第8話 ラン、お姫様になる
季節は夏真っ盛り、3つの太陽が素肌に痛いくらいに照りつけてくる。
宰相閣下手配の地上車がボクを迎えに来た。王立スポーツ研究所の外に出るのは半年ぶりだ。考えてみれば惑星ハテロマに来て、オスダエルじいちゃんの所からここに連れて来られただけで、他の場所へは行ったことがなかったっけ。
王都アビリターレを見下ろす丘陵から20分ほどで目的地だという立派な門の前に到着した。門扉が開けられて林の中を更に5分ほど進んだ所に車寄せのある大きな館があった。
ドアマンなのか派手な装飾の燕尾服みたいなのを着た人が、地上車の扉を開けてくれたので降りると、ボクは館の巨大さに思わずポカンと口を開けて見上げてしまった。
「まあ!なんて愛らしいこと。ランお嬢様、いらっしゃいませ」
上品な感じのデカい女の人がニコニコ笑顔で見つめていた。
今日のボクは、ノースリーブのチュニックにしゅわしゅわ生地のショートパンツ、すそ長のフード付サマーカーディガン、フリルの付いたウエッジサンダル、それと大きなひさしにコサージュが付いたキャぺリンを被って、とっても夏らしくて可愛い感じだ。でもこれ、自分で選んだんじゃない、無理矢理着せられたんだ。
「あのぉ・・・セナーニ宰相閣下からの伝言で、この車に乗るようにとだけ・・・」
「じゃあ、まだ何もお聞きになってませんのね?」
「はい。ボク、これからどうなっちゃうんでしょうか」
ボクの言ったことが面白かったのか、さも嬉しいことに出会ったかのように微笑みながらボクの肩を抱くようにして館の中へと案内していった。
中に入ると大きな吹き抜けになっていて、正面の階段までゆうに100mはありそうな玄関ホールだった。背の高いハテロマ人でも見上げるような巨大空間だ。ボクは豆の木を登って雲の上の世界に来てしまったジャックの気分だ。壮麗な装飾が施された天井を見上げて固まってしまった。
「・・・ここは巨人の館か何かなんですか?」
「お嬢様ってほんとにお可愛い方ですこと」
また笑われてしまった。でも、すぐに居住まいを正して丁寧な口調で説明をはじめた。
「ランお嬢様。サンブランジュ公爵の宮殿へようこそ。これからはここがお嬢様のお家ですよ」
「アナタは?」
「あっ、自己紹介が遅れました。わたしは公爵家の女官長、リネアです」
リネアさんは、ここの成人女性の平均的背丈だったが、これまで知っている人たちよりはフクヨかな感じがした。
「リネアさん。ボクはここで暮らすことになったんですか?まだ、よく事情が飲み込めていないんですが」
「公爵様がお待ちです。ご案内しますのでこちらへ」
質問には答えず奥の方へと案内された。多分、公爵から直接話を聞けということなのだろう。いくつも部屋を通り抜けて、ひとつの扉の前で止まった。リネアさんが訪いを告げると「入れ」とくぐもった声が聞こえた。
そこは壁一面が書棚になった書斎だった。窓際のいかにも座り心地の良さそうな椅子に腰掛けた憂い顔の男がこちらを見つめていた。
「公爵様。ランお嬢様をお連れしました」
「ボク、キリュウランです。あのぉ・・・宰相閣下からもヴェーラ博士からも、まだ何も説明を受けていないんです・・・ボク、ここにいてもいいんでしょうか?」
男はなぜか驚いた様子でボクの顔をしばらく見ていたが、強い意思のこもった目でジロっとひとニラミすると、
「オマエを養女にすることにした。今日からオマエは予の娘だ。せいぜい親孝行せい」
と言って何かの書類にサインをし、気ぜわしそうにデスクのボタンを押しながら、
「宮内省に出かける。車を用意しろ」
と指示を出すと、もうボクには一顧だもせずに部屋から出ていってしまった。
「・・・?」
「では、お嬢様のお部屋にご案内しましょうね」
ボクはわけが分からないまま、リネアさんに玄関ホールの奥の方へと宮殿の中をゆっくり案内されながら進んでいった。
とにかく天井が高く大きくて、装飾品も芸術的なものばかりだった。
階段を上がるとき踊り場の壁に掛けられた、美しい母娘の等身大の肖像画があった。
「あれ?この女の子、どこかで会ったことがある。それとも誰かに似ているのかなあ・・・」
と思いひとりごちた。
ボクは2階に上がると奥まった一室に連れて行かれた。中に入った途端、圧倒された。ピンクピンクピンクピンクピンク、誰が何と言おうと女の子の部屋だった。
あっけに取られていると、部屋の真ん中で「ラン・キリュウ様 親展」というアラートが宙に浮かんで点滅しだした。それを見るとリネアさんは部屋から退出してボクひとり残された。
「はい、ランです」
とアラートに向かって言うと、宰相閣下が目の前に立体となって現れた。
「“ランくん。気に入ったかね?”」
「閣下!何がどうなっているのか、ちゃんと説明してください!」
「“あはは、まだ面食らったままのようだな。キミの身分証の住所は、いまいるサンブランジュ公爵の宮殿のものだ”」
ボクは腕に掛けていたメッシュのハンドバッグから身分証を出して、いま一度現住所を確認した。
「“公爵は前国王の弟殿下のお子でな、いまの国王陛下のお従兄弟にあたられる”」
ボクはちょっとびっくりした。
「・・・そうなんですか。要するにボクは王家の一族のところに預けられたってことですね?」
「“その通りだ”」
「でも、公爵はボクに、養女とか親孝行せいとかって・・・」
宰相閣下は、いかにもそれが狙いだったとばかりに満面笑みを浮かべて、
「“それなのだよ。先ほど宮内卿のところに公爵がやってきて、キミを養女にする書類を届け出たのだ”」
「男のボクを、よ・・・養女に?」
「“よほど気に入ったのだろうな”」
閣下に問いただして分かったことは、サンブランジュ公爵は、美しいお妃様とひと粒種のマリアナ姫と、それはそれは幸せな家庭を築いていたのだそうだ。
マリアナ姫が16歳の誕生日を迎える少し前のこと、国王陛下からデビュッタントの招待状が届いた。姫は王都中の貴族が招かれる王室舞踏会で社交界デビューすることになったのだ。
ところが、舞踏会の当日、避暑先の離宮から王都に向かう途中で母娘を乗せた公爵家の飛行車が墜落炎上してしまった。
公務のため王都に残っていた公爵は、一度に家族全員を失うという耐えがたい悲劇に見舞われてしまったのだ。
それ以来、公爵はふさぎ込み、いつも不機嫌で、決して笑うことがなくなり、公式行事には出るものの、次第に人からも遠ざかるようになったのだそうだ。
そして、話を締めくくるように宰相閣下は言った。
「“キミは、マリアナ姫に瓜二つなのだ”」
それで肖像画の女の子に見覚えがあったんだ・・・謎はとけたものの、ボクはほとんど思考停止してしまった。
閣下はいかにも事務連絡といった口調で、
「“ちなみに、そこの館でキミが男であることを知っている者はひとりもいない、バレぬよう十分注意するように”」
「そ、そんな!」
「“ただし、ヴェーラ博士はキミの主治医ということで引き続きサポートにつける。女性ホルモンを定期投与しなけりゃならんからな”」
というと一方的に回線を切ってしまった。
「お嬢様、失礼します」
ボクが呆然としていると、リネアさんが女の人たちを連れて入ってきた。
「これからお嬢様のお身の回りのお世話をさせていただく者たちにございます」
リネアさんが紹介してくれた3人は、身長170cmくらいでボクより背が高いが、まだ成人ではない体つきだ。
一人目はベル、ボクの侍女。二人目三人目はお揃いのメイド服に身を包んだレーネとカーラ、ボクの専属メイドだ。
「あのぉ・・・身の回りの世話って、具体的にどんなことを?」
