第23話 喪失!男のアイデンティティ
「それじゃあ服を脱いで」
ボクは久しぶりに王立スポーツ研究所のヴェーラ博士の診察室を訪れていた。ベルたちに着せられたふわふわのファーがえりに付いたミニワンピースとハイヒールのブーツを脱いだ。
「キリュウ君、全部よ」
「え?下着もですか?」
「もち論よ」
ボクは恥ずかしさでドキマギしながらも、女の子の大切なパーツを隠している柔らかな肌触りの小さな下着を上下ともに脱いだ。
「ふ~ん。すっかり女の子の体形になったわね。これなら確かに皆が騒ぐ訳だわ」
「な、何なんです、騒ぐって?」
「細いのに痩せている訳でもなくバランスの良い体つき、要するにナイスバディなんだって。キミ」
「恥ずかしいんですから検査するなら早くしてください!」
「じゃあ、そこに横になって」
血液を取られたり、色々な検査機器でチェックをされた後、博士はボクの残された男性の象徴を摘まむといきなり細いチューブを挿管した。
「うわあ!痛つうう・・・先生、いきなりひどいですよ」
「こういうのは患者が構えない状況でやらないとダメなのよ。力入っちゃうでしょ?さあて、データが取れたわ。ふむふむ、えっ?・・・どうしてこんな・・・そうか・・・やはりねえ・・・・・・残念だけど・・・キミのオスとしての機能はほぼ消滅しているわ」
「今さらそんなこと。手術のときにタマを取ったら精子が作れなくなるって言ってたじゃないですか」
「それは生殖の話ね。そうじゃなくて性行為の話よ」
「せ、性行為?」
「キリュウ君だっていい年なんだから、女の子になる前には、エッチなことをしたり考えたりしてきたんでしょ?」
「そ、それは・・・そうですけど」
「でね。キミを女性化するのにホルモン剤を投与してきた訳よ。どうも数値を見ると劇的に変化している要素があるので心配していたんだ。今日はそれを確認したくてここに来てもらったの。地球人とハテロマ人では少し遺伝子の組成が違っているみたいなの。キミに投与したホルモン剤はハテロマの女性から採取したものなのね。それで想定していなかったことが起きてしまった、ということなの」
「どういうことですか?病気とか障害とか、女神杯に出られなくなる話ですか?」
「いいえ、スポーツをするのには全く問題ないわ。むしろ地球の重力で育ったキミの、筋肉と骨格の機能を今でも保ったままだから、ホルモン剤の投与による素晴らしい効能があったのかもしれない。そっちはいいんだけど、問題はオスとして機能なのよ」
「それが、性行為?」
「そう。キリュウ君、ここのところ勃起していた?」
「!・・・お、女の子にされているんですよ!そんなことしますか!」
「生理現象なんだから恥ずかしがることないじゃない。更衣室とかで女の子の裸を見たり、自分が女の子になってしまった姿を見て興奮する?」
「・・・し、しないです」
「じゃあさ、男の場合よく朝立ちって言うじゃないの、あれはどう?」
「・・・ないです」
「そうよね。いま検査して分かったんだけど、キリュウ君、勃起できなくなったみたいなの」
「え?・・・立たなくなった、ということですか?」
「ええ。前立腺や精嚢にも変化があったみたいで内分泌疾患を起こしているのよ」
「2年半だけの約束だったから男の子に戻ったら、射精はできなくても性行為だけはできるようにと考えていたのね。事故だったとしても謝らなければならないわ。ごめんなさい」
「・・・男性としてのシンボルは付いていても何も機能しない・・・ううっ。治す方法はないんですか?」
「この5000年間、地球人の研究は全くされていないのよ。今のところ原因も分からないし、ハテロマで行われている治療方法が地球人に合うかどうか、地球人がキミしかいない以上、実験してみることもできないの」
「そんな・・・元に戻れても男じゃなくなってしまったんだ・・・」
