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ランとアラシで神隠し  作者: 迦陵びんが
終章 「エピローグ」
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第107話 エピローグ

麗慶学園のグラウンドを取り囲む土手に植えられた桜並木が満開の時期を迎えていた。

新たな年度のスタートを祝うように春の空に目いっぱい梢を広げて咲き誇っている。


「“そして生徒諸君。君たちは今日から学年の階段をひとつ昇ったのです。ただ今お話したことを今年一年片時も忘れず、充実した高校生活を送るよう心がけてください。短いですが私からの新学期の挨拶とします。ご清聴ありがとう”」


≪パチ パチ パチ パチ≫


長い長い校長の年頭訓辞が終わると、講堂内の照明が消されて場内が暗くなった。


≪ジャジャ~ン♪ ジャ♪ ジャ~ン♪≫


音楽に乗ってステージ奥の大型スクリーンに映像が映し出された。あ、ボクだ。スポーツニュースで何度も放送された、最終ホール第3打が直接カップインするシーンだ。


巻き込んだ旗から球がポトリと落ちる・・・大歓声!・・・ガッツポーズしたのもつかの間ボクは両膝から崩れ落ちるように倒れる・・・。


≪きゃああ!≫


講堂内に悲鳴があがった。

旗の刺さったままのカップから球を拾い上げて声援に応える青白い顔・・・表彰式で優勝杯を授与されて弱々しい笑みを浮かべるボク・・・そこでシーンがストップして映像紹介が終わった。


≪パチ パチ パチ パチ パチ≫

≪パチ パチ パチ パチ パチ≫

≪パチ パチ パチ パチ パチ≫


場内から割れんばかりの拍手が起こる。


「“ただいまご覧いただきましたように、ここからは春の全国大会の優勝祝賀会です。それではご紹介します。春の高校ゴルフで見事全国優勝を果たした、キリュウアラシ君! ステージへお願いします!”」


ボクにスポットライトが当たると、更に拍手が大きくなる。ボクはセーラー服の裾を整えながら、また少し長くなったストレートヘアを揺らして立ち上がると、一礼してから前へ進んだ。


「“キリュウ君、優勝おめでとう!”」

「“ありがとうございます”」


ステージに上がると司会の女子生徒からマイクを突き付けられた。


「“いやあ素晴らしい勝利でしたね。あの悪コンディションの中で最後まで力を振り絞ってのラストショット、いま見ても胸が締め付けられる思いです。もう体調は大丈夫なんですか?”」

「“はい。残り1ホールで1打を争う極度に緊張した場面でしたから、蓄積した疲労が限界を超えてしまってあんなことになったみたいです。しっかり休息してモリモリ食事も摂ったので今は回復しています”」


そう言いながらボクは両腕に力瘤を作って見せる。


≪おおっ!≫

≪可愛い!≫


歓声があがった。


「“それにしてもキリュウ君はもの凄く細いですよね。そんな華奢な身体でよく男子選手を負かしたもの。何か秘訣はあるんでしょうか?”」

「“それはやっぱり、ボクが男だからでしょうね”」


≪またまた~あ!≫

≪ランはどう見ても女の子よ!≫


一斉に野次が飛ぶ。


「“みんなから否定の声があがってますよ? こんなにウエストが括れているんじゃ男の子とは言えませんからね。いま何センチなんですか?”」

「“気にしたことがないので分かりません”」


ボクがそう言うと、ニンマリと笑って司会者はポケットからメジャーを取り出した。


「“ジャジャ~ン♪ そう言うだろうと思って巻尺を用意して来たんです。それでは生で測ってみましょう。キリュウ君、観念して両腕を上げなさい”」


仕方なくボクは高々と手を上げた。


「“ええと・・・えっ? 本当なの? それでは計測結果を発表します! バラバラバラバラバラ、ジャジャ~ン♪ な、な、な~んと! キリュウ君のウェストは56セ~ンチ!”」


≪ええええっ?≫

≪うっそ!≫

≪細すぎっ!≫


女子たちからため息が漏れる。


「“ねえ、ウェストを測る為にボクをステージに呼んだ訳じゃないんでしょ?”」


ボクは司会の女子生徒に文句を言ってみる。


「“もちろん次はバストとヒップですよ。ウソウソ、ついつい個人的興味で失礼いたしました。では本気でインタビュー参ります。マスコミ各社の報道によりますとキリュウ君は、男子と女子両方からプロトーナメントへの出場を求められているそうですが、これからの1年どうするつもりですか?”」


