第67話 名前をつける試み
名前がなければ、共有できない。
オルグは、その考えを捨てきれずにいた。
理解できない。
教えられない。
再現できない。
それでも、
現場で起きている差は、無視できなかった。
——壊れる場所と、壊れない場所。
オルグは、会議室で口を開く。
「現場判断に、
新しい分類が必要です」
上司が、眉を上げる。
「新しい?」
「手順は、すでにあるだろう」
「手順ではありません」
オルグは言う。
「判断の“型”です」
ホワイトボードに、
仮の言葉を書く。
《直感補正型現場対応》
誰かが、苦笑した。
「随分、曖昧だな」
「曖昧だから、
拾えているものがあります」
別の者が言う。
「なら、
定義しろ」
「条件を出せ」
「適用範囲は?」
オルグは、言葉に詰まる。
条件を書いた瞬間、
それは、
条件を満たすための行為になる。
——あの時のリエンは、
条件を考えていなかった。
オルグは、
一行だけ、付け足す。
《担当者の裁量による》
その瞬間、
空気が変わった。
「それは、
責任の放棄だ」
「裁量は、
管理できない」
「事故が起きたら、
誰が責任を取る」
オルグは、
静かに答えた。
「……だから、
今は、
壊れているんです」
誰も、
納得しなかった。
結論は、こうだ。
「概念としては保留」
「用語としては不採用」
会議は、終わる。
廊下で、
オルグは、立ち止まる。
——やはり、名前は通らない。
だが、
それで終わりにはならなかった。
数日後、
別の部署から、
似た言葉が出てくる。
《現場適応型補助判断》
意味は、ほぼ同じ。
だが、
そこには条件が並んでいた。
・事前チェック完了
・上長承認
・記録必須
それを見た瞬間、
オルグは、理解する。
——これは、もう違う。
名前がついた。
条件がついた。
責任が分散された。
現場は、
考えなくてよくなった。
同時に、
立たなくてよくなった。
遠く離れた場所で、
リエンは、
斜面を見ていた。
土は、乾いている。
雨は、しばらく降らない。
それでも、
彼女は、足を止める。
「……
ここ、
後で来る」
誰にも言わない。
記録もしない。
ただ、
覚えておく。
夜、
雨雲が、急に流れ込む。
風向きが変わる。
リエンは、
すぐに戻る。
斜面に杭を打ち、
水を逃がす。
間に合った。
一方、
名前のついた判断が、
別の場所で使われる。
条件は満たした。
承認も取った。
だが、
雨の向きが違った。
小さな崩れが起きる。
報告書には、
こう書かれた。
《手順通りに実施》
誰も、
その言葉に疑問を持たない。
オルグは、
机に手をついた。
——名前をつけた瞬間、
火は、別のものになった。
だが、
消えたわけではない。
名前の外で、
今日も、
誰かが立っている。
オルグは、
初めて、
名前をつけることを
怖いと思った。
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