第34話 嵐が去って大会も終わって
雨上がりのこずえが、初夏の日差しを浴びてキラキラ輝いている。昨日の嵐が嘘の様な晴天だ。
ボクは合宿所を出ると校舎を目指してキャンパスの小道を歩く。そこここに吹き飛ばされた葉っぱや枝が落ちていて水溜りもあるけれど気持ちのいい朝だ。思いっきり身体をを伸ばして深呼吸すると、雨に当たってかぶれた処が襟もとや袖から覗いた。レア先輩が化粧水と乳液で念入りに手入れしてくれたのだけど、治るまでしばらく掛かりそうだ。
合宿所から教室に通うのは今日が最後だ。女の子たちに囲まれ2週間ちょっと合宿生活した訳だけど、ヴェーラ博士に下半身を隠蔽してもらったこともあって、どうにか男だとバレずに済んだみたいだ。そういえば交代でやった家事についても「ランが一番女らしい。ランなら今すぐお嫁に行ける」って皆から褒められたっけ。あんまり嬉しくないけど。
「ラン、おはよう!」
「あ、ミーシャ。おはよう」
「王都学園選手権、残念だったね」
「うん。やっぱり大学生チームはボクたちとはレベルが違ったよ」
「でも、高校で準決勝まで行ったのは10年振りとかって?」
「へえ? そうなんだ」
「なんだ、そんなことも知らなかったの? 中継でアナウンサーが言っていたもん」
「え? 中継されていたの?」
「そうだよ! それも知らなかったの? 画面に映るランは注目のまとだったんだから!」
「ボク映されてたんだ・・・」
教室までの道すがらミーシャから聞いたところによると、中継のお陰でちょっとしたヒーロー、いや、ヒロインにされてしまったみたいなのだ、ボク。だから校舎の入口に近づくと直ぐに、生徒たちに取り囲まれてしまった。
「ラン!」
「ランさん!」
「ラン先輩~ぃ!」
「よく頑張ったわね!」
「中継見てて泣いちゃいましたよ」
「大きな先輩たちを相手に小っちゃなランが頑張っているんだもん」
「雨に打たれて色白なランのやわ肌が赤くなっていくの、視ている方が辛かったわ」
「最後のショットのときなんか、風に煽られてふらふらだったじゃないですかぁ!」
「レア先輩のショットが鐘に当たった後のランの表情! 熱っぽい瞳でハアハア荒い息遣いをしてグリーンを見つめている姿! ほんと堪らなかった」
「その後もだよぉ。戦いすんでレアお姉さまがいたいけな妹ランの肩を抱きながら、ふたりが1本の傘でクラブハウスに帰る後ろ姿・・・」
「いま思い出しただけでもウルウル来ちゃうよ」
とまあ大変な騒ぎ。ボクが一言も喋らないのに勝手に盛り上がってしまっている。教室でも休み時間にも一日中こんな感じなもので、授業が終わる頃には精神的にすっかり疲れてしまった。部活のない日だったけど、気分転換にキャンパス内の周回路をランニングをすることにした。
「ハッ・・ハッ・・ハッ・・ハッ・・」
ボクは1km3分のラップで木立の中を突っ走る。体型が女性的になりすっかり痩せて体重が軽くなったこともあるけど、ここは地球より重力が軽いので足の運びが楽なのだ。この惑星の人類であるハテロマ人女性の女性ホルモンを、長期間投与し続けた副作用として思いがけない効果もあったみたいだ。ヴェーラ博士によると、普通は女性化すると筋肉量が落ちていくはずなのに、なぜか星間ゲートを通って転移した頃と筋力が変わっていないのだ。だからボクは、姿形は女の子だけど、中身は今でもしっかり男なのだ。もっとも、男にとって最も大切なパーツをひとつ喪失してしまったのだけど・・・。
「すみませーん!」
そんなことを考えながら走っていると呼び止められた。長めの皮ジャケットを着た女の人が木立の間から出てきた。手にカメラか録音機の様なものを持っている。
「?」
「ラン姫さん、昨日は残念でしたね。少しお話を聞かせていただけます?」
「ハッ・・ハッ・・あ、取材ですか。ランニング中なので失礼します」
と言ってそのまま通り過ぎようとしたら、女の人も併走を始めた。足元を見ると、しっかりランニングシューズをはいている。
「ハア・・ハア・・私、アビリタ放送のレポーター、ジオットよ!」
「・・・」
「ハア・・ハア・・ランさんは今や世間の注目の的なの!」
「・・・どうやってここに?」
「ハア・・ハア・・誰もがアナタのニュースを待っているの!」
「後にしてください」
「ハア・・ハア・・後じゃ取材受けてくれないでしょう?」
「先生に言ってください」
「ハア・・ハア・・そのお肌の赤くなっているところが、例の雨に当たったところね!」
「!・・・恥ずかしいから見ないで!」
と言ってえりもとの合わせをつかんで隠すと、女性レポーターを軽く睨みつけた。
「ハア・・ハア・・ミニプリの可愛いとこ、と、撮れた! もうダメェ!」
と悲鳴の様な声で言うと、その場にへたり込んでしまった。ボクは女の人を置いてきぼりにして、そのままキャンパスの中心にある芝生の広場まで走り抜けた。丁度キャプテンのシャペル先輩とユノー先輩の姿を見つけたので、今あったことを報告した。
「なんだって? 不届きな奴だなあ。で、ランは大丈夫なのか?」
「ボクは大丈夫ですが、レポーターさんは疲れて立てなくなったみたい」
「よし。そいつを捕まえてくる。ユノーはランを頼む」
結局、女性レポーターは既に逃げ出してしまって小道にはいなかった。顧問のソーマ先生の話では、警備員が痕跡を捜査した結果、塀際に背の高いバンタイプの地上車を乗り付けて、そこを踏み台に塀を乗り越えて侵入したらしい。『アビリタ放送』と名乗っていたので、学校として放送局にクレームを申し入れたが、その日のオンエアーでしっかり映像が流されてしまった。
「“昨日、王都学園選手権準決勝で名勝負の末、王立女子大チームに敗れたラン姫の取材に成功しました。では独占映像をご覧ください”
「“そのお肌の赤くなっているところが、例の雨に当たったところね!”」
「“!・・・恥ずかしいから見ないで!”」
「まあ! 姫様の睨んだお顔って何てお可愛いいんでしょう!」
「腫れの引かないお肌が痛々しくって、一層愛らしさを引き立てていますわ!」
「これは、姫様に睨まれたいって、またファンが増えちゃいますね」
ニュースを見ながら、侍女のベルと専用メイドのレーネとカーラが騒いでいる。
「あのねえ、ボクは怒っているの!」
「そんなことを仰ったってお可愛いものはお可愛いんですもの」
「キッと見つめる瞳の凛々しさったら!」
「姫様のお美しいかんばせと男の子っぽい表情のアンバランスさが堪らなく魅力的なんですわ」
「うふふ。姫様は心の中に男の子がいるんですものねえ」
「ベル、うるさい」
「でも、リシュナ公爵家のユージン様を前にすると全くの女の子。ドギマギしているお姿の可愛らしさったら!」
「もういいってば! カーラ」
その時、映像通信が入った。『親展』という文字が立体映像で浮かんだので、侍女たち3人は部屋から出て行った。
「はい。ランです」
「キリュウ君、お久しぶり。キミ、ほんとよく頑張ったわね。先生も中継見てウルウル来ちゃった」
現れたのは案の定ヴェーラ博士だった。
「ヴェーラ先生、用件は何でしょうか?」
「あら、ご機嫌斜めみたいね。折角、人気者になったのに、そんな不貞腐れた顔なんかして。教えたでしょ? 女の子は笑顔よ、え・が・お! でも、その顔も十分可愛いわね」
「だから、何なんです?」
「ご挨拶ねえ。忘れてしまったのかしら、キミの下半身。女の子仕様の限界は1カ月。試合が終わったから外してあげようと思ったのだけど。そんなに女の子のままがいいんだったら、いっそのこと手術してチョン切っちゃう?」
と言うと、医療用ハサミを取り出して鋭い刃をきらめかせながらチョキチョキとやって見せた。
「あ、いや、そうでした。先生、ありがとうございました。お陰様でバレずに無事合宿を終えることができました。どうか元に戻してやってください。お願いします」
「うふふふ。やっぱり男の子の方がいいんだ」
「そりゃそうでしょう。ボク、男なんですから、いちいち紙を使わなければオシッコの雫を払えないなんて、不便そのものです」
「その分、男にはない素晴らしい喜びを感じることが出来るんだけどね。身体の奥の奥、芯のところまで満たされる幸せな感じ、男には絶対分からないだろうなあ・・・あ、まだキミには早いか」
「宰相閣下とは2年半だけの約束なんです。女の喜びか何か知りませんけど、ボクには関係ありません!」
「あらあ、先生なら上手に手術して上げられるわよ? 先生が手術した元男の患者さんたちは、『先生ありがとう! 女の幸せを噛みしめてます!』って感激しているんだから。地球ではどうだか知らないけど、ここでは遺伝子工学が進んでいるから、キミの細胞で子宮を人工培養して移植することだってできるのよ。つまり、受精卵さえ着床すれば元男でも妊娠できるってわけ。キリュウ君、いっそ女になって赤ちゃん産んじゃう?」
「い、いいです! 遠慮しときます!」
「あらそお? ま、いいわ。気が変わったらいつでも相談してね。じゃあ、外してあげるから明日うちにいらっしゃい」
翌日、王立スポーツ研究所でヴェーラ博士に処置してもらい、ボクの下半身は無事男に戻ることができた。
「“決まったあ! 王立女子大の優勝です!”」
「やった! レア先輩が勝った!」
「姫様、よろしゅうございましたね」
王都学園選手権大会決勝は、週末に行われたのだが、ボクは部屋で観戦している。学校が休みの日なので会場でレア先輩を応援するつもりだったけど、ボクが行くとギャラリーや報道陣が大騒ぎして大混乱になるからと、うちの警備と会場の警備の両方が許さなかったのだ。
という訳で手に汗握る決勝戦を中継で最後まで見たのだが、前評判通り王立女子大チームは見事なボールコントロールで、飛距離に勝るアビリタ体育大学チームを翻弄。特にレア先輩のショットの正確さはずば抜けていて、大学1年のルーキーでありながら最優秀選手に選出された。秋から始まる女神杯予選で間違いなく代表候補に残るだろうと、解説者が喋っていた。
「凄いですわ。レアお嬢様がMVPに選ばれたんですね!」
「やはり、姫様のライバルはレアお嬢様で決まりでしょう」
「お綺麗なお二人の戦い、今からワクワクしますわ!」
「あのさあ、まだボクが女神杯の候補に残るかどうかも分からないんだよ?」
「いいえ! 姫様が残らない訳がございません」
「そうですとも! 国王陛下、宰相閣下、そして公爵様肝入りの姫様は選ばれたも同然です!」
いつも親身になって世話をしてくれる専属女官3人の、熱い気持ちと揺るがぬ期待が、少し重かったけど嬉しかった。
「まあ、そう言ってくれるのは嬉しいけど、まずは秋の予選会を勝ち上がらないとね」
「そうそうその前に、姫様には大切なお仕事が待っているのでしたね!」
「?・・・なんだっけ」
「はあ・・・」
「はあ・・・」
「はあ・・・」
3人は顔を見合わせると、さも情けなさそうに首を振った。
「何も3人揃って溜息を吐くことないじゃない」
「姫様! 国王陛下からのご招待をお忘れなんですか?」
「姫様! 社交界デビューをお忘れなんです?」
「姫様! エスコート役選びをお忘れなんですか?」
「あ! 王室舞踏会があったんだ・・・」
「あったんだ、じゃございません! ご衣装はどうなさるんです? エスコートされる殿方はどうするおつもりなんです? それに、しっかりお肌やおぐしの手入れをしなければなりませんわ」
「もう時間がないのですよ!」
「リネア女官長がご心配なさったとおりでしたわ!」
試合が終わった余韻もつかの間、ボクは公爵宮殿の奥を預かる女官たちによって、囚われの身となってしまったのだった。