第100話 初詣 訪れた転機
「“それではお待ちかね。神隠し少年のコーナーです!”」
女子アナがテレビの中で叫んだ。
関東大会を終えたボクたちは、お天気に恵まれた日曜日ということで行楽帰りのマイカー族たちの渋滞に巻き込まれてしまったけれど、スポーツニュースの放送時間にはどうにか間に合った。
放送を見て驚いたのは、普通だったら絶対取り上げないであろう高校のゴルフ競技会、それも地方大会の経過を詳しくレポートしていたことだ。ボクだけではなく、優勝した選手や元エースの片山先輩も画面に登場した。
「“いやあお見事でしたねぇ。神隠し少年は春の全国大会に駒を進めましたか!”」
「“ええ、そうなんです。最終ホール第2打を池に落としはしましたが、最後まで一歩も引かない攻めのゴルフで40位以内に入ることができたんです。キリュウ君の根性には私も頭が下がる思いでした”」
「“見掛けは可愛い美少女アイドルのようですが、ゴルフスタイルはとても男らしいんですねえ”」
「“ええ。負けん気が強いというか、男の子たちを前に一歩も引かないんですよ。でも、中身はやっぱり見かけどおりの可愛らしい女子高生、実のところは夢見る乙女なのかもしれませんよ”」
「“ほう? そんなシーンがあったんですか?”」
「“はい。こちらをご覧いただきましょう。これは後から上がってくる麗慶高校の先輩をグリーンサイドで待っているシーンなんですよ”」
あ、まずい。女子アナの突っ込みでボクがドギマギしたシーンだ。
「“『キリュウ君にとってはドキドキね?』”」
「“『先輩ですから頑張ってもらわないと・・・』”」
「“『でも、卒業式でみんなの前で告白させられるのは嫌?』”」
「“『それは・・・そうですよ。好きでもないのにそういうことを言うのって、相手の方にもひどく失礼だと思います』”」
「“『そうかなあ。キリュウ君にだったら言ってもらえるだけでも十分嬉しいと思うわよ? あれ? ひょっとして誰かに義理立てぇ? キリュウ君、好きな男の子がいるんでしょう?』”」
「“『い、いません!』”」
真っ赤になって俯いてしまっている・・・。いくら言葉で否定していても絶対そうは見えないに違いない。
「“いやこれは愛らしい! 乙女そのものですよ! ははあ、先輩と何かで勝負していたんですね?”」
「“実はそうなんです。キリュウ君が負けると卒業式で『先輩の胸の第2ボタンください』って言わなきゃならなかったんですよ”」
「“それで、さっきのダイジェストでも他の選手の様子もまとめていたんですね? ええと、この先輩のスコアは・・・5オーバー。ということは神隠し少年は負けちゃったんだ!”」
「“のはずだったんですよ。ところが、なんと白馬の王子様が助け出してくれたんです! こちらをご覧ください”」
あ、カッちゃんだ。18番ホールのサードショットをバンカーからクラブフェースを返さずしっかり打ち上げた。砂といっしょに高々と舞い上がった球はグリーンに落ちるとピンに向かって転がって行く・・・。
「“お、お、おおっ! 入った!! 直接カップインじゃないですか!”」
「“そうなんです。このイーグルで佐久間君は一気に4オーバー。先ほどの先輩を最終ショットで抜いてしまったんです”」
「“え? じゃあ彼が第2ボタン?”」
「“いいえ。彼はキリュウ君と同学年なので卒業式組ではないんです。ということでキリュウ君は、危うく全校生徒の前で告白させられるところを彼に救われたんです!”」
「“なるほど! それで白馬の王子様なんですね。いやあ先輩はさぞや悔しかったでしょうね。”」
