもなあ。