第1話 アラシと神隠し
ボクは霧生嵐(キリュウアラシ)。都心から電車で30分ほど郊外の吉祥寺で生まれ育った。情報誌で毎年住みたい街の第一位に選ばれているから、よそからみてもいい街なのだろう。確かに住宅地と繁華街がひとつのエリアにあるのでとても便利だし、街路樹や住宅の生垣、学園のキャンパス、なにより井の頭公園があるから緑もいっぱいだ。そんな街に家族5人で暮らしている。
「ああっ、ダメだ!最悪だ。八方美人の言動でまわりから非難される一日だ。よし、昼は豚のオロシポン酢にしよう」
と言ったのが父さんの霧生颪(キリュウオロシ)。今年は厄年で必ずやわが家に災いが降りかかると毎日気にしている。と言っても「めざまし占い」見て一喜一憂してるだけなんだけどね。職業は会社員、都心のオフィスに勤めている。
「さそり座、また最下位ですか?ここのところ続いてません?ホラ、あなたたち学校に遅れるわよ」
これが母さん。霧生野分(キリュウノワケ)。父さんとは学生時代に結婚しすぐに姉貴を出産した。だから卒業する前に育児を始めた。ボクたちが大きくなってからは市の図書館に勤めている。二人はボクたちが通う麗慶学園のキャンパスで出会ったんだ。
「女の子は身だしなみ整えるの大変なんだからね。アラシ、あんたもいっぺん女の子やってみなさいよ」
これがその姉貴の霧生吹雪(キリュウフブキ)。ボクとは2つ違いで同じ高校の3年生だ。姉貴は小さいときからママゴトでボクをオモチャにしてきた。設定はいつも、妹か娘。なもんでよく喧嘩する。どちらかというと唯我独尊まわりを気にせず突っ走るタイプだ。
「じゃ、先に行くよ。お兄ちゃん行こう」
と言ったのが5人家族の最後、弟の霧生疾風(キリュウハヤテ)。学園初等部6年生。来年は中等部に上がる。生まれたときから少し病弱で、忙しい親に代わっていつもボクと姉貴で面倒みてきた。最近またぜん息の発作が出るようになったので少し心配している。
「行ってきま~す!今日は部活だけどそんなに遅くならないと思う。サッカー中継観たいからね」
と言ってハヤテと一緒に家を出た。
そんなわけで小中学校は姉貴と一緒に通いたくないばかりに地元の市立に行ったが、高校はハヤテのそばにいられるよう同じ学園を受験した。大正時代から続く麗慶学園はなかなか敷地が広く、大学と初等部、中等部と高等部、競技場と体育館、3つのゾーンに分かれている。中等部と高等部とは同じブロックに並んで校舎があるので校門もいっしょだ。
初等部のハヤテと学園キャンパスの中ほどで別れて高等部へと急ぐ。ケヤキが夏の空にこずえを伸ばしサワサワと葉音をさせている。ここのケヤキ並木は結構有名で「残したい日本の音風景百選」にも選ばれているんだ。この時間は高等部と中等部へ向かううちの生徒たちの流れで混み合うが、ボクはひとりで歩く。
この春、無事高等部に入学したのだが、クラスの大半は小学受験、中学受験からステップアップしてきた幼馴染みどうしばかりだ。なんか高校受験組って疎外感あるんだよね。
今日は1学期最後の日。ということは明日から高校生活初めての夏休みだ。
「おい、アラシ!」
シャッと頭にトップスピンかけられた。
こいつは同じクラスの佐久間克彦(サクマカツヒコ)、通称カッちゃん。ボクと同じ高校受験組。同じ境遇ということで入学式の日から仲間になっている。
ボクは男としては少々線が細いらしい。身長は162cmで高校男子としては低めの方。体重は46kgとかなり軽め。カッちゃんは身長180cmと背が高くがっしりした体格だ。二人はゴルフ部に入っている。
カッちゃんは高校からゴルフを始めたが、ボクは父さんの影響で小学2年生のときからクラブを握ってきたので結構うまい。自慢じゃないが中学のときジュニアのU-14関東大会で優勝している。だからゴルフ部では一応将来を背負って立つエース候補。「これで背さえ伸びれば」と監督や先輩からよく言われる。
「なんだよ。やけに機嫌がいいじゃん」
「そりゃそうだろ。明日から学校来なくていいんだぜ?」
「せっかく入ったんだし、別に登校するのつらくないけどな」
「それは認識が違う。オマエ分かってないな。これは物事の本質の問題だ。哲学的命題だ。学校はサボるために存在するんだ」
カッちゃんの屁理屈に付きあっている内に1学期最後のホームルームが終わり、成績表に渋い顔をしながらボクたちは部室に行ってトレーニングウェアに着替えた。
ボクたちの学校のゴルフ部は、大会に出るときにはお揃いのウェアを着るけど普段は思い思いの動きやすい格好でランニングやウェイトトレーニングをして、校内にあるカゴ打ち練習場で球を打っている。
今日のボクは、着圧機能のついた7分丈のカプリタイツとショートスリーブに、バギーパンツとフード付きスリーブレスパーカーだ。上下ジャージーのカッちゃんよりは相当アスリートっぽい。
「きょうも走りこみメニューだよな。あ~あ」
カッちゃんは球を打ちたくて仕方ないのだが、1年部員は基礎トレ中心だから不平不満タラタラなのだ。
「なんだよ。下半身鍛えとかないと飛距離が出ないんだからな」
「そうはいうけどさ、キツイだけで全然楽しくないじゃんか」
「苦しみの後にこそ、大きな楽しみが待っているのさ」
「アラシは禅の坊さんか求道者なのかよ・・・」