「“そうみたいですよ。でも、キリュウ君の意中の男の子として、以前から週刊誌等で噂のあったのは佐久間君ですから、仕方ない結果だと諦めていました”」
「“青春っていいですね。それでは次のコーナーは全国の天気”」
嬉しそうにテレビを見ていた母さんたちが、一斉にボクの方に向き直った。
「そうなんだぁ。やっぱりアラシちゃんにはカッちゃんなのよねぇ」
「佐久間君『全力でオマエを守る』って言っていたものねぇ」
「うむ。アイツならパパも文句はないぞ」
「アラシ姉ちゃんの恋人が佐久間さんなら、僕もうれしいな」
「こらハヤテ! 恋人違う! カッちゃんとは、そんなんじゃないんだってば・・・」
「そんなことないでしょ? 魔の手からアラシちゃんを救い出してくれた王子様なんだもの」
「で、アラシ。お礼はどうすることにしたの?」
そうなのだ。競技会場を後にした帰りのバスの中は、ガッカリした先輩たちの怨嗟と、監督の大多の驚きの声に包まれて、大変な騒ぎになってしまったのだ。
「くそ~~~よもや佐久間に抜かれるとは思わなかったぜ!」
元エースの片山先輩が悔しそうに呻く。
「2年が勝ったんじゃこの勝負も『ご破算に願いましては』だな!」
「佐久間! お前いままでこっそり爪を隠して磨いていたろ?」
「そ、そんなことないす」
カッちゃんは、最終ホールで直接カップインした余韻が残っているのかボウッとした感じで返事をした。考えてみればゴルフ歴まだ2年しかないカッちゃんにとって、生まれて初めてのイーグルだったのかも!
「いや、佐久間がここまでやってのけるとは考えていなかった。あのバンカーショットは見事だったぞ。ギリギリのところであれを出せるとは佐久間も勝負強いところがあるな。お陰で春の全国大会には20位タイで佐久間、35位タイでキリュウと、参加資格のある2名がともに出られることになったからなあ」
「監督! 俺たちは負けたかもしれないけれど、結局のところ佐久間が勝ったんですよね? キリュウは敗れたんでしょう? こうなったケースの取り決めは聞いていなかったけれどどうします?」
前の部長が、余計なことを言い出した。部長って部内で不公平にならないよう全体目線で物を見る習慣がついているのかもしれない。
「うむ。お前の言うことは一理ある。済まんが俺も佐久間が勝つとは考えていなかったのでな。そうだな・・・キリュウ、敗者としてはどう考える?」
「え? カッちゃんは、いや、佐久間部長は副部長のわたしといっしょに戦ってくれたんだと思います。だから敗者とは思っていません」
「佐久間は、常日頃から俺たちにキリュウの守護戦士を自認しているんですよ!」
「そうそう! 昨日だって風呂場でキリュウが負けている話になったら『キリュウは全力で俺が守ります』って言っていたものなあ!」
その瞬間、またボクの身体の中で何かがトロけて身体がフワッと浮き上がる感じがした。嬉しい感覚なのだが、同時にこの感覚が起こるたびに自分が男ではなくなる気がする・・・。カッちゃんは、本当はボクのことをどう思っているのだろう・・・上目遣いに恐る恐る横に座るカッちゃんを見てみると、カッちゃんは真っ赤になってあらぬ方を睨んでいた。
「そうか。佐久間はキリュウを守り抜いたわけだ。となると、これは罰ゲームではないな。キリュウ。お前、佐久間にちゃんと礼をしなきゃならんぞ。どうするんだ?」
「うっ・・・そんなこと、急に言われても。カッちゃんはどうして欲しい?」
「お、俺はアラシの好きでいい」