切り返してきたと思ったら、いきなりストレートな質問だ。ボクはちょっと考えてから答える。


「“ボクは高校チャンピオンになったというだけでプロではありません。でも、ゴルフは小学3年生のときに始めてからずっと好きなスポーツです。将来この世界で身を立てられたら嬉しいと思っていますが、それはまだ先のこと。高校最後の1年は進学するための大切な準備期間なんです。校長先生にもご相談しましたが、もしボクでも参加を許してもらえるゴルフトーナメントがあるならば、勉強の妨げにならないことを条件に出場したいと考えています”」


≪おおおっ!≫

≪がんばって~!≫


「“じゃあ、キリュウ君は卒業したらプロゴルファーではなく大学に進学するんですね?”」

「“ええ。ボク自身、大学で勉強したいことがありますし、家族や知り合いの方からも進学するよう勧められていますから”」

「“キリュウ君が勉強したいことって何ですか?”」

「“量子物理学です”」


≪おおおっ!≫


「“神隠しに遭ってボク自身が体験したことを、理論的に解明したいからです”」

「“となると、それを研究できるところですか・・・どこか狙っている大学はありますか?”」

「“その分野の研究で双璧なのは京大と東大です。が、ボクの学力では相当なチャレンジになりますよね、あはは。やっぱり麗慶大学工学部の推薦狙いかなあ”」


≪他の大学へ行っちゃいや~~~!≫

≪せめて吉祥寺の女子大にして~~~!≫


「“なんか黄色い悲鳴があがってますけど?”」

「“ボク、女子大はちょっと・・・でも、吉祥寺は生まれ育った街ですからここが好きなんです。先日、学園長先生とお話しする機会があったのですが、神隠し事件の起こった星間ゲートは地元の吉祥寺にあるのだし、先生の物理学研究室で調査許可を申請するって仰ってました。先生の研究室に入ることができれば詳しく調査できますからね。と言っても、これから赤点とったり出席日数が足りなかったり、この1年で不行跡をやらかしたりすると推薦してもらえなくなりますけど。あはは”」


≪ランちゃんなら大丈夫う~!≫

≪いっしょに麗慶大学に進もうよ~!≫


「“最後にひとつ伺います。出場するのは男子ですか女子ですか?”」

「“すごい直球の質問ですね”」


≪そりゃあ男の中の紅一点よ!≫

≪女に目に物見せてやれえ!≫


「“ほら、みんなの意見も真っ二つに分かれてますよ。いったいどっちなんですか?”」

「“実はマネージメントをお願いしている方たちが、学校の日程やボクの体調を考えて一番無理のないスケジュールにしようと、まさに今、検討ているところなのです。ということでまだ決まっていません”」


そう、あれからボクは父さんと母さんに相談して、津嶋さんからの申し出を受けることにした。でも、あきつしまグループの所属と言っても所属プロというわけではない。ボクはまだアマチュアなので、津嶋さんの経営するアスレチッククラブの会員という扱いになっている。佐古田支配人のホテルにある例の会員制クラブだ。


建前はそれとしても今のボクには専属の担当者がついている。その人が面倒な交渉事は全て引き受けてくれていて、自宅に押しかけて来る人たちもすっかりいなくなった。


そして今では、世界中のスポーツイベントや有名アスリートをマネージメントする会社と日本で最大手の広告代理店とを組み合わせた“チーム・アラシ”が立ち上がっている。

高校の全国大会で優勝しただけなのに、ボクには“地球規模の商品価値がある”のだそうだ。


「“なるほど。では、私たちはキリュウ君が次にどの試合に登場するかを心待ちにしていたいと思います。優勝インタビューを終わります。キリュウ君、ありがとうございました!”」

