第60話 火は、渡らない
その場所は、
地図に載っていなかった。
理由は単純だ。
誰も、
管理しようとしなかった。
山と川の境目。
雨が降れば、
水の流れが変わる。
去年までは、
問題なかった。
今年は、
少し違う。
若者は、
立ち止まった。
「……
嫌な音だ」
足元の石が、
わずかに沈む。
今すぐではない。
だが、
次の雨で崩れる。
周囲を見回す。
誰も、
見ていない。
通報すれば、
調査が入る。
基準を満たさなければ、
保留になる。
補修は、
来年か、
来ないか。
若者は、
腰を下ろした。
道具を出す。
理由は、
考えない。
——立つからだ。
土を掘り、
水の逃げ道を作る。
判断は、
速い。
だが、
慎重だ。
途中、
通りがかった男が言った。
「……
何してる」
若者は、
顔を上げずに答える。
「壊れないようにしてる」
男は、
しばらく見ていた。
「それ、
頼まれたのか」
「いいえ」
「金は」
「貰わない」
男は、
首を傾げる。
「……
変わってるな」
若者は、
何も言わない。
変わっているかどうかは、
関係ない。
作業は、
一時間ほどで終わった。
完璧ではない。
だが、
今夜の雨には耐える。
男は、
しばらく黙ってから言った。
「名前、
聞いてもいいか」
若者は、
一瞬、手を止めた。
昔なら、
答えていたかもしれない。
今は、
違う。
「通りすがりです」
男は、
少し困った顔をしたが、
それ以上は聞かなかった。
「……
助かった」
それだけ言って、
去っていく。
夕方、
空が曇る。
遠くで、
雷の音。
若者は、
濡れた手を拭き、
その場を離れる。
背後で、
雨が落ち始める。
音は、
静かだ。
崩れない。
その夜、
別の場所で、
誰かが立ち止まる。
別の土地。
別の理由。
だが、
同じように
嫌な音を聞く。
その人は、
誰にも教わっていない。
名前も、
知らない。
それでも、
腰を下ろす。
——今なら、
直せる。
世界は、
正しくならない。
制度は、
変わらない。
商業連合も、
消えない。
だが、
管理されない場所は、
まだ残っている。
そこでは、
今日も、
誰かが立つ。
名もなく。
記録もなく。
評価もなく。
火は、
渡らない。
だが、
消えもしない。
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