今日はクリスマス、その後に来るのは大晦日と三ヶ日・・・。
「じゃ、じゃあいっしょに初詣に行こうか?」
「あ、ああ。俺はそれで構わん」
ということで初詣に決まってしまった。
「と、いうことでカッちゃんへの御礼は決まったの」
「ふ~ん。初詣デートかぁ。アラシちゃんとしては上出来かも」
姉貴が感心したように言った。
「偉いわ~アラシ♪ フブキの言うとおりよ。だけど、あと1週間もないんだわ! 大変! すぐに準備しなくっちゃ!」
「おいおい、急に準備だなんってママ。どういうことだ?」
「鈍感なんだからパパは。アラシが佐久間君と初デートするんですよ? それも初詣という最高のシチュエーションを自分で決めて来たんですからね? 当面パパのお小遣いは減額しますからね!」
「そりゃないだろ!」
なんだかよく分からない内に、ボクの為の準備が進められることになった。
怒涛のような年末の1週間が過ぎて、あら玉の年を迎えた。
2006年の元旦は曇り空だったけれど、やはり新年を迎えた空気は清新な感じがする。
「さあて、これで準備完了よ」
「朝早くから起こされて眠いよぉ」
「女の子って綺麗になるために大変な努力をしているんだって分かったでしょ? ほら立ってご覧なさい」
ボクは、椅子から立ち上がると大鏡に映る振袖姿の自分を見つめた。むむむ・・・まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。カッちゃんとだから、気楽に普段着でお詣りに行ってマックでお昼でもしようと考えていただけなのに・・・。
「どう? 可愛いでしょう。時間がなかったけれど、アラシに似合う晴れ着を一揃い整えることができてよかったわぁ。チェリーナードの呉服屋さんと普段から仲良くしていた甲斐があったというものね」
「なんか締め付けられていて身動きしづらいんだけど・・・」
「そういうものなのよ。だから着物を着ている女の子はお淑やかに見えるの。アラシは髪も着付けもママがやってあげているから家で済んじゃうけれど、前の日から美容室に行って徹夜で過ごすひとが多いんだから!」
「明けましておめでとう」
「おめでとうございます」「おめでとうございます」「おめでとうございます」「おめでとうございます」
父さんに唱和して家族一同で新年を寿ぐ。
「いや実に見目麗しい。ただでさえ美形なのに花簪の日本髪にこの化粧だ。こうして正月にアラシの晴れ着姿を見ることになるとはな。1年前には思ってもみなかったことだよ」
そうなのだ。髪は前髪を垂らした桃割れで少女っぽくされてしまった上に、ナチュラルメイクまでされている。ボクは要らないって断ったんだけど、4月には最上級生になる女子高生が何言ってるのって無理やりパフを振るわれルージュまで引かれしまった。
父さんも母さんも、ボクが『女の子でよかった』『女の子って楽しい』という気持ちになれるならと、ずい分無理をしてくれていた。振袖って着物や帯の他に肌襦袢とか和装専用ブラとか足袋とか色々なパーツも必要なので、とても高価なのだ。
それでもふたりは、ボクが娘として美しく着飾っていく過程が嬉しくてたまらない様子だった。父さんと母さんの満足そうな表情を見ているうちに、ボクまで気持ちが和んでしまう。ボクは元日だけでも可愛い娘に徹して親孝行しようと決めた。
「あなた。アラシにお酌してもらったら?」
「い、いいのか?」
「もちろんですよ。パパのお小遣いを切り詰めなかったら、アラシは振袖を着ることができなかったんですもの。さ、パパにお酌して差しあげて」
「はい、ママ」