リネアさんと3人の女の子たちは、思わず顔を見合わせて、とても嬉しそうにコロコロと笑った。
「お嬢様はほんとに初々しくってらっしゃる」
「なんでもご用を言いつけてくださいませ」
リネアさんは、ボクには経験のない貴族の習慣であることを考えてか少し説明をしてくれた。
「御髪のお世話や御衣装はじめ、お嬢様のお肌に触れるお世話はすべて侍女であるベルがさせていただきます。そのほかのことはレーネとカーラにお言いつけください」
自分の身体なのに自分ではやっちゃいけないんだ・・・。
ボクのそばには常に彼女たちが控えていることになってしまった。どうしよう・・・片時も気を抜くことができなくなっちゃった。
ボクはものすごく心配になってきたので、ヴェーラ博士に相談することにした。「親展」にすると皆席を外すことが分かったので、映像通信をかけてみた。
「“なにかしら?ランちゃん”」
「先生、ボク養女にされちゃいました」
「“まあ!じゃあキミ、お姫様になったのね”」
「お・・・お姫様あ?」
「“そうよ。公爵令嬢ということはプリンセスなんだから”」
思っても見なかった展開にめまいがしてきた。
「“で、なにか相談があるんでしょ?お姫様”」
「や、やめてください・・・その呼び方」
「“冗談よ。キリュウ君の気持ちは分かってるつもり。今回宰相閣下は実にうまい手を考えられたのよ。キミにとってもね”」
「ボクにとっても?」
「“まず、キミの身元引受人になることで公爵の気持ちが少しでも和らげばと考えたのね。ちょっと効きすぎた感じだけど、そのお陰でランちゃんのこの世界での後ろ盾は万全になった訳”」
「後ろ盾って・・・どういう意味ですか?」
「“ランちゃん、今でもちょっとした有名人だけど、女神杯に出ることになれば世界中の人から注目されるのよ。その点、深窓の令嬢であれば世間からも隔離されるでしょ?”」
「えっと・・・マスコミとかがうるさく付きまとうとか?」
「“それもあるけど、もっと大変なのはね、キミが女の子だということ”」
「?」
「“男たちよ。お・と・こ!”」
「お・・・男ぉ?」
「“キミ、ただでさえ可愛いから大変なことになっちゃうわよ”」
ボクは、背筋を嫌な汗が流れていくのを感じた。でも、いまはそれどころじゃない。
「ところで、先生。ボクに侍女と専属メイドが付いちゃったんです」
「“あら、素敵じゃない!”」
「いや、そうじゃないでしょ?片時も気が抜けなくなったんですよ?」
「“そうか、そうよね。ん?・・・いま侍女って言ったわね?大変!キミ、男だってバレちゃう!”」
「?」
「“お姫様ってね、自分じゃ何もしちゃいけないの。お風呂でさえもよ”」
「え?お風呂ひとりで入っちゃダメなんですか?」
「“・・・いや、待って。そうだ、手があった。我ながら先見の明があったわ。ランちゃん、これから言うことをよく聞いてね、お風呂に入る前なんだけど・・・”」
ボクは、自分の身体にとんでもない仕掛けが細工されていたことを教えられた。
パンパンと手を打つ音が響きわたった。
「静粛に!公爵様からお言葉を賜る」
公爵の大きな手で両肩をやさしく包まれ、ボクは玄関ホールの階段に立っていた。階段を見上げるたくさんの眼にちょっとたじろいだけど、公爵に押さえられているので逃げることもできない。
「皆に申し渡す。今日のよき日、サンブランジュ公爵家に養女を迎えた。ラン・キリュウ・ド・サンブランジュ、わが姫をよろしく頼む」
公爵がボクのことを宮殿に仕える人々に紹介すると、歓声が上がった。
「プリンセス・ラン!」
「姫様!万歳!」
「公爵様おめでとうござります!」
こうしてボクはお姫様にされてしまった。
ボクは、公爵令嬢としてここから王立女学院に通うことになったのだ。夏休みが明けて2学期が始まるまで、あと一週間だ。