「精神的なものも影響するから絶対に回復しないとは言えないし、まだキリュウ君が地球に戻る日まで時間があるので先生も対策を練ってみるわ」
「・・・男じゃなくなってしまったんだ」
「いま、こんなこと言っても何の慰めにもならないかもしれないけど、性行為だけが男ではないはずよ。キリュウ君はキリュウ君なんだから」
ボクは愕然としたまま検査の間待機してくれていたボクのリムジンに乗った。
「ランさん、どうしたんですか?ひどく顔色が悪いですよ」
ベルが心配して尋ねてくれたけど、ボクは一言も口を利くことができなかった。
「ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・」
宮殿の敷地内に造られた1周1kmのトレイルをボクは6分ペースでラップを刻みながら突っ走る。額から吹き出た汗が首筋を伝ってシャツを濡らす。無造作に括った髪が左右に揺れ、時折ボクを叱咤するように背中を打つ。最初は運転手のユマがボディーガードとして並走していたんだけど、途中で脱落してしまい今はボク一人走っている。とは言っても、宮殿警備の人たちが死角のできないようコーナーコーナーに立ってボクの走るのを見守っている。さすがに5週目を過ぎたあたりから呆れているみたいだ。
「ハア・・・ハア・・・ハア・・・ハア・・・」
10週目を走り終えて玄関の車寄せに走りこむと、ボクは膝に手をついて激しい息遣いと心臓の鼓動が収まるのを待った。本当ならクールダウンをしてから戻るんだけど、今日は限界まで走りこみたい気分だったのだ。
「姫様、大丈夫ですか?そんなに激しい運動をなさって」
「ハア・・・ハア・・・だ・・・大丈夫」
「いったいどうされたんですか?急に走りだされたので皆驚いていますよ」
ベルがボクの肩にジャケットを着せかけながら心配そうに尋ねた。
「ハア・・・もう、収まったから。やっぱり気分が沈んだ時には身体を動かして汗をかくのがいちばんだね。ああスッキリしたあ」
「確かに、お顔の色は良くなったみたいですけど・・・」
「ベル、心配かけてごめんね。ヴェーラ先生もね、スポーツをするのに全く問題はない、むしろ想定していた以上に良い状態だって言ってくれたんだよ。いよいよ予選が始まるから、そろそろボクも女神杯に向けて身体を鍛えないとね」
「ならいいんですが・・・」
ベルは鋭いから全く納得していないみたいだけれど、ボクの男としての悩みを明かす訳にはいかないのだ。その日からボクは朝夕の走りこみをはじめた。
「姫様。少々揺らしてしまいまして相済みませんでした」
運転手のユマが済まなそうに詫びる。
「仕方ないよ。あんなにカメラマンに追い回されたら。それにしてもユマはいい腕しているね!カーチェイス面白かったよ」
「ほんと困ったものです。王室警備隊に相談しませんと」
「そういう状況作りにひと役買ったのはベルなんじゃないの?」
「あら?何のことでございましょ。全ては姫様がお美しすぎるからでございますわ」
「ふうん。そう言ってごまかすんだ」
「そ、そうそう!お帰りになったらとっても嬉しいことが待っていますよ!では一日お元気で」
ボクはベルに追い立てられるように校門を潜って始業式に向かった。
「ラン、水着見たわよ」
「あ、パメル。あれ見ちゃったんだ・・・」
「そりゃそうよ!あれだけニュースで取り上げたら嫌でも目に入るわよ」
「サリナも見ちゃったんだ・・・」
「後足立ちすごかったわねえ!乗馬どこで覚えたの?」
「乗馬も見ちゃったんだ・・・ミーシャ」
休み明けの教室で、早速三人娘の詰問にタジタジ状態になる。学校に来る途中も、ボクのリムジンを追いかけまわすカメラマンたちがいたし、校内に入ってからも他のクラスの知らない生徒たちから、声を掛けられまくっている。ヴェーラ博士が映像通信で言っていたとおり王都でボクは注目の的だった。