ボクは、右袖を押えると指先で屠蘇器を取って形よく父さんの酒杯に注ぐ。
「パパ、おひとつどうぞ」
「ああ、甘露甘露。世界中の男が羨む光景だな」
「お父さんったら鼻の下伸ばしちゃって!」
その様子を面白そうに見ていた姉貴がすかさず茶化す。そういう姉貴は晴れ着どころか、ジーンズにセーターという普段着だった。
「悪いか? だったらフブキにも晴れ着を買ってやるぞ?」
「私はいいの。小さい頃なら赤い着物や浴衣を着るのが嬉しかったけれど、いまは大人の女としてテーラードで攻めたいから」
ボクの着付けをして自分も和服を身にまとった母さんがジロッと姉貴を見る。
「でもフブキ。来年はアナタも二十歳なのよ? 成人式にはちゃんと振袖を着なきゃダメよ?」
「いいよぉ。絶対アラシちゃんのようには似合わないもん」
「この着物だって、それにお祖母ちゃまから頂いた留袖だって、いずれフブキかアラシに着てもらわなければならないんですからね? 成人式は一生に一度のこと。ちゃんと振袖を着てもらいます! ね、パパ?」
「うむ。もちろんだ。娘がふたりになると何かと物入りなもんだな・・・」
「どう? カッちゃんの為に・・・わたしオシャレしてきたんだよ?」
「き、綺麗だ」
ようやくカッちゃんが言葉を発した。家に迎えに来たときからろくすっぽ口を聞いてくれなかったので心配したけれど、振袖を広げてボクが品を作って見せたら感動したように呟いた。
「うわ~凄い人混みぃ」
武蔵野八幡の交差点で、思わず足が止まってしまった。祭殿の前から続く初詣の行列が、神域と俗界を仕切る鳥居の外までずっと続いていたのだ。
「でも、せっかく初詣に来たんだから並ぼうよ」
「ああ」
そう言うと並んで歩いていたカッちゃんは、半歩下がって大きな身体でボクを守る様に腕の中に包み込むと、人混みでごった返す中を行列の最後尾へと歩き出した。
≪おっ!≫
≪すげえ美人だ!≫
≪あの子どこかで見たことない?≫
≪あっ! わかったわ! 神隠しの子よぉ!≫
≪ほんと綺麗ね~え!≫
並んで待っている人たちの目の前を通って行くのだから仕方ないのだが、一斉に注目を浴びてしまった。
≪あれで男だとはな≫
≪後ろはボディーガードか?≫
≪男のくせに男連れかよ≫
人混みの中に出るといつものことなのだが、嫌な視線も集まってくる。特に今日はこんな格好をしているので目立つことこの上ない。何かあっても着物に草履だから駆け出すこともできないだろう。
ちょっと不安になってきたので、ボクはショールを掻き寄せて顔を埋める。背中を丸めたので自然とカッちゃんの大きな腕の中で背中も密着させてしまう形になった。カッちゃんは少し緊張しているみたいだけど、なんか嬉しそうな気配だ。
やっと最後に並んでいる人のところまで辿り着くと、後ろから声を掛けられた。
「おや、今日はずい分おめかししているんだね」
振り向くと警察の制服を着ている人だ。
「あ・・・あの時のお巡りさん」
「覚えていてくれて嬉しいよ」
ボクが、学校の帰り道で危ない目にあったときに駆け付けてくれた警察官のオジさんだった。
「あの時はありがとうございました」
ペコリとお辞儀をすると、照れ臭そうに笑顔を見せた。
「今日は初詣の警備ですか?」
「そうなんだよ。元日はこれからが初詣客のピークになるからね」
「お巡りさんもお正月からお仕事たいへんですね」
「その代り晴れ着姿のキミに会えたけどね」
ボクが警察官と仲良さそうに話しているのを見て、チョッカイを出そうかとなんとなく遠巻きにしていた連中も離れて行った。
