第53話 管理できない場所へ
道は、細くなっていった。
舗装は途切れ、
踏み固められた土が、
ただ続く。
標識はない。
掲示板もない。
通達も届かない。
——管理できない場所。
若者は、荷を背負いながら言った。
「……
ここ、
誰の領域なんですか」
アルトは、前を見たまま答える。
「誰のでもない」
「だから、
誰も来ない」
同行しているもう一人が、
苦く笑う。
「最悪ですね」
「最悪だな」
アルトは、否定しない。
最悪であることは、
そのまま、自由でもある。
谷を抜け、
川沿いを歩く。
水は澄んでいるが、
流れは荒い。
橋は、半分だけ残っていた。
古い木材。
錆びた金具。
補修の跡はない。
若者が、足を止める。
「……
これ、
誰も直さないんですか」
「直さない」
アルトは言う。
「直しても、
評価がない」
「直さなくても、
罰がない」
だから、
壊れるまで放置される。
向こう岸に、
小さな集落が見えた。
煙が上がり、
人がいる。
だが、
外から来た者の匂いに、
すぐ気づく距離だ。
三人が近づくと、
年配の男が出てきた。
目が、鋭い。
「誰だ」
「通りすがりだ」
若者が答える。
男は、
一瞬だけアルトを見る。
「あんた……
役人じゃないな」
アルトは、頷いた。
「来たのは、
補償の話じゃない」
「基準の話でもない」
男は、
眉をひそめる。
「じゃあ、何だ」
「直す話だ」
その言葉で、
空気が変わった。
集落の者たちが、
少しずつ出てくる。
期待ではない。
警戒でもない。
疲れだ。
「直すって言って、
何度来た」
誰かが呟く。
「直す直すと言って、
書類だけ置いて帰った」
「結局、
壊れたら補償で終わりだ」
若者は、
唇を噛んだ。
ここにも、
同じ空洞がある。
アルトは、
静かに言う。
「書類はない」
「補償もない」
「基準もない」
男が言った。
「じゃあ、
何を根拠に直す」
若者が答える。
「壊れる音がするからだ」
集落の男たちは、
笑わなかった。
馬鹿にもしない。
ただ、
沈黙した。
沈黙の中に、
「ああ、そうか」という
納得が混じっている。
案内されたのは、
集落の外れだった。
崩れかけた斜面。
雨が降れば、
道ごと落ちる。
制度が来ない理由が、
分かる場所。
採算が合わない理由も、
分かる場所。
若者が、
斜面に手を当てる。
土は、湿っている。
だが、
もう少しで崩れる湿り方だ。
「……
今なら、
直せる」
同行のもう一人が、
小さく言う。
「でも、
これ、
やっても誰も知らない」
若者は頷く。
「知ってもらうためじゃない」
アルトが、
淡々と言った。
「直すためだ」
三人は、
道具を下ろす。
杭を打つ場所を決め、
水の逃げ道を作り、
土を締める。
汗が出る。
手が痛い。
時間がかかる。
見物していた集落の者が、
ぽつりと言った。
「……
あんたら、
何者だ」
若者は、
手を止めずに答えた。
「立つ者だ」
その言葉は、
格好よくない。
誇れない。
売れない。
契約にならない。
でも、
嘘ではない。
夕方、
斜面は落ちなかった。
完璧ではない。
ただ、
今夜の雨なら耐える。
集落の男が、
ようやく息を吐いた。
「……
助かった」
若者は、
頷くだけだった。
感謝を貰うために
来たわけじゃない。
アルトは、
少し離れた場所で
帳面を開く。
《新地:行政境界外》
《案件:斜面補修》
《方式:現場判断》
最後に、
一行だけ書き足す。
《火は、
地図の外で
燃える》
夜、
雨が降り始める。
集落の者たちは、
黙って空を見上げる。
三人も、
同じように雨を聞く。
音は、
静かだ。
だが、
今夜は、
壊れない。
それだけで、
十分だった。
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