「ランと友達だっていうと皆うらやましがるのよね」
「そうなの!“ミニプリ”と友達なんてちょっと自慢かも」
「・・・ミニプリって・・・」
「従兄弟たちがランを紹介しろってうるさいのよ」
「・・・紹介って・・・」
「ねえ、今度うちでパーティーやるんだけど来てよね?皆ランに会いたがっているのよ」
「・・・会いたがってるって・・・」
学校でも普通ではいられなくなってしまったみたいで、ボクは新学期早々気分が沈んできた。
≪パシーッ≫
≪パチパチパチ≫
始業式が終わった後、王立女学院のゲオル練習場でひとり黙々と球を打っていたら後ろで拍手が起きた。振り返るとソーマ先生とシャペル先輩がいた。
「ラン。去年より安定感がでてきていない?」
「お前、足腰鍛えてるだろう?」
「分かりますか?」
「才能があっても地道な努力をしない奴らばかり、お前の爪の垢でも煎じて飲ませたいよ」
「そんなランに相談なんだけど」
「何でしょうか?」
「アナタも春には2年生、上級生としての役割を期待される年齢ね。新しいゲオル部の体制で副キャプテンをお願いしたいの」
「副キャプテン・・・ボクが?」
「そう。キャプテンは3年になる部員の中で、ゲオルが強くリーダーシップのあるシャペルにお願いしたの。そうしたらシャペルが、引き受けてもいいけれどひとつだけ条件があるって言うの。副キャプテン職を置いてランにして欲しいというのよ」
「なあ、ラン。キャプテンのリュン先輩とエースのレア先輩が卒業した後、残されたゲオル部がどうなるのか心配なんだよ。残っているのって中途半端な連中だろ?これから来る1年部員も育てなければならないし、女神杯の予選が始まる大事な年だ。とても一人ではやれない。お前とならまとめていけると思う。力を貸してくれないか?」
ボクはシャペル先輩の大きな手でがっしり両手を握られてしまった。ボク自身が女神杯を目指さなければならない立場で目標に集中したいのだけれど、ゲオル部が上手くまわってくれなければ予選会に出場する所属先が危うくなってしまうかもしれない。ボクは決心した。
「ボクにできることと言ったら一生懸命練習することと戦うことだけですよ?そんなことでお役に立ちますか?」
「それが大切なんだよ。お前が率先して、ゲオルと真摯に向き合っている姿を見せることが一番意味があるんだ。何て言ったってお前はうちの看板だからな」
「分かりました。力不足と思いますがよろしくお願いします」
「じゃあ、頼んだわよ。ラン」
そういう訳でボクは副キャプテンになってしまった。
「ヒヒヒーン」
学校から帰ると聞き覚えのある馬の鳴き声が聞こえてきた。厩舎の前の柵囲いの中で白馬が元気よく跳ねまわっていた。
「花手鞠!」
ボクは駆け寄ると愛馬の鼻面に頬を寄せて撫であげた。花手毬も首を上下させたり前足で土を蹴ったり、再会の喜びを身体いっぱいで表現してくれる。
「姫様。花手毬を姫様のもとにお連れいたしました」
「ああ、ご免なさい夢中になっていて。確かあなたはランスさん」
「はい、馬丁のランスでございます。こちらでも姫様のご乗馬の面倒を見させていただきます」
「ありがとう。お世話をかけますがよろしくね。ねえベル?早速乗っちゃだめ?」
「しょうがない姫様ですね。お着替えもなされませんのに。ふふふ、でもいいでしょ」
「直ぐに鞍のご用意をいたします」
ベルはここのところボクが沈みがちなのを見ていて、少しでも元気づけてやろうと考えてくれたのだ。花手毬はボクの言うことを素直に感じとってくれる。花手毬に乗っているだけで、今日一日あったことでモヤモヤ沈んでいた気分が癒されてくるのが分かる。ボクと花手毬は柵を出て宮殿のトレイルを日が暮れるまで走った。
ということでボクには新たな日課ができた。自分でも走るけど、馬も走らせることになったのだ。