「“こちらこそ春高ゴルフでの応援、ありがとうございました!”」


ボクは深々と頭を下げて拍手に応えた。






「ランちゃん、これから学校とゴルフの両立で大変だね」


教室に戻る途中、廊下を並んで歩きながら早速サヤカから言われた。


「ランちゃんと遊べなくなるぅ」


とクルミ。


「クルミ。そんなことよりアンタ、ランちゃんと一緒に大学に行くつもりなら今年1年、相当頑張らないとダメよ! 今の成績じゃ推薦もらえないよ!」


とユカリが痛い所を突く。


「ううっ・・・胸が苦しいぃ! 目まいがするぅ! お腹も痛くなってきたぁ!」

「またあ! いつまでもそうやって現実逃避してなさい! 私はランちゃんと一緒に勉強したいから志望を理系に変更するつもりよ」

「ええ~っ! クルミを捨てていくのぉ? ずるいよぉ」

「私も理系にしようかなあ。理系女子って悪くないかもね。でランちゃん、部活の方はどうするのよ?」


サヤカが話柄を変えて尋ねる。


「うん。ボクもカッちゃんも3年だから、夏の大会までだよね。でも、ボクは出場できないみたい。ボクがいると会場で大変なことになるから遠慮して欲しいって協会から言ってきているんだ。だから、できるだけ毎日の部活で副部長としての責任を果たすつもりだよ」

「そっか。スター選手になるとつらいんだね」

「まだ高校の全国大会で、それも一度しか優勝していないんだけどね」

「ランちゃんが出場するとギャラリーもマスコミも殺到するだろうし、危険だから会場警備もきっとプロトーナメント並みになっちゃうんだろうね」


高校の協会には警備を強化するだけの潤沢な予算はない。どうしたものかと苦慮した結果、校長のところに相談があったみたいなのだ。まあ、それもあるので校長はボクに在学中のプロ試合への出場を認めてくれているのだけれど。


教室に着いてからも雑談を続けていたら、珍しくカッちゃんが割って入って来た。


「アラシ、ちょっといいか?」

「なあにカッちゃん?」


ボクが女子と談笑したりお昼ごはんを食べているときには絶対近寄らず、部活と帰りに家まで送ってくれる時にしか話しかけて来ないのに。そう言えば始業式に向かうときにも、何だか様子が変だったっけ。


「困ったことになった」


廊下に出ると、話を聞かれないよう周りを見まわしながら言った。


「俺、転校する」

「えええっ?」


あまりに唐突なことでボクは思わず声を上げてしまった。


「しっ! 静かにしろって。アラシの可愛い声はよく通るんだから」

「ご、ごめん。どういうこと?」

「親父がサンフランシスコ勤務になった」


カッちゃんとサンフランシスコのイメージがどうしても結びつかない。でも、お父さんの転勤で行くんだった。ボクは、カッちゃんの家の仕事を思い出した。


「カッちゃんのお父さんって銀行員だったよね?」

「ああ。でもこれからは銀行マンじゃない。出資先の現地IT企業に役員として派遣されることになったんだ。何年か後にこっちに戻るような話じゃないから、覚悟を決めて家族で移住することになった」

「・・・そっか。カッちゃんは一人息子だしお母さんも初めての海外生活で不安に思っているだろうから、支えてあげなくちゃいけないんだよね」


そうは言ったものの、ボクの頭の中では複雑な思いがグルグル渦巻いていく。


カッちゃんがいなくなる・・・カッちゃんがいなくなる・・・カッちゃんがいなくなる・・・陰になり日向になりいつだってボクのことを気にかけてくれているカッちゃん・・・女の子に成りきれないボクを以前のまま男の子として扱ってくれるカッちゃん・・・ボクと同じフィールドに立つことが夢だとゴルフを始めたカッちゃん・・・。


「ん? 待てよ? ということはこれからゴルフ部はどうなるの?」

「気がついたか。それだよ。今日の部活ミーティングで話す前にアラシとそこのところを決めておきたかった。俺が辞めれば3年はアラシしかいない。ということはオマエが部長だ」

「うっ」


カッちゃんは意外と冷静だった。


こうしてボクは麗慶高校男子ゴルフ部の部長にされてしまった。地球に帰還してからたった一度の全国大会出場で高校ゴルフから実質上の引退を強いられながら、部長だけはやらされることになったわけだ。


1カ月後、カッちゃんはアメリカに旅立って行った。


でも、その前にボクは一度だけカッちゃんとデートした・・・。


「どうしてもアラシに話しておきたいことがある。今度の日曜日、俺につきあって欲しい。そ・・・その、できれば、できればでいいんだが、女の子として来てくれないか。も、もちろんアラシさえよければ・・・だが」


