第9話 戻らない理由
使者が来たのは、昼前だった。
北方の集落は、相変わらず静かだった。
物流網の末端。
地図の端に、小さく名前が載るだけの場所。
そこに、王都の印章を付けた馬車が止まる。
「アルト=レイヴン殿にお目にかかりたい」
集落の人々が、不安そうにこちらを見る。
アルトは、手を止め、頷いた。
「私だ」
使者は、深く礼をし、正式文書を差し出した。
封蝋は、宰相府のもの。
内容は、短かった。
王国中央は、
現在の制度運用に関し、
あなたの知見を必要としている。
王都への復帰を要請する。
アルトは、文書を一度読み、折りたたんだ。
声を荒げることも、驚くこともなかった。
「条件は?」
使者は、少し言い淀んでから続けた。
「正式な地位は用意されます。
制度設計の助言役として。
ただし……」
「ただし?」
「最終決定権は、宰相府にあります。
改革そのものは、維持されます」
アルトは、ゆっくり息を吐いた。
「責任は?」
「制度としては……
助言は参考意見扱いになります」
つまり、こうだ。
成功すれば、改革の成果
失敗すれば、助言者の責任
いや、正確には——
失敗しても、責任はどこにも属さない。
アルトは、使者の目を見た。
「なぜ、今なんです」
使者は、正直だった。
「……死者が出ました」
「“個別事案”ですね」
「はい」
「では、なぜ私を呼ぶ」
使者は、言葉を選び、絞り出す。
「……比較した結果です」
アルトは、目を閉じた。
比較。
それは、修正の合図ではない。
後悔の合図だ。
「私は、戻っても救えません」
使者が息を呑む。
「制度は、まだ動いています。
だから止められない。
止められないものは、直せない」
「ですが、あなたなら——」
「私がいた頃の制度は、
もう存在しません」
アルトは、集落の方を見た。
人々が、壊れた柵を直している。
失敗して、直して、また使う。
「今の王国には、
“間違えられる余白”がない」
使者は、何も言えなかった。
「戻れば、私はまた
“最悪を想定する役”になります」
アルトは、静かに言った。
「だが今の国は、
最悪を想定する人間を、
制度の外に置いています」
使者は、唇を噛んだ。
「……それでも、
戻っていただけませんか」
アルトは、首を横に振った。
「戻ることは、
責任を引き受けることではありません」
一歩、前に出る。
「戻ることは、
免罪符になることです」
使者は、理解した。
だからこそ、何も言えなくなった。
「ここでは、失敗が起きます」
アルトは続けた。
「だが、直せます。
直す前提で、設計している」
「王国では?」
「直せない。
正しかったかどうかを、
死者が出てから議論するからです」
沈黙。
風が吹き、集落の旗が揺れた。
「……返答は、それでよろしいですか」
アルトは、はっきりと答えた。
「はい」
使者は、深く礼をし、馬車へ戻った。
その背中は、来たときより重かった。
夜。
アルトは帳面を開き、今日の出来事を書く。
《王都より復帰要請》
《断る》
その下に、一行だけ付け足す。
《ここには、戻れる失敗がある》
帳面を閉じると、遠くで鐘が鳴った。
時刻を告げるだけの鐘。
王都でも、
北方でも、
同じ音が鳴っている。
それでも、
その意味は、もう違う。
アルトは、火を見つめながら思う。
——これでいい。
救えないものを、
救えるふりはしない。
そして、
救える場所を、
守り続ける。
それが、
設計者としての、
最後の責任だった。
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