第9話 ラン姫の秘密
「ベルさん」
「姫様、ベルとお呼びを」
「じゃあ、ボクのこともランって呼んでよ」
「それはダメでございます。姫様は、公爵様のお子として常に公の立場であることをお受け止めにならなくてはなりません」
「せめて、その姫様だけでも止めてくれないかなあ?」
「ダメでございます」
「せめてラン様・・・」
「ダメです」
「お嬢様・・・」
「ダメっ」
ベルは頑固だった。
「姫様。湯殿の用意ができました。そろそろお運びを」
「ありがとう、ベル。その前に、け・・・化粧室に行ってくるね」
ようやく女性用のトイレのことを化粧室と呼べるようになってきたけど、まだ抵抗あるんだよね。
トイレに入るとしっかり鍵をかけて、下半身に着けているものを全て脱いだ。
鏡を見ると自分の身に起こっていることを突きつけられるようで嫌なんだけど、こればかりは独りでやらないと・・・。
鏡に映し出された姿は、色白で可愛いけど股の間から男の象徴がぶら下がった、すごくエッチで不思議な女の子だった。これが今のボクの姿なんだよね・・・。
えっと、たしかこの辺りに埋め込んだって言ってたけど・・・。ボクは鏡で確認しながら探ってみた。・・・あ、あった!
睾丸摘出手術をした際に、ヴェーラ博士は残されたタマ袋に細工をしておいたのだ。
まず、チンチンを摘まんで後の方に引っ張る。股間の皮膚に強く押し付けると・・・プチッと音がして固定された。次に両側から袋の皮膚で包み込むようにして真ん中で貼り合わせる・・・プチップチップチッと音がして固定された。
するとどうだろう、下がっていた男の象徴が跡形もなく消えて、形良く整えられた黒い茂みの中に1本の筋が通っていた。
・・・見たことないけど、これって女の子のと同じなんじゃないか?・・・ヴェーラ博士が仕掛けをしたんだから信じるしかないんだけど。
ボクは脱いだものを身につけると、意を決してお風呂に向かった。
「姫様。女の私が言うのもなんですが、素晴らしいお身体ですわ」
「あ・・・ありがとう。ちゃんと女の子に見えてる?」
「うふふ、姫様ったら!少し少年っぽいところもおありですけど、素敵なナイスバディですよ」
というと、腕まくりしてエプロンをしたベルが、髪から始めて身体の隅々まで、いい香りのしゃぼんで磨くように洗ってくれた。
ボクがもの凄く恥ずかしがったので、さすがに股間の大切なところだけは自分で洗わせてくれたけど、生まれついてのお姫様は平気でやってもらうんだって。
ボクは少しほっとした。学校に行くようになると、こういうシチュエーションもありそうだから、バレないか事前に練習できたのはよかったかも。
「ベル。どうしてもこれ着なくちゃだめ?」
ボクの前に並べられた衣装は、どれもこれもいわゆるお姫様ドレスという奴だった。どれもヴェール付きでファンシーなことこの上ない。女の子だったらきっと大喜びなんだろうな・・・。
「どうしても着なくちゃいけないの?すごく恥ずかしい・・・ボク」
「恥ずかしがるなんて!姫様はどれもお似合いになると思いますわ」
今晩これから、ボクのお披露目パーティがあるのだ。
お披露目される立場だし、亡きマリアナ姫のドレスを来た姿を見せて、公爵に喜んでもらわないといけないのだ。
ボクは目をつぶってエイヤッとドレスのひとつを指差した。
大広間には大勢のゲストが来ていた。ボクが社交界デビューの前なので、これでも内輪に絞ったのだとリネアさんが言っていた。
ということは、いずれ社交界デビューさせられることになる運命なんだ・・・ボク。
淡いピンクのビスチェドレスを着せられ、髪をアップにされ、公爵家に伝わるティアラとチョーカーで飾りたてられたボクは、広く開いた胸元や背中やうなじが気になって、まるで大勢の前で裸にさせれている気分だった。
そんなことにはお構いなく、公爵はボクをエスコートしながらゲストひとりひとりに引き合わせていった。