と、真っ赤になりながら伏し目がちに誘われた。学校からの帰り道、雨の日も風の日も毎日自宅までボクを送ってくれるカッちゃん。そんなことを言われたのは初めてだった。


「いいよ」


ボクは即答した。


「あら~♪ 佐久間君とデートするのね~! アラシもついに女の子に目覚めたか~♪」

「そんなんじゃないんだけど・・・。ともかく母さんにお願いがあるんだ。ボクをカッちゃん好みの女の子に仕立ててもらえないかな?」


ボクは旅立って行く親友の願いごとを出来る限り叶えてあげたかった。でも、相変わらずメイクは苦手でボクは自分で自分の髪を結わえることもできない。だから、ボクの専属メイクアップ・アーティスト兼スタイリストを自認する母さんに任せようと考えたのだ。


「まあ~♪ さっそく井上沙智江さんに相談しなくっちゃ! そうだわ、ただでさえ綺麗なアラシがさらに磨きをかけて美しく装って外出するとなると、デート場所も安全なところを探さないと・・・やっぱり津嶋さんに相談するしかないか・・・よし! 母さんに任せておきなさい! カッちゃんの好みをリサーチするとき、デートの段取りのことも話しておくわね! さあ、忙しくなるわ~女の子に目覚めたアラシがワクワクするような演出を考えないと~♪」 


趣旨が違って来ている気がしたけど口を挟めば面倒なことになりそうなので、ボクは目をつぶって母さんに全て任せることにした。


そして当日が来た。


「カッちゃんお待たせ」


玄関からボクが出て行くと、カッちゃんはフリーズした。目をまん丸く大きく見開いたまま瞬きもせずに、口をパクパク言わせている。


「カッちゃん? カッちゃん? しっかりして! だいじょうぶ?」

「ぷ、ぷはっ! ああビックリした! て、天使が現れたのかと思った」


釣り上げられた鮒みたいにたっぷり1分間パクパクしていた口からやっと言葉が出た。カッちゃんはゼエゼエ言いながら不足した酸素を胸いっぱいに取り込む。


たしかに今日のボクの装いは『アイウエサチエ』でも特に評判のセレブ御用達フォーマルドレスだったけれど、天使と見間違うかなあ? 白いふわふわシルクだから羽を付けたら天使に見えなくはないだろうけど・・・。


「とても綺麗だ・・・」

「ありがとう。約束通り今日のボクは女の子仕様だからね。カッちゃんからそう言われると素直に嬉しいかも」


ボクは、今日1日はカッちゃんが望む通りの女の子に成りきろうと決めていた。

吉祥寺から調布インターチェンジ経由で中央高速を1時間ほど走った郊外、津嶋さん手配の車で案内されたのは瀟洒なワインヤードだった。ヨーロッパの城館のような石造りの建物の前にはワイン畑が広がり、その彼方には富士山がそびえている。


「アラシを浦安のテーマパークに連れて行こうと思ったんだけど、人が殺到して危険だからとお母さんに言われちゃって・・・」

「ごめん。ボクがいっしょだと不便かけちゃうね」

「なにもアラシが謝ることはない。アラシを放っておいてくれない連中の方がいけないんだ!」

「カッちゃん、優しいんだね」


そう言ったら、チラッとボクを見て真っ赤になりドギマギしてしまった。ちょっと可愛い。


「と、ともかくこうして二人きりになれる場所まで用意してくれたんだから、俺はアラシの人気にだって感謝しているんだ」

「津嶋さんが気を遣ってくれたんだよ。ここは知合いのワイナリーなんだって。別荘も兼ねているから宿泊もできるらしいよ」

「しゅ、宿泊!」


あ、しまった・・・女の子仕様のボクが言うと微妙な発言だったかも。ボクはカッちゃんは好きだけど、いわゆる“好みの男性”としてではなく“親友”としてだ。ここは笑ってごまかすしかない。


「あはは、今日はダメだけどね。だってボク、お泊りセット持って来ていないもん」


カッちゃんはホッとした表情になった。純情なんだから。


「テーマパークか・・・行ってみたいな。あっちの世界で摩天楼の屋上を疾走するジェットコースターにだけ乗ったことはあるけれど・・・そうだ! いつかカッちゃんを訪ねてアメリカに行くことがあったら、ボクのこと本場のテーマパークに連れてってくれる?」