「まあ、ボーイフレンド君がしっかり守っているので大丈夫だろうけど、何かあったら直ぐに呼びなさいよ。この辺りを巡回しているからね」
そう言うと警察官のおじさんはゆっくりした足取りで境内の方へと去って行った。
「アナタ神隠しの子でしょ? 振り袖姿も綺麗ねえ。とってもいいお合わせよ。自分で選んだの?」
前に並んでいたオバさんがこちらを振り返りながら言った。
「わたし着物のことは分からないので母に選んでもらいました」
「そう。お母様いいご趣味ね。そうだこれ食べる?」
と言ってハンドバッグの中から飴を取り出した。オバさんはいつでも飴ちゃんを持っているものなのだ。
「ありがとうございます。じゃあ遠慮なく」
そう言って手のひらを上にして差し出すと、オバさんは袋を傾けて大きな飴玉を二個出した。今日はカッちゃんへのご褒美デートなのだ。優しい女の子を演じてサービスしなくっちゃ。ボクはひとつを摘まんでカッちゃんの口の前に持って行く。
「カッちゃん、あ~~ん」
恥ずかしそうに口を開いたので、すかさず口の中に放り込む。続いてボクも残った方を口に入れて舐めてみる。
「うふふ。それにしてもアナタたち仲がいいのねぇ。恋人同士なの?」
オバさんが興味津々という眼差しで見つめた。まわりの人たちもどう答えるのか聞き耳を立てている様子だ。若い男女の関係というより、ボクが神隠しにあって性転換途上の男だからの注目だろう。簪にぶら下がった花房を揺らしながら見上げると、カッちゃんがとても困った表情をしていた。ここはボクが上手く答えないと・・・。
「実はそうなんです♪ 今日だけ彼の恋人としてデートする約束なんですよ♪」
「まあ! そうハッキリ言われちゃうとオバさん、返す言葉がないわよ。あはは」
≪そうか、分かったぞ!≫
≪先週のゴルフ大会のご褒美なんだ!≫
≪ああ! 例の白馬の王子様か!≫
≪よかったな!≫
まわりの人混みから次々声があがった。カッちゃんは真っ赤になってしまったけれど、照れながらもやけに嬉しそうだ。
30分近くかかってようやくボクたちの番が来た。
≪パン パン≫
二礼二拍手一礼。作法通りにきっちりお詣りをして、拝殿の階段を下りる。
「アラシは何を祈った?」
「な・い・しょ。初詣の願い事を喋ったら神様は聞き入れてくれないんだってお姉ちゃんが言ってたもん。それより早速おみくじ引いてみようよ」
≪ガラガラ≫
「はい、二十三番はこちらになります」
「おっ! 末吉か。いまいちだなぁ」
「そんなことないよ。カッちゃんがこれから上向くという、有り難いご託宣なんだから」
「じゃあ今度はアラシの番だな」
≪ガラガラ≫
「はい、四十二番はこちらです」
「あ・・・」
「どれどれ、うっ! 大凶・・・」
「・・・」
「・・・」
正月早々おみくじで凶それも大凶が出るなんて・・・やはり願い事が無謀だったのかな。ボクは、思いがけないことに少なからず動揺した。
「アラシ。気にするな。あんなもん何が出るかは単なる確率だ」
「うん・・・やっぱり・・・神様にも絶対無理なお願いだったのかなあ」
ボクはすっかり気落ちして、境内に設けられた結び紐に大凶のおみくじを結わえた。
「気になる。アラシが何を祈ったか聞いてもいいか?」
そんな様子を見ていたカッちゃんが、近くに人がいないのを確認して小さい声で切り出した。
「うん。お祈りするなり直ぐに神様から結論出されちゃった感じだからね。カッちゃんになら教えてもいいよ」
「そうか・・・俺で力になれることなら八幡様の代わりになってやる」