「娘のランです」
と言うとき公爵は少し嬉しそうだった。これだけでもボクは宰相閣下との約束に基づく義務を果たしていると思う。
「亡き姫君に生き写しだ・・・」
「いや、亡き妃殿下のお若き頃そのままだ・・・」
「なんてお美しい!デビューが楽しみですわ」
「国王陛下も姫の拝謁をお待ちかねだそうですよ」
お客さんたちは、ボクを肴になんだかんだ盛り上がっていた。
履き馴れないリボンパンプスと、視線にさらされ注目を浴び続ける気疲れで、ボクはクタクタになってしまった。
色白な肌なもので、血の気の引いて行くのがリトマス試験紙のように分かる。
ベルとリネアさんがそっと近づいてきて、ボクの肘を両側から優しく支えてくれた。
近くで談笑していた公爵もその様子を見て、部屋に引き取るようにと合図した。
ボクはホスト側だけど、まだデビュー前のお子ちゃまなので、寝る時間になったということで赦されたみたいだ。
そのままベッドに寝かされて、直ぐに眠ってしまったから、結果的にはその通りなんだけどね。その夜のことは疲れきっていたからよく覚えていない。
「姫様。王立女学院の制服が届きました。一度お手を通されておかれませんと」
翌朝ベルに起こされ、食欲がないからいいと言ったのにベッドで無理に朝食を食べさせられ、次はこれだとスケジュールを示された。なんだかボク、ベルの指示で動いているみたいだ。
反発心がムクムクしたので、まだいいよ、と言おうと思ったけどベルの言うことにも一理あった。今から慣れておかないと制服が気になって、他の注意が散漫になるかもしれない。バレたら元も子もない、地球もない。
制服はパフスリーブの白いブラウスにワインレッドのフード付ジレと、お揃いのスキニーなサブリナパンツだ。
パンツルックだったのでボクは思わず歓声を上げた。
女装させられて6ヶ月、足下がスースーするのだけは、未だに馴れることができなかった。
「姫様?そんなにお気に召しまして?」
「うん。ボク、こういう格好が好きなんだ」
「確かに学園生活にふさわしい活動的なデザインですわね」
「なんだか、やっていけそうな感じがしてきたよ」
宝塚の男役の衣装みたいだけど、女の子のする男の子の格好の方が、男の子がやらなくちゃならない女の子の格好よりはマシだと思ったんだ。
2学期最初の日、ボクはリネアさんとベルに付き添われて地上車で王立女学院に向かった。
今日は3人だけど、明日からはベルの付添いで通うことになる。
そうそう、公爵が通学用にとボク専用の地上車を用意してくれたんだ。
フロントグリルとドアに公爵家のエンブレムが付いているリムジンで、色は薄いピンク。16歳になったら買ってあげると亡きマリアナ姫と約束したのだそうだ。
まるでボク自身がピンク好きみたいで気恥ずかしい。
運転手はユマという背の高い、いかにも屈強そうな女性だ。きっとボディガードの意味もあるのだと思う。
王立女学院はうちから10分ほどで、豊かな樹木に抱かれた公園のようなキャンパスだった。敷地を隔てる外壁は、女学院だけに柔らかい印象ながら、乙女の園を守るために堅牢な造りになっていた。
学院長が車寄せで出迎えてくれた。
「ようこそ、ラン姫様」
リネアさんが手続きをしている間、ベルとボクは学院長室で待たされた。
「姫様。あれが女神杯ゲオルに勝ったアビリタ最後の世界チャンピオン、アルカナ選手ですよ」
壁に掛けられた肖像画と写真を見ると、巻毛で赤い髪の女性が優しいけど強い意思をこめた眼差しでこちらを見つめていた。ボクはこのひと以来の勝利をアビリタの人々から期待されているんだ・・・。
「お待たせしました。さあ、入学手続きが済みましたのでこちらへ」
ボクたちは先生たちのいる教員室に案内された。
「皆さん、今学期からわが校で学ばれることになったラン・キリュウ・ド・サンブランジュ様です」
学院長が紹介すると、一斉にボクに注目が集まった。