練習が終わり先輩たちが上がった後、後片付けをするのは1年だ。今日は女子部員が外部のゴルフ練習場を借りて練習する日なので、校内の部活に出ている1年部員はボクとカッちゃんしかいない。ネットの中に散らばる何百コものボール拾いをして打席をきちんと整頓し終えたら既にまわりは暗くなっていた。
カッちゃんは着替えていくと言ったけど、ボクは遅くなったのでシャワーも着替えもせずに、制服をスポーツバッグに詰め込みひとり校門を出た。今夜はハヤテといっしょに観ようって楽しみにしている、サッカーA代表の試合中継があるんだ。どちらも好きだけどゴルフはするスポーツ、サッカーは見るスポーツというわけ。
家から学校までは歩いて20分ほどだが、裏道を抜ければ15分で行ける、走れば10分だ。ただし途中に不知藪(やぶしらず)という手つかずの鬱蒼としたヤブがあるんだ。昔から入り込むと出られなくなるという言い伝えで、神隠しにあったという昔話がいくつもある。ボクたちも親から「絶対入っちゃダメ」と言われて育ってきた。
そんな禁断の森のそばを抜けなければならないのだ。日があるうちはいいけれど、街灯がポツンとあるだけのザワザワと風に揺れる葉音が不気味な闇のそばを通るのは、男でも怖い。
でも、キックオフまで時間が迫っていたので裏道を急ぐことにした。
まさかこの選択のせいでボクの人生がメチャメチャになるとは思いもせず・・・。
最初に兆候が現れたのは学校のケヤキ並木から裏道の並木道にそれて歩いているときだった。
この辺の並木は樹齢100年近くで空が見えないほど高く広く茂っているのだが、葉陰で何かがキラッと輝いた。
ボクは目の端に何か光ったのに気づいたが、よく貧血したときとかに星か花火みたいなものがパチパチして見えるけど、今度もまたそれかと思ってあまり気にしなかった。生まれつき少し貧血体質の上に早足で急いでいたから。
並木道を抜けて不知藪の前に差しかかったとき、ヤブの奥の方から「ブンッ」と空気を震わすような音がした。思わず足を止めて音のした方を見ると、スペクトルに色変化する光が強弱を繰り返していた。まるで呼吸しているようだ。そういえばオゾンのような匂いがする。
その時なにかが頭の中に響いた。
『・・・ΨξψЖΩηΔΘΧБ・・・ΨξψЖΩηΔΘΧБ・・・』
ボクをよんでいる。なぜそんな気になったのか自分でも分からないが次の瞬間、ボクは不知藪を隔てていた石垣を越えて光の方へ踏み出していた。
ヤブをかき分け汗まみれになって進んでいくと小さな広場のように開けた空間に出た。星空が見えたので少しホッとする。広場の真ん中には丸い座布団のような石があり、その石からは炎が立ち昇るように7色に変化する光でできた柱が高くなったり低くなったり繰り返していた。
「そうか、これだったのか・・・」
『・・・ΨξψЖΩηΔΘΧБ・・・ΨξψЖΩηΔΘΧБ・・・』
ボクは、なぜだか分からないがとても懐かしい気持ちがした。
そのとき頭の中に響いていたのは
『・・・“ハテロマ”へ・・・“ハテロマ”へ・・・』
というフレーズの繰り返しと、カウントゼロに向かって刻一刻と進む秒読み。
そしてボクは、そうするのが当然のように光の中に入って行った。
「まぶしいっ!」
視界が真っ白になり思わずギュッと目を閉じた。体がふわっと浮いた感じがしたと思ったら、意識が遠くなって・・・
「起きなさい若い人。こんなところで眠ったら凍え死んでしまう」
誰かに肩を揺すられて意識が戻った。寒い。歯がガチガチ鳴って手足がかじかむ。体中がぐっしょりと濡れていて体温をどんどん奪い取られていくのが分かる。さっきまで夏の暑さにじっとり汗ばんでいたのを思いだし、自分の身に何が起きたのか急激に不安になってきた。
目の前には、心配そうにボクの顔を覗き込む老人がいた。
「こ、ここは?・・・あ、あなたは?」
息が白い。
「ここは地球じゃ。そしてわしはここの守り番じゃ」
「ち、地球って・・・地球のどこ?」
「地球は地球じゃ。この場所は昔からそう呼ばれとる」
「よ、よく理解できない・・・じゃあ地球以外の場所は?」
「アルゴス。地球と対になっているからな」
「・・・アルゴス」
「そうだ。といっても地球はもう機能しとらんがアルゴスはゲートシティとして世界でも1、2を争う大都市じゃ」
「・・・地球が機能していない?・・・ゲート・・・ゲートシティ?」
ボクは説明を聞けば聞くほど、自分の身に何が起きているのか分からなくなった。
「おまえさんはどこから来なさった?」
どこから?ケヤキ並木を歩いていて急に光が見え、不知藪に引き込まれ・・・そうだ!急に頭の中をイメージや考えがぐるぐる巡って思わず言葉が口をついて出た。
「ボ、ボクは・・・その・・・地球から来ました」
老人は、びっくりした目をしてじっとボクを見つめていたが、やおらボクの手を取り引き起こすとボクを連れて樹々の向こうに見える奇妙な形の館へと歩きだした。
振り返ると、ボクが倒れていた場所は平らな石が丸座布団のようにあった。でも、小さい割に何かを主張しているようで大きな岩の頭部が地面に出ているような重量感が感じられた。
喋ってるし聞こえてるし意味も不自由なく分かるのだが、いま自分が口にしている言語は一度も習ったものではないことに気がづいた。「地球」とイメージできた言葉も実際には「ギー」と聞こえていたが何の疑問もなくやり取りできていた。
これはどういうことだろうか。
そしてここはいったい・・・。