第61話 嫌な音
その集落には、
見張りがいなかった。
理由は簡単だ。
誰も来ない。
地図では、
一応、村になっている。
だが、
制度の担当も、
商業連合の営業も、
最後に来たのは数年前だ。
水は、
古い貯水槽に溜めている。
石積み。
補修は、
記憶にない。
リエンは、
その前を通りかかって、
足を止めた。
「……
変だ」
音ではない。
匂いでもない。
嫌な感じだ。
水面が、
わずかに揺れている。
風はない。
リエンは、
しゃがみ込む。
石の隙間に、
細い水の筋が走っている。
「……
今か」
誰に向けた言葉でもない。
周囲を見回す。
人は、
いる。
だが、
誰も見ていない。
呼べば、
誰かは来る。
だが、
呼んだところで、
決定権はない。
リエンは、
腰を下ろした。
道具は、
最低限しか持っていない。
だが、
足りる。
石を外し、
水の逃げ道を作る。
手は、
慣れていない。
指先が、
痛む。
「……
ああ、
これだ」
自分でも、
なぜ分かるのかは、
説明できない。
ただ、
今やらなければ、
夜に壊れる。
背後で、
声がした。
「何してる」
男だ。
年配。
警戒している。
リエンは、
振り返らない。
「壊れないようにしてる」
「誰に頼まれた」
「誰にも」
男は、
鼻で笑った。
「勝手に触るな」
「事故が起きたら、
責任は誰が取る」
リエンは、
手を止めた。
少し考える。
そして、
正直に言った。
「……
起きないようにしてる」
男は、
言葉を失う。
「起きない、
なんて……」
リエンは、
言い切らない。
言い切れないからだ。
再び、
手を動かす。
石を戻し、
土を詰める。
完璧ではない。
だが、
水の圧が逃げた。
男は、
しばらく黙って見ていた。
「……
前にも、
似たことがあった」
リエンは、
顔を上げる。
「通りすがりの人が、
何も言わずに、
直していった」
「名前も、
聞かなかった」
リエンは、
何も言わない。
言えない。
夕方、
作業は終わった。
貯水槽は、
静かだ。
男は、
深く息を吐く。
「……
助かった、
のかもしれん」
リエンは、
立ち上がる。
「今夜は、
大丈夫です」
根拠は、
言わない。
男は、
しばらく迷ってから聞いた。
「名前は」
リエンは、
少しだけ考えた。
そして、
首を振った。
「通りすがりです」
男は、
それ以上、
聞かなかった。
夜、
集落に雨が降る。
音は、
静かだ。
水は、
溢れない。
誰も、
騒がない。
翌朝、
リエンは、
もういない。
だが、
貯水槽は、
壊れなかった。
それだけだ。
村の子どもが、
水面を覗き込んで、
首を傾げる。
「……
なんで、
昨日より
静かなんだ」
誰も、
答えない。
だが、
どこかで、
誰かが
足を止める。
——嫌な音だ。
そう思った瞬間、
火は、
また起きている。
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