「ありがとう。でも無理だと思うよ。実は・・・今年こそ普通の男の子に戻れますようにってお祈りしたんだよ」
「・・・」
ふっと、ボクの中で張りつめていたものが弛んだ。小さなおみくじの紙片に書かれたことくらいで、こんなに気持ちが揺れ動くとは思ってもみなかった。なんだか意地張ってるのが虚しくなってきちゃった・・・。
「ふう・・・なんだか気落ちしちゃった・・・こんな可愛い格好しているくせに、こんなこと言うのは何だけど・・・心の奥底で『オマエ、女なんかの真似して無理しているんじゃないか?』ってブツブツ愚痴をこぼしている自分がいるんだよね・・・」
「・・・」
「でも、この頃・・・心とは関係なく自分が女みたいに思えるときもあって・・・自分でもなんだか分からなくなっちゃっているんだ・・・そういう時って身体の奥の方が火照ってきて、まるで太陽に当たったアイスクリームみたいに融けてしまいそうに思えるんだよ・・・」
「・・・」
「だんだん女性化が進んできているからなのかなあ・・・このまま女の身体になれば、普通なこととして女である自分を受け入れられるようになるんだろうか・・・だったら・・・このままじっと我慢すればいいんだよね・・・」
「・・・」
「分かってくれていると思うけど、わたしって女の振りが上手なんだよ? 惑星ハテロマの女性化プロジェクトで2年半みっちり教育されて来ているからね。でも、それってあくまで女の振りでしかない。絶対に女そのものではないんだよ。本音を言えば・・・今でもちょっとつらくて・・・女やらされているって・・・女になんか・・・なれそうもないって・・・女になんか・・・なりたくないんだよ・・・ときどき心の奥の方で悲鳴をあげている情けない自分の姿を発見することがあるんだ・・・」
「・・・アラシ、泣いているのか?」
え? 慌てて頬に手を当ててみると、涙があふれて一筋の流れを作っていた。母さんが持たせてくれた小さな和装バッグを開けようとしたら、目の前に真っ白なハンカチが差し出された。カッちゃんは何も言わずにボクの手に握らせてくれた。ボクはそれで目頭を押さえ涙をぬぐう。
「グシュッ・・・ごめん! 正月早々何を言っているんだろう。一年中で一番おめでたい日なのにね。そうそう、今日はカッちゃんのご褒美になりきるんだった。もう、弱音は吐かないぞっと! さ、なに食べに行こっか? あっちにカッちゃんの好きな焼きそばの屋台があったよ! それともたこ焼きにする?」
「・・・」
カッちゃんは、黙ったままじっとボクの様子を見ていた。そして急にボクの両肩を掴むと揺すりながら言った。
「アラシ。もう我慢するのはやめろ!」
「え?」
「そんなんじゃオマエ、いずれオカシくなっちまうぞ! 心のまま、思うままに生きるんだ!」
「でも・・・母さんも父さんも、学校のみんなだってボクを女の子にしようってするし・・・男の身体に戻れない以上は女でいたいと思えるようになるのが一番いい方法だってお医者さんが言っていたし・・・」
いきなりカッちゃんが恐い目をして言い出した。
「アラシはアラシだ。いいか、どんな身体になろうともアラシはアラシなんだぞ? 俺にとってはアラシが男だとか女だとかはまったく関係ない。心の中が男だから女の格好はできない? 身体が女だから男の格好はできない? そんなことでいちいち悩むな! 似合っているもの身体に合うものを着るだけのことじゃないのか? 格好に相応しい言動を求められるからそうはいかない? そんな小さなこといちいち構うんじゃない! アラシはアラシなんだ。アラシがアラシであることをTPOに応じて素直に表現すればいい!」
