第4話 正しさが連鎖するとき
異変は、同時に起きなかった。
それが、もっとも厄介だった。
北方領の春は短い。
雪解け水が引き、街道が乾き、交易が一気に活発になる。
人も物も動き、数字はさらに良くなった。
王都から届く報告は、相変わらず明るい。
税収は堅調。
物流効率は維持。
改革第二段階、予定どおり進行。
「北方は順調だな」
宰相ヴァルドのその一言で、会議は前へ進む。
誰も止めない。
止める理由が、どこにもない。
一方で、アルトの手元には、性質の違う報告が積み始めていた。
倉庫の管理者が交代した。
新人教育は、制度化された簡易マニュアルのみ。
引き継ぎ期間は短縮。
事故はない。
だが、質問が減った。
「基準どおりですから」
その言葉が、以前より早く返ってくる。
アルトは、それを危険だと感じた。
基準は、思考を止める。
思考を止めた現場は、環境の変化に気づけない。
「去年の配置と、今年の配置を並べてみてくれ」
管理者は言った。
「必要ありますか?
どちらも基準どおりです」
その瞬間、アルトは悟った。
――もう、“違い”を探す文化がない。
数日後、別の問題が起きる。
交易商からの連絡だった。
「北街道の荷、予定より一日遅れました」
遅延は一日。
理由は、積み替え作業の手順変更。
「効率化の一環です」
現場はそう説明した。
実際、全体の処理量は増えている。
一日の遅れは、誤差だ。
だが、アルトは知っている。
誤差は、繋がる。
遅れた荷は、次の積み替えに影響する。
次の積み替えは、別の地域の余白を削る。
削られた余白は、事故が起きたときに使われるはずだったものだ。
「まだ、壊れていない」
アルトは自分に言い聞かせる。
だが同時に、胸の奥で警鐘が鳴っていた。
これは、連鎖の始まりだ。
彼は王都へ報告を送った。
いつもより、踏み込んだ文面で。
制度は機能しているが、
現場の裁量が急速に失われている。
小さな遅延が、他領へ波及する可能性あり。
返答は、今までと同じだった。
《現時点で問題なし。
改革の定着過程として許容範囲》
許容。
その言葉が、アルトの胸に重く沈む。
夜、彼は宿舎の灯りの下で帳面を開いた。
これまでの記録を、すべて見返す。
寒波。
湿気。
配置。
引き継ぎ短縮。
遅延。
どれも単独では、説明がつく。
だから誰も止めない。
だが重ねると、はっきり見える。
――余白が、消えている。
余白とは、無駄だ。
無駄とは、削減対象だ。
削減された結果、国は速く、透明になった。
そして今、
壊れたときに戻る場所がなくなりつつある。
アルトは、帳面の最後のページに線を引いた。
《次に来るのは――
「失敗が、失敗として処理できない事態」》
書き終えた瞬間、外で鐘が鳴った。
街の鐘だ。
祝祭ではない。時刻を告げるだけの鐘。
人々は変わらず暮らし、
国は変わらず動いている。
誰も、危機を感じていない。
アルトは椅子にもたれ、天井を見上げた。
かつて彼は、
問題が起きる前に、止める役だった。
今は違う。
問題が起きたあと、
「なぜ止まらなかったのか」を
説明する役に、なりつつある。
だがその役は、
必ず“後出しの知恵”と呼ばれる。
それでも、書くしかなかった。
記録するしかなかった。
誰かが、後で気づいたときのために。
——この国が、
まだ完全に壊れていなかったことを、
証明するために。
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