第93話 見ていた者
事故から三日。
現場は再開されていない。
重傷者は意識を取り戻したが、
しばらく復帰は難しいという。
カイは、仮設事務所で報告書と向き合っている。
《停止判断基準に基づき中央斜面を事前補強》
《接合部は基準外》
事実は、正確だ。
だが、
何も説明していない。
そこへ、あの若手が入ってくる。
「少し、話せますか」
カイは頷く。
若手は、事故当日のことを振り返る。
「自分、あの接合部、少し気になってました」
「なぜ言わなかった」
「基準外だったからです」
即答だった。
責める余地はない。
カイ自身が、
そう教えてきた。
若手は続ける。
「中央を止めたとき、
自分、安心しました」
カイは、顔を上げる。
「安心?」
「カイさんが止めたから、
大丈夫だと思った」
その言葉が、刺さる。
——俺が止めたから。
若手は、視線を落とす。
「だから、接合部は……」
「基準外だし、
自分の勘だし」
「勘でも、触れた場所は?」
「排水溝の方は、触りました」
「でも、中央はカイさんが見てるから」
カイは、沈黙する。
中央ばかりを見ていた。
自分の責任区域。
自分の判断。
だが、
接合部は誰のものでもなかった。
全体を引き受ける人間が、
いなかった。
若手が小さく言う。
「立つって、
どういうことですか」
カイは、答えられない。
止まることは説明できた。
基準も作れた。
だが、
立つことは、
説明できない。
そのとき、セルマが入ってくる。
「報告書、読みました」
カイは立ち上がる。
「自分の責任です」
セルマは、首を振る。
「責任は、分配されています」
「でも、止めたのは自分です」
「止めたのは中央だけ」
その言葉に、
若手が息を呑む。
セルマは続ける。
「あなたは、中央を引き受けた」
「でも、全体は引き受けていない」
カイは、ゆっくりと椅子に座る。
——責任区域。
その言葉が、
急に軽く感じる。
「立つって、
どこまでですか」
カイは、絞り出す。
セルマは、少し考える。
「境界が消えるところまで」
答えになっていない。
だが、
本当のことだ。
若手が、静かに言う。
「自分、あの日」
「中央より、接合部の方が嫌でした」
カイは、顔を上げる。
「なぜ言わなかった」
「カイさんが止めたから」
その構図が、
はっきりする。
止まる人がいると、
他は安心する。
基準があると、
それ以外を見なくなる。
カイは、両手を見つめる。
止まることを、
教えてきた。
だが、
立つことは、
奪っていた。
火は、
中央にはなかった。
接合部にあった。
そして、
若手の胸に、
一瞬だけ灯っていた。
それを、
基準で消した。
カイは、初めて言う。
「俺は……」
「立っていなかった」
その言葉は、
言い訳ではない。
確認だった。
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