カッちゃんが、こんなに熱くなるなんて・・・。ボクのことを真剣に心配していることがビンビン伝わってくる。いつもは寡黙で言葉少なのカッちゃんが、全力で捲し立てる言葉に身を委ねて行くうちに、何かが心の中で氷解しはじめた・・・。
男と女・・・男か女か・・・選択肢は2つにひとつ・・・本当にそれだけなのだろうか? ボクはとても大きな勘違いをしていたのかもしれない・・・。
そう思うと、とっても気持ちが軽くなってきて、両肩に圧し掛かっていた見えない重りが消えていくようだった。それを確かめるように腕を思いっきり伸ばすと、ボクはひとつ大きく息を吐いた。
「ふう~~~~~~~っ。いったい何やってたんだろ、ボクは。カッちゃんに言われるまで、自分が呪縛に囚われていることすら気がついていなかったよ」
「アラシ?」
心配そうに覗き込んでいるカッちゃんの顔がくっきり見えた。周囲を見回すと何もかもが明るくはっきり見えている。なんだか不思議な感覚。これまでずっと目の前にかかっていた靄が一度に吹き払われた感じ。何もかもがハッキリ見えてきた・・・。
「なんだか、吹っ切れたみたい。自分から無理して型にはまろうなんて思う必要ないんだよね」
「そうさ!」
「ボクが何モノなのか分かったよ。男だとか女だとか言う前に、ボクはキリュウアラシなんだ!」
「そのとおり!」
「カッちゃん。もう一度初詣したいんだけど、付き合ってくれる?」
「いいさ。今日はアラシと初詣する為に出て来たんだからな」
ボクたちは、さっきより更に長くなった行列の最後尾に再び並んだ。
「そうだったの。どうりで清々しい顔をして帰って来たわけね」
「アラシちゃん、出掛けた時とは別人だもの。イキイキして瞳がキラキラ輝いているわよ」
カッちゃんに送ってもらって初詣から戻ると、さっそく母さんたちから根掘り葉掘り尋問された。
ボクは素直に心境の変化に至った経緯を話すとともに、自分なりに作り上げてきたステロタイプの女の子像は脱ぎ捨てると宣言した。
女の子の振りをやめたので言葉づかいや仕草が地球に帰還した当初に戻ってしまったけれど、ボクが生き生きと話せるようになったのを見て、それなりに納得したみたいだった。やっぱり家族は家族だ。
「アラシが決めたことだ。パパは、じゃない、父さんは全面的にアラシを応援するぞ。とはいえ世の中は、男か女か常に二者択一を迫られる社会構造になっている。これからアラシは色々困難に直面することだろうし、妥協しなければならないこともままあるだろう。だが、アラシがアラシであろうとする限り誰もアラシの人格そのものまで否定することはできまい。家族みんなでアラシを支えて行こうな?」
「はい」「はい」「・・・はい」
「みんな、ありがとう!」
父さんの方針表明に家族みな賛同したけれど、母さんはちょっと納得がいかないみたいだ。
「うむ。それにしても佐久間君はなかなかの好青年だ。アラシが友だちに選んだだけのことはある」
「うん。カッちゃんは男か女かなんて関係ないって」
「そう? アラシのことをとっても大切に思っていてくれるみたいだけど、アラシはどう思っているの?」
すかさず母さんが切り込んできた。
そう言えば、カッちゃんが冷やかされて真っ赤になったりするときってどうなんだろ? ボクを女だと思っているからそうなるのだろうか? じゃあ、ボクはどうなのだろう? カッちゃんに守られているって思ったときのトキメク気持ち・・・あれはカッちゃんを異性だと思うから起きる感覚なのだろうか?