パアッとカッちゃんの表情が明るくなった。でも、すぐに真面目な表情に変わる。何か思いつめているみたいだ。


「もちろん案内してやるとも。さしもの神隠し少年も異国の地までは有名が届いてはいないだろう。顔を隠さなくても自由に歩き回れるはずだ。でも、その前に俺としてはやらなければならないことがある。アラシ・・・オマエに誓わせてくれ!」


と言うとボクの前に片膝をついて、ヒシッとボクの瞳を見つめた。


「ボクに・・・誓いたいの?」

「そうだ」


何かとんでもないことを言われそうな予感。ボクはたじろぐ。


「食事の後じゃダメ?」

「俺は真面目に言っているんだ」


ボクの両手を捧げ持つように大きな手で包み込んだ。途端にカッちゃんは顔が真っ赤になったけれど、目を伏せることなくボクを真剣な表情で見つめた。かえってボクの方がドキドキして来る。


「じゃ、じゃあ今ここで聞くね」

「言おう。俺はアメリカに渡ってもゴルフを続ける。それはアラシにふさわしい男になるためだ。いつか、俺がアラシにふさわしい男だと、自分でも自信を持って言えるときが来たら、アラシを迎えに来る」


迎える・・・迎えるってどういう意味だ? そんな冷静な疑問とは全く関係なく、急に胸の中が熱くなり白い肌が上気して燃えるように染まって行くのを感じる。


「以上、佐久間克彦は男としてアラシに誓う!」


男として誓われてしまった・・・こういうとき、どう応えればいいのだろう?


「いいんだ。アラシは今ここで何も応えなくていい。俺が誓ったことだけ覚えておいてくれ」

「う、うん。じゃあ、今は何も言わない」

「それでいい」


と言うとカッちゃんは、大きな仕事をやり遂げてホッとしたように地面についていた片膝を起こし立ち上がった。そして包み込んでいたボクの手を放そうとした瞬間・・・ボクは素早く身を寄せると背伸びしてカッちゃんの唇に自分の唇を重ねた。


「あ・・・」


カッちゃんは唖然としてボクを見つめる。


「今は何も言わない。でも、誓ってもらった印。確かにあげたからね」


この後、ボクは何もなかったように振舞った。

カッちゃんはまるで白日夢でも見たのではないかという表情だったけれど、二人で食事をしたりワイン畑を散歩したりしていくうちにいつもの感じに戻って行った。


これがボクとカッちゃんが離れ離れになる前に唯一あった“A”ストーリー。


さて、先の事になるが数年後、ボクはカッちゃんと再会を果たす。


お父さんの赴任先であるサンフランシスコ近郊にはプロゴルファーを輩出する有名大学が数多くあって、カッちゃんはその一つに進学した。そしてゴルフ部に入って練習を続けるうちにメキメキ頭角を現し、カリフォルニア州の大学対抗戦でエース級の働きをするようになる。


カッちゃんとのメールのやり取りでそんな様子を知ってはいたが、まさかボクが海外遠征で出場することになったオープントーナメントに、全米の学生アマチュア代表のひとりとして出て来るとは思いもしなかった。そしてボクたちは再開を果たし・・・でも、その話はまた別の機会に。






さて、ボクのプロトーナメント出場は5月の「ハツダ自動車オープン」が最初だった。

沖縄のプロアマで一緒にラウンドした初田社長からのご招待で、アマチュアとして主催者推薦枠で出場することになったのだ。


「“キリュウ君、是非うちの大会に出場をお願いしたい。ゴールデンウィーク期間中だから高校生のキミでもOKだろ? 日本プロゴルファー機関は青地さん肝煎りのキミのことだから大歓迎するそうだよ。もちろんキミのパトロン津嶋さんも了承済みだ。それと、恒例のプロアマにも出てもらいたい。キミはアマチュアだけど、ホスト側で1組受け持って欲しいんだ。まあ練習ラウンドだと思ってさ、頼むよ。ただし、前夜祭は正装だからね。私が主催者権限を行使して責任を持ってキミをエスコートするから、オジサン達ばっかりだが怖がらないで出ておいで”」


と初田社長からは直接電話を頂いた。あらかじめ“チーム・アラシ”のマネージメント担当者からその日程を聞いてはいたけれど、まさかアマチュアのボクがプロアマにも出ることになるとは思っていなかった。多分、初田社長が津嶋氏に捻じ込んだに違いない。