「よ・・・よろしくお願いします」
「ラン姫様は、お噂のとおりゲオルの申し子、いえ女神の再来。アルカナ選手以来の勝利をアビリタにもたらすお方。わが女学院で次回女神杯までの間、大切にお育ていたしてまいりましょう。所属は1年3組、担任はソーマ先生にお願いします。姫様、先生はゲオル部の顧問なんですよ」
穏和な顔をしたショートヘアの女性が、ボクの前に立って微笑んだ。
「ソーマです。教室にご一緒しましょう」
「ソーマ先生、よろしくお願いします」
「では姫様、私たちはこれで失礼いたします。お授業の終わられる時間にベルがお迎えにあがりますので」
リネアさんとベルと分かれて、先生とボクは廊下を進んでいった。
「姫様。姫様がお過ごしやすい様、学園内では『ランさん』とお呼びしますが構いません?」
「あ、ありがとうございます!その方がいいです。普通の生徒として扱っていただける方が嬉しいです」
ソーマ先生は笑みを浮かべて大きく頷いた。
1年の教室は1階で、廊下の突き当たりから数えて3番目に3組はあった。
「では、お呼びするまでこちらでお待ちを」
と言ってソーマ先生は教室の扉を開けると入っていった。
教室の中では女学校らしい高めで明るいガヤガヤが響いていたが、スーッと止んで静かになった。
「ランさん。お入りなさい」
しばらくして、先生がボクに声をかけた。
ボクは扉を開ける前に胸を押さえて深呼吸をひとつしてから教室の中に入った。
ボクと同じワインレッドの制服を着た40人ほどの女の子たちがこちらを見つめていた。一瞬固まりかけたけど頑張って教壇の先生の横まで進んで隣に立った。
「今日から皆さんと一緒に学ぶことになったラン・ド・サンブランジュさんです。ではランさんご挨拶をね」
「ランです。アビリターレには来たばかりなので、きっと分からないことがたくさんあって、いっぱいドジ踏んじゃうと思います。笑ってもいいです、でも呆れないでくださいね。それと、自分のことボクって呼んでます。ちょっとオカシいかもしれないけど、昔からの癖なのでよろしくお願いします」
パチパチパチと拍手がわいた。ここでバレたら今までの努力が水の泡、内心びくびくしながら顔の筋肉総動員で精一杯の純真無垢の笑顔を作って挨拶した甲斐があったかも。
席は窓際の最前列になった。クラスは同い年の娘たちなんだけどボクが一番背が低いみたいだ。
右隣は金髪をお下げにしたソバカスの健康そうな子、名前はミーシャ。
後ろの席は明るい茶色の髪をベリーショートにして瞳がクリクリ動き回る子、名前はパメル。
その右隣でボクの斜め後ろは、焦げ茶のナチュラルウェーブでちょっとグラマラスなお茶目、名前はサリナ。
すぐに打ち解けることができた。これもヴェーラ博士がみっちり仕込んでくれたガールズトーク術のお陰かも。
「ラン。地球から来たってホント?」
とミーシャ。
「うん。地球ゲートの上で気を失っていたところを助けてもらったんだ」
「へえ。地球の子ってどんなことして遊ぶの?」
とパメル。女の子の会話って突然ワープするから大変だ。
「えっと・・・おままごととか、人形遊びとか・・・かな」
「ランの年でそんなことしてるの?」
食いついてきたのはサリナ。
「あ、いや・・・あんまり知らないんだ、ボク」
「そっか、ランはゲオルの選手だからね。大きくなってからはゲオルばかりやっていたんだよ、きっと」
ナイスフォロー!ミーシャはいい娘かもしれない。
「そ、そう。そうなんだよ」
「じゃあさ、ランにいっぱい女の子の遊び教えて上げるね」
「そうだね。それとランは奥手みたいだから、男の子との駆け引きもだね」
「なんか、楽しみ増えてきた!」
3人で盛り上がっている・・・。
「あ・・・ありがと」
あんまり嬉しくないけど、これも女性アスリートになるための修行かも。こうしてついに、ボクの女学生としての学園生活は始まった。