「・・・実はボク自身よく分かってないんだ。カッちゃんに対する気持ちって複雑なんだよね」
ボクは、しばらく考えてから答えた。
「いいんじゃないか? アラシが成長していく過程で見えてくることもあるだろうから」
父さんは、ボクに二者択一を無理に迫ってはいけないと思ってくれているみたいだ。
「あら、でも女親にしてみれば子供の友だちが、同性なのか異性なのかはとっても大切なことなんですよ」
「ほらほら、それがいかんのだよ。母さんはすぐに男か女かで色分けしようとする。アラシ自身が自分の立ち位置を決めなければ、佐久間君が同性か異性かなんてわかる訳ないだろう?」
「でも、アラシはこうして振袖を着て日本髪を結ってこんなに可愛いんですよ? 可愛く女の子の格好をしている以上アラシの立ち位置は女でしょう?」
「女の格好だから女、男の格好だから男というのは分かりやすい二分法だが、ファッションは当の昔にユニセックス時代に入っているんだぞ?」
「それでも男はぜったい振袖を着ません!」
この夫婦は、当事者であるボクを前にして構わず言い合うことが多い。
「そ、それはそうだが・・・アラシはどう思っているんだ?」
「アラシ、これからも女の子の格好で行くんでしょ?」
と思っていたら、いきなり振って来た。ここは誤解のない様にちゃんと説明しておいた方がいいだろう。
「ボク、父さん母さんにとても感謝しているんだ。ボクが女の子になりたいって思えるように、部屋も可愛くリフォームしてくれたし衣装だって女の子のものを一から用意してくれたんだもの。ボクはそのままで構わないよ」
「え、そのままでいいのか?」
「そらご覧なさい。アラシはやっぱり女の子を選んだんですよ」
案の定、ここで母さんが勝ち誇るように言った。この誤解は解いておく必要がある。
「ううん。女の子を選んだんじゃないんだ。女の衣装とか男の服っていうことじゃなくって、身体に合った着心地のいいものだったら何でも拘らずに着るよっていう意味なんだ。だから便宜上、学校には今まで通りセーラー服で通うし、トイレも更衣室も女子で通すつもり。単に、女の振りをするのはもう止すっていうこと」
「父さんはしっかり理解した。という訳だ、母さん。いずれアラシ自身で決めたくなるときが来るかもしれない。それまでは戸籍は男、身体は女、精神はアラシ、そういうことでいいんじゃないか?」
「・・・そういうものですかしら」
母さんはいまひとつ納得できない表情だ。ボクは、母さんの気持ちを汲むことにした。
「女の格好をするときには、これまでみたいに母さんに任せるから。気持ちまでは女にはなれないけど、思いっきり可愛くしていいんだよ?」
「あら~♪ そういうことで構わないの? 女の子っぽいのが嫌なのかとばかり思ったわ」
母さんにとってボクの着替えが毎日のアトラクションになっていることはよく理解していた。いまでも過度の装飾にはちょっと抵抗があるのだけど、可愛くされたり綺麗にされたりすること自体を否定するものではない。それって女の属性というよりは個人の特性だと思うからだ。それを聞いて母さんはすっかり機嫌がよくなったみたいだ。
「それでアラシ。今度はおみくじどうだったの?」
「もちろん大吉だよ」
と持ち帰ったおみくじを見せた。
「ふうむ。で、アラシはどう願い事を変えたんだ?」
「ひ・み・つ」
「父さんにだったら言っても構わないだろ?」
「いや~よ」
「アラシ、都合のいいときだけ女になろうとしていないか?」
まだ女の子っぽい要素が混じるので少しチグハグになってしまうけれど、これはこれでボクとしては自然体で言葉が出ている感じなのだ。
「うふ。こうして振袖着ていてもアラシちゃんが中性的な感じがしてきた。なんかいいよ!」
「そう? 無理して肩ひじ張らないことにしたから。でも姉貴のいう中性的ってオカマっぽいっていう意味?」
「フブキが言っているのはそういう意味じゃないと思うわよ。アラシは女の子が顔色を失くすほどの超絶美少女なんだもの」
「それにアラシちゃんの声は完璧に美少女キャラだしね」
「アラシ姉ちゃ・・・兄ちゃん。声は元に戻しちゃうの?」
これまで成り行きを見ていたハヤテが急に言葉を発した。ひょっとして弟は声フェチ?
「ハヤテ、無理に性別診断しなくていいからね。そうだなあハヤテには、姉貴みたいに『アラシちゃん』って呼んでもらおうか? そうそうそれとこの声のことね。ボクとしては決して無理して出している訳じゃないんだ。3年近くこの声を出してきているから、自分の元の声がどうだったか、どうやって出すのか、すっかり分からなくなってしまったんだよ」
「よかった! アラシ、ちゃんには、いまの声のままでいて欲しいもん」
やっぱりボクの弟は声フェチだった・・・。