≪おおおお~っ!≫


ボクが姿を現した瞬間、会場内から歓声があがった。

今日のボクの装いは、『アイウエサチエ』ブランドのパーティードレスだったが、主役ではないのでそんなに派手な感じのデザインのにはしなかった。

それでも男子トーナメントだから出場するプロは当然男性ばかりだし、ハツダ自動車から招待されるプロアマ参加者も殆どが男性。接遇にあたるコンパニオンとハツダの女性社員以外に女の子はいなかった。だから、ボクが目立つのは当然だった。初田社長の狙いはそこにもあった様子だ。


「キリュウ君、よく来てくれたね! いやあそれにしても美しい」

「ご招待ありがとうございます。アマチュアのボクに過分な機会をいただきまして感謝しております」

「うんうん。硬いことはそこまでそこまで。今日はしっかり食べてしっかり飲んで、あ、キミはまだ未成年だったか。ともかく寛いで寛いで」

「初田さん、その美しいご友人をご紹介願えませんかな」

「おお! 但馬スチールさん。ご紹介しますとも、こちらはキリュウアラシ君。明日はホストとしてプロアマに参加してもらえることになったんですよ」

「ほう、それはそれは。是非いっしょの組に!」

「それが先客万来希望者が溢れてましてな、そうもいかんのですよ。またの機会にご期待を」


それからボクは数えきれないくらいの人に紹介された。惑星ハテロマでプリンセスを演じていたときもこうだったっけ・・・まるでデジャヴュを見ているようだった。




≪ナイスバーディー!≫


同組のプレーヤーたちが大喜びでハイタッチ、グータッチしてくる。

翌日のプロアマ・トーナメントは天候にも恵まれて素晴らしいゴルフ日和の中で開催された。ボクの組で一緒にラウンドするのは、世界有数の広告代理店の社長、ニュースでよく見かける経済団体の会長、ハツダ自動車のCMに出ている映画スターの大御所、ハツダ自動車の創業者一族である会長の4人だ。


いい歳したお爺さんたちが、無邪気にボクとハイタッチ、グータッチする様子はちょっと滑稽だ。でも、名だたる社会人でありながら勝負事には真剣に取り組み、喜ぶときもガッカリするときも子供のように自分をさらけ出す。この人たちがどんなに人間的魅力に溢れているのか、一緒に回っていく内に分かるような気がした。これも初田社長の狙いだったのだろうか・・・。




「どうだったね? 楽しんでくれたかな?」


プロアマ終了後、表彰パーティーで初田社長から声を掛けられた。


「財界のお歴々と言ったってことゴルフとなると、まるで子供みたいだろ?」

「はい。スタートするまで怖い感じだったのでギャップの凄さにびっくりしました」

「ま、どんなに偉ぶっていたってただの爺さんなんだよ、あははは」


初田社長は声を潜めることなく大笑いした。


「それはともかく、いっしょの組のお歴々はキミのことがすっかり気に入ってファンになったそうだ。でも、爺さんといえども根はスケベだから用心したまえ、あははは」


ボクも齢を取るとスケベな爺さんになるんだろうか? その前に、ボクの場合は爺さんなのか婆さんなのか・・・。


「今回のプロアマのお陰で、キリュウ君とラウンドしたいという希望が山の様に来ているよ。主催者としては嬉しい悲鳴だが対応不可能なことだけに困ったもんだ。あ、キミは気にしなくていい。キリュウアラシに“芝芸者”みたいな真似をさせたら、世間から石が飛んでくる。ともかくありがとう。ウチのトーナメントに来てくれたことには感謝しているよ」

「いいえ、ボクの方こそご招待いただけて幸せでした」

「ハツダ自動車はキリュウアラシを応援するからね」


後日、チーム・アラシの人に聞いたところによると、これでハツダ自動車のスポンサードが決まったのだそうだ。まだボクはアマチュアなんだけど、青田買いというやつでプロデビューと同時に帽子にロゴが入ることになる。




