第8話 あの頃は、こんな死に方をしなかった
その言葉は、議事録には残らなかった。
だからこそ、重かった。
王都・中央会議室。
通常より小さな卓。非公式。
「念のため」の確認という名目で集められた者たちの顔は、どこか疲れていた。
机の中央には、統計表が置かれている。
赤い印は、わずか三つ。
死者数としては、まだ“軽微”の範囲だ。
宰相ヴァルドは、資料から目を離さずに言った。
「数としては、誤差だ。
改革前と比較しても、有意差と断定できない」
正しい。
誰も反論できない。
だが、沈黙が続いた。
沈黙の理由は、数字ではなかった。
**数字の“並び方”**だ。
同じ輸送線。
同じ保管方式。
同じ判断基準。
偶然にしては、揃いすぎている。
「……三年前は」
ぽつりと、誰かが言った。
声は小さく、確認するようだった。
「三年前は、
こういう死に方は、していなかった」
全員が、そちらを見た。
言ったのは、古参の官僚だった。
かつてアルトと何度も言い争い、
それでも最後には彼の修正案を通してきた男。
「事故はあった。
災害もあった。
だが……」
彼は、言葉を探した。
「“間に合わなかった”という報告は、
今ほど多くなかった」
宰相が、初めて視線を上げた。
「それは、印象論だ」
「そうだ。だが——」
官僚は、統計表の端を指で叩いた。
「この“間に合わなかった”の処理、
以前は、もっと手前で止まっていた」
止まっていた。
その言葉が、室内に落ちる。
誰が止めていたのか。
言わなくても、全員が知っている。
英雄セインが、初めて口を開いた。
「……アルト、ですか」
その名が出た瞬間、空気が張り詰めた。
責めるためではない。
思い出してしまったからだ。
「彼は、慎重すぎた」
「最悪を想定しすぎていた」
「だから、改革した」
すべて事実だ。
誰も嘘を言っていない。
「だが」
誰かが、続けてしまった。
「彼がいた頃は、
“まだ余裕があった”」
余裕。
その言葉を、宰相ヴァルドは聞き逃さなかった。
「余裕は、無駄だ」
彼は、そう言い切ろうとして——
止まった。
無駄は、削った。
その結果、国は速くなった。
透明になった。
では、その速さで、
何を失った?
宰相は、資料に視線を落としたまま、低く言った。
「……彼は、何をしていた?」
質問だった。
命令ではない。
若い官僚が、恐る恐る答える。
「制度の隙間に、
“起きなかった事例”を記録していました」
「起きなかった?」
「はい。
事故未満。問題未満。
“報告されなかった出来事”です」
室内が、静まり返る。
英雄セインは、拳を握った。
「……それは、評価されないな」
「だから、追放された」
誰かが、そう言った。
誰も否定しなかった。
夜。
北方。
アルトは、焚き火の前で手を温めていた。
小さな集落。
物流網の末端。
数字に現れない場所。
そこでは今日も、
一人が助かり、
一人が転び、
一人が叱られ、
一人が笑った。
帳面を開き、
今日起きた“失敗”を書く。
量は少ない。
だが、全員で直せる。
彼はふと、王都の会議室を思い浮かべた。
——あそこでは今、
過去を比較し始めている。
それは、
修正が間に合わなくなったときにだけ始まる作業だ。
アルトは、帳面を閉じた。
戻る気は、なかった。
呼ばれる気も、していない。
ただ、確信している。
この国はもうすぐ、
「正しかったかどうか」ではなく、
**「誰が間違えなかったか」**を探し始める。
そしてそのとき、
答えはどこにもない。
火がはぜる音が、夜に響いた。
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