≪パシーーーーーーン≫


ボクのプロ・トーナメント第1打はフェアウェイセンターを捉えた。


「ナイスショットだ」

「いい球筋だ」


同伴競技者のプロたちが褒めてくれた。


「ありがとうございます」

「それにしてもキミが男だとはなあ」

「そんな綺麗な脚と細い腕を見せられると、どうしても女の子にしか見えない」

「こんな格好ですみません。身体に合う服が女物しかないんです。でも男子トーナメントに出ている以上は男ですから男だと思って気にしないでください」

「と言われても困りますよね、こんなに可愛いんじゃ。さあ、行きましょう」


キャディーに促されボクは、プロたちに軽く会釈してから歩き出す。


そうそう、今回からボクにもキャディがつくことになった。プロのトーナメントではキャディバッグは自分では担がないからだ。それに的確にアドバイスをしてくれるキャディは、プロの試合ではプレーヤーにとって唯一の味方になる。


青地プロや井口会長からの紹介でいろいろ候補が上がったけれど、学校がある以上ボクが出場できる試合は少なく専属契約をするにもベースとなる収入を保証できないし、ボクとの相性もあるということで、しばらくは試合単位でその時都合がいい人と組んでいくことになった。


今回のキャディーは、プロ志望の女子大ゴルフ部員の桜田美咲。名前が華やかだしボクより年上だから“お姉さま”みたいだけど、結構ガサツでサッパリした性格をしている。本人もボクの“兄貴分”のつもりだ。女の園と言えば聞こえはいいけれど、女子だけの世界になれば必ず男役って現れるもの。彼女は将にそのタイプだった。化粧っ気もなく、深めに被った帽子で髪を隠しているから、喋らなければ男にしか見えない。


「さあて、アラシ。ここからだと182ヤード、少しフォロッてるから178ヤードでいいと思う。何使う?」

「じゃあユーティリの4番」

「いい選択だ。あいよ」

「サンキュー美咲」


とボクたちの間はサバけたやり取りだ。女の子に重いキャディバッグを担がせると罪悪感を感じるって言う人がいるけど、彼女だとボクも意識せずに済む。


そんな気楽さもあってか初日はイーブンパー。二日目は1アンダーと、見事初戦から予選を突破することができた。そして迎えた決勝ラウンド、ボクはテレビカメラに追いかけられながらも自分のプレーに徹して土日を無事に終えることができた。


最終順位は25位、それでもアマチュアの中ではトップになれたので『ベストアマチュア』を貰った。


「ありがとう」


グリーン上での表彰セレモニーが済むと、ボクは美咲のところに早速駆け寄ってお礼を言った。


「こっちも一緒に4日間戦えて楽しかったよ。そんな細っそい身体して男子プロと互角に戦ったんだ、アラシは疲れていないのか?」

「うん。キャディバッグを担がずにゴルフできるのがこんなに楽だとは思わなかったよ。美咲にはホント感謝してるんだ」

「学生競技は自分で担がなきゃならんからなあ。ま、いいってことよ」


ボクはアマチュアなので賞金は関係ない。だからキャディーフィーも歩合制ではなく稼働日数計算だ。チーム・アラシは先行投資で潤沢に資金が集まっているらしく、そこそこの報酬にはなったみたいで「これで新しいクラブが買える」と喜んでいた。なんだか彼女とは上手くやっていけそうな感じがした。


「次もお願いできるかな? 美咲兄貴」

「あったぼうよ。可愛い弟分の頼みとあったらいつでも駆け付けるぜ」


見掛けがこんなだから、普通はボクを女の子として処遇しなければ失礼になると考えるもんだけど、彼女は直ぐにボクが“女の子に成りたがっている男の子”ではないと看破した。だからそれからはずっと“男同士”として扱ってくれたのでずい分気が楽だった。


よき理解者であったカッちゃんがいなくなり、ボクを男の子として見てくれる友達が誰もいないまま不安で寂しい日々が続いていただけに“相棒”桜田美咲の出現は本当にありがたかった。


青地プロも井口会長も“よきキャディは一生の宝だ”って言っていたっけ。ボクは、信頼し合えるバディと巡り合えたのかもしれない。彼女とならば男子でも女子でもどちらのトーナメントでも頑張れる。いよいよプロゴルファーへの挑戦に踏み出した今、ボクは希望と勇気と自信がフツフツと湧いて来るのを感じていた。



これでひとまず物語は終わりです。創作を開始したのは2011年5月だから2年と5カ月の連載になります。作者としてはよく続いたものだと感無量。最後まで読んでいただいた方には感謝です。びんが

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